6.Drooling(よだれを垂らす)

 美味しいものを見たとき。

 寝ているとき。

 よだれを垂らすで思いつくことってそんなに多くないんじゃないだろうか。

 中華料理のよだれ鶏の話をしようかとも思ったが、食べ物の話も鶏肉の話もすでにしてしまっていて出来れば避けたいところだ。

 どうやって話を展開したものか……。


 そうだ。

 じゃああの話をしよう。


 二十代前半、僕は和食系のファミレスチェーン店で社員として働いていた。

 働いて三年目の夏頃だったと思う。

 業態転換をすることになった。

 和食の店をセルフうどんの店に改装することになったのだ。


 この業態転換。言うのは簡単なのだが、やるのはとても大変な作業なのだ。

 改装工事で店内がひっくり返っている中で、皿や備品を手配し、パートさんを集めてトレーニングをしたり、他店のセルフうどんの店に視察に行ったりとやることがいっぱいなのだ。

 僕は、店長や他の社員と協力し、刻一刻と近づいてくるオープンの日に怯えながら、朝から晩まで準備に追われていた。


 そんなハードな日々の中、店長の「ちょっと休憩しようか」という声で、皆で裏の事務所に戻ったときのこと。

 入社一年目でこのハードな境遇にたたき込まれたKという社員の男がいた。

 もう体力の限界だったのだろう。

 長身の彼は机に右手をつき、半目を開けたまま、口からつつつつーっと長いよだれを垂らしたのだ。

 そのよだれは夕日に照らされキラキラと輝き、とても美しかった。

 一呼吸置いてから、全員で爆笑したのは言うまでも無い。

 よだれに『美しい』という形容詞を使うのは、きっとあれが最初で最後になるのだろうと僕は思っている。

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