第26話

 風がオレの頬をなでた。

 入るべきか、入らないべきか? そう、オレは『パックンウーマン』のすぐ近くまで来ていた。ハルカにカミングアウトをされてから水・木・金と三日間、そりゃあウジウジといじけていたさ。そして土曜日、オレは考えた。明日の日曜、久しぶりにハルカに会うのだ、その時オレはハルカにたいしてどういう思いを抱いてるのか? 告白するのか? もう会わないのか? 友達になるのか? 

 それを決める前にやらなきゃならないことがある。

 真実を、ハルカがどんな仕事をしているのかを自分の目で確かめるのだ! そしてそのうえで……彼女のことを好きかどうか? 店をやめさせるべきかどうなのかを判断するのだ。そうだ! 別にスケベ心などみじんもないぞ! 下衆な好奇心ってワケでもない! と思うぞ。

 家でウジウジと悩んだり考えたりしててもしかたない! 百聞は一見にしかず! 行動あるのみ! 働くハルカをどう思うのか、自分自身の眼で確かめるのだ!

 いけ! ミヤモトユウジ!

 

 母さん。ボクはすっかり都会の人間になってしまったよ。

 確かに別の世界だった。暗めの店内にミラーボール、ダンス系の曲がガンガンと流れている。こういう雰囲気にはどうもなじめない。なじめる人などいないか、浮き世のしがらみを忘れに来てるんだから。

 居酒屋の白木屋のように隣の席とのあいだに衝立てがあるものの、ソファから少し尻を浮かせば他の客の様子が実況生中継されてしまう。隣のオッさんの喘ぎ声が聞こえる。もっとBGMのボリュームを上げろ! テーブルに置かれたウィスキーを少しだけ口に含む。

「ミサトで〜す。よろしく〜」

 魚の鱗が貼り付いたような銀色のスリップを着た美保純似の女がオシボリを持ってやってきた。あれ? アオイことハルカを指名したはずなのだが……

 まあいい、とりあえず乳を揉む! まるでオバはんのような手つきで手をピシャリと叩かれる。「もぅお客さんたらせっかち〜! アタシにはアタシのペースがあるの!」とウィンクして彼女は笑った。

 少し世間話をしたあと、ミサトの顔を両手ではさみ、引き寄せる。キスはOKなんだ。シャツのボタンを外してくれていたので、ズボンとトランクスを踝まで下ろす。ミサトは気前よくスリップを脱ぎ捨てる。パンツはすでに履いていない状態だ。彼女はオレのペニスをくわえだした。あぁ、温かい。股間だけ風呂に浸かっているみたいだ。世界は愛で満ちている。なぜか愛おしい気持ちになり、膝の上の猫を撫でるようにミサトの背骨を指でなぞった。彼女は淡々と高速ミシンのように首を動かしていた。

「あ、もう時間みたい。イカせられなくってごめんね! 次、頑張ってね」

 ミサトはオレの肩をぺチッ! と叩くと立ち去っていった。

 ただ一人、胸元ははだけ、股間は丸出し。犯されたみたいやん、オレ。

 どうしよ? ズボン履いて、ちゃんとシャツを着たほうがカッコよく見えるよなあ。でもどのみちすぐに脱いでしまうことやし、こんなところでカッコつけても別になぁ。と葛藤するオレ。せっかく裸なのだから、ロダンの考える人のポーズで悩んでみることにした。

「指名ありがとうございまーす。アオイで……」

 一瞬、不意をつかれるオレ。ハルカだ。再会、運命の再会、まるでドラマみたいな偶然の再会……でもなんでもない。だってよくよく考えると指名していたんだもの、必然の再会だ。

 中途半端な裸のロダンを見てハルカはどう思ったのだろうか? 彼女は笑顔で「ふ〜ん、来てくれたんだありがと」笑っているようには見えなかった。

 ハルカ、いや、この場所ではアオイちゃんの指でしごかれ、彼女の胸に顔をはさまれながらオレは思った。今日はこんなお店に来ているけど、こないだのオレはお金も払わず彼女の体を好きにしたのだ。モテない客どもよ、羨ましいだろ? と優越感。逆に考えるとオレはただ、彼女の体を無料で好きにしたいという黒い欲望のためだけに部屋にとどめたかったという可能性もあり得る……いや、まさか! あの時の君の優しさは本物のはずでしょ? いくらなんでもそんな……

 比較的に冷静なもう一人のオレが言う。ごちゃごちゃと考えんと料金分だけ楽しんでいけや、お前! と。

 顔を引き寄せると簡単にキスができた。彼女は拒まなかった。こういう形で彼女と初めてキスするとは思わなかった。なんてことはない、ほんのりミントの香りがする。今日はお金を払ったからキスできたんだ。たいていの人間がお金を稼ぐためになにかを我慢したり、犠牲にしている。

 そのあとは乱雑なフェラチオをされた。彼女の歯が震えて何回も衝突し、痛くてしょうがなかった。予期せぬ来訪者に彼女も緊張してたのだろうか? 

 今度こそ、今度こそは彼女の口の中にぶっ放してやる!

 オレは目を閉じて気合いを入れた。ハルカの手(口?)によって絶頂に達する自分という存在が欲しかったのだ。


 外は暗くなっていた。たった三十分のあいだに陽は沈んでいた。

 オレは大きく、自分の耳にハッキリと聞こえるだけの溜め息をついた。都会の喧噪にかき消されない、力強い溜め息をだ。

 結局、イクことができなかった。

 ハルカの凶悪なフェラチオではイクことはおろか気持ち良くもならなかった。ハルカのあとはリオナと名のるデブの女がやってきた。フェラチオは異常に上手かった。どこにでも押さえのピッチャーはいるんだと思った。リオナの巨尻を見ないようにオレは目を閉じる。暗闇の中、考えてしまう。この女でイッていいのか? 今日はいったいなにを確かめにきたんだ?

「お客さん、遅漏ですか?」

 リオナはオレに聞いた。気にするな、アンタのせいじゃないよ。オレはベトベトになったペニスをオシボリで拭いてもらった。そして外に出た。

 土曜夜の新宿だ、人は多い。一生のうちに何人の人と出会い、別れていくのだろう? 今、瞳に映る、このエキストラたちの何人がオレの人生に踏み込んでくるのだろう? 明日もこの町でハルカと会う。彼女はちゃんと来てくれるだろうか? わざと合い鍵を忘れてくれればいい、そうすればまた会える。

 ダウンジャケットを着た大柄な中年男と肩がぶつかった。「あ、すいませ……」相手のほうを見ると、相手は最初からオレにぶつかってなどいなかったかのように、そのまま通り過ぎていった。

 そうだ。一瞬だけわずかに交わり、立ち去っていく。そんなことばかりをオレは繰り返しているのだ。たとえこの街でマイやユリやアキやリカとすれ違っても絶対に気がつかないだろう。そして気がついてもらえないだろう。

 

 バカみたいにでかい横断歩道の前で、小さな女の子が募金箱を首から下げてウロウロしていた。九才くらいの白人の女の子で、赤いチェックのPコートにフレアスカートを履いていた。少し離れたところにいる背の高い白人の男はきっと父親だろう、彼も募金箱を下げている。

 女の子と目があった。来ないでくれ……と思う。彼女のレーダーにロック・オンされた。女の子はオレに近よると首を傾け、にっこりと笑った。人から愛されるコツというものを無意識に身につけている。罪だと思う。

 財布をあけ、小銭を探す。十円玉が七枚、五円玉が三枚、それに一円玉が六枚しかない。そばにあるのは賽銭箱とは違う。千円札をつまみ出す。『お釣ある?』てのは英語でなんというのだろうか? わからないものはしかたない。オレは千円札を箱に入れた。彼女は笑顔で「サンキュー!」と言った。それくらいの英語はオレにもわかった。

 信号が青になり、いっせいに動きだす。オレも歩きだした。まるで水族館のマグロみたいにグルグルと廻っている気分だった。ポケットの中で携帯電話が暴れだす、例によって例のごとく知らない電話番号だった。大通りの中州に立ち止まり、それをジッと眺めてみた。笑い声、怒鳴り声、パチンコのファンファーレ、女性のヒールがカツカツと響く音、カラオケや居酒屋の呼び込み……まるで壊れたラジオが無関係な音をところかまわず拾い上げているその中で、携帯電話の着信メロディはか細く、だけどハッキリと聞こえた。メロディは一分ほどすると鳴り止んだ。『着信あり』の文字。

 顔を上げるとまわりの人間が走っていた。邪魔なオレをドリブルで抜いていくみたいだ。青信号が点滅している。オレには別に走る理由もなかった。

 すべての信号が赤に変わった。その一瞬、景色はまるで一枚の油絵のようだった。油絵の中にいることが嘘みたいだった。なんとなく笑えた。オレはポケットに携帯電話をしまい、空を見上げた。星よりも雲の形がハッキリとわかった。雲の向こう側では少し形の悪い月がぼんやりと輝いていた。

 やがて信号の色が変わり、景色はふたたび流れだした。



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090から物語 大和ヌレガミ @mafmof5656

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