魔王城地下・魔族国魔法開発局

 魔王城の敷地内にある真っ赤な屋根の、大きさの割には堅牢に過ぎる建物。建物の周りは堀に囲まれ、屋根や壁には物体の耐爆性や耐火性などを高める魔法が付与されている。

 魔族国内には交通機関として、一定規模の街に存在しているとある建造物がある。距離に応じた相応の金額を支払うことで、建物内に備え付けられた空間転移魔法の付与されたゲートを使って移動するというサービスを提供している、通称“駅”と呼ばれるものだ。

 元々は政府関係者が早馬で、バテた馬を取り換えるための特殊な馬小屋が“駅”と言う言葉の語源なのだが。空間転移門が一般化して廃止された今では交通機関の拠点の意味として使われている。


 真っ赤な屋根の建物も駅……ではあるのだが、魔族国でも特命を受けた者や最上位の階級の者だけが利用できる特別な駅であった。防犯及び魔法への対策がなされた正に特別な駅だ。

 しかし、紅い屋根の駅よりも更に限られた者しか利用できない転移門も、また存在するのである。


 ☆


 再び時をさかのぼり、テロ事件から翌日の朝。つまりライアーの悲痛な声が響いた頃。

 魔王城地下にあるアラン直属の特殊組織である魔法開発部の者たちが、紙とペンを用いて複雑な魔法陣を書きこんだり、火にかけられた巨大な鉄鍋の中身をかき混ぜていたりしている。何が行われているのか彼女には検討もつかない光景をガラス越しに見ながら、白い石のタイルが貼られた床をカツカツと規則正しい足音を鳴らしながらメイルは歩く。


「火のマナを光のマナで覆う事によってだな……」

「いやそこは単純に覆うよりも毛糸玉のように糸の形に伸ばしたものを」

「駄目だ!」「駄目だ!」

「なら、こうお椀二つを合わせるような」

「駄目だ!」「駄目だ!」

「お前らなんだよ」


 廊下に備え付けてある椅子と机に座りながら何やら論議を繰り広げる男達。手元には誰かが居れたのであろう紅茶がカップに入っているが、どのカップも一様になかの紅茶が冷めてしまっている。彼らの脇を直接的にでは無いとはいえ、上官にあたるメイルが通ったとしても気が付かずにずっと議論を続けるほど熱中しているようである。


(やはり魔法研究者も科学者バルドロス様に似たような性格の人物が多いような気がするなぁ……まだあの方のほうが酷いものだけど)


 魔族国の騎士達の正装である皆紅色の制服の袖を軽くはためかせながら、過去に目撃したバルドロスの言動を思い出し、若干顔を強張らせる。男達の反応はクロノスなどが相手であれば眉を顰めて注意しただろうが、自身の部下でもない者に注意するほど真面目な性格でもないメイルは気にせず横を軽やかに通り越す。


(悪い方では無いことは無いことは解ってはいますが……どうしても苦手意識がありますねぇ……)


 心の中で愚痴を述べつつ、廊下の突き当たりにあった地味に装飾の凝った扉の前で立ち止まってノックする。室内からは目的の人物の声が聞こえてきた。


「失礼します。魔法開発副局長殿。軍務大臣、メイル・フローレンスです」

「お、おぉぉ? これこれ、ちょっと扉を開けてきなさい」


 部屋に訪れた人物の正体に素っ頓狂な老人の声があがる。パタパタと駆け足で歩く音がしたと思えば、ドアが開いて眼鏡をかけた赤い肌で額に一本の角を生やした女性が姿を現した。部屋の奥にある椅子にはフクロウのような頭をもった老人が座っている。老人は首を左に九十度首をひねりながらメイルに聞く。

 女性が礼をしたのに会釈で返すと、メイルは老人の目の前で


「ホホウ、メイル様どうなされましたか」

「すいません、少し席を外して貰えますか」

「……かしこまりました」


 赤い肌の女性――炎鬼えんきと呼ばれる種族の女性はメイルに言われたことに従い、扉の外へと出ていった。老人はどこか不思議そうな顔をしながらメイルを見る。

 メイルは老人の座る机の下に向かい、手元の資料が入った大型の封筒を手渡す。


「これは……やはり、魔王様が戻って来られたので?」

「その通りです。こちらはその魔王様からの指示書ですが、各自責任者ごとに役割分担を行って実行してくださいとのことです」


 封筒に押された封蝋の印の形を見て、自分の上司でもあり魔族の王でもある“魔法開発局の局長”アラン・ドゥ・ナイトメアの印だということを確認した。


「ふむ……しかしわざわざメイル様が? 侍従やメイドでも……」

「いえ、私自身もこちらに用がありましたので。ついでに持ってきたのです」


 個人的に本題である事案に関し、一瞬居住まいを正すメイル。


「『長距離空間転移門ロング・ワープゲート』の枠型式の使用許可を」

「ふむ……それはよろしいのですが繋げる場所はどういたしましょうか?」


 鳥の脚のような細い両腕をひじ掛けに置きながら、今度は首を右側に九十度回転する老人。嘴の下に生えた白い髭のような羽毛が微妙に頭の向きとは反対側に曲がり、身に纏った補色である黒いローブのおかげでいい具合に目立って見える。


「魔族国軍第一基地内にある緊急用転移枠です。時間は、そうですね……六時間ほど繋げておいてください」


 メイルが手元に持っていた用紙を老人の机に置き、用紙に目を通した老人がしばし考え込むように黙ったあと、十秒ほど経って首を縦に振った。


「ホホウ。かしこまりました」


 老人は立ち上がるとゆっくりとした足取りでメイルの横を通り、うち開きの扉を開いたすぐ傍に立っていた女性に話かけた。


「メイル様が枠型を使いたいそうなのだが、君に任せても良いかね。その間に資料には目を通しておく」

「はい、わかりました。ではメイル様。こちらへ」


 赤い肌の女性に促され室内を後にするメイル。女性がドアを閉めたあとメイルが歩いてきた道ではなく、老人の部屋から見て右にあたる方向に延びる道を歩いて行く。


「しばしお待ちを」


 炎鬼の女性が青色に見える石で造られた扉の前で止まる。

 青い扉の横には金庫のような金属の小さな扉がついており、そこを開くと中にはドーム状の形をした魔法石が置かれていた。魔法石に右手をかざした女性が何やら呟くと、誰の手も借りずにドアが開きだす。


「こちらに手を」


 女性に促されるままメイルも魔法石に手をかざした。これで良いのかと女性を見れば頷いており、そのまま青い扉の内側へと入っていく。二人が入ると扉が静かに締まり、薄暗かった室内は光が入らずに真っ暗で何も見えないような状況となった。


「『ヒート』」


 女性が発動させた初歩級魔法によって、暗闇のなかに一点の仄かで小さな炎が浮かび上がった。炎は女性の人差し指の先に灯されており、その指がおもむろに壁に近づけられる。

 すると壁に貼り付けられていた糸に炎が引火し、瞬く間に部屋の天井に張り巡らされた糸を伝って広がっていく。それぞれ天井から垂れた糸の先には天井に吊るされたランタンがあり、それらに火がつくことで部屋の中が明るく照らされた。糸には炎は伝播させるが燃焼は持続しないようにする魔法が付与されており、炎が伝った後の糸は普通の糸となんら変わらない見た目のままであった。


「行く先は」

「魔族国軍第一基地内、緊急用転移枠で」

「かしこまりました」


 女性は部屋の隅にある棚の方へと向かい、何かを探し始める。その場で待機しておくしかないメイルは、部屋の奥にある物体を見た。赤茶色の木の角材で作られた四角い枠である。木の属性と光の属性の複合魔法によりまったく別の木であった木材同士が、あたかも接ぎ木のごとく元から四角形の木であったかのように合着されているのだ。


「ゼロのイチキュウ……ありました。これですね」


 紐の取り付けられた黒い石材製の四角い棒を見つけた女性は、木の枠の脇に彫られている四角い穴にその棒を挿し込む。棒を挿したままにし、女性は枠に手を当てると必要な分だけ自分の魔力を対象の枠に注ぎ込む。すると枠の中空に小さな黒い渦が出来、徐々に大きくなって最終的に枠の内側と同じ大きさにまで渦が大きくなった。


「時間は如何ほどで」

「6時間ほどで戻ってくる予定です」

「了解いたしました。ではそのころに錠を外しておきますので」


 女性は深々と礼をすると、メイルを残して部屋の外へと出ていった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 『長距離空間転移門ロング・ワープゲート』が付与された黒い石材で作られた枠をメイルはくぐった。縦五メートル横四メートル程度の枠の中には青や黒色の混在した渦のようなものが出来ており、枠を横に倒して夜に水辺で見れば渦潮に見えなくもないとよく噂になるものである。

 確実にぶっ壊れるため思ってもやらないが。


 空間転移をする際特有の微妙な眩暈を目を閉じて堪えつつ、頭を上げて目を開ければ視界に広がるのは木材を積み上げたログハウスという建築物の壁である。魔族領の森は植物の成長が速く、建築に使う素材は主に木材だ。金のある者は魔法を用いて石材による家を建てたりもするが、簡易的な建物であれば専ら木材建築である。


(やはり木のにおいは良いなぁ、落ち着く。悪いとは思うけど城の清潔な感じのする、水に濡れた石の臭いとかよりも、やっぱり土や草木の香りの方が落ち着くんだよね。いえ、魔王様のにおいならば幾らでもよろしいのですが……森の中で魔王様と二人だとかとても……)


 一人で妄想して顔を真っ赤にするメイル。彼女が居るログハウスの中に誰もおらず、窓からも彼女の顔を赤くしたのは見ることが出来なければ、幸い中を窺う者も居ない。一度咳払いをして自分の脳内を整理すると、自分の正面にある扉から外へと出る。


「将軍!」

「ご苦労様」


 扉のすぐそばに立っていた二人の兵士が、建物の中から出てきたメイルに驚きつつも最敬礼をする。その周りに居た兵士たちも慌てて敬礼をしてメイルを見る。


「えっと……あなたはジョン剣将だったかな?」

「ハッ! その通りであります!」

「魔将達を集めて来てくれる? いつものところに居るって言えば伝わるはずだから」


 背中に厳つい形の大剣を背負った、全身を白い毛で覆われた大男がメイルの質問に答えた。剣将と呼ばれる魔族国軍の中でも小隊指揮権を持ったそこそこの実力者である。


「かしこまりました! しかし……」

「何?」


 老けて見える見た目とは違い、若々しい声で反応はするも何故か言いよどむ男。メイルはその理由をなんとなく察しつつも一応聞く。


「へリオロース魔将殿が、本日は休番であるため遊郭へと……」

「やはり……またですか。戦いの腕は立ちますが彼の女好きは本当に呆れますね……性欲発散にしても目に余ります。あなたでは彼も言うことを聞かないでしょうし、テスカ魔将に説得するよう伝えて頂戴」

「ハッ! 了解しました! では失礼いたします!」


 メイルに男は再び敬礼をし、魔将達の住居の居並ぶ区画へと歩いて行った。メイルがいつものところ――魔族国軍司令部に向かおうとしていると、転移門のある建物の扉を守っていた兵士がおずおずと口を開いた。


「将軍」

「何?」

「まことに主観であるため勘違いであれば申しわけありませんが……顔が赤いのは、風邪「勘違いです。これがいつもの顔だからあなたが心配するようなことでは無いから安心しなさい」は、はい」


 もしやと心配して兵士が尋ねたが、メイルはキッパリ大丈夫だと説明を行う。まさかアランとの逢瀬を夢想して興奮していたなど言えるはずも無かった。

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