第19話 《ダンスマラソン》-終 連なり、襲撃
「私だってそれ位の動き出来るんです旦那様。私だったらもっと、貴方を楽しませて差し上げられる」
自分はなんて愚かなのだと思いながら、パーティホール中央で縦横無尽に舞っている二人に対して言を紡いだのはシェイラ、もといシャリエール。
二人は一方で舞っていた。そしてその一方で
ルーリィの自然なモーションによる、しかし不自然な速さでのパートナーへの間合いの詰め。勢いを利用した肘鉄。
それは一徹の鳩尾に突き刺さるはず。否、半歩足を引き、一徹が半身になったことがその肘に空を切らせた。
終わらない。空を切った曲げた腕を伸ばし、一徹の逃げた方向へ横薙ぎに振るう。半身になった一徹の、ルーリィに向かって手前の足の
「《裏投げ》。いい流れだ、投げに持っていくかよ」
「クッ!」
「だが……」
ドシン! と、床に鳴ってはならない音が響いたその瞬間、ルーリィの悔しそうに歪んだ口元には歯が見えた。
踵に足をかけ身動きを取らせず、そのうえで横薙ぎに腕を振るい、巻き込むことで、テコの原理を産み出そうとしていたはずだった。
「下半身を支点に、上半身を力点にした投げ技は気を付けた方が良い」
《不愉快男》を転ばせるため。
だがテコの原理もなにも、踏み込んだ男は全く持って足を支点、腕を力点にした投げ技にビクともしない。
「見ようによっては、私の踵が貴方の足を封じている。ならこの腕をちょっと引っ張ってやれば……」
「なっ!」
……だけではない。投げようとした自分が反対に投げられそうになり、バランスを崩される。
「同じ条件での投げ技を返されるリスクがある」
このままでは本当に投げられ切れてしまうと思ったルーリィ。既に、手加減も何もなかった。
跳んだかと思うと、空中で前転し、何とか投げられ切る。それによっての受けるダメージから逃れる事に成功した。
ダンスのアクロバティックな動きの一つだと思っているのだろうか。これを見て観客たちはやんやと盛り上がる。
だがその能天気な喝采が、二人を見ているシャリエールの苛立ちを増長させた。
そんな動き如き、シャリエールならなんの苦も無く出来るのだ。
一徹はシャリエールにとって腹立たしい女と踊っている。それはシャリエールが、「勝ちたい」と意気込んだ一徹の思いを優先させたから。
なにかがおかしかった。踊っているときには睨みつけていたはずの女に向かって、いま一徹は楽しげに笑っていた。
嘲笑の表情であればまだ許せた。が、仮面からあらわになっているのが例え口元だけであっても、シャリエールには分かった。
一徹はいま、相手がたとえ嫌いな女であっても、気持ちが明るくなっているのだと。
シャリエールに対してではない。一徹にとっての嫌いな女が、それをさせているから気に入らなかった。
ダンスを指導し、少しずつ上達してくことで、先ほど一徹が喜んでくれたそのとき、シャリエールが感じたのは史上の快楽。
……あっさり、超えてきた。
いま、敵意を迸らせる女は、相手どらせた一徹に、それ以上の笑顔を浮かばせていた。
「私だって、私だって出来るのに」
それも、自分にだって出来るはずのことで。
シャリエールは戦闘技能を有している。一徹と出会い、一徹を守ると誓い、今は亡くなった使用人仲間がまだ存命中に、師事したこともあった。
その仲間が亡くなってからは、ヴィクトルにコテコテに鍛えられた。
だから、一徹を相手どる女の動きは、シャリエールでも出来る事を確信させた。
ただ違うのは、その女が一徹とのしがらみがないこと。そしてシャリエールは一徹の使用人であり、侍女であること。
また一つ、何をすれば一徹が喜んでくれるかシャリエールはわかった。が、恐らくその肩書があるシャリエールは、主人である一徹に、恐れ多くて出来なさそうなのもわかっていた。
それに苦しまされてきた。だから一徹のもとで生きてきた三年の間、その感情だけはひた隠しにしてきたというのに。
その葛藤をあざ笑うかのように、一徹の事を何も知らないポッと出の女が、一徹を本当に楽しませることを、シャリエールに見せつける。
「……気に入らない」
それで、シャリエールが正常でいられるわけがなかった。
……悲喜こもごも、いま様々な感情のこもった視線が集まった最後のダンスカップル。
ここで、状況が動いた。だから、歓声と驚きの声が会場のいたるところで上がった。
先ほどまで、間合いを詰めては離れ。そんな二人だったはず。
「なっ! 何をする!」
「何をするって。ダンスです。始めは組み手じみていくのも悪くないとは思いましたが……このままではただの戦闘になる」
男性側が、女性パートナーを抱き寄せた。
「一応言わせてもらいます。これは《ダンスマラソン》にて喧嘩ではありません」
絶対に諭されたくない、《不愉快男》からもらってしまった正論に、悔しそうに歯噛みするルーリィ。
不愉快男一徹は、腕の中の相手を目に、心苦しそうに嘆息した。
「御令嬢、先ほどから私に敵意を向けていますがきっとどこかに誤解がある」
「誤解なものか。全部エメロード様から聞いているんだぞ⁉」
「エメロード様か。あの方はちょっとばかり……早とちりなところがあるでしょう? 天邪鬼で頑固なきらいもある」
「色々な被害を貴様から受けたことも思い込みだというのか!? ご兄弟のご苦悩を、貴様は笑い飛ばした」
「あ、あーそれは……」
「剣をただの一度も握ったこともないエメロード様に、貴様は衆目のある中での決闘を強要したんだぞ⁉」
「決闘ごっこ。そ、そんなことがあったような気も……」
まずい。そう思った。
ダンスパートナーである凛とした雰囲気の女から出てくる話は全て、このパーティの少し前に実際にあった話。
全くと言っていいほどフォローができないものばかり。
確かにエメロードから「不愉快」だのなんだと言われたことは、一徹も聞いたところ。
この国の皇太子に嫁いだ姉と、次代の公爵を嘱望される優秀な兄弟に板挟みあっている話。決闘について。
エメロードがあの時どのように感じていたかまでは、一徹もその時はあまり考えていなかった。
「け、決闘については終った後、『楽しかった』と言ってくれていたはずなんだがなぁ……」
「なんだ?」
「……なんでもありません」
やはりダンスに戻したのは失敗だった。と、一徹は口角がヒク付いた。
手を重ね、背中を抱く一徹は、その心意を瞳の光から伺おうとする、女の興味深そうでありながら攻撃的な目を、間近で受けとめる事になってしまったから。
「い、いやぁエメロード様はいいお友達をお持ちだなぁ。ここまで心配してくれる方が身近にいらっしゃるのだから」
「御託は良い」
「さいで? 一応謝ったつもりではあるんですが」
「それでおさまらないから、貴様はエメロード様に近寄るなと言っている」
「私の方から近寄ってるですって?」
ハハハと呆れたように笑う一徹。シレッと明後日の方に目を、「どこに目ぇつけてんだ」とボソリと呟いた。
「まぁ、あのハッサン・ラチャニーの親友だとする貴様だ。正論を言って聞くような男でもないだろうが……」
「それって? というか御令嬢、さっきから随分とハッサンに……」
「それでもお嬢様は公爵家の人間だ。あまり惑わせるな」
「惑わせる?」
「悩ませる隙を与えようとするな。貴様と出会って以降、お嬢様は悩んでばかりだ」
「それが、私のせい……ですか」
「同盟交渉が揺れそうになり、何とか取持とうとあの方は悩み続けた。それ以降常に、貴様に心を揺さぶられてばかり。貴様はハッサン・ラチャニー同様、同盟を人質に、エメロード様を不安にさせる」
「同盟を人質って、人聞きが悪いな」
「そうならないよう配慮してくれというんだ。エメロード様はもう18。子供じゃない。その年ごろの公爵令嬢として考えなければならないことだって……」
「んでもって、子供じゃあない……ね」
なるほど。この世界で生まれ、生きてきた者らしい言葉を耳にした一徹は、先ほど明後日の方へと向けた目を、しっかりと仮面のダンスパートナーに合わせた。
「同じく、お貴族家所属の淑女目線で言われるか。説得力が強い」
「どの口がいう」
「私などね、18だったらもっと好き放題やっていいと思っているんですよ。十八など、大人になる前の最後の猶予だ。どうせあと二,三年もすれば子供ではいられなくなるだろうし、何よりその間にあるであろう事象が、子供を子供にさせなくなる」
「だが貴族ではそんな甘い考えは通じない」
「でしょうね。ハッハハ、この手の話は、貴族非貴族同士で話すべきではないよなぁ。私と貴女では、そもそも価値観が違う。お互い考えを述べ続けたところで所詮は平行線か」
「だがこちらの言い分は聞いてもらうぞ! もう今後二度とエメロード様には……」
真っ直ぐな瞳、その言葉に嘘がないことをありありとわからせる。
まるでエメロードの身に起きた出来事をわが物のように語るその真剣みに、さすがの一徹もたじろぎそうになった。
一徹から見れば、社交界というのは陰謀渦巻く暗い影の落ちた場所。煌びやかな外観とは打って変わった陰惨な内情。
そこから考えると、ここまで誰かのために動こうとする女の姿勢には、むしろ清々しさを感じた。
「そういえば……御令嬢は如何だったのですか?」
「ッツ!」
「まだ幼かったころは? 大人になるその過程。そう、貴女がエメロード嬢と同じ18歳だったその時。って、そもそも御令嬢が現在18より上なのか否かも、仮面の上からでは定かでありませんが」
貴族の令嬢としてはきっと面白い部類、そう睨んだ一徹は、だからそのような質問をした。
誰かのために行動できる貴族の女というのがどう生きてきたのか、少しだけ興味がわいたから。
「……そんな
「は?」
「貴様に話すことはないと言っている! だいたい……あっ!」
気持ちが入り過ぎた。空回りをしたといった方が良いのか。
「こりゃあ! 勝負は俺の勝ち……!」
反応し、さらに詰め寄ろうとして一歩前に出ようとしたルーリィ。知らずのうちにドレスのスカートその裾を踏んだことでバランスを崩し、つんのめったのを、一徹はフォローしようとした……
『イヤァァ!』
「……って?」
「なっ!」
ときだった。
会場はいたるところで轟く幾多窓ガラスの割れる音。
『ハーシェル! どこに行ったの! 助っキィィャァッァ!』
『賊、賊だぁぁ‼ ガァァっッ!』
そして挙がるは、来場者たちが一気に爆発させた絶叫と恐怖の叫び。
「えっ……と……?」
「ぞ、賊……?」
来場者が挙って円を作ったその中央で踊っていたものだから、観客が人垣となっていることで突然の状況の変化を知るのは耳ばかりが頼りになる。だから二人はそろって拍子の抜けた声を挙げた。
『た、助けっ! ああぁぁぁぁぁ!』
『お父様っ、お母様っ やめあああああっ!』
混沌が、会場を支配する。混沌とは来場者たちの悲鳴と断末魔。そして数え切れないほどの野太い声による荒々しい怒号。
「ッツ!」
声を詰まらせたのは腕の中の一騎打ち相手。その様子を目に、一徹は全てを理解し彼女の視線の先へと目をやった。
「俺たちに剣をとらせた貴様らが、パーティだダンスだ良いご身分だなぁ! 俺にくれよぉっ!」
それは観客たちが逃げ惑ったからか、それとも力づくで人垣をぶち破ったからなのか。
「やっぱり社交界のパーティにゃほとほと縁がねぇ。良い事、
「死ねよや! オラァァ!」
「……襲撃か」
とうとう、突然に姿を現した絶望の牙が、垣根を超えて姿を現した。
農民風情だがそれにしては身体のよくできた男。
そうしてその襲撃者は……咆哮を挙げながら、槍を二人に向け、全速力で走って向かってきていた。
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