第21話 混沌のマスカレード-2 底知れぬ本領

 動悸、脈の凄まじいドクドクとした強さは、まるで収縮が極まった心の臓の中で何とか血が巡ろうと無理をしているかのよう。


『誰ぞっ! エメロードをっ! 守れぇぇぇぇっぇぇぇ!!』


 耳をつんざき、脳に父の声が反響した。

 視線の先の二人の男が、狂喜の表情を張り付け、剣を振り上げ、奇声を挙げながら距離を詰めてきた。


 何がどうなっているのか飲み込めない……から、襲い来る男たちの耐えようもないプレッシャーに腰を抜かしたエメロードは、しかして恐怖ではなく、頭が真っ白になったことで完全にフリーズしてしまっていた。 


 ピチャ、と、何か生ぬるい液体を数滴被った。それでいてなお状況の掴めないエメロード。

 指先で拭い、確認する。ネットリとした真紅が、彼女の細い指先に纏わりついていた。それでなお、いまだ読み込めない。 


 弾けるは、バシィン! という、二本の剣がそれぞれ腹から床に落ちたときに生じた音。


「ッツ! ガァァアアアッア! アァッアァァッアァッア!」


「イテェ! イテェぇあア!!」


 そして、さすがに滴を被るほどの至近距離。

 男たちが剣を握っていた方の手首を掴んで絶痛に泣き叫んだことが、呆然としたエメロードに意識を取り戻させた。


 次いで、全身襲われたのは、身のすくむような恐怖。気持ちの悪さ。ぶわぁっと体は熱くなり、冷や汗が噴出すのはしょうがないこと。


「やっぱ斬るところまでは行かねぇか。まぁ、魔道具ウェイブソーサリーでもなんでもない、ただの食用ナイフテーブルマナーセットじゃこんなものか」


 が、それとは裏腹、広い背中に軽薄そうな声が、目に、耳に入ったから、エメロードの恐怖は、また真っ白に転じた。


「ったぁ! にしてもよかった。もう凶刃きょうじん前にしてエメロード様ポッカーンしてるんですもん。やっと我に返りましたね?」


「山本……一徹?」


 突然の出現に、信じられないと声を上ずらせたエメロード。

 視界の先で「いてぇ! 痛ぇよっ!」と木霊する男二人を背景に、振り返った一徹の、からかう様な笑顔に目が惹かれた。


「テ……メェ、殺すっ!」


「あぁお前たち、チョッチうるさいから」


 そしてエメロードはさらに瞼をひん剥かれた。

 呪いの言葉を紡ぎ、手を押さえながら剣を拾った襲撃者が、真横に吹き飛んだから。


 強烈な一撃を浴び、飛ばされ、そして先ほどともに苦しんでいた男に衝突して巻き込んだ。その衝撃、幾ばくか。


素材ソーサリー開放。いいね《カマイタチ》。さっきの女騎士じゃないが、俺も《お前》の素材ウェイブソーサリーをこの靴に組み入れておいてよかったよ。調子よさげじゃないか」


 蹴った。それだけはエメロードにもわかった。蹴りきったままの姿勢でピタリと止まっていたから。

 そのフォーム。以前一度、一徹に誘われて決闘のおままごとのようなものを彼と演じたことはあったが、やはり一徹は、こういったことに慣れているということをエメロードに思わせる。


 非常に気だるげな発言。その一方で……まるで目に捉えられなかった一蹴りの軌跡。


 ……それだけではない。チラリといま倒された二人に目をやったエメロード。

 生えていた。銀食器テーブルマナーセットが、男たちが先ほど剣を握っていた手の、その甲に。


「エメロード様?」


 それを認識した上で一徹の声を聞いたエメロード、ビクリと身体を震わせたが、悪ガキのように笑った一徹が動かした右手によって、その視線の先を誘導させられた。


「『エメロードを、娘を守れ』……か。良いお父様じゃないですか。親心ってのに当てられて、私も思わず動いたほど」 


 「参ったなぁ」とでも言うような呆れた声を耳に、エメロードは息をするのも忘れて、ただただ一つのことに目を奪われた。


『離せ貴公ら! 娘が! 我が娘が死地にいるのだ!』


『いけません閣下! この上貴方がこの騒乱に巻き込まれたらこの国は、同盟はいかがしますか!?』


『邪魔だてするなフィーンバッシュ侯爵!』


『ええい! 閣下だけは、なんとしてでもこの場から離れていただく!』


 必死な顔が、自分に向けられていたから。


 いつもは恐ろしくてたまらない父が、実の娘を恥だと公言する、あの偉大すぎる父親が、これまで見せたこともないほどに不安な表情を向けてきたから。

 それもあわや上階から飛び降りようとするほど手摺りに身を乗りだし、しかしフィーンバッシュ侯爵、ラバーサイユベル伯爵に羽交い絞めにされて止められるほど興奮するくらい。


『エメロード! いまワシが行くっ!』


『行かせませぬ! 公爵閣下を安全な所まで!』


『き、貴様ら、何をする! まて! まだエメロードがっ!』


 聞き分けないほどに狼狽、焦燥の色を見せた実父。

 ついに見かねたフィーンバッシュ侯爵の一声に、上階で彼らを護衛していた兵たちによって連れて行かれそうだった。


『エメロード! エメロードォ!』


 逃げ惑う者たちの断末魔がいたるところで爆ぜているなかにも、父親の叫びだけはいやによく聞こえたエメロード。

 想ってくれているのが痛いほどにわかる。

 だからか、このような絶望的な状況にあって彼女は顔を紅潮させた。


「どこをっ!」


「見てやがるっ!」


 完全に、意識が父親に行ってしまったから……上階を眺めていたエメロードは、まさかそんな声が聞こえるほどに、襲撃者が近くにいたとも思わなかった。

 その声に、反応してしまった。


 瞳は男たちに向けてしまった。だが顔だけは上を見ていた。そんな状態、満足に動けるはずもない。


「あークソが……」


 そこで聞こえたのが一徹の声。それと同時に、向かい来る一人が、突如小さな悲鳴を上げながら武器を取り落とす。


「俺も……」


 武器を取り落とした男とは別の男が苦悶の声を上げたのは、エメロードが、飛び上がった一徹の膝が男の鼻柱に正面から埋まっていたのを目にした時。


「この手のお涙頂戴には弱いから」


「おぅぶぼぉえぇぇっ!」


 そして瞬きしたエメロードが次に認めたのは、たった今、武器を飛ばされた男が腹を押さえ、涙をたたえて床に崩れ落ち、耐え切れずに胃の内容物を遠慮なく吐瀉としゃしている図。

 膝を手で、パンパンはらっているところを見るあたり、今のも膝でしとめたのをわからせた。


「歳かねぇ? あーヤッダヤッダ!」


 なんて動きをするのだろう。


 エメロードはいつの間にか、父親の見たことのない様子から、無理やりとでも言うべきか、片手を首に添え、ボキンッ! バキンッ! と鳴らし、威風堂々と仁王立ちをしながらあらぬ方向へと目をやる、黒衣の男、山本・一徹・ティーチシーフの一挙手一投足に、とにもかくにも目を奪われた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る