最終話 ひとつの命

「リーベッ!」


 山羊の頭骨を模した兜を脱ぎ捨て、カルマは床にくずおれるリーベに駆け寄った。


「なんて馬鹿なことを!」


 愚行を非難し、痩せた腕に精一杯の力を込め、リーベの腹に深々と刺さった剣を引き抜く。傷口から血しぶきが上がり、すっかり肉の削げたカルマの顔に赤い滴が飛び散った。


「今、治すから。僕が治すから!」


 後から後から血の噴き出る傷口に手のひらをかざし、呪文を唱えようとしたそのとき、


「いいよ、カルマ」


 骨と皮ばかりのカルマの手をとって、リーベが遮った。


「リーベ、何を――」

「もういいよ、カルマ。もう止めよう」

「だって、このままじゃ、君が死んじゃう!」

「いいさ、この『命』は俺のじゃない」


 すっかり痩せたカルマの顔を、リーベの瞳が見つめる。


「この『命』カルマのなんだろ?」

「リーベ……」

「あの決勝戦で死んだのに、俺、いままで君の『命』で生かされていたんだろ?」


 溢れた涙が、カルマの痩せこけた頬を濡らした。


「カルマ」


 その頬にリーベの右手が触れ、零れる雫を拭う。


「自分の『命』を俺なんかのために……君こそなんて馬鹿なことをしたんだ」

「なんかなんて、言わないでよ」


 拭っても拭っても涙は止まらなかった。


「僕は君を死なせたくない。大切な人を死なせたくない。そう思った。だから……」

「大切な人……か」

「うん」


 魔術で灯されたかがり火が揺れる。

 涙に濡れたカルマの目が、リーベの青い瞳を覗き込む。

 そして、


「好きだから」


 カルマは、秘めていた胸の内を口にした。


「ずっとずっと、リーベのことが好きだから。僕の大切な人だから死なせたくなかったんだ」

「カルマ……」


 涙と一緒に零れ出たカルマの気持ち。


「母さまのために、騎士になるために女を捨てた俺のことをそんなにまで――」

「女の子だよ。僕にとってリーベはずっとずっと女の子だよ」


 一度口にしたその気持ちは、溢れ出て、


「ずっと大好きな女の子だよ」


 溢れ出た気持ちが、リーベの胸へと沁み込んでいった。


「ありがとう」


 沁み込んだ気持ちをゆっくりと噛みしめて、リーベが答えた。

 また、かがり火が揺れた。

 リーベの身体からどんどんと血が抜け、カルマを見つめる青い瞳から光が次第に失われていく。それにつれてカルマからも、だんだんに力が抜けていった。

 リーベの中にあるカルマの『命』が尽きようとしているのだ。

 これ以上身を起こしていられず、カルマもリーベの隣に横になった。二人並んで天井を見上げる。


「カルマ、前に教えてくれたよな。『不死の秘法』を使った魔術師がどうなるのか」

「うん」


 カルマは、天井を見上げたままリーベの言葉に頷いた。


「『命』を憎み、生者を憎み、習い覚えた魔術でもって、死んだ方がましだってほどの惨たらしい仕打ちを繰り返すんだったよな」

「うん」

「命を弄ぶ怪物になるんだって」


 そこで、カルマは押し黙った。


「そんなの、カルマじゃない。俺の知ってる優しいカルマじゃ」


 押し黙ったままのカルマに、リーベが続ける。


「だから、俺が倒さなきゃならなかった。俺が『屍王』を討伐しなきゃならなかった。優しいカルマを取り戻すために」


 肉の削げた頬を伝い、カルマの流した涙の雫がポタリと落ちた。


「『不死の秘法』の呪縛から、カルマを解き放つために」

「リーベ……」

「カルマ」


 リーベの青い瞳が見つめる。


「私も大好きだよ」

「うん……」

「私もずっと前から、子どもの頃からずっとずっと、優しいカルマのことが大好きだよ」

「う……ん……」


 初めて聞いたリーベの気持ち。自分のことを『私』と言って語った、女の子としての本当の気持ちに、カルマは胸が詰まって言葉が出なかった。

 少しの間、二人は寝転んだまま黙って地下迷宮の天井を見上げた。

 絶えることのないはずの魔術のかがり火が、揺らめいて瞬く。

 その間も、リーベの傷口から溢れ出た命の滴が、二人を紅に染めた。


「子どもの頃」


 先に口を開いたのはリーベだった。


「子どもの頃、夕焼け空をトンボが飛んでたよな」

「うん」


 寝転んだまま、いつもの口調に戻ったリーベに、カルマは相槌を打った。


「その中に、しっぽとしっぽがくっついたヤツがいただろ?」

「いたね」


 子どもの頃そうしたように。


「それを見て、俺たちみたいだなって言ったら、カルマが赤くなってさ」

「うん」

「俺も照れくさくなって、きっと仲のいい友だち同士なんだなって、つけ加えたんだ」


 そう言ってリーベはクスリと笑い、カルマは苦笑いを浮かべた。


「ホントは俺、知ってたんだ」

「うん?」

「あの二匹は友だちじゃなくて、恋人同士なんだって」

「そっか」


 寝転んだまま、二人は手をつないだ。子どもの頃、そうしたように。

 魔術で灯されたかがり火が、大きく瞬いた。

 溢れ出る血が、地下迷宮の床に並んで寝転ぶ二人を真っ赤に染め上げる。あの日、麦畑に寝転んだ二人を夕焼けが茜色に染めたように。


「あの二匹、俺たちみたいだな」

「うん」


 手をつないで天井を見上げる二人の視界がぼやけていく。


「きっと仲のいい恋人同士なんだろうな」

「そうだね。僕たちみたいだね」


 ぼやけた視界の中、二人にはあの日見た夕焼け空を飛ぶしっぽとしっぽがつながった二匹のトンボが見えた。

 そして、

 かがり火が消えた。

 地下迷宮の主から魔力の供給を絶たれ、消えないはずのかがり火が消えた。

 しっかりと手をつないだ二人の上に、真っ暗な帳が落ちた。


 了


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その魔術師が不死な理由(わけ) へろりん @hero-ring

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