母親


 西部アメリカ共和国の使者と初めて接触してから半年が経った。オーランドの日常は忙しさを増していた。教会とにらみ合い、フォーサイスを通じて西部アメリカ共和国との連絡を取る。対外交渉で、彼の頭はいっぱいだった。


「実家に帰らせていただきます!」


 オーランドが打ち合わせから執務室に戻ると、赤毛の女に怒鳴られた。炎のような鮮やかな髪に、強い光をたたえた緑色の瞳。なんでここに? オーランドは思考をかき乱された。


「ブリュンヒルドさん? なんでここに……」


「オードです!」


 金切り声で言い返された。そういえば、フォーサイスと同時にハーヴィーの子供の乳母として、オリヴィエの妹、つまりはブリュンヒルドの娘が来ていたことを思い出した。


「ああ、娘さんか。名前を間違えてすまなかった」


「私の名前はいいんですけど、次期領主様、ご自分の娘さんの名前を言ってみてください。覚えてらっしゃるんですか?」


 そう問われると途端にオーランドは自信が無くなる。ハーヴィーの娘の名前は、彼女たちが到着した時に聞いていた。たしか、ラから始まる名前だった。


「ああ。珍しい名前だったから覚えている。ラ……ラジェンドラ、だったよな?」


「ラーズグリーズ、です! 次期領主様は、女に生まれて後悔しないような名前を付けて欲しいとのたまって、名付けをお母様に丸投げするだけでは飽き足らず、自分の娘の名前さえ覚えていらっしゃらないなんて、なんてひどい父親なの!」


 オーランドは黙ってオードの怒りを受け止めた。女は色々いることはわかったが、苦手な存在なのは変わりない。さらに、ハーヴィーの出産はカーラと別れるきっかけになってしまった。自分の隣にカーラがいない事の証明が、ハーヴィーの娘のように思えて、オーランドはハーヴィーの娘――ラーズグリーズと顔を合わせる気になれなかった。

 対外交渉で新たな文物に触れている間は、自分の隣にカーラがいないことを忘れていられた。気を抜くと、カーラを裏切り者扱いしてしまったことに対して、頭の中が後悔でいっぱいになるのだ。仮に白い蛾の首飾りが手元に戻ってきたとしてどうやって謝ろう、どうやって詫びたら許してくれるか、らちが明かないことばかり考えてしまう。

 カーラに渡そうと思い、フォーサイスからカレーとコーヒーとチョコレートを貰い受けたが、未だに白い蛾の首飾りは見つからない。結局オーランドは、早く食べないとだめになると、フォーサイスにせかされてカレーとコーヒーとチョコレートを食べた。どれもオーランドには初めての味だったが、カーラがいないせいでうまいとは思えなかった。


「私は、私の寂しさのせいで子供にひどく当たってしまうかもしれない。それが怖いのです。そのせいで、子供たちが――将来のノーデンの未来を決める立場になる人間が、曲がってしまうかもしれないのが、おそろしいのです」


 オードの沈痛な声が、オーランドを現実に引き戻した。子供にひどく当たるかもしれない、それが怖い、というオードの言葉に、オーランドは驚いた。

 オードは、自分の中におぞましいものがある事に気付いていて、それを抑えようとしている。誠実な人間だ。そして、自分と子供の幸せだけを考えているのではなく、ノーデンを未来まで俯瞰し、ノーデンの為に子供に幸せになってほしいと思っているのだ。

 女で母親でも、欲望のままに男を求めた俺の母親とは全く違う。女で母親だから淫乱で身勝手なのかと思っていたが、俺の母親がそうだっただけなのだ。オーランドは目から鱗だった。


「……すまなかった。子供に、もっと気をくばるべきだった。実家に帰るための準備に必要なものがあるなら、何でも言ってくれ。養育費も、引き続き俺から出す」


「そうじゃないんです!」


 また金切り声が聞こえた次の瞬間、オーランドは右の頬に衝撃を感じた。一拍おいて熱がやってきた。オードにビンタされたのだ、とオーランドは熱が痛みに変わってから理解した。オーランドが頬を抑えながらオードをうかがうと、オードは今にも泣き出しそうな表情だった。


「次期領主様の、大馬鹿!」


 オードはわっと泣き出し、オーランドの執務室から駆け出した。彼女と入れ違いに、デリックの後任の執事がオーランドへ現領主ローレンス、つまりオーランドの父親の風邪が悪化し、肺炎になっている、と報告しに来た。


「ローレンス様は、今まで健康だったのが奇跡でございます。覚悟は決めておいたほうがいいかもしれません」


「冬も、近いしな」


 オーランドは父親の体調も気になった。いつ永久の別れを告げなければならない事態になってもおかしくないのだ。父親の最期の時に立ち会えないのは、嫌だ。

 窓の外を眺めると、日は出ていたが、風には雪が混じっていた。想像よりも早く寒気が来そうだ。オードを実家に帰すのは、川が凍る前にしないといけない、旅支度を早くしなければ、とオーランドは考えた。オードには謝ったのに、逆に怒らせてしまった。オーランドは、自分は女性への謝り方がわからないことに気づいた。今のままではカーラに謝っても、彼女の怒りに対して火に油を注ぐ事態になりかねない。そうなったら、自分は二度とカーラに会えないかもしれない。それは嫌だ。どうすればいいのか。女に聞けば女を怒らせない謝り方を聞きだせそうだが、普通の女を見るだけでも。母親の姿が脳裏にちらついて耐えられない。八方ふさがりではないか。

 オーランドはいろいろと思い巡らすうちに、ブリュンヒルドと初めて会った日も、こんな寒い日だったことを思い出した。ブリュンヒルドさんは、性別が漢だと部下の騎士から言われるほど女っ気のない人だ。彼女に相談しよう。

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