異端審問官再び

 オーランドとウェステン領主の言い争いで、クリスマスは散々に終わった。しかし時間は早く経つもので、冬は終わり、ノーデンに再び春がやってきた。皆が待ちわびた日差しや小鳥の声とともに、できる事なら顔を合わせたくない客もこの地にやってきた――異端審問官いたんしんもんかんゴドフリー・パーソンが復活祭の日にやってきたのだ。オーランドは彼に呼びだされ、領都アセルの教会にニールを連れて訪れた。


「異端審問官殿、御足労感謝でございます。本日はどのようなご用件で?」


 ウェステン領主にノーデンの工業化について、異端として告げ口されてもおかしくない。もしや自分を異端審問にかけるつもりなのか。オーランドは内心の怯えを悟られぬよう、鷹揚おうように挨拶した。顏を上げてパーソンに向き合った時、オーランドは違和感を覚えた。以前、パーソンは付き人として、ニールの友達ハーヴィーを連れていた。しかし、彼は一人だった。


「内密の話がございます。告解室こっかいしつへ」


 パーソンは言葉少なだった。ますます怪しい。告解室こっかいしつは密室だ。暗殺される可能性もある。どうにか一人で入らずに済む方法はないか。オーランドは出まかせをまくし立てた。


「ニールを連れてもいいか? 彼は神学校出身だ。告解室の沈黙の誓いを守ることを、私が保証しよう」


「……宜しいでしょう。では、告解室こっかいしつに」


 三人が案内されたのは、地下の小部屋だった。ノーデンの普通の地下室である。部屋の中心に置かれた木製の簡素なテーブルの上に、燭台が乗っている。ニールとオーランドは、テーブルに添えてあった椅子に座るよう、パーソンに指示された。二人が座った後、パーソンは彼らの向かいに腰かけた。オーランドが口火を切った。


「本日は、どのようなご用件で? 異端審問官いたんしんもんかん殿」


「とても申し上げづらいのですが……」


 パーソンは言葉を濁した。オーランドは強気に聞き返した。


「異端が、ノーデンに現れたのか?」


「いえ、私どもの不徳がなしたこと、とでも申し上げるべきことです。ノーデン次期領主様」


 ウェステンの告げ口を受けて異端審問官いたんしんもんかんがノーデンに対して圧力を掛けに来たのかと思ったが、どうやら違うようだ。


「……教会に男装の女の侵入を許してしまいましてな。その女を探しています」


「はあ。で、そいつの名前は?」


 苦々しげにパーソンは口を開いた。


「……ハーヴィー・パーキンズです。完全にだまされました」


「ニール! お前とハーヴィーは親友だったじゃないか! 黙っていたのか!」


 オーランドの怒鳴り声に、びくりとニールは震えた。


「いいえ! ハーヴィーは僕よりも力が強くて、勇敢で、信仰にあつくて、本当に男らしかったです! 女のようなそぶりなど、全く見せませんでした。それ以外に知っていることは……ハーヴィーは僕と同じような孤児で……あ、噂に聞いたことあります。両親が亡くなって借金がたくさん残っちゃって、親族の女の人は全員売り飛ばされたって……」


『売られないために男装してて、それで息子と思われて何だかんだで神学校に入って、聖歌隊入りしたのかな……』


 カーラの呟きは、ここにいる全員の思考を代弁していた。何はともあれ、異端審問官は一緒にいて楽しい相手ではない。さっさとお引き取り願おう。オーランドは深く頭を下げた。


「ノーデンの民の礼儀知らずに、心から遺憾いかんの意を表す。発見し次第、拘束して教会に引き渡そう」


「そのお言葉に感謝いたします」


 うやうやしくパーソンは頭を下げる。オーランドは彼に念押しする。


「ただ、異端審問官いたんしんもんかん殿。今回の件はハー……何とかいう女が悪魔の手先だった、というだけの話だ。人間は父なる神とは違って、弱い存在だ。しかし、ノーデンの民は神を篤く信仰し、死後神の国に行けるよう日々を善く過ごしている。それは御留意いただきたい」


「承知いたしました。最後に。女が逃げた先に、心当たりはございますか?」


「ない。神学校にいたという事以外、俺は知らん。ニール、どうだ?」


 ニールは激しく首を横に振った。


「ぼくも、わかんないです。先ほど申し上げたとおり、ハーヴィーは一家離散しているので、手掛かりが全くありません」


「ありがとうございました。では、女を捕らえましたら、すぐ最寄りの教会に」


「ああ」


 パーソンは一礼して地下室から退出した。オーランドたちも続いた。


 城に帰り、オーランドが自室のドアを閉めた瞬間、ニールはオーランドの足元に土下座した。


「ハーヴィーが捕まっちゃったら難癖つけられて縛り首です! ハーヴィーも入ろうと思って教会に入ったはずじゃないんです、ハーヴィーは僕を助けてくれたんです、次期領主様、お願いです、ハーヴィーを見つけてもパーソン様には言わないで下さい!」


 額を床に擦り付け、ニールは哀願する。カーラも加勢した。


『可哀想よ、大体自分の身を守るために男のフリしなくちゃいけない世の中なんてなんなの!!』


「まあ、落ち着け。まずは椅子に座って話そう」


 オーランドはニールを手近な椅子に座らせ、空のコップに水を注いで差し出した。


「すみません、次期領主様……水出しとか、僕の仕事なのに」


 オーランドは思考をたどりなおした。ハーヴィーが女と聞いて、苦手意識から教会に引き渡すと即答してしまった。

 しかし、カーラもニールも善良な人間だ。ハーヴィーは、女とはいえニールを助けた人間だ。善良なのだろう。女は淫乱いんらんな者だけだと思って避けてきたが、実際のところは色々な女がいると、ここ数年で理解もしている。

 ……ハーヴィーと直接会って、話をしてみるのも、良いかもしれない。教会に引き渡さず。

 オーランドは、意識して穏やかな声を出した。


「分かった。ハーヴィーが行きそうなところは、分かるか?」


「多少は。ハーヴィーが生まれは僕と一緒でアフェクだったって、いってました。川を挟んでゼントラムとの境ですし、城塞じょうさい都市なので複雑な町の作りをしてるから、土地勘がない人が人探しをしても、絶対見つけられません!」


「そうか……」


 しばし熟考。城壁に囲まれたアフェクの町は、たしかに曲がりくねった道だらけだ。土地勘が無ければ街歩きも難しいだろう。しかし、ニールがハーヴィーを探しているのが教会にばれたら、ただでは済まない。何日間なら教会を抑えられるか? オーランドは計算した。


「ならお前、一週間あれば親の墓参りに行けるか? そのついでに、隅から隅まで故郷を楽しんで来い。どこに行こうが、人探しをしようが、俺は一切知らん。何か報告したくなったら、すぐアフェク城に俺の名前を使って人をやれ。俺は、アフェクで一週間オリヴィエと愉快に過ごす」


 ニールに旅支度一式を持たせ、馬を使わせてアフェクへ送り出したのち、オーランドはデリックとともに彼の後を追った。アフェク城は急な時期領主の訪問に驚いていたが、もてなしは問題なく行われた。オリヴィエや職人たちと話す間も、オーランドはニールからの知らせを今か今かと待っていた。しかし、時間は非情に過ぎ、期限まで、あと一晩となっていた。夜明けとともに戻らねば、アセルでニールを迎えられない。結局、一週間で教会を出し抜いて人を見つけ出すなど、無理な話だったのだ。

 オーランドはふて寝した。オーランドの意識はすぐに夢の世界へと落ち込み、ここではないどこかを歩き始めた。

 オーランドは車輪付きの大きな鞄を引きずりながら、黒い一枚岩が敷かれた道を歩いていた。道の両脇には楓が等間隔に並んでおり、楓の奥に煉瓦や石造りの小さな家が肩を寄せ合うように並んでいた。

 オーランドは立ち止まって肩から掛けたカバンから小さな石板を取り出し、何やら操作した。黒い石板にはあっという間に地図が浮かび上がり、オーランドはしばらくそれを眺めていた。数分後、オーランドが再び石版を操作すると、地図は消え、もとの黒色に戻った。彼は再び歩き出し、近くの煉瓦で出来た家のドアをノックした。ドアはすぐ開き、金髪の女が顔を出した。


「はい、どなた?」


「生物学部の寮って、ここで合ってますか?」


 金髪の女は笑顔で大きく頷いた。


「ええ。もちろん。あなたが新しいルームメイトね! 私はジェシカ・ピーターソン。ジェシーって呼んで。あなたの名前は?」


「私の名前は――です」


 自分で名乗ったはずなのに、オーランドには聞き取れない名前だった。それはジェシカも同じだったらしい。


「――? 言いづらいわ。あなたの事、カーラって呼んでもいい?」

「それは――」


『オーランド! 起きて! ニールからの早馬よ!』


 カーラの絶叫でオーランドは現実に引き戻された。完全に瞼を上げた時には、夢の事など忘れ去っていた。

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