三十三、遺影
早乙女有害遺物浄化サービスの稼働率はさらに悪くなった。父は、このままだと来年度以降は会社として維持するのすら難しくなりそうだと予想している。母は、余力のあるうちに免許だけ残して冬眠しようかと提案した。香織は廃業を考えているようだった。ぼかしたように言う。
「機器の維持整備だけで毎月結構出ていくし、そろそろ思い切るときかもね」
健一は母よりの考え方だった。長く続けてきた家業を今すぐやめてしまう気にはなれなかった。休業して税金など最低限の維持費用だけにすると言うなら状況が変わるまで耐えられるかもしれない。
いつになるかはわからないけれど。
小さく頭を振って業界ニュースを流し読みした。モリグループのように統合を行ってきたところのダメージが大きい。そもそも仕事がないのだからグループを作ったメリットは消滅してしまっている。
「モリさんとこ、事業を協会に売却して整理するって」
「そうするしかないか。でも協会はなんでわざわざ買うの?」
姉の疑問に父が答える。
「お情けだよ。それと、逆恨みされないように穏やかに消えてもらったほうが協会にとっては得って判断だろう」
「じゃ、今が売り時か」
ここにも決断が必要なことが転がっている。ずっと同じように暮らしていくのは無理なのだろうか。MDの発見からあっという間になにもかも変わってしまった。健一は、父が職業紹介センターに提出する書類を埋めているのを見た。家族全員が浄化から離れてしまう。
教育訓練を終え、協会の魔法使いとなった健一は、見習いとして最初の仕事を行った。遺物の記録を複製する魔法使いの助手として、有害作用を食い止める遮蔽空間を作り、維持したのだった。お世辞かどうかはわからないが、空間の安定性を誉められた。
遺物自体は危険度丙で、もし浄化するのなら健一一人で対処できる程度のものだった。ただ、その変形した長方形の石には1500から1000B.A.までの魔法の変動が刻み込まれていた。分析すればMDの移動について参考になるデータとなる。
作業が終わると、魔法使いはそのまま次の仕事へと向かい、健一は所属する支所に帰った。ここでも事務から逃れることはできなかった。協会だからといって書き込む書類がなくなりはしない。画面に向かって空欄に記入していく。
記入と提出が終わると、所属長に許可を得て自分の学習を始めた。健一は基本技術の習得以外に、遮蔽空間に興味を惹かれていた。周囲からの影響を受けない空間。どういうものか知りたかった。
そのうちに終業時刻となる。残業はほぼなかった。むしろ時間内に仕事を終えられないと評価が下がってしまう。
帰宅し、ひとりで夕食を摂る。それぞれが仕事を持っているため同じ家にいてもばらばらだった。休日も合わないので家族全員が食卓にそろうことは週に数回もなかった
健一は漬物をかじりながら家を出ることを考えていた。浄化サービスの再開ができないなら、どこかで一人暮らしをしてみたかった。協会内で募集されている仕事のどれかに応募すればよその土地へ行けるかもしれない。
「ただいま」
母と姉だった。
「おかえり。一緒なんだ。食事は?」
香織が上着を脱ぎながら言う。
「うん、待ち合わせて食べてきた。父さんは?」
「まだ」
その後、一時間ほどして父が帰ってきた頃には、風呂を済ませて報道番組を見ていた。ビール缶を持って隣りに座ったので開ける前に取り上げた。
「今日は休肝日でしょ」
「厳しいな。武士の情けは?」
「残念、俺は魔法使い」
「見習いのくせに」
サイダーを飲む父に、後から母と香織が加わり、今夜は全員そろったな、と思ったときだった。
「臨時ニュースだって。魔法テロ、土砂でホテル埋まる。国際協同チーム十五名全員行方不明。うち三名が日本人」
母が読み上げる。画面にその三名の名前が映された。まだ詳報が届いていないらしく、カタカナ表記だった。
「『フクナガ トモノリさん』って、健ちゃん、あの人じゃない?」
香織が驚いて健一の肩を叩いた。頷くことしかできなかった。テロ活動の痕跡調査に入ったチームが狙われたらしい。その国のテロ組織は捕虜を用いて死霊術を行っているという確度の高い告発があり、その調査が目的だった。
埋まったホテルを上空からとらえた映像が出ると、父が小さく唸った。健一も、土砂、埋まる、という言葉から、ホテルは山際にあるのだろうと思いこんでいたが、街なかだった。周囲の建物からすると三階建てほどだろうか。空き地が多いため、周りへの被害はほとんど出ていなかった。
父が暗い声で言う。
「これだけの土砂を運んでかぶせるなんて、とんでもないエネルギーの集中だぞ」
報道によると、テロ組織は、自分たちへの調査を今後一切行わないことと、政府に捕らえられている仲間の開放を要求しているとのことだった。
そこまでニュースを見たところで、はっと気づいた健一はスマートフォンを確認したが、招集はかかっていなかった。見習いはわざわざ集めないのだろう。
翌日、支所は通常の業務を行いつつも、足元が定まっていないような、落ち着かない空気が漂っていた。部屋の大画面モニターはテロ関連の報道や情報を検索し、流しっぱなしにするよう設定されている。また、上層部が加わる定例会議などはすべてキャンセルになっていた。
だが、健一の立場では特になにもすることはない。と言うより、見習いが変に動いて手間を掛けさせるなという雰囲気だったので、今までの業務文書の整理など、上の確認や指示が不要な仕事を片付けた。それから報道を横目で見ながら学習を進めた。
救出は進んでおらず、時間が経つばかりだった。掘り出そうにも一瞬にして土砂をかぶせた魔法を怖がって人が集まらない。軍まで出動を渋っていた。わずかに集まった人員ではまったく足りないし、重機も不足していた。
日本を含めた各国から魔法使いが現地に向かったが、入国は拒否されている。某国政府は、一箇所に協会の魔法使いが集結したら、またテロが起きるのではないかと恐れていた。
二十四時間、ほとんど救出作業の進行が見られないという信じがたい状態の後、各国の猛抗議に折れた政府が協会の救出チームの入国を許可した。
チームは防御班と救出班に分かれ、攻撃に警戒しながら作業にあたった。
土砂が取り除かれ、宿泊客や従業員が運び出され始めた。残念ながら生存者はいなかった。
家族や親族は隣国で待機しており、遺体は最優先で運ばれた。健一は仕事をしながら、そして、帰宅してからも報道を見続けた。その頃にはフクナガは福永と表記されていた。
各国の協会は協議を行い、テロに対する姿勢には変更がない点を再確認し、声明を発表した。
「……協会は、これまでと同じく、あらゆるテロリズムに対して、そして、道を外れた魔法使いによる非合法的行為に対して容赦するものではありません。その活動を停止させるため、各国政府機関と協力し、その国家の法に従いつつ、こういった無道な行為と、行為を行う者たちへの戦いを継続するものであります……」
頼もしい声明ではあったが、一方でその理想通りに進まない現実もあった。
外国人や外国の組織の入国と、自国民との接触をあまり好ましく思わない国や地域は多数存在し、調査の妨げになっていた。そういった国に限って軍や警察組織が満足に機能しておらず、テロリストの潜伏地域になっていた。
また、そう思われても仕方ない部分もあった。テロリスト調査に便乗して人権保護団体の構成員や独立系のジャーナリストが入り込むことがあり、問題視されていた。
協会も非難を受けている。魔法の非合法的使用を停止させるためなら人権は二の次という態度を隠そうともしない。目的のためならどのような国の警察や軍にも協力し、事情聴取さえできれば逮捕後の扱いにはこだわらないからだった。
「魔法を適切に使用せず、社会に混乱をもたらすのだけはやめさせないと、我々まで信頼を失ってしまう。そして、信頼を失ったら大粛清だ。人間性は変わらないからね。現代でだって起こり得る」
協会葬の後、雑談をしながら、手段を選ぶべきではと健一が言うと、上司はそう答えた。
「合法的で誰が見てもきれいな方法が使えれば最善だけど、常にそうとは限らない。遅い最善よりも最速の次善がいい」
なにも言い返せなかった。並んでいる遺影の中の福永氏は幾分修正されているようで、初めて会ったときより優しい印象だった。いや、こちらこそ本当の福永氏の顔かもしれないな、と思った。
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