3.Rorsred(ローストされた)

 飲食店で働いていたことがある。

 店名にビストロを冠していて、フレンチの店だった。

 二十代の頃にファミレスのチェーン店で働いていたことがあるだけで料理経験ほぼゼロだった僕なのだが、どういうわけか採用され、厨房に回された。

 正直、大変だった。

 朝は早く、夜は遅く、厨房は戦場のような忙しさで次々に料理を出してゆく。その中で仕込み、調理、盛り付け、洗い物をどんどんとこなしていかなければならない。

 急ぐと雑になるし、雑になると怒られる。

 毎日ヘトヘトになるまで働いて、自転車をこいで帰路に就く。

 翌朝また自転車をこいで店に向かう。

 これの繰り返し。

 よくもまあ一年半も続いたなあと今にして思う。


 ロースト、という料理法は楽しい。

 基本的に大きな肉塊をじっくり焼くときに使う言葉だ。

 豚でも鶏でも基本は同じで、筋やら何やらを掃除し、調味液(塩やスパイスを酒やら水やらで溶かした物)につけ込んで一日寝かせ、引き上げて表面をフライパンで焼いて焦げ目を付け、オーブンに突っ込む。

 じっくり時間をかけてオーブンで火を入れると、肉はパサつかず、調味液のおかげで均等に味も乗る。

 焼いた肉は、焼いた時間と同じだけ休ませてやると旨くなるそうで、朝のうちに焼き上げて休ませておき、ランチやディナーの時にもう一度軽くソテーし、あらかじめ温めておいた皿に素早く盛り付け、ソースをぴゅるりとかけてやると、肉の焼けた香ばしさとソースの香りが渾然一体となって立ち上る。


 結局、パスタ場やコールド場だけで肉を焼くようなメイン場は任されること無く退職してしまったが、料理長に教わった方法でたまに家で料理をしたりする。

 昨日は牛肉を塩とスパイスで五日間漬け込み熟成させたものをタタキにしてみた。普通に焼くより味がぐっと濃厚で美味しく仕上がった。 

 じっくり焼く、漬け込む、休ませる。

 時間をかけるのにはすべて意味がある。

 オムレツも巻けるようになった。料理のレパートリーも少し増えた。小説でも料理のシーンは美味しそうに書ける自信がある。

 厨房の中を必死に這い回ったあの一年半は、自分の中で非常に収穫の多い、意味のある時間だったのだと思う。……給料は安かったけどね。

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