命の継承

 産婆さんばは生みの苦しみにもがくハーヴィーの股に手を触れる。


「いきまないで! 息を二回吸って! 一回で吐く!」


「あっ、あ、あああっアアアアアアアアアッッッッ!」


「次期領主様、お産椅子と応援の産婆さんばでございます!」


 ハーヴィーの絶叫と同時に、応援が小屋にやってきた。産婆さんばはてきぱきと指示を出す。


「ちょうど良かった! 付き人君は産婦の背中側に回って体を持ち上げて! 応援さんは彼女を椅子に座らせて!」


「はい!」


 ハーヴィーは斜めの背もたれがついた、U字型の座面を持つ椅子に、足を開いた状態で座らされた。両脇をニールと応援の産婆さんばに支えられ、見えない悪魔から逃れようとするかのようにもがいていた。


「ひっひっ……あっ、あ、あああっアアアアアアアアアッッッッ!」


「まだよ! このままじゃ舌をむ! 布をくわえさせて!」


「ええ!」


 何をしたらいいのか分からずおろおろするオーランドとデリックをよそに、産婆さんばたちはてきぱきと出産の瞬間に向けて準備していた。オーランドは棒立ちのまま動けなかった。


「次期領主様、生まれます。付き人さんは産湯うぶゆをもらってきてください!」


「承知しました」


 デリックは産婆さんばの要請を受けて、再び村へ向かっていった。オーランドは所在なさを紛らわすために、デリックの背中を目で追っていた。


「ふ、ふぅぅ……うぅっ……死にたくない……お姉ちゃん……お母さん……」


「気弱にならない! 今よ! あごを引いておへそを見るようにして顔に力を入れない! 目は閉じずに開いておく! かかとに力を入れる! お尻を突き上げるように力を入れる!」


「う、うあああああああああああああああああああアアアアア!」


 ひときわ大きい声でハーヴィーがうめいた直後に、おぎゃあ、おぎゃあと産声が聞こえた。


「元気な女の子です! 次期領主様!」


「でかした!」


「おめでとうハーヴィー! お母さんになったんだよ! 次期領主様が面倒を見てくれるし、これからは心配ないよ!」


「そう、か」


 ハーヴィーは力を使い果たしたらしく、ぐったりとしていた。デリックと産湯も小屋に到着し、これから親子の新しい生活をどう支援しようか、とオーランドは思案を始めた。


「このままだと……母親の方は諦めてください、次期領主様」


 彼の思考は乳母によって断ち切られた。


「なぜだ?」


「血が……止まらないんです。足元をご覧ください!」


 オーランドは小屋の床を見た。小屋の奥にいるハーヴィーから、戸口のオーランドの方まで血が流れ、オーランドのつま先が濡れるくらいになっている。


 ハーヴィーの出血は止まらない。血を失えば、人は死ぬ。あたりまえだ。しかしこの女も母親だ。オーランドの中で何かがささやいた。淫乱いんらんになる前に死なせた方がいいのではないか? いや、このまま死なせるのは嫌だ。オーランドは人がいるのも構わす、叫んでいた。


「カーラ、助けてくれ! お前の知識なら、何とかできるんじゃないのか!」


『無理よ……こんなとこじゃ輸血もできない……止血剤も何も知らない……ごめんなさい、私にできる事は何もない……』


「カーラ!」


 カーラにさえできない事がある。突きつけられた事実に、オーランドは崩れ落ちた。そうだった。カーラは踊れない。好きな物さえ食べられない――いや、俺が食べさせてやることが出来ていない。自分の無力さに打ちひしがれ、オーランドは涙が止まらなかった。


「ちくしょう……ちくしょう……俺が、もっとノーデンを発展させることが出来ていればアあッ……!」


『あなたのせいではないわ……かわいそうに……』


 カーラも泣いていた。カーラと感情が共有できていることが分かっただけで、オーランドは少し気が楽になった。


 ニールに手を握られて、ハーヴィーは事切れた。


「何も知らないお前と学校で歌ってたときが一番楽しかった、女になんて産まれなきゃよかった」


 それが、ハーヴィーの最期の言葉だった。動かなくなったハーヴィーに泣きすがるニールへ、オーランドはどうにか涙を収めて命令した。


「費用は出すから、乳母だの何だのはお前が揃えろ。まずは教会に隠してハーヴィーの墓を作ろう」


「どうやって?」


「棺桶を用意して、教会に運ぶ前にふたに釘を打ってしまうんだ。身元の分からない女が子供を産んで死んだ。痛みに狂乱して名前は言わなかった。顔にはひどい傷があって完全に潰れていた。見せられるようなものではないから、既にこちらで釘を打ってしまった、と言えば信じるさ」


「そう……ですね」


 ニールは、感情の整理が全くつかない様子で、棒立ちになって動かなかった。デリックが口を挟んだ。


「ここは私が引き受けましょう。ニール、では、棺桶屋を呼んできなさい。私は鍛冶屋に行って、棺桶に打つ釘を買ってきます。次期領主様、これでよろしいでしょうか?」


「よい。その通りにせよ」


 二人は小屋から走り去った。小屋にたどり着いたときは宵の口だったのに、今や東の空が白々と明けていた。

 ハーヴィーの埋葬と簡素なミサが終わっても、カーラはずっと可哀想かわいそうにと泣いていた。アフェク城に着く頃には、泣き疲れたのか彼女は静かになっていた。


「お帰り。オーランド」


 オーランドの一行を、オリヴィエが直々に出迎えた。


「ただいま。オリヴィエ。早速だが、乳母に心当たりはないか?」


 オリヴィエは面食らったようだが、ニールが抱いている赤子を見て、納得がいったように頷いた。


「お前いつの間に子供を作ってたんだ? 出戻りの俺の妹なら、ちょうど乳飲み子がいる。彼女を乳母にすればいい」


「実の子じゃない。母親がお産で死んだんだ。養子にする」


「わかったわかった。その子の名前はなんだ?」


「……考えてない」


 オーランドが面食らう番だった。そうだ。名前。あまりにも衝撃的な誕生の様子と、誕生の理由にすべてが吹き飛んでいた。固まったオーランドに対して、オリヴィエは静かな声で言う。


「何も案が無いなら、おふくろにいい名前を見繕ってもらうが、いいか?」


「構わない。――女の子だ。女に生まれないほうがよかったと、言わずに天寿を全うできるような名前にしてくれ」


「――分かった。妹の出立の用意ができるまで、その子はこちらで預かろう。次期領主の落としだねとして、丁重に養育しよう」


「お願い、します。友達の忘れ形見なんです」


 ニールはオリヴィエの侍女に赤子を渡した。


「オーランド、荷物はもうまとまってるから、このまま帰ってもらって構わん。後始末やらは、こちらでやる」


「そうだな。デリック。乳母も決まったし、俺たちがあの子にしてやれることは、もう無い」


「でしょうな。ニール、友達はもう神の国へ迎えられました。今は主君に従いなさい」


「はい。次期領主様に従って、アセルへ戻ります」


 産婆を降ろし、オーランドたちはそのまま自分たちの城へ戻った。


 領都アセルに戻ってからも、オーランドの中では彼女の言葉の残響が消えなかった。


 ――女になんて産まれなきゃよかった。


 よく考えてみれば、性欲のはけ口にされる可能性は女のほうがずっと多い。だから娼婦しょうふという仕事も成り立つのだ。いたぶられ、望まぬ子供ができ、その末に――死ぬ。オーランドは苛烈かれつな事実に至ってしまった。


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