ハクサンチドリのせい


「どうして私があんなこと言われなきゃいけないのよ!」

「本当だね。ゴメンね」

「まったく……。でも、安心なさい!」


 大きな車と入れ替わりに。

 パパが配達から帰って来ると。


 びーびーと泣き叫ぶ女の子と。

 結婚する前の、キラキラとした瞳の色でいきり立つママに迎えられました。


「安心? ……どうしてだろう、不安なんだけど……」

「何を不安がってるのよ? 私がこんなにやる気になってるのに!」

「やる気って……、何をする気なのかな?」

「藍川の本家相手に戦って、必ず勝ってやるんだから!」


 細い腕に握りこぶしを作ったママの宣言を聞いて。

 パパは尻餅をつきます。


「ええっ!? 家を乗っ取る気かい?」

「何言ってるのよ。あなたが捨てた家なんか、私にも興味なんかないわよ。私が許せないのは、家族とケンカもできない関係よ! なんど文句言いに行っても門前払いだし」

「きみねえ……」

「エアガンでお尻撃たれたこともあるんだけど。なによあの凄腕執事」

「新堂さん……」


 顔をぺしんと叩いたパパが太くて大きなため息をつくと。

 胸に抱いてあやしていた女の子にも、ぺしぺしと顔を叩かれます。


「いつか、ちゃんとケンカできる関係になってみせるから! そしたらお母様が石頭なこと言うたびに、あの白髪頭引っ張ってやるんだから!」

「勘弁してください。いてててて! 僕の髪を引っ張らないで!」


 今度は女の子に髪を引っ張られて目を白黒させていると。

 ママがよいしょと女の子を抱き上げて助けてくれました。


「さすが私の子ね! あんたも一緒に戦ってくれる?」

「たたか? どうするの?」

「あんたはママの味方でいなさいって言ったの!」


 もちろん女の子はママの味方でいる気なのですが。

 自分が何を言われているのか分からないのでお返事も出来ずに。

 一番の心配を口にします。


「ママ、おばーちゃ、いつかえす? ほうせきばこ」

「安心しなさい! パパにはできないけど、私が取り返してやるんだから!」

「ほんと? ママ、かえせる?」

「そんなにあの宝石箱気に入ってたの? 膝まで擦りむいちゃって……」


 よく見れば、女の子のおでこは赤くなっていて。

 そして膝には擦り傷が出来ていました。


 ママは、女の子の膝小僧に貼ろうとして。

 エプロンのポケットからウサギの絆創膏を出したのですが。


「だって、あれ、ママのだから」

「え?」

「ママのもってっちゃ、ママがかなしいの。いじわるなおばあちゃ、きらい」


 ……女の子が予想外な事を言い出したので。

 嬉しくなってぎゅっと抱きしめた後。

 その膝小僧に。

 仕事用の、シックな絆創膏を貼ってあげました。


「これ! ママとおんなじの!」

「そうよ? あんたがママの味方してくれたから、今日だけサービス!」

「あたし、ママのみかただよ?」

「そうね。最高に綺麗よ、あんた。輝いてる!」

「きれい? これきれい?」


 自分が綺麗だと言われたことを、分かっているのかいないのか。

 女の子は絆創膏を指差して、ママに質問します。


「あっははは! どうしてあんたはそうおかしな事ばっかり言うのよ? でもそうね、その絆創膏も綺麗ね。あんた、それの良さが分かるなんてセンスあるわ!」


 心から嬉しくなったママは、女の子を再びギュッと抱きしめると。

 ほっぺたに、チューしたのでした。


 女の子は、すごく嬉しくなりました。




 ~ 十月十一日(木) 誕パ省榊諭面 ~


   ハクサンチドリの花言葉 美点の持主



 テスト最終日。

 だというのに、俺はこうして生徒指導室へ呼び出され。


 緊張のせいで、背中にびっしりと汗を浮かべていると。

 先生は、いつもの堅苦しい渋面をさらにいかつくさせながら言いました。


「我がクラスの、成績一位と二位を知っているか?」

「渡さんと六本木君ですよね?」

「いや、お前と藍川だ」


 ……下から、の話ですか。


 それにしても、穂咲はともかく。

 俺の成績が下から二番目とは驚きなのです。


「その渡と六本木については、大学推薦準備のために既に採点を終えた」

「え!? どうでした? あの二人、それはもう真面目に勉強したのです!」


 俺が噛みつくように迫ったせいで。

 先生は目を丸くさせていますけど。

 ……そのリアクション、どちらです?


「そういった所はお前の美点だな。安心しろ、二人とも素晴らしい成績だった」


 そうか、良かったのです。

 俺は、ほっと胸を撫で下ろしましたけど。

 先生はいよいよ本題とばかりに言葉を継ぎます。


「さて、もう二人ほど採点を終えた者がいるのだが……」

「え? そちらも推薦のためですか? 四位は分かりませんが、三位は神尾さんですよね? 彼女については成績以上の評価をしてあげてください! いつもクラスの皆の為に、進んで嫌な仕事を引き受けて……」

「いや、神尾ではない。お前と藍川の採点を終えたのだ」

「……は? 何のために?」

「小学校への推薦のために」

「うぐ」


 いやいや。

 冗談にしては度が過ぎます。


「だが残念なことに、こんな成績では受け入れてくれる小学校が無い」

「酷いのです」

「酷いのはお前たちの成績だ」

「うぐ」


 なるほど。

 結局当初の予想通り。

 俺へのお小言でしたか。


 とは言え、先生も立場上しっかり対処する必要があるようで。

 今回ばかりは厳しい沙汰が下りました。


「……親御さんを交えて、三者面談を行う予定だ」

「うぐ」

「だが、一つ聞いておきたいことがあってな。……藍川の家は、母親の都合を付けることが出来るのか教えてもらえんか」


 まあ、赤点が物理だけであろう俺はともかく。

 十教科合計しても渡さんの数学の点数に届かないであろう穂咲を呼び出さないわけにはいきませんよね。


 事情は察しましたけど、もしも穂咲大好きなおばさんにこの事を話したら。

 きっとお仕事を休んで学校に来ることでしょう。


 そしてそんなことになったら。

 きっと、また具合を悪くしてしまうでしょう……。


「先生! 俺から穂咲をちゃんと説得しますから! どうか、期末の成績で判断してもらえないでしょうか!」

「どうやら、お忙しいという以外に何かあるようだな。プライバシーに関わるが、話しても平気な内容か? 場合によっては考慮しよう」


 おばさんの体調について、話すべきか否か。

 俺は一生懸命考えて、考えて、考えて……。


「そこを何とか! 絶対にご迷惑はおかけしません! ちゃんと勉強させます!」


 土下座に行きつきました。


「いや、理由も聞かずに、という訳にはいかん」

「そこを曲げて! どうかひとつ!」


 床に頭を擦りつけて。

 誠心誠意のお願い。


 すると、熱意が伝わったようで。


「本当に他人想いな奴だな、貴様は。……わかった。だが、ちゃんとできませんでした、では済まさんからな」

「もちろんです! 絶対に、穂咲をビリになんかさせません!」


 厳しい条件だと自覚しながらも、俺が約束すると。

 先生は大きくため息をつきました。


 ……そのリアクション、どちらです?

 納得してくれたということでしょうか?


 不安なままに、下げた頭を恐る恐る上げると。


 先生は椅子から立って、床に膝を突き。

 そのごつい手を俺の肩に乗せながら。

 優しい表情で言いました。


「絶対に、藍川をビリにさせないと言ったな?」

「はい!」

「……藍川はもともと、ビリでは無いぞ?」


 ………………え?


 俺と穂咲がワーストワン、ツーで。


 穂咲がビリではない?


 …………ということは。

 まさか。


 俺は、その場で肩を落として。

 小一時間ほど、うな垂れることになりました。



「あと、週末、お前はご両親どちらかを連れて学校へ来い」

「うぐ」

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