第4話 テストの季節 with ユーレイ

「起きろ。すい。今日も雨だ」

「言われなくても起きているよ」

 すばるが扉をすり抜けて翠の部屋に入ってくる時間はいつも朝6時30分。3ヶ月も経つとさすがに慣れてきた。すでに翠の準備は万端だ。おかげで遅刻すれすれに学校に駆け込むこともなくなった。リビングに下りて、綾子の話し相手をするところから翠の一日は始まる。

「今日もおいしそうだな」

 ダイニングテーブルに並ぶハムエッグを見て、昴が目を輝かせる。

「食べたらダメだよ」

「言われなくても俺は幽霊だ。食べられない」

「あら。私はもう食べたわよ。さすがに2人分は食べられないわ」

 うっかりリビングで昴と喋ってしまった。綾子に突っ込まれてはっと我に返る。ちゃんと会話の内容がつながることだったのがせめてもの救いだ。

「そうだよね。お母さん、朝が早いものね……」

「年を取るとね、何時に寝ようがいつもの時間に目が覚めるのよ」

「へえ……よくわからないなあ」

「翠も50代後半くらいになればわかる」

「そうなのか。翠の母親は、50代後半にしては若いな……」

 母娘の会話に急に昴が入ってきたので、コバエを取るかのように翠は目の前で手を打った。

「俺をハエ扱いするとは10年早いぞ」

 今度は不満をたらたらと述べ始めた昴を黙らせるため、翠は再び手を打った。

「またコバエが飛んでいたの? 最近、多いわね」

「毎日、蒸し暑いから仕方がないよ」

 昴がうるさいからだとは口が裂けても言えない。昴も昴で慣れてきたのか翠が手を打ち始めると空気を読んでダイニングテーブルから離れるようになってきた。

「毎日、雨ばかりで嫌になるわね」

「今年はいつまで梅雨なのかなあ」

「例年通りじゃないの?」

「まだ1か月くらいあるのか……」

昴が来るまでは朝からこんなに綾子と話すことなんてなかった。家族で仲がいい翠の家だが、他愛ない話をだらだらと話し続けるほど暇ではない。綾子と梅雨の話をしてから、窓の外を見ると雨がザーザーと降っていた。ついでにいうと昴がどんどんと窓を叩いている。早く学校に行きたくて仕方がないようだ。

「それじゃあ。行ってくるね」

「いってらっしゃい。気をつけてね」

 玄関で綾子に見送られ、傘を持って、透明なカッパを羽織って、雨の街へ出る。

「待ちくたびれたぞ」

 昴は、雨の中に立っているのに全く濡れていない。幽霊は雨に濡れないらしい。

「ちょっとくらい待ちなさいよ。マイペースなんだから」

「そうか? 空気は読んでいるつもりだが」

「はいはい」

 怪訝そうな顔をしている昴にこれ以上何を言っても埒があかない。翠は諦めることにした。

 みんなで遊びに行った翌日からは梅雨に入り、毎日雨が降り続く。しかも、朝礼から担任の和美が、

「再来週は模試があるざます」

 と言うものだから、なおさら憂鬱になる。しかし、

「よっしゃあ。俺の出番、来た‼」

 教室には、模試があると張り切っている人たちが少なからずいる。翔馬もそのうちの一人だ。今日も制服のズボンを少し下げ、シャツをだらしなく出していた。

「佐原君。今はホームルーム中よ。静かにしなさい」

 翔馬が調子に乗っているのを見かねたのか翠の斜め前の席に座っていた新山葉月が翔馬の方を振り返って苦言を呈した。肩につくくらいの茶色のさらさらの髪に黒縁の眼鏡がまじめとしか言いようのない葉月の性格をよく表していた。

「おお。怖いなあ。学級委員長が怒ると迫力あるぜ」

 翔馬が何か言えば言うほど葉月から静かな殺気を感じる。殺伐とした空気が流れる中、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。その後も一日中、葉月の周りには殺気が漂っていて、誰も近寄ろうとはしなかった。

「おい。桜木」

 帰ろうとしていた翠は、廊下で翔馬に呼び止められた。翔馬の後ろには舞希までいる。これには隣にいたこのみも驚いて固まった。

「何?」

「みんなで一緒にファミレスで勉強しようぜ」

 人の少ない放課後の教室に翔馬の声が響き渡る。教室に残っていた葉月の殺気をまた感じたような気がした。

「どうしたの? 急に……」

 このみが目を丸くしている。静かにと翔馬が口元に手を当て、小声で話し始めた。

「続きはまたあとで。ファミレス行くぞ」

 首を傾げているこのみと舞希を連れて、校門を出ると昴がどこからともなく近寄ってきた。

「おお。楽しそうだな」

「今からファミレス行って、テスト勉強するぞ。お前も来い」

 この前は飛んで逃げた翔馬だが、今日はなんだか落ち着いている。目が慣れてきたのかもしれない。

「ファミレスでテスト勉強……なんてすばらしい。青春だ」

「そうだ。青春だ。青春だ」

 浮足立っている昴を適当にあしらいながら、翔馬を先頭に最寄りの駅の近くにあるファミレスに入った。

「ドリンクバーで飲むといったら、やはり定番のコーラか? アイスクリームをのせるとさらにおいしくなるメロンサイダーか? 大人っぽくコーヒーか? いや、オレンジジュースもここで見るとおいしそうだな」

 ドリンクバーの近くまで昴がついてきて、飲み物一つ一つにコメントをする。

「いちいちうるさいなあ」

 うるさいことこの上ない。ちなみに翠が注いだのはウーロン茶だ。

「まあまあ。昴にとっては珍しいんだよ」

 隣でココアを注ぎながら舞希が笑う。全員がそれぞれ飲み物を持って来たところで翔馬が話を切り出した。

「これを見てみろ」

 翔馬が写真をトランプのように机の上に並べる。この前、街並み保存地区で撮った写真のようだ。

「翠。モデルになったんだね。きれいに撮れてる……」

 このみが写真を見て、感嘆の声をあげるが、今日の議題は多分、そこじゃない。

「本当は、そこのお化けも一緒に写っていたはずなんだ」

「俺のことをお化けと言うとは……失礼なやつだな」

「いやいや。お化けだろ。正真正銘の」

「俺は八神昴だ。昴と呼んでくれ」

「面倒くさいやつだな。わかった。昴だな」

「そうだ。昴だ」

 翔馬と昴のやり取りは永遠に続きそうな勢いだ。会話に入るタイミングを舞希もこのみも失っている。翠はいつものように手を鳴らした。驚いた翔馬と昴が翠の方をいっせいに見る。

「盛り上がっているところ悪いんだけど。それで?」

 ここに呼んだということは何か言いたいことがあるのだろう。翔馬はようやく本題に入った。

「この前の話によると憧れの高校生活ができなかったことが心残りだったから幽霊になった……って話だったよな?」

 咳ばらいをして翔馬が確認をしていく。

「そうだが?」

「お前さ、自分で不思議に思わないわけ? なんで見える人と見えない人がいるのか……とかなんでできることとできないことがあるのか……とか」

 翔馬が思いつくままどんどん昴に疑問をぶつけていくが、

「そう言われてみれば、そうだが……不自由はしないからな」

 どうやら一方通行らしい。

「そういう問題なの?」

 このみが大きな瞳をぱちくりさせて尋ねる。

「花崎さんも幽霊になってみれば、きっとわかる」

「勝手にこのみを殺さないの」

 この幽霊に向かって話していてもきりがない。

「まあ。お前はそれでいいのかもしれないけど。でも、俺の好奇心がそれは許さねえってわけだ」

 翔馬が机をたたいて、立ち上がる。机の上のグラスが割れるかとひやひやしてしまうくらいだ。みんながあっけにとられる中、翔馬はマシンガンのように主張を述べ続ける。

「気になるだろ。なぜこういう現象が起きたのか」

「確かに……」

 昴は病院の前で翠を待ち構えていたかのように立っていた。思い返してみれば、なぜだろう。

「他にも起きているのかそれとも昴が特別なのか」

「まあねえ……」

 このみが腕を組んで唸る。その答えを待っていたら、夜が明けそうだ。

「俺はなんとしてもその答えを見つけてみたい」

「佐原君……化学の実験じゃないんだから、答えがないことだって……」

 力説する翔馬に舞希がたじたじになりながら、口を挟む。

「いや。ネットで調べてみたんだ。そうしたら、思い出の地を回ってみたら思い出すこともあるらしいって書いてあってな。ぜひとも俺は実験してみたいと思っている」

 自分の世界に入った翔馬をもう誰にも止められない。ただ、昴だけは、

「思い出の地? そんなものはどこにもないぞ」

 とはぶてて、否定している。

「何かあるだろ。ようし。模試が終わるまでの宿題だ」

 しかし、翔馬も負けてはいない。

「宿題……?」

 昴が明らかに嫌そうな顔をする。

「そうだ。俺たちは勉強するからな。幽霊もそのくらいしろ」

 この戦い、どちらが勝つのか。張り詰めた空気になり、翠は心配になってきた。

「……わかった。ヤンキーの言うことには逆らうまい」

「ひとこと多いっつうの」

 軍配は翔馬に上がった。実際にその宿題を昴がやるかどうかは別として。

「じゃあ、話がまとまったところで、テスト勉強しようよ。せっかく、学年1位の佐原君もいるんだし」

 これ以上、話が続くと長くなりそうだと思ったのかこのみが助け舟を出してくれた。

「おお。任せろよ。なんでも答えるぜ」

 学年で一番モテるこのみを目の前にして、翔馬ががぜんやる気になっている。

「頼もしいなあ」

 舞希の笑顔が少しひきつっている。これが焼きもちというものだろうか。

「自称じゃなかったのか……」

 このみや舞希が翔馬に進んで頼り始めたのを見て、昴がぼやく。

「自称してどうする」

 翔馬が一つ一つ昴の言葉に反応しては怒る。すると、昴は怯えて窓からすっといなくなった。

「やれやれ」

 昴と翔馬が分かり合える日はまだまだ遠そうだ。あとでなだめておこう。

「今回も新山さんって打倒・佐原君……なんだろ? そういう噂を聞いたよ」

 舞希がふと話題を変える。

「へえ……新山さんも頭いいんだ……」

 おっとりとこのみが呟いた。1年の時は違うクラスだったから、学級委員長であることしか翠もこのみも知らない。

「倉田、どこから聞いてきたんだよ。その通りだけどさ」

 翔馬ににらみつけられると、何もしていなくても悪いような気分になる。

「話したことないからね」

「性別・桜木の桜木すら話せなかったら、誰も話せねえよ」

 翔馬が何やら考え込み始めた。

「性別・桜木……?」

 何か今、ひとこと多かった気がする。表情を曇らせた翠に舞希が穏やかに説明する。

「男女の隔てなく誰とでも話せるってことさ。男子の中ではそういうキャラ。いい意味だよ」

 そう言われると悪い気はしない。翠は大人しくすることにした。

「なるほど……男子もなかなか考えたね」

 このみにへんな言葉を教えないでほしい。

「だから、お化けまで寄ってくるんだろ」

「なんですって?」

「おっと。そろそろ塾に行かないと。じゃあな」

 1発ぶん殴ってやろうかと思った時には、翔馬の姿はそこにはなかった。逃げ足が速い。

「嵐のように去っていったね」

 このみがぽかんと口を開けている。

「僕らも帰ろうか」

 舞希に促され、席を立つ。外に出るといったんやんでいた雨がまた降り出していた。

 舞希が聞いてきた噂通り、葉月は毎日、殺気立っていた。授業中も休み時間も誰も決して近寄ろうとはしない。

「なんだか怖いね」

 休み時間にこのみがこそこそと翠に耳打ちする。

「学級委員長様はお忙しいんだよ。打倒・佐原君に」

 振り返ると翔馬が会話に加わってきた。

「こら。そんなに大きな声出さないの」

 翠が慌てて翔馬を止めたが、葉月のボールペンは翔馬めがけて飛んできた。慣れた様子で翔馬がかわすと後ろの舞希に命中した。

「痛い……」

 舞希が命中したおでこをさすりながら、小さな悲鳴をあげた。

「邪魔しないでくれる?」

 葉月は謝りもせずに床に転がったボールペンを拾った。

「ちょっと。謝りなさいよ」

 翠は思わず、葉月に注意した。当たり所が悪かったらどうする気だったのか。

「自業自得でしょ。楽しくお友達ごっこしていれば?」

 葉月は冷たく言い放つと自分の席に戻り、再び勉強を始めた。

「大丈夫かなあ……」

 あれだけからかっていたわりには、翔馬が心配そうな目をしている。なぜかと聞こうとしたところで、タイミング悪く次の授業の先生が来てしまった。

 翔馬に宿題を出されてから、自転車置き場に寄っても、校門を出ても昴がいない。家に帰ってもなんだか考え込んでいる。

「ずっと黙っていると昴っぽくないなあ」

 朝から晩までなんだかんだとうるさかった昴がやけに大人しい。逆に落ち着かなかった。

「たまにはそんな日もある」

 当の昴はやっぱり上の空だ。

「ああ……そう……」

 そう言い残して、今夜も窓から外へ出て行った。

「へんなやつ……」

 しかし、勉強には集中できる。いつの間にか来週に迫ってきた模試に向けて、翠は黙々と勉強し続けた。今日も教科書と問題集を机の上に並べて、復習をしていく。目標は脱・200番だ。

「翠‼ 大変だ‼」

「うわあ‼ 何?」

 出て行ったと思ったら、すぐに戻ってきた。何か差し迫った表情を浮かべている。

「大変だ……俺は……やってしまった……」

 いつになく昴が落ち込んでいる。

「どうしたの?」

 その落ち込みようが尋常ではなく、翠は心配になって尋ねた。

「さっき、塾帰りらしい女子高生を驚かせてしまった……不覚だ。俺としたことが……」

「……それだけ?」

「それだけとはなんだ。俺のことを見ているから、友達になれると思って声をかけたのに……1人だったからチャンスだったのになあ……」

 引きこもりだった昴にとって、同じ年ごろの人とコミュニケーションをとることは最重要事項なのである。大きなため息をつき、しょんぼりと肩を落としていた。

「そりゃあ……驚いたでしょうね……」

 夜道を1人で歩いている女子高生に声をかけたら、驚かれるに決まっている。

「謝りたいが、翠と同じ高校の制服だったことしか思い出せない。無念だ……」

「いや……謝られても困ると思うけど……」

「悪いことをしたら、謝る。それが俺の信念だ」

「そうか。謝れたらいいね」

 面倒くさいので、適当にあしらう。喋らせると1日が風のように終わることを翠はこの3ヶ月で学んだ。

「今日の宿題はこの辺にして、寝よう。おやすみ」

 昴は自分で勝手に納得して、奏の部屋へ引き揚げていった。

「宿題、ちゃんとやっているんだ」

 別にやっていてもいなくても、翔馬もチェックはしないだろうに……へんなところが律儀だ。

「何かわかったのかな」

 昴は生前、この辺りに住んでいたと言っていた。わかったら何か言ってきそうなものだが、今のところは考え込んでいるだけで何の報告もない。

「ちゃんと成仏できるのかな……」

 最初のうちは早くいなくなってほしいとばかり思っていたが、この生活になれるとそれもなんだか寂しいような気がしてきた。いつの間にか昴の世話ばかり焼きたくなる自分がいることに自分で驚く。

「今日は寝るか」

 いつもならもう少し勉強するが、昴にペースを乱されて、やる気が出ない。今日は翠もさっさと寝ることにした。

 翌週、模試が無事に終わった。いつの間にか梅雨も明け、一気に気温が上がった。

「それでは、結果を返すざます」

担任の和美から模試の結果が一人一人に返されていく。アメリカンサイズだから、声もアメリカンサイズで隣の教室まで聞こえてしまいそうなくらいよく通る。

「相変わらず、上がらないなあ……」

 今回も安定の200番。自分の平均的な実力に嫌気がさす。一方で、

「今回も1番はもらったぜ」

 翔馬が模試の結果を見て、満面の笑みで自分の席に戻っていった。

「さすが、佐原……」

「あいつ、いつ勉強しているんだ……?」

「頭の作りが違うんじゃない?」

 ご機嫌の翔馬を見ながら、クラスメイトたちが口々に呟く。ただ、葉月だけがものすごく機嫌が悪そうだ。

「あの横、通るの、怖いなあ……」

 このみがかつてない殺気を身にまとっている葉月を見ながら、怯えている。葉月が呼ばれ、模試の結果が返された。

「また……負けた……」

 葉月が苦虫を嚙み潰したような悔しそうな表情を浮かべる。

「今回も俺の勝ち」

 そんな殺気立った葉月にいつもの調子で話しかけられるのだから、翔馬もどうかしている。またボールペンが飛んでくるかと思うと背筋が寒くなる。

「全員分、結果は返したざます。皆さん、この結果を踏まえて、また次回の模試に生かすようにするざます」

 てきぱきと和美が指示をしていく。大きな声なので、ざわついていた教室も一瞬で静かになった。そして、嬉しいお知らせをしてくれた。

「休み時間後のホームルームざますが、来月の修学旅行の班をくじ引きで決めるざます。早めに席に戻るようにするざます」

 再び、教室が色めき立つ。和美は何事もなかったかのように教室の外へと出ていった。

「修学旅行か。確か場所は国内の最南端の島だったよね……」

 昴に振り回されているうちにいつの間にかそんな季節になっていたとは驚きだ。

「そうそう。海がとってもきれいらしいよ。楽しみだなあ」

 このみがにこにこと笑う。いつも笑顔だが、今日は満面の笑みだ。

「同じ班になれたらいいね」

「そうだね。くじ引きだものね」

「自由でもいいのにね」

「それだと浮いちゃう子とかいて、先生も面倒なんじゃないの?」

「そうか……」

 このみと一緒に話しているとあっという間に時間が経つ。次に顔をあげると和美が正方形の箱を抱えて教壇に立っていた。

「出席番号順にくじを引きに来てください」

 1人、また1人とくじを引きに前に出ていく。40人のクラスでひと班につき5人だから、全部で8班できるはずだ。男女混合の班らしい。翠が引いたのは、5班だった。黒板に名前を書こうとするとすでに舞希の名前があった。

「俺も同じ班だ。よろしく頼むぞ」

 続いて、翔馬が名前を書く。残る枠はあと2つ。このみが5班を引いてくれればいいが……と思っているのは、翠だけでなく、舞希も同じだろう。次に五班に名前を書きに来たのは、葉月だった。

「新山も同じかよ」

「悪かったわね」

 黙っていればいいのに、翔馬が余計なことを言うから葉月がぴりぴりとした空気で言い返す。

「やったあ。翠。私も同じ班になったよ」

 このみが5班のところに名前を書く。これでメンバーはそろった。和美の指示に従って、それぞれの班に集まって顔合わせと自己紹介をするが、翠たちは、昴のおかげもあって、お互いによく知っている。

「なんだかいつもと変わらないね」

 そう言いながらも舞希はやっぱりなんだか嬉しそうだ。

「くじでこれだけ集まるのも珍しいよね」

 このみも翠と同じ班になって、ご満悦らしい。

「まあ。何はともあれ、盛り上がっていこうぜ」

 翔馬が号令をかけ、みんなでおおっと掛け声をかけるが、葉月だけはつんとしている。

「勝手に騒いでいなさい。私は興味ないわ」

 自己紹介が終わるや否や葉月は自分の席へと戻っていった。

「……やれやれ。もう少しノリがいい人と一緒がよかったな」

 翔馬の言う通りだと翠も思った。

「せっかくの修学旅行なのにね」

 楽しまない方が損だと思うが、葉月はそうは思わないのだろうか。ざわつく教室がようやく落ち着いたところで、和美がビッグな声を張り上げた。

「以上でホームルームを終わるざます。各班で、2日目の自由行動について内容を考えて、修学旅行の1週間前までには計画表を提出するざます」

 4人ならどうにでもなるだろうが、葉月も一緒となると勝手が違うかもしれない。細かいことは気にしない翠でさえも不安がよぎった。

 昴が今日も自転車置き場に現れなかったので、翠はこのみと一緒に校門まで行ってみた。すると、すでに昴が翔馬と舞希と一緒に話していた。

「それで? 宿題は終わったか?」

 翔馬が不敵な笑みを浮かべて、昴に詰め寄る。しかし、昴は首を横に振った。

「一応、努力はしてみたが、終わりそうにない」

「この近くに住んでいたんだろう? 何か思い出せないの?」

 舞希が優しく尋ねる。

「俺は中学2年の時から引きこもりだからな。この地に思い出も何もない」

 潔いほどに昴が言い切る。話は堂々巡りといったところだろうか。

「じゃあさ、こうしようよ」

 このみの声に気づいて、男性陣がいっせいにこちらを見る。

「私たちね、来月、修学旅行に行くの。だから、旅行から帰ってくるまでに宿題の期間を延ばす。どうかな?」

 このみらしい優しい提案だ。心がじんと温まる。

「修学旅行……だと?」

 昴の目がきらりと輝いた。そして、

「俺も連れて行ってくれ‼」

 さきほどまでの弱弱しい雰囲気が嘘のようにすっかり立ち直った。

「なんでお前を連れて行かないといけないんだよ‼」

 完全に形成が逆転し、翔馬が昴に押されている。

「そうだよ。昴は留守番だよ。大人しくしていなさい」

 ついてきたらまた騒がしい。翠も翔馬の意見に賛成だった。

「寂しいこと言うな。ちなみにどこへ行く?」

「人の話を聞け‼」

 翠と翔馬が強い口調で注意しても、昴は全く動じない。頭の中では修学旅行に行っているのだろう。

「ここだよ。国内最南端の島。海がきれいらしいんだ」

 舞希が差し出したスマホには、翠たちの修学旅行先の観光公式ホームページが映し出されていた。エメラルド色の透明感のある海がとても美しい。青い空に白い砂浜もリゾート地らしい雰囲気を醸し出していた。

「おお……‼ なんと美しい」

 昴が感動して固まっている。

「余計な物見せたらダメでしょ」

 慌てて舞希のスマホを取り上げたが、すでに遅かった。

「覚えているぞ。この島」

 一瞬だったが、昴は何か思い当たってしまったらしい。

「え?」

 意味深な昴の発言にみんなで目を丸くする。

「ここは……俺が最初で最後の家族旅行をした場所だ‼」

 図らずしも思い出の場所を思い出してしまったらしい。

「マジかよ‼」

 翔馬の声が衝撃で裏返った。

「確か……小学2年生の時だったかな。あの時はまだ父さんもゴルフバカではなく、母さんも元気で……行けばもっと思い出せそうだ。よって、つれていけ‼」

 思い出してすっきりしたのか昴はご機嫌だ。自信もあるようで、語気が強い。

「修学旅行に一緒に行きたいから、嘘ついている……とかじゃないでしょうね?」

 念のため、疑ってみたが、

「俺の唯一の楽しい家族の思い出を勝手に奪われては困る」

 真顔で怒られてしまった。

「仕方ないなあ……。そんなに言うなら、一緒に行く?」

 このみが覚悟を決めて、昴に尋ねた。

「ありがとう。俺の味方は花崎さんだけだ」

 昴が涙ながらにこのみの手をとって感謝する。

「花崎さん、本気なの?」

 ちょっと舞希が怪訝そうだ。残りの3人はまだ納得していない。

「だって、昴の謎が解けるチャンスかもしれないんだよ? ちょっともったいなくない?」

 このみの言い分はもっともである。

「この周りで思い出せないの?」

 もう一度、昴に念を押す。

「無理だ」

 しかし、昴の心はもう変わりそうにない。

「面倒くさい幽霊だな。他の人に悟られないようにうまく立ち回れよ。俺たちが変人扱いされるからな」

 ついに反対していた翔馬が折れた。昴の顔が一気に明るくなる。

「僕らは事情を知っているけど、同じ班に1人だけ事情を知らない人がいるからね」

 舞希の言葉を聞いて、今日のホームルームの様子を思い出して、ぞっとする。葉月の空気は、真冬の海のように冷たかった。

「楽しい修学旅行だっていうのに、気を遣うことが多すぎて頭が痛いな……」

 浮かれている昴を除き、そこにいた全員がうんうんと頷いた。

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