第39話 すれ違い。これが一徹のセカイ
張り詰めた表情で、豪華な椅子に座ったルーリィは殺風景な周囲を見回した。
ところどころで不自然さが際立つのが気持ちを落ち着かせない。この場所は城主の部屋だと聞かされ、通されたというに。
結果、ルーリィは《ベルトライオール》に立ち入ることを許された。
門番の一人がどこかに消えたのは伺いを立てていたのだ。やがて戻ってきた時には、門番たちが「姐さん」と呼ぶ、ダークエルフの女が姿を現した。
城主の妻だと自称する女に連れられ、いまは荘厳な城内部に通され、城主、いまはこの街の太守を務める男の部屋へと連れてこられた。
門番が「都」と口にしたのは頷けるほど広大な街。城は確かにその街を治める者が住まうにふさわしい佇まい。
だが、内部は贅沢とは程遠く、生活に必要なものだけが並ぶ飾り気のない質素なものだった。
むしろいま通されたこの部屋が「城の倉庫なのだ」と言われた方が、まだルーリィには収まりが良い。
質素さは決してこの部屋だけではない。エントランスから回廊も同様。
通されてはいないが、きっとこの城のどこかにあるはずのパーティホールなども同じに違いないと彼女は感じ取った。
「生きた心地がしていないという顔を浮かべているな女」
それらに集中してしまったから、重厚感に満ちた声が降りてきた時には心臓がギュッと握りこまれたようにも思ったルーリィは、慌てて立ち上がった。
「非奴隷人間族のよそ者は珍しくてな。ゆえにこの街に立ち入ってからこの城へと通されるまでの間、敵意や殺意も随分向けられて来たのではないか?」
立ち上がったさなかに声の方へ体を向ける。
獣人族の男が、ルーリィに与えられた椅子が向けられる、正面にある執務机に向かって歩きながら語り掛けてきた。視線は、ルーリィには送られなかった。
少しばかり、そのナリはルーリィにとって意外だった。
あれほどに屈強そうな門番たちの長ということだから、どれほどの化物かとも思っていたのだ。
いざ目にしてみると、門番たちよりも幾分も体は小さい。身長で言えば、人間族の背の高い女とそれほど変わらない位。
先の門番たちは上半身裸で下はズボンという感じだったが、こちらは一応風格たっぷりの着物を召している。位が高いことだけはルーリィにもわかった。
「どうだ?」
だが、彼女は見た目だけで判断するのはやめた。
いたるところにヒビが入った、カエル顔をした男のm露出している首元や手首から指先まで、強者の証、数えきれないほどの傷の痕を認めることができたから。
いま、語り掛けるさなかに執務机に着き、両手を顔の前に組んでいるこの男こそが城主だと、ルーリィは確信した。
「それを押してでも遂げたい目的があった。そのために決まりを捻じ曲げ、私をこの街に入れてくれたことには感謝する」
「遂げたい目的か。一徹に会いたい……だったか?」
「ああ。だから貴殿には感謝をせど、戸惑っている。私が望むのは一徹との面会であり、貴殿に目通るためではない」
「フン、変わった女だ。人間族でありながら、獣人族たる我に《貴殿》をつかうかよ。名は?」
「ルーリィ・セラス・トリスクト。《ルアファ王国》はトリスクト伯爵家の伯爵代行だ。因みに言っておくが、私を捉えて伯爵家に身代金を……なんて算段は使えないから予め言っておく。数年前に没落を仕掛けてね、振る袖がない」
「ハッ! 感謝せど警戒は解いていないらしい。自らの側の不祥な話題を曝け出し、我をけん制するかよ」
一応、ルーリィは釘は刺したつもりだった。「自分を襲っても捉えても何の得にも成らないぞ」と言って見せた。
この街の者に、自分に対する攻撃する
言い当てられたことは正しい。ルーリィは正直いま、生きた心地が全くしていない。この街に入ったこと、城に入ったこと、何をされてもおかしくないゆえだ。
そう考えると、いまやっと恐ろしさが全身を染めた。
一徹に会うことだけを考えていたルーリィは、ここに至るまでの様々なリスク、自分の命が潰えるリスクというのをまるで考えていなかった。
危険な場所だというのは、ラバーサイユベル伯爵からも聞いていたはず。それでいて、黙ってはいられなかったその猪突猛進さが、この状況を生み出した。
「いいだろうトリスクト。だが残念だったな、様々覚悟決めてこの街に立ち入ったお前だが、その覚悟は無駄になった」
「無駄……だと?」
「山本・一徹・ティーチシーフはいまこの街にはいない」
「なっ! では、エメロード様は!?」
「ほう? お前の本命はそちらか?」
「なら二人はどこに!?」
「それは言えんことだ」
「どうして!」
その上さらに、カエル顔の城主は、話を本題に入ってすぐにバッサリとこの話題を切り捨ててしまったからルーリィは声を上ずらせた。
「兄弟は言った。あのエメロード・ファニ・アルファリカの面倒を見ることになったのは、貴族であれ平民であれ人間族の
目を細めて、ルーリィの心までを見通すように瞳の光が強くなったカエル顔の男は、顔の前にやった重ねた手にかけるように、鼻からため息をついた。
「それだけの覚悟を持って行動をする弟分を、兄がジャマできる者かよ。ラバーサイユベル伯爵と兄弟は、その問題が人間族枠内の
「私が知るということは
「その結末は我の兄弟が望まぬことだ。兄弟が望まぬのはな、それが我らが望んでいないことを知っているからだ」
ルーリィは打ちのめされた。こんなにも、一徹と自分とは縁がないのだということに。こうして第三者の言葉で耳にするのも心に来た。
一徹は人間族、人間社会を警戒している。いや、それはかつて彼の背を追って走っていたルーリィにも理解ができない事ではなかった。
「兄弟は我らを守るために動いている。だからこそ、我も兄弟を守るのよ」
ショックだったのは……第三者から見て、ルーリィもまた、一徹にとって警戒すべき人間族だととらえられているから。
「そういうわけだから、すまんが話はこれで終わりだ。さぁ、帰ってもらおう。そして二度とここには来ない方がいい。全てが終わったら兄弟は帰ってくるだろう。トリスクトが会いに来たということは、伝えておこう」
悔しさを顔に滲ませて項垂れるルーリィ。しかしふと、全く関係のない疑問が思い浮かんでしまったことで顔を上げた。
「兄……弟?」
わざわざ執務机にまで座っておきながら、すぐに終わった話。ゆえに立ち上がったカエル顔の男は廊下に続く部屋の出口から女の名前を呼んだ。その名はルーリィをここまで連れてきてくれたダークエルフの名
「話は終わりだ」
「なんだ、速かったねご主人。まぁ、義弟(おとうと)のあの様子じゃ、話す事なんてないとはうすうす思ってはいたけど」
「おと……うと?」
呆然とでも言えばいいのか、いま頭が空っぽであることを見るだけでわからせるような顔で、城主と、その妻の女に視線を送るルーリィ。
「も、もし!」
「なんだ? 言っておくがこの手に関しては幾ら問い詰められようが……」
「そうではないんだ。ただ、先ほどか気になってしまって。その、兄弟がどう、弟がどうって……」
確かに聞かれたくない質問ではなかったこと、だが聞かれるとも思わなかった質問を受けて、瞬間沈黙を見せる二人。
「貴方は一体何者なんだ。彼とは、いったいどういう関係で……」
「そうか、そう言えば言っていなかったな。いや、気になるとも思ってはいなかったのだが……」
やがてルーリィに向かって少しだけ笑みを見せた。
「我が名はフローギスト。この《タベン王国》は四獣王が一角、《獣王》ジンブジャックボー陛下より親子の杯を交わし、称号、《獣王の爪》を賜った、いまはこの街の太守を務める者。そして聖魔の忌子の父となり、|種族の裏切者(コウモリ)と蔑まれた人間族、山本・一徹・ティーチシーフとは五分の兄弟杯を交わした」
「だが杯が五分であれ、ご主人が兄貴分であることは重要だよ」
「五分杯? 種族が違う彼が、弟分?」
「まったく一徹ときたら。《獣王》ジンブジャックボー直参、ジンブジャックボー一大一派直系、《商会銀の髪飾り》
「なっ!」
「ただ
嬉しげで、そして自信に溢れている物言いのフローギスト。そこに追加情報とばかりに言を挟んだのはガレーケというフローギストの妻だ。
疲れた顔。だが苦笑だった。妻ゆえに、一徹を
「い……一徹が……獣人族の集落の大幹部……?」
その事実を言葉として、
「一徹が……称号……?」
そして彼らの発する雰囲気を感じて思い知らされたルーリィは、
「人間族の一徹が……」
どんどん頭の中に入り込んでくる信じがたい情報の数々、
「獣人族最強の称号……《獣王の……爪》?」
重さ、濃さについていけず、しばらく、固まってしまっていた。
「失礼致します。フローギスト様」
そんな時だった。
新たな声が、回廊に続く扉の先から聞こえてきた。聞こえた途端だ。フローギストとガレーケの表情が強張ったのは。
「お、お前か。どうした。一人でこの城に立ち寄るのは珍しいではないか?」
入室の許可はしていない。だが、拒絶ではない事、さらに親し気なフローギストの物言いから、慣れ、というのもあったのだろう。部屋の外にいるであろう者、声からして女だと分かる者は、「失礼します」と念押しのように告げてそのまま入室してきてしまった。
「あの……人間族ですか?」
「な、なんだ入っていきなり……どうした」
明らかに、フローギストは入ってきた女に狼狽していた。狼狽していたのはガレーケも同様だった。
「お、おい! 姿を現して早々、お前は一体何を考えている!?」
焦燥じみたフローギストの声を耳にしたルーリィが感じるのは、狼狽ではない、驚きだった。
当たり前だろう。部屋に入るなり、そして自分の姿を認識されるなり、その女はナイフを抜き、ルーリィへと向けるのだから。禍々しい、大ぶりのナイフ、その切っ先が。
そして驚きの理由はもう一つあった。
「街で風のうわさがありました。珍しく人間族がこの街に立ち入ったのだと。始めはラバーサイユベル伯爵かとも思いましたが、立ち入ったのは女、それも武装していると。それでいてその女は……」
切っ先をルーリィに向けるのは女だ。青紫色の肌を持つ、目鼻立ち整った美しい女。そしてその者にルーリィは見覚えがあった。
「一徹様を捜しているのだと。それで、その方が件の女戦士だと。一徹様に危険が及ばないとも限らない」
「シャリ……エール……」
「だから、こちらにお邪魔しました。一徹様に出会ってしまう前に処理をしておこうと」
シャリエール。あのとき、一徹の隣でとてもうれしそうに戦っていた魔族の女。
驚きとともにブルリと身が震えたのは、シャリエールの醸し出す殺気に体が凍てついただけではなかった。
また一人、一徹の元へとルーリィの手を届かせうる、彼との強い繋がりを、見つけ出すことができた故だった。
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