三十二、握手

 机を挟んで正面にあいつ、いや、福永智則が座っている。服装や髪型を除けば、あの遺物で会った時とさほど印象は変わってなかった。


 教育訓練の間に面接が何度も行われたが、今までは初対面の魔法使いばかりだった。知った顔、しかもあまり良いとは言えない印象の者が出てきたので健一は戸惑っていた。


「おかけになって下さい。今日の面接は早乙女君の、協会における今後を決める重要なものです。だからわたしが行うことになりました。以前に色々なことがありましたが、今はそれは忘れてほしいと望みます」

 あれを“色々なこと”で片付けるつもりらしい。椅子の座り心地は良かったが、心はそれほど落ち着かなかった。


「さっそくですが、訓練成績や適性の詳細分析によると、早乙女君は、始めるのがかなり遅れたにしては優秀と言えます。そう、注目に値します。わたしが面接を行うのもそのためです」

 手元のタブレット端末をなでる。

「そこで、教育訓練終了後、さらに高度な課程に進んでもらいたいと考えていますが、協会はその前に君についてよく知りたい。これはそのための面接です。そのため、質問をしつつも普通の会話のように進めるつもりです」

 健一は黙ったまま続きを待つ。


「まずは教育訓練を受ける気になった理由について教えて下さい。君は何度か拒否してから応募しています。気が変わった理由は?」

「経済的なものです。浄化サービスはもう仕事として成り立たなくなりました」

「世界は変化します。MDの発見が状況をすっかり変えてしまいました。遺物は浄化するのではなく、古い力の変動などを刻み込んだ記録として重要な手がかりになったのです」

「ええ、分かっています。釈明されなくても結構です」

「そんなつもりではありません。しかし、結果として業界の存続を困難にしてしまったのは理解しています」

 画面に触れ、さっと目を走らせた。

「本当に経済的な理由だけですか。仮に以前のように仕事ができるようになったとしたらこっちは辞めてしまうのですか」

「はい、辞めるでしょうね」

「なぜでしょう?」

「浄化サービスの仕事は、自分で自分のすることを決められるからです。わたしは兵隊ではなく指揮官になりたい。自分の指揮官にです」

 福永の眉間にしわが寄った。健一は取り繕うつもりはなかった。こいつに対しては言いたいことを言おう。その結果がどうなってもかまわない。この面接で自分は斬り殺されるだろうが、相手にもひとつくらいは傷をつけよう。それも、ずっと後まで残るようなものを。

「ここではなれないと考えているのですか」

「先程おっしゃられたように、始めるのがかなり遅れていますから。ここではわたしは一兵にすぎないでしょう」

「それについては自信を持っていいえと答えられます。わたしは今三十二です。訓練を始めたのは十八でした。それでも一つの部署を率いる地位にいます」

「それは協会では一般的なことですか。それとも希少な事例ですか」

「まあ、多いとは言えません。君の言うように管理者の大半は幼児から教育訓練を受け、魔法使いとしての活動は二十年、三十年以上に及ぶ者が普通です。しかし、地位は単なる年数で決まるものではありません。これは確信をもって言えます」

「これは面接ですか、勧誘ですか」

「済みません。話がそれました。これは面接です。早乙女君のことを知るための。でも、今の会話で君がなにを欲しているのか、とか、どういう性向を持つのかがおぼろげながら見えてきました」

 またタブレットをいじる。

「ぜひ協会に残り、さらに高度な教育訓練を受け、魔法使いとして活躍してほしいと希望します。経済的理由ももちろんでしょうが、公共の福祉のためです」

「協会の言う、公共の福祉、とはなんですか」

「人類の存続です。幸福に存続することです」

「そのために、福永さんはなにをしていますか」

「立場が逆になりましたね。でもいいでしょう。これも面接の目的にかなうのでお答えします」

 福永は今の自分の活動を話した。MD研究、魔法の非合法的使用の監視、告発、その取締における警察や軍に対する協力。そういったことだった。

「福永さんは目的のためなら多少は規則を曲げても良いというお考えだったようですが、それと公共の福祉は矛盾しませんか」

「痛いところを突きますね。行き過ぎがあったことは認めます。例の件については叱責と懲戒を受けましたし、実を言うと現在も処分が続いています。わたし自身第三者による監視を受けています」

 一旦言葉を切り、また続ける。

「それと、個人的なことではありますが、付け加えるなら早乙女さんたちが穏便に処置してくれた点には感謝しています。わたしが今の地位を保っていられるのはそのおかげでもあります」

「そうですか。さて、それはそれとして、お答えは?」

「矛盾していたと思います。ですから、今後わたしの活動において、目的優先の行動は取りません。目的地に向かう道も掃除を行い、清潔さを保ちます」


 心が読めたら、と健一は願った。目の前の人物が真実を口にしているのか、体のいいごまかしを並べているのかまったく判断できなかった。父ならできたかもしれない。

 また決断を急かされている。重要な、人生を決めてしまうようなものなのに、はっきり見えない。


「自信がありません。教育訓練を受けながら魔法について様々なことを考えましたが、そもそも魔法がなにか分からないのです。その分からないことに乗ってしまっていいのか不安です」

「それは魔法に限ったことではないでしょう。自分のしていることを完璧に理解している者などいませんよ。でも皆自分にできる最大限のことをします。わたしは魔法と協会は未来を賭けるに値するものだと判断しました。早乙女君にもそうしてほしいと思っています」

「幸福のため?」

「そうです。人間のためです」

「具体的にはどんな活動ですか」

「遠くはMD研究と対応です。近くは魔法が適正に使用されているか監視が必要ですのでそういった活動になります」

「福永さんと同じ活動をするのですか」

「実を言いますと、早乙女君にはわたしの下で経験を積んでほしいと考えています」

 タブレットを持ち上げて画面を見せた。そこにはジャングルの空き地のようなところに集まっている魔法使いたちと測定をしている様子が映っていた。

「証拠集めです。テロの。これをもとに道を外れた魔法使いたちを逮捕することができました」

 その事件は健一も知っていた。

「しかし、その政府は人権をあまりに軽視するので非難を受けていませんでしたか」

「残念ながらそのとおりです。でも、協会は魔法を用いたテロのほうが悪だと判断しました」

「人権の軽視よりも? 拷問よりも?」

 福永は頷いた。

「その順位の判断は誰がするのですか」

「上です。協会の」

「協会だけで決めるのですか」

「ええ、魔法については協会のみが決定します。もちろん、その前に関係各所や有識者の意見を聞きますが」

「わたしもその結果に従わなければならないのですね」

「そうです。協会の魔法使いになるというのはそういうことです」


「もしわたしが魔法使いになると決心したとして、配属先は選べるのですか」

 福永の表情が消えた。

「あの件ですか」

「そうです。わたしと姉を脅し、盗聴までした。その後も威圧的な態度でこちらの行動を妨害しようとした。はっきり言ってあなたは信頼に値しません」

「どうすれば信頼して頂けますか」

「言葉ではなく行動で見せて下さい。それまではあなたとは距離を置きたい」

「つまり、協会には加わって頂けるということですね」

「あなたと関わりのない配属先を選べるというのが条件です」

「それはかなり変わった条件ですが、これまでの経緯はよく知られています。関係者の理解も得られるでしょう」


 福永は交渉成立の印として握手を求めてきたが、健一は頷くのみにとどめた。右手が空中を泳いで戻された。


「それで、これで面接は終わりですか」

「ええ、終わりです。早乙女君についてよく知ることができました。わたし個人としては君を部下に持てないのは残念ですが」

「では、もう失礼してもよろしいですか」

「もちろんです。お時間をありがとう」


 廊下に出ると、自分でも情けないことに膝から下が震えた。それを足を踏みしめて抑え、すぐに来たエレベーターに飛び乗った。

 なにが、あとに残る傷をつけてやろう、だ。健一はエレベーター内の鏡の自分に毒づいた。自分の人生なのに、流されるように魔法使いになることを決めてしまった。

 だが、それよりも悔しいのは、その決断が正しいということだった。他のどの選択肢よりも良い決定なのは間違いない。

 いい買い物をしたのに、自分の欲しいものはどこかよその未知の店にあると思っているような気分だった。


 くそっ、握手してやればよかった。平然と、何のわだかまりもない顔で。そうすればあいつも少しは傷ついたかもしれない。


 家に向かって運転しながら、そう気づいた健一は自分の底の浅さに怒り、やがて悲しくなった。

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