第38話 側にいる者、追いかける者

 いけないことをしている。そう分かっているから、エメロードは不安から胸の高鳴りを抑えられなかった。


『積み荷の目録は確認した。だが、そこから考えれば、荷車が一つ多いような気がするが?』


『おっしゃる通りで。しかしご安心を。それは商用目的ではなく個人使用目的によるものです。ゆえに商業目的の輸入ではなく、関税のかかるものではない。ゆえに内検も必要ありません』


『内検の要不要は我々が決めることだ』


 窮屈さと蒸し暑さを感じるエメロード。

 なんとか自分がここにいることを気づかれないようにと息をひそめているからこそ、外から聞こえる声にはハラハラせざるを得なかった。


『このタイミングで《タルデ海皇国メンスィップ》の一大名士、ハッサン・ラチャニー殿の商会、《絆の糸》が動いた事実をよく考えた方がいい』


 確実に疑われている。

 その事実はエメロードの心臓を爆発させるほどにドキドキさせた。ここで、聞こえてきたのはヴィクトルの諭すような声だった。


『おたくら、先日この領内で発生した、民たちによる貴族襲撃事件については聞いているかい? それが3カ国同盟に関わるパーティであったことを』


『それがどうした』


『領主ラバーサイユベル伯爵閣下も主催の一人となった本パーティ。参加者は《タルデ海皇国メンスィップ》を治めし子爵閣下の息がかかった、商会絆の糸の商会長ハッサン・ラチャニー殿の名代だ。『ラバーサイユベル伯爵家から件の子爵家に詫びの品を』……とね。二家の関係はおたくらなら分かっているだろう? 《タベン王国》、《タルデ海皇国》両国を挟んだ国境関所を守護するおたくらなら』

 

 ヴィクトルのほかに聞こえるのは数人の兵士の声。次いで聞こえる余裕たっぷりそうな一徹の声を耳に入れたエメロードは、小さくゆっくり、だが大きく息を吸って吐いた。そうやって気持ちを落ち着かせようとした。


 これがいま、エメロードが不安にさいなまれている理由。


 二国間を結ぶ国境関所。

 エメロードがいるのは、《タベン王国》から《タルデ海皇国》へと、一徹、ヴィクトルを筆頭とした数人の隊商が持ち込む積み荷の中の、大きな一つの箱の中だった。


『我が国の子爵家と、《タベン王国》ラバーサイユベル伯爵家は、国境を挟めど友好的関係にあり、ゆえに双方貴族家にて共通御用達のお抱え商会として商会絆の糸を指名した』


『それで? 臨検をするのかい? 子爵閣下へ献上される詫びの品、足止めをするつもりかい』


 いまのこの状況はさしものエメロードだってわかっていた。


『いいだろう。通れ』


 侯爵家第二令嬢エメロード・ファニ・アルファリカの、《タベン王国》からの密出国、そして《タルデ海皇国》への密入国。


 ガタン! とまた荷車が動き出したのを感じて、改めて息を細かくしたエメロードは、そこから4,5分ほど経って、やっと自らが入れられた箱の蓋が開き、光が差し込んだのを目に、大きくため息をついた。


「《タルデ海皇国》に入国したの?」


「……人を、商品のように運ぶかよ俺も」


「山本……一徹?」


 ため息をついたのは柔らかい陽気だけではない。蓋は開き、外に立っている一徹の顔が、中にいたエメロードの目に真っ先に入ったから。

 だが、安心したエメロードとは打って変わって一徹は複雑そうに顔をゆがめていた。


「この国の奴隷商たちにご自分をお重ねか、旦那様? おやめなさい」


「ヴィクトル……」


 そんな一徹に声をかけたのはヴィクトル。エメロードはそこで、チラリ、とヴィクトルの視線を受けた。


「むしろ旦那様は、いまのエメロード嬢のようだったではないですか」


「え? どういう……こと?」


「初めて《タルデ海皇国》に入国した時、旦那様も積み荷の中に身を隠されていたのですよエメロードお嬢様。それにしても旦那様、今回は随分スムーズですなぁ。あの時は口八丁手八丁の旦那様が積み荷の中。常に真実に身を置き、正義の名のもとに生きてきた私にとって、国境を抜けるための出まかせを口にするのは……辛かった」


 あっけにとられたような顔にいつの間にか変わっていた一徹。やがてヴィクトルの話を受けて、クシャッと笑顔に変えていた。


「おんまえ、主人に対して『口八丁手八丁』ってさ。それにサラリサラリと俺にも密入国した過去があったこと、エメロード様にバラさない。犯罪なんだから」


 そして一徹は手を差し伸べる。エメロードはこれに自然に己の手を重ね、そうして一徹の手に引っ張り上げられるような形で箱から抜け出た。


「スミマセン。あんなことがあってすぐだってのに、エメロード様には無理をさせる。罪に問われるようなことだって……」


「謝らないで」


「いやぁ、つっても……今回ばかりは……」


「謝らないでよ」


 随分とエメロードが、一徹に対して扱いや振る舞いが変わっていることに、そしてエメロード自身が変わってきていることに、本人は何処まで自覚があるだろう。


 かつてもエメロードは、一徹に対して幾度も「あやまるな」と言ったことがあった。

 だがそれは、一徹が謝ることによって、己の浅はかさや滑稽さに身を炙られるような思いをしたからだ。

 そうなったのは気持ちが幼く、早とちりと思い込みが激しかったゆえに十全のことをまともに考えもしないままに行動に移ってしまったことで失敗し続けてしまったゆえ。

 それは、いつも自分の気持ち、感情のままにエメロードが生きてきたから。


 いまは違う。「謝るな」と言ったのは、一徹に苦しそうな表情を浮かべてほしくなかったゆえ。

 エメロードが見たいのは一徹の苦し気な表情ではない。悲しそうな表情でも悩ましい表情でもない。

 いまのようにふと見せた笑顔。エメロードが見たいのはその表情だった。

 からかい交じりの物でもよい。困ったように眉をひそめて苦々しげなものでも。爆笑した笑顔など、一方ではイラつかせもするが、やはりその方が安心できた。


「謝らないで。この入国の算段も、《メンスィップ》への移動も、貴方が私を守るためにとった行動なんだから」


「……ですか? んじゃ、もうひと踏ん張りしてください。《メンスィップ》までももう近い」


「《メンスィップ》なら、《ベルトライオール》とは違って少しは街の散策もできるかしら」


「しっかり羽を伸ばせるでしょうよ」


「そう? じゃあ、そうしたらまた、私を市に連れていきなさい」


「市に? 『街を歩く、拷問か?』って以前……」


「山本一徹?」


「ハイハイ」


 思えば、エメロードとともにいる時の一徹は、いつも笑顔を浮かべていたのだ。

 下衆じみたニヘラっとした笑顔。でも、その笑顔に対して躍起になったエメロードは、それでもその笑顔をいつでも追ってきたような。そんな気がした。


                +


「聞けぃ! ここは営むことが許されぬ者たちがたどり着く安住の都!」


「傲慢な人間族、その女よ! この《ベルトライオール》は貴様のような者が来るところではない! 早々立ち去れぃ!」


 その闘気の凄まじさよ。

 充てられたルーリィは、正面から突風に見舞われたように、ビリビリとした感覚にさいなまれ、思わず片腕を、目と顔の前まで持ってきた。

 まるでガードをしているかのように。


 見上げるほどの巨漢二人。この都の入出を守護する門番だった。

 人間族ではなかった。身の丈は優に2メートルを超える、腕も足も大木のように太く、唯でさえ猛発達した全身の筋肉を、さらに隆起、肥大化させていたのは豚顔、牙生やした猪顔の獣人族。


「それでなおこの街に押し入るというのなら、この都の太守であり、《タベン王国》四獣王が一角、《獣王》ジンブジャックボーより《|獣王の爪(しょうごう)》を賜ったフローギストの、若衆たる我らが、貴様のその細首ねじり切ってくれる!」


 そんな存在が腕を組み、ピギィ! ピギャァッ! という鳴き声とともに警告をぶつけてくるのだから、受け止めたルーリィがたじろぐのは致し方なかった。


 だが警告とともに威嚇の咆哮を上げられたとして、ルーリィが彼ら二人から視線を逸らすことはなかった。


 獣人族二人、次第に警告も咆哮の声量は大きくなっていく。


「止まれ! 我らは止まれと言っている!」


「それ以上は警告を無視したとして、貴様のその命本当に貰うことになるぞ!」


 彼らがそのように声を張り上げるのは当然だった。

 ルーリィはあろうことか全身に緊張が走る中、背中を汗が濡らす不快感を感じながら、首筋を汗が伝うくすぐったさを感じながら、門番の方まで歩いてくるのだから。


「限界を超えた!」


「バカな女が! ……ヌ?」


 警告は無視され、街の入り口に、自分たちとの距離を詰めてくる女。

 だから豚顔の男は拳の骨を鳴らし、猪顔の男は、両手の硬い蹄をぶつけ合わせ、大きな音をはじけさせる。

 門番としては正しい判断。が、拍子抜けをしたように声を上げ、そして固まった。


「女、貴様何を考えている?」


 そうなったのには理由があった。もう「待ったなし」と、ルーリィに向けて走ろうとした男たち。

 そのタイミングで、彼らの瞳に移る、鎧を身に着けた女戦士が、槍を思いっきりあらぬ方向に投げ捨てたのだから。

 手近な大地に槍先を突き刺したのではない。遠くまで投げたことが、戦闘の意思など最初から放棄していることを行動で証明して見せた。


「入れてもらえないなら構わない。この街のことは、私も知人づてに聞いている」


「……何が目的だ女よ。この街には貴様のような者が目的となるようなものは一つとして存在しない」


 とられた行動はあまりに意外なもの。


「人を、探している」


「人探しだと?」


 やられた男たちは、かえってルーリィがこの街にやってきた目的が気になった。


「山本・一徹・ティーチシーフが……この街にいると聞いた。その者に会いに来た。この街に入れるわけにはいかないというそちらの思いも理由も伺い知ることはできるが、それでも、彼に会えるよう、そのためにこの街に入れて頂けるよう取り計らってもらいたい」


「……叔父貴」


「なんだって?」


「貴様は、叔父貴の客か」


 が、結果的にガツンと衝撃を受けてしまったのはルーリィの方だった。

 話は通ったようだった。が、その通り方がルーリィには衝撃だった。


 門番二人は一徹のことを叔父貴と呼んだ。この、人間族の国では呪われた街である《ベルトライオール》で、やはり人間族ではない、異常なほどに屈強そうな門番が。

 それはルーリィにとって、何処かへ彼が消えてしまってからの3年で、恐らく彼が、この国で象ってきた姿の一部。

 ただでさえいまの一徹がどのような存在かいまだ定かでないルーリィにとっては、なおさら門番二人の、一徹への評価は異質に映った。

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