第5話  修学旅行 with ユーレイ

「さあ。飛ぶぞ」

 搭乗の手続きも身体検査もすり抜けて、すばるが空いている席にちゃっかり座る。幸い一番後ろで違和感がない。しかも、隣の席は翔馬だから安心だ。普段はいつものメンバーのうち誰かが答えるが、大勢の人がいるところでそういうわけにもいかない。思わず喋りたくなるのを懸命にこらえているうちに、飛行機は大空へと飛び立った。地上で見ると大きくて威圧感のある建物でさえ、ちっぽけに感じられる。今日から3日間、日常から解き放たれて自由になれるのだと思うとわくわくする。しかし、

「飛行機といえば、飲み物がサービスで出るのだろう? 俺はアップルジュースがいい」

 某幽霊が後ろではしゃいでいるせいで、非日常に浸りきれない。

すい。押さえて」

 苛立っていたのを察したこのみが翠を静める。命拾いしたなと心の中で昴に舌打ちした。

 1日目は午後に到着して、大型バスで水族館や南国風の城など有名どころの観光地を回った。そのため、昴も違和感はなく、葉月とも話さなくてすんだ。問題は二日目の自由行動だ。

「問題は明日だなあ……」 

 ホテルの自分の部屋に戻った翠は、ベッドに寝ころんでぼんやりと天井を見つめた。

「そうだね……この島の中でも特に有名なビーチに行くぞって男性陣は張り切っていたけど……あのへんなテンションに新山さん、ついてこられるのかな?」

 ふと隣のベッドを見るとこのみも自分のベッドに寝ころんで、ぼんやりと天井を見つめている。ホテルの部屋が二人部屋で助かった。

「男子たち、ノーテンキで羨ましいなあ」

「そうだよね」

 重たい沈黙が流れる。このみとの間ではとても珍しいことだ。テンションの高い昴を連れて、冷めた葉月を連れて歩くのはおそらく至難の業だろう。明日のことを思うと二人とも憂鬱なのだ。

「はあ……とりあえず、寝ようか」

 枕もとの電気を消し、このみに問いかける。

「おやすみ。翠」

「おやすみ」

 何事もないことを祈りながら、翠は混とんの闇へと墜ちていった。

 翌日も南の島はいい天気だった。カーテンを開けるとまばゆい光がさんさんと降り注ぐ。不穏な雰囲気の漂う翠たちには少々不釣り合いの天気である。日焼け止めを塗れるだけ塗り、水着を洋服の下に着こみ、待ち合わせをしているロビーへとエレベーターで降りていく。ロビーには翔馬と舞希はいたが、まだ葉月の姿はなかった。

「おはよう」

 このみがいつものごとく天使のように優しい声で翔馬と舞希に挨拶をする。

「おはよう……」

 しかし、翔馬も舞希も朝からなぜか疲れ切っていた。どことなく、どんよりとしている。

「どうしたの? 朝から暗いけど」

「それが……」

 舞希が翠の問いに答えようとした時、

「おはよう‼ 昨日は、女子会ならぬ男子会が盛り上がって、すごく楽しかったぞ」

 どこからともなく昴が現れた。

「うわあ‼ どこから出てきたの?」

 びっくりして一歩下がる。

「外を散歩して、戻ってきたのだ」

 残り2人の男子たちに比べて、昴はいつも以上に元気いっぱいだ。

「お前のせいで、寝られなかっただろ‼」

 翔馬が昴を見るなり、烈火のごとく怒って詰め寄る。

「せっかくの機会だ。こういう時は睡眠より友情を深めなければ」

「人間には睡眠ってものが必要なんだよ‼ 空気を読め‼」

「俺はいつも空気を読む気づかいのできる男だが……」

「逆だろ‼」

 昴と翔馬の掛け合いのキレがいっそうよくなっているような気がするのは翠の気のせいだろうか。

「つまり、昴と一緒に夜を明かしたってことだね?」

 にこにことこのみが笑う。何が起きようとも動じないその強さを見習いたいものだ。

「そうだ。翠は夜に話そうとすると容赦なく追い出すからな。下心なく、ただ構ってほしいだけなのに」

 子犬のように潤んだ瞳で昴に見つめられ、一瞬黙り込んだ。しかし、翔馬たちが翠の反応を楽しんでいるのかにやにやとしていて、だんだん腹が立ってきた。

「それが下心って言うのよ」

 ちょっとどきっとしてしまったが、我に返ってぷいとそっぽを向く。

「ううむ。相変わらず、つれないな。まあ、そんなわけで、今回は男子部屋に居候していたのだ。とても有意義なひとときだったぞ」

 カッコよく言ったつもりなのだろうが、巻き込まれた翠たちは何も言えず、昴に冷ややかな目線を送った。

「そうなんだ。よかったね」

 ただ、まだ巻き込まれたことのないこのみだけが笑顔で昴の話を聞いていた。

「ごめんなさい。遅くなって」

 昴の話がひと段落着いた頃、ようやく葉月が現れた。

「遅いから置いていきそうになったぞ」

 翔馬が葉月を見て、口を尖らせる。

「だから、ごめんなさいって言っているでしょ」

 翔馬と葉月が朝からいがみ合う。

「まあまあ。大丈夫だよ。まだビーチ行きの観光船に乗るまでに時間はあるし」

 舞希が慌ててなだめるが、あまり効果はなく、朝からぴりぴりとした不穏な空気が流れていた。翔馬と葉月の言い合いはしばらく終わりそうにない。

「おや……あの子……」

 昴が葉月を遠めに見ている。

「どうかしたの?」

 小声で聞いてみると、

「どこかで見たことがあるような気がするが……気のせいかな」

 としきりに首をかしげている。

「学校で見たんじゃない?」

「それもそうか」

「そんなことより、大人しくしていてよ」

「ああ……昨日、翔馬にもしつこいほどに言われたから心得ている」

「それならよろしい」

「……ということで、翔馬との打ち合わせ通り、この隙をついて俺は先に行く」

 昴はどさくさに紛れてすっと消えてしまった。

「計算して新山さんにケンカを吹っ掛けるとはさすが佐原君だね」

 事の顛末を一緒に見ていたこのみが感心していた。もっと他に穏やかな方法はなかったのだろうか。

「よし。じゃあ。遅れないように行こうぜ」

 昴がいなくなったのを見計らって、翔馬がぴたりと葉月の相手をやめた。タイミングも完璧である。翠たちは、ホテルを出て、海辺の道をてくてくと歩き始めた。

 ビーチ行きの船はホテルから徒歩十分のところにある桟橋から30分ごとに出ている。この調子なら、午前10時の船には乗れるだろう。しばらく無言で歩いていたが、翠は耐えられなくなって、

「ここの海よりもっときれいだなんて……想像がつかないね」

 と切り出した。

「そうそう。神様のビーチって別名があるらしいよ」

 先頭を歩く舞希が嬉しそうに答える。きっと隣にこのみがいるからだと翠は瞬時に察した。

「神様のビーチか……すてきだね。楽しみだなあ」

 このみが無邪気に答える。舞希がこのみに見えないアピールをしているとは微塵にも思っていないだろう。

 歩いているとようやく桟橋が見えてきた。50人くらい乗れると思われる中型の船が待機している。桟橋で待っているのかと思いきや、そこに昴の姿はなかった。

「もしかして……また道に迷っている?」

 心配になって、きょろきょろと辺りを見回すが、やはりいない。

「そのうち来るだろ。昨日、地図は持たせたし……ほら。乗るぞ」

 船の近くで昴を探していた翠は、翔馬に促されるままに船に乗り込んだ。神様のビーチまでは船で10分。あっという間に着いた。

「わあ。きれいだね」

 船から降りるなり、このみが海を見てうっとりする。そこには、真っ白な砂浜とエメラルド色の海がどこまでも広がっていた。平日の昼間だというのに観光客も多く、砂浜の後ろに並ぶ海の家にも活気がある。

「よし。みんなで写真でも撮るか。今日は親父のいいカメラ借りてきたし」

 翔馬が黒のカメラをこちらに向ける。この前のデジカメより二回りくらい大きい。さらに、このカメラは裏側の画面が反転するため、自撮り棒なしで自撮りができるらしい。シャッターを押したくらいにどこからともなく昴が翠の隣にやってきた。もちろん、画面に昴の姿はない。

「ただの海に何をはしゃいでいるのよ。バカみたい」

 写真を撮り終わると葉月が冷めた口調で言い放った。灼熱の太陽が照りつけるこの夏の海で冬の冷たい風が吹いたかのように感じられた。

「なんだと……」

 翔馬の怒りスイッチが入りそうになる。

「私は海で泳がず、この辺りを散歩しているから」

 そんな翔馬にお構いなく葉月は淡々と話す。

「ええ?」

 驚いたのは翠たちの方である。班行動をするようにと先生から言われていたはずだ。

「集合時間になったら戻ってくる。それでいいでしょ?」

 いいとは言えない。しかし、悪いといっても聞いてくれそうにない。

「好きにしろよ」

 翔馬が言い捨てる。半分やけになっているようだ。

「好きにするわよ。夕方4時の船に間に合うように戻るから」

 葉月はそう言うと翠たちに背を向けて、道路の方へと出て行った。

「なかなかキャラの濃い女だな」

 キャラの濃い昴でさえそうぼやいているとは夢にも思っていないに違いない。

「なんだか心配だね。追いかけてみる?」

 このみがリーダー翔馬の指示を仰ぐ。

「ほっとけ。ああいうやつなんだ」

 翔馬は特に追いかけるつもりもないらしい。

「さてさて。俺たちは泳ぐぞ」

 カメラをカバンにしまい込むと翔馬は、海の家と向かっていった。

 水着で再集合した翠たちは空いているところに海の家で借りてきたパラソルを置いて、日陰を作った。

「よく似合っているね」

 舞希がこのみの水着姿を絶賛する。大きな麦わら帽子をかぶり、白いフリルのある水着を着たこのみは今日も抜群の存在感だった。ビキニを着てみると華奢なわりには、胸も大きく、無駄なぜい肉がないことがよくわかる。

「ありがとう」

 舞希に褒められて、はにかむこのみもまたかわいらしい。

「翠……お前……色気というものはないのか?」

 昴が翠を見て、目を丸くする。翠の水着は露出の少ない黒いものだった。半袖にショートパンツで水の抵抗が少ない品質としては文句ないものである。

「仕方ないでしょ。家にこれしかなかったんだから」

 新しい水着を買おうかと思ったが、これから先、着るかどうかもわからない水着をいいお値段で買うのは気が引ける。悩んでいると水泳が趣味の綾子が自分の水着を持って来た……というわけである。

「性別・桜木だからな。これはこれで面白くていいんじゃね?」

「私の性別は女よ‼」

 翔馬がけらけらと笑う。今度、海に行くときは必ず水着を買おうと心に決めた。

 海に入るとほんのりと温かく、泳ぐには最適の水温だ。透明度が高いせいか海の中が透けて見える。

「おお。これはいいな。昔を思い出すぞ」

 昴が海の家で借りてきたシャチの乗り物にまたがって、楽しそうにはしゃぐ。

「そうか……思い出の家族旅行の場所だったね」

 隣でこのみがぼんやりと浮き輪で漂っていた。翠もその横で浮き輪と一緒にぷかぷかと浮いていた。

「ああ。あの時もシャチの乗り物に乗って、父さんに後ろから押してもらったな。前は母さんに引っ張ってもらって……確かにこのビーチだった。よく覚えている」

 よほど楽しかったのだろう。当時の思い出を語る昴はきらきらと輝いていた。

「お前ら、浮いてばかりいないで、もぐれよ。きれいだぞ」

 ひょっこり翔馬が水面に顔を出し、また海の中にもぐっていく。その後、遅れて舞希が水面に顔を出した。

「翔馬は泳ぐのが好きだな。僕はついていくだけで精いっぱいだ」

 そう言いながら、また海の中へともぐっていく。

「友達と一緒に修学旅行先で海……なんて青春だ」

 昴がシャチに乗ったまま、感慨深げに頷く。

「昴ももぐってみたらいいのに」

 このみがシャチの上から動こうとしない昴を不思議そうに見る。しかし、

「いや。俺はここでいい」

 昴は頑として動こうとはしない。

「さては……泳げないな……」

 昴がぎょっとして翠の方を見る。今日は珍しく形勢逆転だ。

「いや……そんなことは……ないぞ」

「じゃあ……佐原君たちと一緒に青春しておいで‼」

 翠は思いきり、シャチをひっくり返し、昴を海の中に投げ入れた。昴の悲鳴が聞こえたような気がしたが、いつものお返しということにしておこう。

「たまには頭を冷やしなさい‼」

 ぶくぶくと沈んでいる昴に向かって、翠はひと声叫んだ。

「翠……ストレス溜まったら、言うんだよ……」

 このみがちょっとびくびくと怯えていた。怖がらせて申し訳ない。しかし、昴はすぐに浮き上がってきた。

「幽霊とは便利だな。水の中で息ができる」

 怖がらせてやるつもりが、逆に喜ばせてしまった。

「はあ?」

「翠‼ 声が大きいよ‼」

「魚もサンゴもきれいだったぞ。もう一回見てくる」

 昴は生き生きと水の中にもぐっていった。

「あてが外れたね」

 ぽかんとしている翠を見て、このみが上品に笑う。

「翠‼ こっちにカクレクマノミがいるぞ‼」

 昴が呼ぶ声がする。息ができるから海の中でも話せるらしい。

「ちょっと……殴ってくるわ」

 翠は浮き輪とシャチをこのみにはね任すと昴を追って、海の中にもぐっていった。

 海にもぐってははしゃぎ、砂浜で休んでまた海に入る。そんなことを繰り返し続けているといつの間にか夕方になっていた。パラソルや浮き輪を海の家に返し、服に着替える。あとは船に乗って、ホテルに戻るだけだ。

「楽しかったな‼ 最高だ‼」

 昴が疲れ切った翠たちの横でまだまだ元気よくはしゃいでいる。

「幽霊は疲れないんだね」

 水面に浮いていたこのみもちょっとお疲れのようで、顔を隠しながら、あくびをしている。確かに、幽霊は睡眠も食事もいらないのに、いくらでも遊べる。便利なものだと翠も思う。

「僕らはくたくただよ」

 途中から昴も加わって、みんなでもぐって遊んだためか舞希はぐったりしている。昨日の睡眠不足も祟っているのだろう。

「そういえば……新山は?」

 翔馬が桟橋まで来て、ふと気づいた。

「もう4時だけど……」

 船着き場の係の人に聞いてみたが、葉月らしき女の子は通らなかったと言う。

「船の中にもう入っているのか?」

 昴が窓をすり抜けて、船の中に入っていく。しかし、

「やっぱりいないぞ。どこに行ったのだろうな」

 葉月はいなかったらしい。

「まずいな。どこに行ったんだ?」

 翔馬が葉月に電話をかけるが、

「出ないなあ」

 応答はない。

「この周りにいるのかな? 行くときは道路の方に上がっていったと思ったけど」

 このみが朝の記憶をたどる。確かに海から離れていったような覚えはある。

「昴。ちょっと見てきてよ」

 人間の足で夕方に見知らぬ土地をうろつくと新たな迷子になる可能性もある。

「なんだ。人使いが荒いな」

「どっちのセリフよ‼」

「仕方がない。ここは幽霊の出番だな」

 昴はそう言うとふわりと夕暮れの空に飛びあがった。飛び上がったと同時に、翔馬のスマホが優しいメロディを奏でた。

「もっとロックな音楽なのかと思った……」

 翔馬の見た目からスマホの着信音は激しいものだと思っていた翠たちは、意表を突かれた。

「本人はおっかないが、音楽は優しいのか」

 音を聞いて、上空にいた昴も下りてきた。

「葉月‼ 今、どこにいるんだよ」

 電話を取った途端、翔馬がいつも以上にきつくあたる。

「わかった。今から行くから……そこでじっとしていろよ」

 電話なので、内容はよくわからないが、とりあえず、無事ではあるのだろう。電話を終えた翔馬がほっとした表情を浮かべている。

「わかったの?」

 このみが不安げな顔で尋ねる。

「ああ。洞窟にいるってさ。神様のビーチから歩いてすぐのところだ。ちょっと行ってくるから待っていてくれよ。荷物は頼んだ」

 翔馬が荷物を置いて、洞窟に行こうとすると、

「おお。あの洞窟か。懐かしいから俺も行こう」

 翔馬が行くよりも先に昴が飛んでいった。

「うわあ‼ 待てよ。お前が行ったらややこしいことになるだろうが‼」

 翔馬が慌てて追いかける。昴と違って、空を飛べないから遠回りをしないといけない。

「おい‼ 桜木‼ お前もあの幽霊捕まえるの、手伝え‼ 家主だろ?」

 遠くから翠を呼ぶ翔馬の声がする。

「誰が家主よ‼ このみ、ちょっと行ってくるね‼」

「ああ……うん……気をつけて……」

 くたくたに疲れていたはずだが、走れと言われればまだ走れる。全力で翔馬を追いかけようとした。すると、遠くから女の子の悲鳴が聞こえてきた。

「まさか……新山さん?」

 何が起きたのだろうか。

「どうしたのかな? 大丈夫かな?」

 このみが翔馬と翠から預けられた荷物を抱えてそわそわしている。

「あ‼ あれ、昴じゃないかな?」

 舞希が指さした方向に確かに昴が飛んでいる。

「翠‼ 思い出したぞ‼」

 昴が翠めがけて全力で飛んできた。なんだか慌てている。

「……何を?」

 家族のことだろうか。

「落ち着いて。昴。何があったの?」

 このみも翠と同じで何か最悪の事態を想定しているらしい。

「俺は、昔、あの洞窟に入り込んで近所のボランティアのおじさんに助けてもらったんだ。中がぬかるんでいるものだから、こけて足をくじいて動けなくなった。それで、もしかすると新山さんも同じような状態なのかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくてな……飛んでいったというわけだ」

 昴が話始めたのは、幽霊になった理由とは全く関係なさそうな話題だった。

「それで? 新山さんは無事なの?」

 今はそんなことを聞いている場合ではない。

「それで、昔の俺と同じ状態になっている新山さんを見つけたのだが……門前払いを食らってしまった」

 昴がしょんぼりとしている。

「まあまあ。そんな日もあるよ」

 このみが小さくなっている昴を慰める。このみにそう言われると緊迫した状態でもほのぼのとしてしまうから不思議だ。

「門前払いを食らったってことは、新山さんも昴が見えるってこと?」

 舞希が話を整理して、昴に問いかける。

「そういうことだ」

 と答えたのは、しゅんとしている昴ではなく、葉月をおんぶして颯爽と現れた翔馬だった。

「きゃあ‼ さっきのお化け‼」

 翔馬に葉月がしがみつく。いつもの冷たい雰囲気の葉月とは別人のようだ。

「いや。だから、こいつは無害の幽霊だって言っているだろ」

 翔馬が葉月をおぶったまま、落ち着いて説明する。

「だって、この前も会ったもの‼ 塾の帰りに‼ きっと私に恨みでもあるのよ‼」

「う、恨みだと……俺はただ、友達になりたいだけなのに……」

 葉月の言葉に昴がショックを受けて、沈み込んだ。

「友達? そんなこと言って、私を呪い殺すつもりね‼」

 冷静なイメージの葉月がここまで動揺するのは珍しい。幽霊に対して、何か悪い先入観でも持っているのだろう。

「そのくらいにしとけ」

 翔馬が昴と葉月の堂々巡りの言い合いをぴたりと止めた。そして、

「悪かったな。葉月が迷惑かけて。ほら。お前も謝れよ」

 背中にいる葉月に謝るよう促す。

「ごめんなさい」

 葉月がぽつりと呟く。

「まあ。仕方ないね。今度から気をつけなよ」

 勝手に1人で行動するからいけないのだと思ったが、それは口には出さなかった。

「無事で何よりだよ。さて。帰ろうか」

 このみのおかげで、班の空気が心なしか穏やかになる。

「帰ろうか。もう船もあまり便がないみたいだし」

 舞希に言われて、ふと手元の腕時計を見るといつの間にか夕方五時になっていた。今、桟橋に止まっている五時半の便がどうやら最終らしい。

「とにかく乗るぞ」

 翔馬の号令にみんなで頷き、そそくさと船に乗り込む。帰りは昴も船にちゃっかり乗り込んだ。乗った途端、物珍しいのか窓に張り付いている。

「おお。夕日がきれいだぞ」

 昴が隣にいた翠に窓の外を見るよう促した。確かに透明度の高い海に映る夕日は格別だった。きらきらとオレンジ色の光が水面で反射する。

「……きれいだね」

 疲れて、うとうとしていた翠はまだ元気が有り余っている昴にたたき起こされた。

「棒読みだな」

 昴が顔をしかめる。

「うとうとしている人を起こすからでしょ‼」

 思わず、大きな声で怒ってしまった。乗客が翠たち以外にいなかったのがせめてもの救いだ。

「ムードがない。後ろの二人を見習え」

 昴に言われて、耳を澄ませてみると、

「きれいな夕日ね」

 葉月が翔馬に嬉しそうに話しかける。

「お。ずるいぞ。俺にも見せろ」

 一番後ろなのをいいことに翔馬が葉月にぴたりとくっついて、窓の外を見ている。

「近いわよ」

「たまにはいいだろ。昔に戻ったみたいで」

「もう……勝手にしたら?」

 翔馬がでれでれと葉月に甘えている。それに対して、葉月はつんとした態度で接してはいるが、特に嫌がる様子もなかった。

「いいな……俺もああいう幼なじみがほしかった……」

 昴が2人の世界に入っている翔馬と葉月を見ながら、悔しそうにぼやく。

「え? 佐原君と新山さんって幼なじみなの?」

 いつも名字で呼び合っているし、軽い男とまじめな女というミスマッチな雰囲気なので、全く知らなかった。驚きを隠せない。

「そうらしい。昨日、男子会で長々と聞いたから、間違いないだろう」

「男子会というか女子会じゃないの? それ……」

 翠たち女子は、消灯時間通り寝ていたというのに、この男たちは恋バナをしていたのか。女子より女子力のある男たちだと感心してしまう。

「勝手に女子にするな‼ 性別・桜木‼」

「うるさいな‼ 私は女よ‼」

 急に翔馬が翠と昴の会話に入ってきた。

「こら。ケンカしないの」

 このみにおっとり怒られるとやり合う気も失せる。

「桜木にべらべらしゃべるなって昨日、言っただろ」

 翔馬がいつものごとく、昴に食って掛かる。

「べらべらではない。予備知識として、必要最低限のことを話したまでだ」

 しかし、昴もだいぶ慣れてきたのか言い返すのが上手になってきた。

「そんな予備知識、いらねえよ‼」

「いいじゃない。同じ班の人に隠すこともないでしょ」

 慌てふためく翔馬の隣で、葉月は涼しい顔をしている。

「じゃあ。これを機にみんな、名前で呼び合うっていうのはどうかな?」

 翔馬が何か言いたげだったが、それよりも舞希の提案の方が早かった。

「最高だ‼ さすがは俺の心の友‼」

 誰よりも先に昴が賛成する。単純に舞希がこのみのことを名前で呼びたいだけなのだろうと翠は思った。

「いいわね。私は賛成よ」

 葉月がにこにこと笑う。笑ったところを今まで一度も見たことがなかったが、こうしてみると目鼻顔立ちが整っためがね美人だ。

「まあ……いいんじゃね?」

 翔馬がどうでもいいのか適当に頷く。

「桜木さんと花崎さんも賛成でいいか?」

 舞希に聞かれ、翠もこのみも頷いた。

「おお。これで学校生活がより楽しくなるぞ‼」

 昴が万歳三唱をし始めた時、船がホテル側の桟橋に着いた。無事に2日目が終わったことに翠は胸をなでおろした。

 最終日は、帰るだけだ。昨日はすっかり忘れていたので、空港に行く途中の道の駅で、お土産を買いこんだ。

「……買いすぎでしょ」

 翠が買い物かごに入るだけのお菓子の箱を詰め込んでいると葉月が近寄ってきた。

「そう言う葉月は買わなすぎでしょ」

 葉月のかごの中には、白いイルカのぬいぐるみが一つあるだけで、あとは何も入っていない。

「うちはあまりお菓子食べないから。これは旅の記念よ」

「またイルカ買うのか。俺はこの前、こいつをもらったからもういらないぞ」

 どこからともなく、翔馬が会話に入ってきて、ピンクのイルカのマスコットを葉月に見せた。翔馬のデジカメについていたイルカだ。葉月にもらったものだったのかと翠は今さらながら納得した。

「あげないわよ‼」

 葉月がさっとかごを隠す。痴話げんかを始めたので、翠はどさくさに紛れてレジに並んだ。

「おお。翠。ちょうどよかった。これを買ってくれ」

 今度は昴がどこからともなく現れて、翠のかごにホワイトチョコのかかった星型のクッキーを入れ込む。

「食べられないでしょ」

 まさか居候している桜木家へのお礼のつもりで入れたのだろうか……とちょっと期待したが、

「来週、母さんの命日なんだ。このクッキーが大好きだったからな。墓に供えようと思って」

 昴の答えは予想外のものだった。

「あ…ああ…そう……」

 そう言われると断れない。翠は、昴が持って来たクッキーの料金もレジで一緒に支払った。

 帰りはさすがの昴も大人しく寝ていたので、翠も安心して、飛行機でぐっすり眠ることができた。飛行機から降りると空港の最寄り駅から風見駅まで30分ほど電車に揺られる。駅に着くとこのみたちとも解散し、昴を連れて家に向かって歩き出した。

「楽しかったな。友達が増えて、俺は嬉しい」

 昴は終始ご機嫌だった。荷物を持たせてもご機嫌なのだから、よほど楽しかったのだろう。

「なんだか私より満喫してない?」

 今回も昴に振り回されてしまった。早く成仏させないとこちらの身が持たない。

「そうだな。翠のおかげだ。ありがとう」

 ふいにお礼を言われて、翠は目をしばたいた。

「別に……大したことしてないよ」

 改めて言われるとなんだか照れる。顔が赤くなるのを感じて、そっぽを向いた。

「顔が赤いぞ。風邪でも引いたか」

 昴が自分の手をそっと翠のおでこに当ててきた。

「心配しなくてよろしい‼」

 慌てて昴の手を掴むと、引き離した。心臓がどきどきと音を立てる。

「そうか?」

 昴がちょっと不服そうだ。男子会で何か吹き込まれたのだろうか。動きが大胆な気がする。

「お土産も買えたから、来週はお供えに行かないとね」

 平静を装って話題を変えた。

「そうだな。翠も紹介しないといけないし」

 そんなことは初耳だ。

「え? 私も?」

 なんだかまた巻き込まれている。

「当たり前だ。そして……」

「そして?」

 どきどきしながら、昴の次の言葉を待つ。まさか……母親の墓地の真ん前で俺の彼女だなんて言うのでなかろうか。さきほどの昴の様子からそんなことを考えてしまったが、

「そのスマホでナビをしてもらわないと俺はたどり着けない。墓地の名前しかわからないからな」

 昴はいつも通りの方向音痴を発揮した。

「自分のお母さんの墓地の場所くらい覚えなさいよ……」

 どきどきしてしまった自分がばかだった。ときめきを返してほしい。

「いつも父さんに車で連れて行ってもらっていたからな。自力で行けと言われるとたどり着けないのだ」

「はいはい……わかった。わかった」

 力のない返事をしながら、ナビ・桜木がおともしますよと心の中で呟いた。

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