ウェステンに落ちる影

 カーラが歌ってくれた日の執務中に、オーランドは妙な報告書を見つけた。ゼントラムの商人からの情報だった。ウェステンの銅鉱山が落盤らくばんした話は嘘だ、と書かれていた。ノーデンに向けてのみ三十倍の価格で硫酸銅りゅうさんどうを売るためにそのような事を言っていたが、ゼントラムに対して今まで通りの値段で硫酸銅りゅうさんどう》を売っているそうだ。オーランドは理解に苦しんだ。いいものを安く売った方が儲かるのに、あえて売らないようにするとは。ノーデンに対する嫌がらせではないか。何かウェステンから恨みを買ってしまっただろうか。


「ウェステンに嫌われるようなことをしただろうか? カーラ」


『わからないわ。気まぐれなんじゃないの?』


 カーラさえ分からないのだったら、自分が何も思いつかないのも当然だ。オーランドは別の報告書に取り掛かった。


 季節は巡り、カーラと過ごす4回目の年の瀬はあっという間にやってきた。十二月に入って、いつも通りにオーランドはノーデンの城に貴族を招き、クリスマスパーティーを開こうとしていた。その矢先、ニールから知らせを伝えられた。


「次期領主様、ウェステン領主様が、ノーデンのクリスマスパーティーに出席したいとのことです」


「領主? 別にかまわんが、自分の領地のクリスマスをほっぽって参加とは珍しいな」


 オーランドはこの申し出を奇妙だと思ったが、儀礼上の問題はなかった。そもそも領主が必ずクリスマスを自分の領地で祝うべきだとは、聖書にも書いていないし、法律でも決められていない。希望を受け入れる旨の手紙を返送し、何事もなくクリスマス当日がやってきた。晩餐会ばんさんかいに先立ってルーシやオリヴィエとも旧交を温め、晩餐会ばんさんかい前に大広間で行うミサも、滞りなく終わり、オーランドたちは舞踏会の前の立食会の時間を迎えた。


 異変が起きたのは、その時である。

 立食会が始まるやいなや、ウェステン領主はオーランドに食ってかかった。


「ノーデンはむごい。ウェステンの女を全て娼婦しょうふにさせるおつもりか!」


「何のことをおっしゃっているのか、分かりかねます」


 オーランドはぴんと来なかった。その態度がウェステン領主の逆鱗に触れたらしく、彼は怒りに顏を真っ赤にして、唾を飛ばしながら噛みついた。


「布を大量に売りつけ、貧しい農家の収入源を潰し、生きていけなくさせたのはノーデンだ! ノーデンの富は、すべてウェステンの民が流した涙と言ってもいいだろう!」


 違う! カーラと技術革新を行ったからだ! オーランドは内心で叫んだ。自分のやってきたことを否定され、オーランドもむかっ腹が立ってきた。


「そちらが糸に法外な関税をかけたからだろう。千倍の関税を払わされては、ノーデンの民とて生きていけぬ。こちらとてのうのうと糸や布を作っていたわけではない。凶作きょうさくに備えて富を蓄えるため、我が民から知恵を借りて様々なことを行ったのだ」


 カーラの事は秘密にしなければ。オーランドは怒りで千切れかけた理性で心の叫びを押さえつけた。図星を指されたのか、ウェステン領主はヒステリックに怒鳴った。


「しかし、生まれ育った土地を捨て、愛する妻や娘をゼントラムに売らねば生きていけないほどにウェステンを困窮させたのは、ノーデンの布と、小麦だ!」


「そちらが領地の管理をおろそかにした報いだ」


 ウェステン領主が熱くなればなるほど、オーランドは冷静になっていった。なおもウェステン領主はまくしたてている。


「早織り機を開発し、羊の放牧を増やし、麦の実りが少ないウェステンの地に、少しでも金を稼ぎ、民の食い扶持を得ようとしたことのどこが、おろそかな管理だ! 麦畑さえ潰して、羊を飼ったのだ!」


「視点がずれている。まずは領民が何を食べて生きているのか、把握すべきだった。羊を優先し、人間を見捨てた結果、ウェステンでは羊と羊毛問屋しか生きられなくなったのだろう。責任転嫁はやめてほしい」


『そうよそうよ! まずは人間の食べる物よ!』


 カーラは絶対に自分の味方だ。これからもずっと。オーランドは確信した。


「ノーデンでも身売りは出ているではないか!」


 そう言われれば、城下町で女を見なくなった気がする。オーランドは投げやりに考えた。自分の女嫌いが周知されたからだと思っていたが、少々違ったようだ。

 まあ、ほとんどの女は――カーラやブリュンヒルドのごく一部の例外を除いて――淫らなものだから、本質を十全に使える娼婦しょうふという職は、彼女たちにとっては天職なのだろう。

 そう、オーランドは思っていた。その日までは。

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