三十一、問い

「杖には持ち方がある。ただの棒ではない」

 教官が静かに言った。


 教育訓練用と一目でわかる派手なマントと杖は玩具のようで恥ずかしかったが、これで日夜過ごさなければならない。初めて見た時、父と母は我慢したが、姉は吹き出した。仕方がない。本来なら十歳前後の子供がつけるようなものだ。サイズも合っていない。

「悪いが、大人向けのは間に合わなかった。今までは訓練といえば子供がするものだったから」

 支給される時、済まなそうにそう言われたのを覚えている。出歩くとハロウィンの時期を勘違いした人のようで、車がありがたかった。


 それでも、機能が劣っているわけではない。マントは仕事で使っていた抗魔法繊維製ではなく、逆に魔法を吸収し、あるいは逆らわないよう受け流す素材で編まれている。そこに特別に育てられた楓の杖が加わると、まったくの初心者である健一にも力強さが感じられた。

「それは君の適性が高いからだ。一般人ではそうは行かない」

 その、一般人、という言い方が引っかかったが、おとなしく頷いてなにも言わなかった。今は抑えよう。


 訓練の初期は字の練習とまったく同じだった。教官が床に薄く描いた線にそって杖を動かしながら教科書の呪文をそのまま唱える。すると、体にひりひりするような感覚が走り、呪文が作動する。直径一メートルほどの光る線でできた籠が空中に浮かび上がった。

「これは初歩の初歩、周囲の環境から隔てられた空間を作るものだ。初歩と言っても侮るな。ある大きさの空間を作る技術は応用範囲が広い」

 その時、耐えきれないほどの疲労が健一を襲い、膝をついてしまった。

「その疲労感を覚えておくように。座学で教えたが、君の体が力を変換したためだ。激しい運動後に似ているが、もっと疲れたはずだ」


 教育訓練は常に一対一だった。他の訓練生を見かけることはなく、教官はいつも同じ人だった。それがここのやり方だった。


「魔法を使う能力を持つ者は限られている。君を含む我々には適性があり、特別な存在だと意識しなければならない」

 無表情に聞きながら、健一は子供なら通じたであろうそういった言い方を腹の中では軽蔑し、拒否していた。それにしても児童がこういう内容を一対一で言われ続けたらどうなってしまうのだろう。本当に自分は特別だと思い込みそうだ。

「しかし、特別な存在だからこそ、特別な義務も発生する。我々魔法使いは公共の福祉のため力を尽くさなければならない」

 また、ならない、だ。今度はノブレス・オブリージュの変形だろうか。魔法使いは自分たちを貴族的な特権を持つ存在だと考えているからこそ、そこに自分たちだけに課される義務が生じるとしている。

 反論こそしないが、健一はそうは思わない。特権があろうがなかろうが、誰であっても社会で暮らす利益を享受しているのだから、その社会への義務も果たさなければいけないだろう。経営を学んでいるのでそういう倫理も経済的なやり取りで考えてしまう。手に入れるのなら支払う。誰でもすることだ。


 魔法使いの心構え、的な講義はそう言った理由で受け入れられない上に退屈なだけだったが、実践する授業は違った。エネルギーが自分の体を通して変換され、周囲の環境を変える。あるいは物質をエネルギーにする。その後の疲労や倦怠にも慣れ、回復が早くなってきた。

「それは回復が早くなったのではない。変換効率が良くなってきたのだ。いい傾向だ」

 もともと浄化作業で呪文の印の知識はあったので、その応用ができた。遺物に彫り込まれていた模様を部分ごとに分解して再構成すると現代の魔法使いが使う印にも通じるものがあった。そう言うと教官は微笑んだ。

「なるほど、基礎はできているようだな。その通りだ。魔法は昨日今日できたものではない。そういう歴史的な積み重なりを知っているのは頼もしい」


 今の課題は印を素早く、正確に、どこにでも描くことだった。それこそ空中にだってだ。遺物のように常に物に彫り込むとは限らない。


「それと、呪文だ。声に出したり心のなかで唱えたりする呪文が重要になってくる。そこが遺物とは違うところだ」

 呪文のそれぞれの要素は、発音するだけで頭痛がするようなものだった。それを適切に組み合わせて用いる。頭痛が二乗、三乗になった。

「正しく唱えられなかった無駄な音素は術者に跳ね返ってくる。舌の訓練が必要だが焦るなよ」

 印と呪文の複合は、恐ろしいほどに体を痛めつけた。一度で音を上げたくなったが、作動した結果を見るとまたやりたくなるのだった。


「それが魔法だ。引き込まれるだろう? 世界の構造に触れているんだ。君は魔法使いが特別な存在だという点に異議があるようだが、魔法を使う感覚を味わった今、わたしの言ったことが体で理解できたはずだ。我々は特別なのだ」

 見透かされていた。心を読む魔法はないが、あったとしても必要ないほどに健一の態度は見え透いていたのだろう。

「そうは思えません。そういった技能や感覚を特別と言うなら、すべての人が何らかの特別を持っているんじゃないですか。前におっしゃられた義務の話にしても、人々すべてが果たさなければならない義務と変わらないように思います。魔法使いだけ、という特異なものはありそうにないですね」

 教官はすぐ返事をせず、少し考えるような表情になった。

「まあ、今はそれでもいい。初期教育を真面目に終えてくれさえすればわたしの仕事は完了する。でも、君は勘違いしている。魔法使いは特別、と言うのは、魔法使いは特権階級だ、と言っているのではない。よく考えて、そこは理解してほしい」

「はい、そうします。しかし、僕にはわからないかもしれません」


 初期教育の一ヶ月はあっという間に過ぎた。健一の適性は詳細に分析され、引き続く教育訓練計画が立てられた。今度は二、三人程度のグループを組まされるようになった。ただし、グループのメンバーは常に入れ替えられ、教官も不定期に交代した。どうやら友人や師弟のようなつながりを作ってほしくないらしい。


「大丈夫? 顔色悪いよ」

 香織はもう健一の格好をからかわなくなった。

「仕事はもういいよ。後はこっちでやっとくから寝なさい」

「そうしなさい。明日は学校も無いんでしょ」

 父や母も心配げに声をかけることが多くなった。

 学校を休む日が増えてきたが、課題だけはきちんと提出するように努めている。どちらかというと新しい知識が入ってくるのは楽しく、協会の厳しい教育訓練に対して癒やしにもなっていた。会社を運営するということ、組織を維持するということがおぼろげながら見えてくる。例えば、出入りする金を追うだけでわかることの多さには驚かされた。


 ただ、趣味に割く時間はまったくなくなった。観察目的で鳥を見たり聞いたりしなくなってかなりになる。鳥仲間からは心配されたが、現状を伝えると仕方ないなという反応だった。


 木島さんは初期教育を修了すると、そこでやめてしまった。父は魔法に関わることにすらいい顔をしないし、協会も留めようとはしなかったとのことだった。大学生活に戻り、楽しくやっているという。お互い訓練の格好の自撮りを送り合って笑った。

 その笑いが途切れた時、健一はふと思いついたことを聞いてみた。

「魔法使いは特別だって言われた?」

「言われた。特別だから義務も特別だって」

「どう思った?」

「古臭い、埃の臭いがした。自分たちを貴族って思ってるのかなって……」

 そこまで言って、健一がまだ教育訓練課程を継続しているのを思い出し、言葉を濁した。

「……ま、そういう考え方もあるだろうけど」

「こっちでも言われたよ。今でもさっぱりわからない」

「わからないって?」

「特別って言葉の意味。なにがどう特別なのかなって。教官は、魔法使いは特権階級っていう意味の特別じゃないって言ってた」

「へぇ。じゃ、何なんだろうね。突き詰めたら特別ってわざわざ言う意味が無くなるよね」

「多分、魔法が変換であり、魔法使いは変換器であることに関連してるんじゃないかなって見当つけてる」

 木島さんは画面の向こうで黙っている。続きを待っているような感じだった。

「物理学でエネルギーと質量は同じだって習ったけど、魔法はその相互変換をする方法の一つだよね」

 頷いた。まだ黙っている。

「魔法だからって無から有を生み出すことはできないし、有を無に帰すこともできない。じゃ、変換する力はどこから来てるのか。それこそが魔法の本質だって習ったけど」

 言葉が出なくなった。

「けど?」

「わからなくなった」

 笑われた。

「早乙女くん、そういうとこ変わらないね。話しながら考えるからいきなり止まっちゃう」

「木島さんはどう思った? ここまで」

「さあ、分かんない。けど、あたしたちが考えるようなことなんだからとっくに誰かが考えて答え出してるんじゃない? きっとネットに転がってるよ」


 しかし、答えは転がっていなかった。正確に言うと、一足す一は二のような明確な答えではなかった。

 健一は、そもそも問いが曖昧で不正確だからだと気づいた。なにが知りたいのかすら自分はわかっていなかったのだ、と。


 まずは問いから探さなければならない。

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