第5話 創世樹



 駅舎前の噴水広場から歩いて約十五分、人気がやや薄れた宿場町の端に、それはあった。

 飾り気の無い三階建ての建築物。玄関の上には、おそらく宿屋を意味しているのであろう、止まり木で休む右向きの鳥が描かれた看板が備え付けられている、お世辞にも豪華とは言えない建物のドアを、リリィは開いた。

 

 「いらっしゃいませー。ああ、さっきのお客さん」

 

 カウベルの澄んだ音が響き、受付にいた少女が玄関まで躍り出てくる。長いくせっ毛を後頭部で一括りにした、赤いエプロンドレスがよく似合う十歳くらいの女の子であった。

 

 「どうも。約束通り来たよ、チェロットちゃん」

 「はぁい、お部屋は用意してありますよー。あれ? でも、おふたり様だと承ってましたけど……」

 

 チェロットと呼ばれた少女は体を傾け、リリィたちの後ろに佇むアリスを見やる。

 

 「ああ、この子は……」

 「さっき知り合ったばかりの人よ。宿泊には関係無いわ。それよりも部屋に案内してくれる?」

 「あ、はーい。かしこまりましたー」

 

 リリィの返答を潰し、リオナはさっさと受付前を通過していく。そんなリオナをチェロットは急いで追いかけ、彼女を階段へと誘導していった。

 

 「お姉ちゃん……」

 

 こちらを一瞥もせずに二階へ向かうリオナを見上げるリリィは、アリスに断ってから、自身も階段を駆け上がっていった。

 

 

 

 宿屋『ロイス・マリー』は三階建て、全六部屋からなる小さな施設だった。ダマスク柄の壁紙に彩られた内装はそれなりの拘りが見受けられるものの、いかんせん部屋数が少ないせいか、利用客はフレアミント姉妹以外に見当たらない。

 

 また、一階の一部は食堂となっており、宿泊客以外でもオーナーの手料理が楽しめる飲食スペースになっている。荷物を部屋に運んだリオナとリリィはアリスを交え、そこにあるテーブルの一つを囲んでいた。

 

 「ほぉー、姉妹で旅をねえ」

 

 魚の身を解しつつ、アリスは言う。

 テーブルにはリオナによって注文された料理の品々が湯気を立てていた。アリスは真ん中の大皿に盛り付けられた大きな白身魚の一部をフォークで切り取り、添え付けの野菜と一緒にサーバースプーンで小皿に移す。そして、2人の見よう見まねで自分用に分け与えられた硬いブレッドの上にそれらを乗せ、思い切り齧り付いた。

 酸味のあるソースとほろ苦い魚の味が絶妙に混ざり合い、野菜のシャキシャキとした食感がさらに旨みを倍増させる。噛み続けていると、今度はソースと唾液でほつれていくブレッドが甘みを引き連れてきて、豊かな味わいについ頬が綻んだ。

 

 「そうなの。もう二年くらいになるかなぁ」

 

 アリスに応えたのはリリィ。彼女はブレッドではなく焼いたトーストにジャムを塗り、それを頬張ってから続ける。

 

 「いろんな所を回ったなぁ。滞在した時間は短かったけど、たくさんの人と出会えた。ここに着いたのは今日の朝、隣国の『マリナグース』から出る船で来たの」

 「着いた時期は俺と一緒だな。ん? でもさっきは駅にいなかったか?」

 「荷物だけは別に送ったのよ。機関車は運賃が高くて、選んだ船も狭かったからなるべく手荷物を減らそうとね。それで私が手続きをしている間に宿を探してくれ、って頼んでみたら……愉快なお友達を連れてきて、ねえ?」

 

 話を受け継いだリオナがリリィに湿っぽい視線を送る。途端にリリィは饒舌を止め、白々しい顔でスープを飲み始めた。

 リオナは呆れたように頭を軽く振り、それから表情を険しくする。

 

 「というか、私たちの話はいいのよ。いま話すべきはアンタの処遇。そもそも家や親はともかく、自分の名前が無いってどういうこと? いえ、無い、じゃなくて相応しくない、だっけ? 結局、名前は有るの無いの、どっちなの?」

 「んー…………そうだな、隠しててもしょうがねえしなぁ。言っても信じてもらえるかどうかだが、いい加減この問答にも決着をつけてえし」

 

 アリスは投げやりな口調で言を並べ、乳白色のスープを口に運んだ。甘そうな見た目に反して胡椒の程よい刺激が舌を打ち、魚の油に淀んだ口内をすっきりとしてくれる。

 そうして三口ほど含んで飲み込み、アリスは徐に口を開いた。

 

 「俺はこの世界じゃない別の世界から来たんだ。その時の俺は男で、来たのは今日の朝だ。だから親もいないし家も無い。名前も使えねーだろ? だって今の俺、こんなんだもん」

 

 アリスは細い両腕を大きく広げて自分を誇示する。目の前の2人はポカンと呆けた表情で自分を見つめるばかりで……言わんこっちゃない、と心中で溜息をついた。

 

 「――――どうすんのよリリィ。家出とか記憶喪失とか孤児とか、そんなレベルの話じゃないわ。斜め上に突き抜けていってるわ、特に頭が」

 「――――どうしようお姉ちゃん。まさかここまでとは考えてなかったよ。警察じゃなくて病院に連れていくべきだったんだ」

 「だから捨ててこいって言ったでしょう! それなのにアンタは……」

 「聞こえてんぞコラー。こっちを無視すんなー。見ろコラー」

 「喋ったわ! 私たちのこと見てる! 手ぇ挙げてゆらゆら揺れてる!」

 「怖いよお姉ちゃん! あれは何なの?! わたしたちをどうする気なの?!」

 「ダメよ目を合わせたら! あれはきっと呪いの儀式よ! 目を合わせたら最後、魂を抜かれて二度と正気を取り戻せなくなるわよ!」

 「ひぃぃーっ」

 「もういいわ! いつまで茶番してんだお前ら!」

 

 スプーンをテーブルに叩き付けて、お互いを庇うように抱き合う姉妹にアリスは怒号を浴びせた。

 するとリオナが不満げな顔で上体を起こし、じろりとアリスに半眼を向ける。

 

 「アンタが先にふざけたからでしょ。なによ別の世界からって、こっちは真面目に話を聞く気だったのに」

 「ふざけるもなにも事実だしなぁ……」

 「まだ言うか。あのねえ、冗談を言うにしてもタイミングってもんがあるでしょうが!」

 「だーかーらー! 本当なんだって! くそっ、どう言えばいいかなぁ、俺も実のところよく分かってねえんだよ。向こうで死んで、そしたら女が現れて、なんかいろいろとしてたらいつの間にか木の上にいたんだ!」

 「木の上?」

 「そう! ほら、窓から見えるだろ! あのクソでけえ木! あのてっぺんに花が咲いて、俺はその中にいたんだよ……って言っても分かんねえだろうなぁ……」

 「………………」

 

 窓の向こうに聳える巨大樹を指差して喚くアリスだったが、自分で自分の言葉に信憑性が持てず、次第に語気は弱まっていく。


 どうせ「ふざけるな」と一蹴されるだけだろう。


 そう覚悟してアリスがリオナを窺うと、意外にも彼女は手を顎に当てて思案に耽っていた。

 

 「……つまり、アンタはあの木、『エルフィリア』から現れた、ってことね?」

 「え、える? お、おう、たぶん……自分でも言ってて意味不明だが。なんだ? まさか今の説明で納得したってのか?」

 「…………アンタがエルフィリアのことを知った上で言うなら信じなかったでしょうけどね。でも、そうじゃないなら……違う、と断言できないわ」

 「どういう意味だ? 分かるように説明してくれ」

 「えー? イヤよ、だって全てを説明するとなると神話とか伝承まで話すことになるもの。めっちゃ長いし、ぶっちゃけメンドイ」

 「いーじゃねえか。減るモンじゃなし、今は情報が欲しいんだ。頼む!」

 

 アリスは額をテーブルにぶつけんばかりに頭を下げて懇願する。


 それまでの小憎らしさが嘘のような、殊勝な態度。これに面を食らったリリィは、憐れみの目付きで姉を見た。

 その眼差しを受けたリオナは、しばしその金髪のつむじを煩わしそうに見つめていたが、やがて一息をつくと、観念するように「分かったわよ」とひり出した。

 

 


 30分かけて料理を平らげると、食後のフルーツとコーヒーがそれぞれに配られる。ペコリと一礼して去っていくチェロットの姿が厨房に消えるまで見届けたリオナは、徐に始めた。

 

 「あの木の名前は『エルフィリア』。この世界を創った神の木とされ、一般的に『創世樹そうせいじゅ』と呼ばれているわ」

 「この世界を?」

 「そう。大地はエルフィリアの根によって形成され、海はエルフィリアの樹液によって満ち、空気はエルフィリアの呼吸によって生まれた。さらに根は過去を、幹は現在を、枝は未来を表しているとされ、そこに芽吹く葉や実はこの世界ではないどこかに落ちるという。そこで創世樹はまた新たな世界を創り、それが連綿と続いている、ってのが神話として言い伝えられてる話」

 「この世界ではない、どこか……それってまさか」

 「そうよ。アンタの口からそれが出たから、まあ……否定、できなかったワケ」

 

 あくまでアリスの言葉を信じたとは言わないあたり、かなりの強情である。

 

 「で、今のが実しやかな神話の話なんだけど、もう一つ、これに関連するある伝承があるの。異世界から現れた『勇者ゆうしゃ』の話」

 「勇者? 勇者ってーと、魔王と戦うあの勇者か?」

 「その通りよ。さて、それを説明するには、先にこの世界の歴史を教えなきゃいけないワケで、いちいち言い直すつもりは無いから耳の穴をかっぽじってよく聞いときなさい」

 

 リオナは忠告し、コーヒーカップを手に取った。椅子に座り直して傾聴の体勢を整えるアリスを眺めつつコーヒーを喉に通し、話を再開する。

 

 「まず私たちがいるこの国について教えるわ。ここははじまりの国『ヴェネロッテ』。世界最大の湖『デルメア湖』の中心に位置する小島、『デルメニア島』に築かれた都市国家。古代、この島はエルフィリアが実生する神聖な土地として崇められ、人類は湖の周辺にどんどん生活域を広げていった。やがて村ができ、町となり、都市が開かれ国が成立する。そうして人間社会はデルメニア島を中心に発展していったのだけど、やがて人々はエルフィリアを巡って戦争を始めるようになった」

 「まあ、争いは人間の本能だからな。しかし、たかがでけえ木一本のために争いが起こったってのか?」

 「それは、これがあるからよ」


 リオナはミニフォークで小皿の切り分けられたフルーツの一つを刺し、それをアリスに見せ付ける。

 

 「フェアリタ。エルフィリアに実る、不思議な力を持つ特別な果実のことをそう呼ぶ。それはすなわち『魔力まりょく』。戦争の歴史は、そこから始まった」

 

 そう告げて、リオナはフルーツの一片を噛み砕いた。

 






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