第40話 邂逅、シャリエールとルーリィ。そして守られるエメロード
「まずはその物騒な物をしまわんか」
「ですが……」
「真偽は別だが、この女は伯爵代行を自称する。仮にそんな女がここで死なれては困る」
「知られないよう最後まで処理いたします」
「万が一知られたときのことを憂慮せよと言っている」
ナイフを向けられたこと、そして向けられた殺意に圧を感じたルーリィは、フローギストがシャリエールを宥める光景を目にしながらも、緊張で口の中が渇き、喉の粘つきを覚えた。
「伯爵代行が、人間族以外が占めるこの地で死んだことが明るみになる。それによって引き起こると予想される物が、我らを巻き込みたくないとしてこの街を出た兄弟の思いに反することがわからんか?」
「それは……」
その指摘はドンピシャだったようだ。
黙り込んだシャリエールは、しかしながらルーリィの恐れの瞳をにらみ続けるのはやめぬまま、腰に下げた鞘にナイフを納めた。
「では、旦那様に何用ですか? 『会いにきた』と、その目的は?」
剣呑とした空気は已然のまま。掛けられた問いにルーリィは言葉を詰まらせた。
目的、特段ないのだ。衝動に突き動かされたとでも言えばいいのか、ここまで来たのだって「会わなくてはならない」という思いからいたった結果だった。
単純に「会いたかったから」と言うのが正しい。だがその幼稚すぎる回答は、普段冷静を地でいくルーリィにとってあまりにもふさわしくなく、恥かしかった。
「聞いているのですが?」
そんなこと知る由もないシャリエールが質問する態度はとても悪い。敵意がにじみ出ていた。
「フム、控えろシャリエール」
「……ハイ」
それを諌めたのがフローギストだった。
ルーリィは先ほどの彼の発言が、真実だというのがここで分かった。
一徹の兄貴分。だから一徹を慕うシャリエールは、いまの命を聞き入れたのだと。
「帰れと言ったが、少しだけ我からも聞かせてもらおうかトリスクト。お前と一徹との関係だ」
諌めたフローギストは続けてルーリィに問いかける。
問いが問いだから、シャリエールの恐ろしい視線が向けられ、シャリエールは息苦しくなった。
「……《ルアファ王国》での友人だ。先日この国の王家別邸で開かれたパーティで再会した。3年以上ぶりだった」
何とか返せた答え。しかしそれはため息交じりでだった。
友人には違いない。だがいざ己で口にしてみると、「友人だ」としか返せない自分が情けないと思えたのだ。
「嘘……ですね。あのパーティには私もいました。そして私が一徹様を見ていた限りでは、再会による心の揺らぎは見られなかった」
「そうじゃないんだ。私は、あの襲撃の中でも最後まで面をつけていたから。貴女だってそれは知っているはずだ。あの襲撃の終わり、一徹の仮面の紐を剣閃によって切り裂いたアーバンクルスの隣に立っていた、私を見たはずだから」
「ッツ!
「……謝っても、許されないことをした……とは、私も自覚している。それでも、あのときはすまなかった。仮面によって知らなかったとはいえ、貴女の目の前で一徹の腕をねじり上げたことも」
「敵意を見せた。愚弄もしてくれた。一徹様は……困っていらした」
「そう……だろうな」
「お前」とまで呼ばれたことで、間違いなくルーリィのことを一徹にとっての面倒くさい相手だとシャリエールはみなしている。
そう感じたルーリィは、目に見えて歯切れが悪い。
だがそんなルーリィでは、相手にしても拉致があかないとも思ったのか、シャリエールはひとつため息をつき、落ち着いてから問いを新たにした。
「わかりました。3年ぶり、信じましょう。ですが貴女がわざわざ来た理由を知りたい」
「わざわざ一徹を訪ねてきた……理由?」
「貴女は《ルアファ王国》から来訪した。あのパーティは同盟にかかわる者たちの懇親の場。当然ラバーサイユベル伯爵とは面識もあり、だから今日この街にたどり着いたのも、伯爵に聞いて一徹様の居場所を教えてもらったから」
「それのどこが気になって……」
「この街が、貴女たち穢れた人間族にとって立ち入ることの適わない場所だということは聞いたはず。ただ再会を望むにしては、その賭けはあまりに危険すぎる。そうさせるほどの何かがあるのだと思ってしかるべきでは?」
落ち着いた物言いだった。圧迫も、少なからず収めていた。
「……別れ方が、酷かったから……」
しかしながらじっと見つめてくるシャリエールの瞳には興味深げな光が灯っていたから、耐え切れずにルーリィは目を背けた。
「姿を消した。忽然とだ。どこに行くともいつ帰ってくるかも言わず、一徹は
「私……たち?」
「いなくなった一徹を心配している者たちのことだ。私はもとより、他にも一徹には仲間がいた。何より、一徹がその成長と幸せを誰よりも願った、彼の妹も」
目を背けた。
だけど正直に、ルーリィはいま前に立つ三人に、その訳をちゃんと伝えきった。
ところがだ、伝えきったルーリィはチラッとシャリエールに目をやって……困惑した。
先ほどまで痛いほどに攻撃的な視線で貫いてきていたのに、いま目を背けていたのはシャリエールも同様だった。
シャリエールの視線から逃れるように目を背けたルーリィとは少し違う。
シャリエールが逃れようとしたのは、ルーリィが口にした話にからだった。
+
『へ、へぇ? 結構な面構えしてんじゃねぇの。このピリッとした感覚、一徹が、久しぶりだねぇ』
『あんまりいい気分じゃないさね。その組み合わせは珍しくないけど、両者がその顔で鼻を突き合わせる。少し前の出来事を思い出させるじゃないさ』
ヒソヒソとこの場に集った者たちが口ずさむのを、気になったエメロードは耳で拾おうとした。
それは明らかに、前回この場所に来たときと、ここにいる者たちの一徹に対する視線が明らかに違ったからだ。
「まさか公爵令嬢を《ベルトライオール》で匿うなど常識的には考えられないから、あの街で保護するのは悪い選択肢じゃあないと思うのだけれど」
「《ベルトライオール》じゃ街の
「でも気持ちがふさいだとして、それは君のせいじゃない。君は命を救った。それで十分だと思うけど?」
「考えてないわけじゃない。だが、人間族の公爵令嬢が人外の都にいる、それはフローギストたちに対する潜在的なリスクだ」
「やっぱり君は甘い……が、まぁそういうことにしておこうか?」
《タルデ海皇国》に密入国が叶ったエメロード。そしていまいるのは、その国土内で《タベン王国》との国境に一番近い港町、《メンスィップ》の、《海運
そこには人間族もそうでない者も、あまつさえ忌子すらが集う場所。
かつて一度エメロードもここに来たことがあった。
一徹とは今のような関係になるまで色々とあった。とある事件が起きて、そして彼女は一徹に会いに、《タベン王国》から国境を渡ってこの街に来ざるを得なかった時があった。
その時エメロードが目にしたのは、《海運
いまは違う。
ヴィクトルを後ろに控えてエメロードを隣に控えた一徹が、拠点長が座るべき椅子で足を組んでいる美青年と協議しているのに対し、確実に配慮があった。
「悪いねハッサン。他に迷惑を掛けられそうな場所は見当たらなくて」
「良いよ。この街は私たちの街だし、この街も、そして私たちも……
「言ったろ? 俺にはそーゆー趣味はねぇってな。単純に同盟締結前の《タルデ海皇国》なら、うかつに《タベン王国》も手が出せない。そう思ったんだよ」
「大々的にはね。小規模的なら分からない。先日、そうして我が妻殿が襲撃を受けたんだ。娘もね。ま、幸いにして被害はなかった。この街で我らに牙を剥くその意味を、分かっていないようだったから」
「オイ、それは初耳だぞ? 俺が知ってるのは同盟に関わり、《タベン王国》の対、《タルデ海皇国》向けのパイプ役として外交大臣アルファリカ公爵と協議するためで剥いた《タベン王国》王都で、刺客に遭遇したって話だけで」
「言ったら君が気に病む。ただでさえ、同盟にかかわることは君に推された仕事なんだから」
「グック!」
指摘は図星。
だから明らかに顔色を変えた一徹に、言いすぎたとばかりにハッサンは変わらぬ柔らかい笑顔を浮かべたまま肩をすくめた。
「ホゥ?」
そして不意にエメロードに視線を移して……目を細めた。
「君という男は、
「は? いきなり何言ってんだお前」
ハッサンが一徹に聞いてしまったのは理由があった。
ハッサンの視線から逃れるように、一徹のスーツのすそを握ったエメロードが、その背中へと立ち居地を変えるような動きを見せたから。
ゆるくウェイブのかかった長い金髪は、太陽に晒されればキラキラと黄金色に輝く質の良い絹の様。
抜けるように白く、きめ細かい肌。
シャープな輪郭だが、柔らかい眼差しを醸す翠玉のような瞳。高くスッキリとした鼻筋。
かつてエメロードをして、「見つめるだけで千も万もの女を堕とすほどの美男子」と思わしめるほどの美貌を持つのが一徹の親友、ハッサン・ラチャニーだった。
だが、ハッサンを見返すエメロードの瞳には明らかに警戒の色があった。
彼女は知っている。一徹からはよく《笑顔の貴公子》などとも称されるハッサンが、決して見た目通りの男でないということを。
そう思われている自覚はハッサンにもあって、だから一徹は言われてしまったのだ。
十分に一徹は、エメロードにとって逃げる先、頼る先として見られているというのが見て取れたから。
ハッサンは、一徹がエメロードにかつてどれだけ毛嫌いされていたのか覚えていたから……
「さすがに、公爵令嬢じゃ私の計画に組み込むことはできないのだけれど」
「いや、だから言ってることが分からないんだけど?」
それを思い返すと随分と距離が近くなったことが複雑だった。
「こっちの話だよ。いいよ? 我が商会、《絆の糸》商会長として、兼この《海運
「山本一徹!? 話が違う!」
そんなエメロードが、いまやここまで言うようになった。
ハッサンは、コメカミを人差し指で抑えながら、エメロードにタジタジな一徹を不憫そうに笑うしかできなかった。
「さすがに、四六時中お供するわけにも行きませんって」
「私はっ! 貴方が守ってくれるって言ったから」
「私なんかといるより、ここで守ってもらったほうがずっと安全ですよ? 本当」
一徹といえば、焦りの表情で食いかかるエメロードに苦笑いを見せ、やがて落ち着かせたのちにハッサン以外、集った者たちに体を向けた。
「ッ!」
……また、エメロードは息を飲んだ。
目に映ったのは笑顔の一徹。
「と……いうわけで、またしばらく先輩たちの厄介になります。何卒宜しくお願いいたします」
両足を肩幅に、少し腰を落とした体勢。膝に両手を、深々と頭を下げた一徹。
人間族が、
人間族にとって本来天敵種である魔族に対し。
佇まいに荒々しさを纏わせる獣人族に対し。
頭を下げた先には同じ人間族もいたが、到底まともな道を歩いてきたとは思えぬ雰囲気を醸し出し出していた。
そして忌子。《種族観》をどの種族も絶対視するこの世界では、生まれることすら禁じられた混血の者たち。
一徹は笑っていた。だが深々と頭を下げたところには、この世界で異端と呼ばれ、種族によっては敵とまで見なすような者たちに向け、確かな敬意が宿っていた。
それを自分の為に行ってくれている。その振る舞いに、エメロードは痛み入った。
この場に集った全員、集中した面持ちで頭を下げる一徹に視線を集めた。
エメロードは覚えている。前回この場に来たときは誰も彼もが一徹の話など上から塗りつぶしてしまったはず。
違う。いまはその言葉と、こめられた思いをかみ締めるように静かに聴いていた。
やがて、聞こえるは「任せろや」だの、「致し方ないねぇ」という受け止めの言葉。
『んじゃ、その前に……だ』
「……は?」
『エメロード嬢ちゃん歓待の宴と行こうじゃねぇかぁ!』
『『『『『ッシャァァァァァァァ!!』』』』』
「こ、この人たちは……」
突如の感情の爆発。この話が纏まったのだということだ。
なかなかに広い《海運
「この町での滞在は、宿ではなくここの拠点を使っていただきます。ですがこの人たちのこのテンションはいつものこと。疲れるでしょうから。日中は私が表通りにでもお連れします」
「『日中は』……って、それ以外は?」
「言ったでしょう? 四六時中お供するわけにも行きません。私とヴィクトルはこの街のどこか適当な宿屋に滞在します」
「旦那様、勿論部屋は同じでしょうな!?」
「……突っ込まない。俺は何も突っこまない」
「突っ込むですと!? ナニを!? ドコに!?」
「違うわドアホ!」
沸き立った雰囲気にこの流れで、一徹が繰り広げたのはヴィクトルとの漫才のような掛け合い。
こんな状況でも馬鹿馬鹿しさを地で行く一徹に、エメロードも思わず笑みがこらえきれなくなりそうな……ときだった。
「いよいよ、本格的に……逃げられなくなってきたか?」
ポツリと、小さく一徹が独り言を呟いたことが、エメロードが笑いだしてしまいそうなのをせき止めた。
なんとも、感情の処理がエメロードは忙しい。
この街にたどり着くまで感じ続けてきた不安。たった今話が纏まったことで沸き上がった喜び。
しかし瞬間で、胸がキュッと締め付けられる感覚に苛まれたのだ。
襲撃は終わった。いまこの街で保護をされているのも《タベン王国》内の騒乱が落ち着くまでの一時的避難にて、別に何かから逃げているわけではないはずなのに。
なのに一徹は「逃げられない」といった。それが、エメロードには何を言っているかわからなかった。
一徹のことが、気になって仕方がなかった。
+
「……会わせ……られない。会わせられるわけがない」
《メンスィップ》で一徹が酒宴を始めた頃、国境を越えた先。
《タベン王国》は呪われた街、《ベルトライオール》で続いていたルーリィと、この街の住民とでの話し合いは、拒否拒絶という形で終わるところだった。
その回答を示したのがシャリエール。
「どうして!?」
「貴女は、本当はただ一徹様に会いにきただけではなかったから……」
シャリエールもルーリィも、双方ともに苦しそうな顔をしていた。
「心配している者がいるんだぞ!? 一徹を、待ちわびている者たちが!?」
その、ルーリィの言葉が、シャリエールの心を深く穿った。
「お引取りを」
しかして一貫として首を縦に振らないシャリエールに、話が進まないことで憤るルーリィも歯を食いしばった。
すでにこの話し合いはルーリィとシャリエールの言葉の応酬となり、フローギストやガレーケにいたっては蚊帳の外にまで追い立てられていたから、二人とも苦い表情を浮かべて成り行きを見守っていた。
「ただ『会わせられない! お引取りを!』だけでは私だって引けない!」
「どうせ何を言っても聞くつもりはない。だから帰れといっているのですが」
「それでは話は終わらない!」
「……やめんかシャリエール」
とはいえだ、このままでは互いに手が出てしまうとも思ったゆえ、ここで制したのがフローギストだった。
当然だ。フローギストはシャリエールが優秀な女戦士だと知っていた。そしてこれまでの話のなかで、ルーリィも先日の襲撃を、槍捌きにて生き抜いたのを聞いていた。
「シャリエール?」
言での決着がつかない。それによって……
「お言葉ですがフローギスト様! 一徹様の隣に立つことが出来る貴方様なら、この女の話を聞いて何も思わなかったわけはないはずです! だって、だって、この女が一徹様に会いに来たその理由は……」
呼びかけられたシャリエール。しかしその激昂はとまらず、ルーリィへにらみつけたまま、聞こえてきたフローギストの声に答えた。
「私たちから、セカイを、奪い取ることに等しいんですよ!?」
「世界を……奪う?」
瞳を見据えてくるシャリエールの憎しみのこもった目。力が入ってブルブルと体を震わせながらのその叫びは、ルーリィの声を詰まらせた。
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