第14話「家族」

 かつて、地上には神々が住んでいた。

 今の人類が神代かみようたう、イオタがいた時代との狭間はざまに広がる神話である。それはもしかしたら、科学を発達させて霊長を超えた、イオタの同胞達の姿だったかもしれない。

 天の唯一神と、地の神々。

 そして、巨人族もまた繁栄を極めていたのだ。

 だが、終末戦争ラグナロックを経て彼等はいなくなった。

 巨人文明の遺跡を残し、忽然こつぜんと姿を消したのだった。


「なんかね、イオタ。少し前に旅人さんから話を聞いて……見てみたかったんだ。巨人さんのお城」


 夕暮れ時の街道を走るCR-Zは、静かに路面の起伏をタイヤで拾う。穏やかに揺れる車内には、今日も隣にリトナが座っていた。その表情には、全くと言っていい程に緊張感がない。

 彼女は龍走騎ドラグーンが嫌いなのだが、不思議とリトナの運転には乗りたがった。

 しかし、これから行く神代ノ巨人城カミヨノキョジンジョウは、観光目的じゃない。

 それはわかっていると思うが、リトナは普段通りに隣で笑っていた。


「ねえ、リトナ」

「ん、言わないで……わかってるんだ、わたし。でも、イオタ……言わないで」

「……わかった」


 目的地へと続く街道は、比較的広くて路面状況もいい。

 前方では、カレラのポルシェとデルタのランエボファイブが並走していた。全開バトルではないが、じゃれあう子犬のように抜きつ抜かれつ、静かに走りを楽しんでいる。

 なんて平和な光景だろうと、イオタは薄暮の中で目を細めた。

 自動車を世界で初めて作ったのは、フランス人らしい。

 そして、世界で二番目に作ったのも、フランス人。

 彼等は二台の自動車を手に入れた時、真っ先に思った……? ! と。洒落しゃれ好きで洒落者なフランス人らしいエピソードだと思う。そして、イオタがその時代にいたら、やはり同じことを考えたかも知れない。

 だが、この時代に龍走騎ドラグーンとして蘇った自動車は、やはり路上を走る凶器だ。

 その犠牲者がリトナであり、彼女の両親なのだ。


「あのね、イオタ。わたし、別にどうでもいいの……パパとママのかたきとか。お兄ちゃんは、その……こっそり、仇を探してるのは知ってたけど」

「うん」

龍走騎ドラグーンに乗れなくても、別に……馬車に比べて、そこまで沢山走ってる訳じゃないし。わたし、基本的に村から出ないし。でもね……でもね、イオタ」


 イオタは黙って相槌あいづちに徹して、前だけを見ながらCR-Zを走らせる。

 ちょっとずつ、前の二台に離されていた。多分、デルタが熱くなってペースアップしたのだろう。だが、それを追いかけるカレラの運転には余裕が見て取れた。

 デルタの運転が下手なのではない。

 カレラが上手すぎるのだ。

 そんなことを思いつつ、イオタもアクセルを開けながらリトナの話に耳を傾けた。


「でもね、イオタ……わたし、えと、ん……イオタの、好きなの」

「えっ?」

「イオタ、いつも楽しそうに運転してる。……わたしも、してみたくなる」

「えっと、龍走騎ドラグーンの?」

「あっ、なんかスピード出るのはやだよ? もっとかわいいのがいいし。でも、この子は……CR-Zは、なんか好き。イオタの運転も、ルシファーの走りも優しいもん」


 カーナビにルシファーが映った。

 彼女も少し照れたようで、イオタと同じ顔をしている。だが、静かに微笑ほほえむ姿はやはり、優雅で気品に満ち溢れたものだった。

 イオタに代わってルシファーが、小さな液晶画面の中で礼を述べる。


「ありがとうございます、リトナさん。私も、マスターのような方とえにしを結べてよかった……マスターが元の時代に帰るその日まで、全力でサポートさせていただきますわ」

「あ、そっか……イオタは、元いた時代に帰るんだよね? いつか」


 例のトラックが……自分がこの時代に転移する原因となったトラックが、見つかればの話だ。だが、数千年単位で時間が流れているのだ。ここは、イオタの日常から見て遠い未来。既に科学文明は消え失せ、旧世紀の人類は叡智も歴史も忘れられた。

 帰りたい、望郷の念は日々募る。

 それは恐らく、天界で天使長だったルシファーもそう。

 そんな二人だからこそ、縁が結ばれたのだ。

 だが、今は目の前のことを片付け、自分の走りを貫く方が先だった。


「リトナ、俺は……龍走騎ドラグーンが、自動車が好きなんだ。父の影響もあるけどね」


 すで逢魔おうまが時を過ぎて、太陽の残滓ざんしは山並みの輪郭に残るのみ。その紫色に目を細めつつ、イオタはライトをONにした。前のポルシェとランエボⅤは遠く離れてゆき、ライトを上向きにしてもその姿は見えない。

 急ぐでもなく普段通り、ゆっくりとイオタはCR-Zを走らせる。


「俺は龍走騎ドラグーンが好きだから、龍走騎ドラグーンで不幸を呼ぶようなことはしたくない。同時に、そういう馬鹿をやってる奴はさ、嫌だよ。でも、一番嫌なのはさ」

「嫌なのは?」

「ん……毎日世話になってる女の子に、もっと龍走騎ドラグーンを好きになってほしい。俺の運転で、色んなとこに連れてってあげたい。その子の兄貴の運転で、みんなで一緒にでかけたい」

「イオタ……」

「でも、そういうのをブチ壊しちゃった奴がいて、単純に許せなくて。とりあえず、会ってみてから決めるけど……俺もね、リトナ。俺だって……はらわたが煮え返ることはあるんだよ」


 いつわらざる本音、本心だった。

 でも、どうやらリトナにはイオタのいきどおりが伝わらないらしい。

 そもそも、イオタは怒りに身を任せて激するような人間ではなかった。そうできていなかったし、激情にかられることは少ない。怒りを感じた時も、その表現や発散についつい気を使ってしまう質である。

 意外そうにリトナは「ふーん」と外を向いてしまった。

 だが、闇を映した窓硝子まどガラスの中で、彼女の表情がとても柔らかい。


「そ、そのさ、イオタ……毎日世話になってる女の子のこと、ど、どどっ、どう思ってるの、かな」

「んー、家族、かなあ。妹みたいで。デルタの兄貴もそうだけど、異邦人の俺を家族にしてくれた。そういう子だから、力になりたんだ」

「……それだけ?」

「あとは、そうだなあ。働き者で元気で活発で、いつも一生懸命で」

「うんうんっ! ……って、そうじゃなくて。もっと、こう」

「でも、おっちょこちょいかな。ドジで、でもそんなリトナが俺は好きだよ」


 リトナはぶすっとほおを膨らませて、そのまま黙ってしまった。

 怒らせるようなことを言った覚えはないので、イオタは首を傾げるしかない。

 本当に好きで、大好きな家族だから……そのトラウマに、彼女なりの癒やしがほしいのだ。それを彼女自身が望んで今日、イオタの隣に乗ったのだから。

 だが、ルシファーは小さな画面の中でやれやれと肩を竦めている。

 そして、星々が夜空にまたたき始めた頃……不意にリトナが仰天を叫んだ。


「えっ、あ、あれ! ねえ、イオタ! なにあれ!」

「んー? ああ、やっぱ見ると驚くよね」


 リトナが指差す先に、巨大な城が建っていた。

 月明かりの中、山の麓に古城が広がっている。

 だが、その荘厳そうごんな造りや建築様式よりも、まずスケールに目を見張る。そう、それはかつて巨人族の王が住んでいた城だ。この距離からでも、なにかのだまし絵のようにはっきりと見える。

 遠近感がそこだけ狂っているような、とても大きな城だ。

 それもその筈、巨人族は人間の十倍以上の大きさだったらしい。


「あれが、神代ノ巨人城……えっ、待ってイオタ。山の上だよね? あれ」

「そうだね」

「……相当おっきーよね。だって、回りの木々が、まるで玩具みたいだもの」


 道は街道をそれて、ゆるやかな上りのワインディングロードへ突入する。

 安全第一、注意しながらイオタはハンドルを握った。

 どんどん近付く程に、神代ノ巨人城はその威容で圧してくる。まるで、天へとそびえる巨大な絶壁のようである。

 そう思っていると、不意に前方の路肩に見慣れた龍走騎ドラグーンが停車していた。

 ハザードランプを点灯させているのは、デルタのランエボⅤである。

 隣で減速、停止して運転席を覗き込むと……そこには、へらりと笑う兄貴分の姿があった。


「よぉ、イオタ……俺ぁ駄目な兄貴だな」

「えっ、うん。それはまあ、そうだけど」

「おいおいー! 少しは否定しろよ、フォローしろ! リトナ、お前もだぞ!」


 何故なぜ、こんな場所でデルタは停まっているのだろう。

 心配したのか、リトナはすぐにCR-Zを降りた。


「お兄ちゃんっ! え、事故? ぶつかったの!? 大丈夫?」

「いや、違うんだリトナ……はは、情けねえ話さ。今日はな、親父とおふくろの仇を……でも、駄目だ。俺じゃ、駄目なんだ」


 参った参ったと、デルタは妙に悟った笑みで龍走騎ドラグーンを降りる。


「さっきよ、カレラと走ってて……ちょっと本気を出したら、ぶっちぎられちまった」

「ああ、それで……兄貴、カレラさんは?」

「もう上についてるだろうよ。レベルが違う……こっちが戦闘モードに入った瞬間、視界から消えたぜ。ハッ! こんな俺じゃ、恐らく……俺ぁここまでだ、でもイオタ。お前なら……いや、それはお前が決めることか」


 デルタもまた、過去と向き合い、立ち向かおうとしていた。

 だが、彼なりにわかったのだ。

 傷ついた妹と、そのことで倍の傷を刻まれた自分と……兄妹きょうだい二人のこれからに、どうすればいいかを考えたのだろう。

 それが、ここでのリタイア……停車だ。

 それは逃げではないし、彼はリトナに必要とされる日々を生きる責任がある。


「デルタの兄貴、あとは俺が。だから、ね? リトナ」

「ん、そだね……お兄ちゃん、わたしがいないと全然駄目なんだし。……わたしが隣に座ってると、イオタの邪魔しちゃうかも」


 リトナは、デルタの側に今はいることを選んだ。

 二人はもう、この世で二人きりの兄妹だから。

 そして、イオタにとってかけがえのない家族だから。


「じゃ、ちょっと行ってくる。リトナ……兄貴の隣に、乗れるよね?」

「どうかな……ちょっとまだ怖いかも。それに、隣は……うん! 後ろになら乗れるかな! エヘヘ……というわけで、お兄ちゃん! 運転手よろしく!」


 オイオイと笑うデルタが、大きくうなずく。

 そんな二人と別れて、再びイオタは走り出した。因縁が待ち受ける太古の遺跡は、冷たい月明かりの中で白いCR-Zを見下ろしているのだった。

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