混沌のマスカレード

第20話 混沌のマスカレード-1 飲み込まれた会場

「突き飛ばす! 転ぶなよ!?」


 それは確認ではない、確定。

 返事が帰ってくる前に黒衣の男に突き飛ばされたルーリィは、しかしとがめようとはしなかった。


「チィッ! 初撃で仕留めるはずはずだった!」


 お互いのダンスホールドを無理やりにでも引きちぎり、突き飛ばすことで二人の間に空間が出来なければ、走ってきた襲撃者の槍先が、ルーリィか黒衣の男かの横腹に突き立っていたから。


「まずは女の方か……ら……」


 スパンッ! という小気味の良い音が小さく弾ける。続きその場に躍り出た男が、膝から崩れ落ちた。


「顎を打ち抜いて脳震盪。さすがは騎士様、本領発揮か」


 気絶し、たったいま倒れた男の手から、拾うように槍を手にしたルーリィ。余りに落ち着き、声を掛けてきた黒衣の男の不自然さに、訝しげに視線を上げた。


「こりゃあ、ご令嬢を守ろうとする男は大変だ。そもそも、守る必要が無い」


「だから突きばして以降、私が斬られそうになって尚、貴様は黙って見ていたのか!?」


「この襲撃は本物、この実戦も本物。本当の戦闘に慈悲なんぞなく、有るのは生きるか死ぬかの二結末。なっさけないことを言うようですがね、それがわかっていながら今日会ったばかりで、しかも敵意を向けてくる貴女を守るさなかに大怪我、最悪死亡なんて御免。適当に折を見て脱出しますよ」


「私と渡り合った実力を鑑みれば、その可能性はゼロではないだろうが……敵前逃亡か。高潔さが、欠片もない」


「高潔さ? あぁ、『貴族は高貴たれノブレスオブリージュ』というアレですか? よいのでは? 周りのお貴族様を見ても、貴族でない私が高貴さを気にする必要はないと思わせてくれる」


「クッ!」


 薄く口角を横に広げた黒衣の男。

 対してこれを受けたルーリィは、呻くしかできなかった。

 テーブルが崩壊し、テーブルセットや金属製のゴブレットが雪崩を起こす大きな音と、襲撃者たちの張り上げる声、何かの壊れた音。

 恥も外聞もなく逃げ惑い、目的地もなく会場内を走り回る貴族たちの惨めな姿について言及する黒衣の男は、腹の底で「彼ら貴族のどこに、いま口にした高貴さが見受けられるというのか?」と言っているのが分かったからだ。


「では私はこれにて。ダンスのお相手有難うございました。とても楽し……」


「生きていたか! よかった無事かっ! ルーリ……」


『誰ぞっ! エメロードをっ! 守れぇぇぇぇぇ!!』


「「ッツ!」」


 そうして、この絶望の空気のなか飄々とした黒衣の男がニカッと笑ったのを、ルーリィが目にしたのと同時。

 瞬間で、誰の声なのかわからせた。

 身を案じる声を、ルーリィは耳にした……が、それ以上に、この騒々しい会場内で一際大きく天井から降ってきた声が、ルーリィの心をわしづかみにした。


「アルファリカ公爵っ!」


 声の主はアルファリカ公爵。

 上階の、階下を覗ける吹き抜けの落下防止の手摺りに身を乗り出すようにしながら、大声を上げ、エメロードの救援に動こうとしていた。


「あ……れ?」


 ……が……


「よかったルーリィ。本当によかった。君が無事で」


 耳は、ルーリィにとって最愛の男の安堵の声を確かに拾った。その声とともに、肌に、体に感じる圧は、ルーリィにとっての恋人が抱きしめることで、無我夢中にルーリィの生存を貪っているのもわからせた。

 それでもルーリィは、視線を、意識を、恋人に送ることはなかった。いや、出来なかった。


「ルーリィ、大丈夫かい? 私だ。アーバンクル……」


 恋人が必死に呼びかけてきても響かない。

 しょうがなかった。目を、見張ってしまったから。

 なぜならいま、ルーリィが目を向けるその空間。アルファリカ公爵の魂からの懇願に目を奪われた、一秒にも満たない刹那を経て、視線をもどした場所には誰もいなかったから。 

 物音も動いた気配もなかったはず。

 だが黒衣の男、彼がいつの間にか忽然と、煙のように姿を消していたのは事実だった。

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