RFP


「あのときは、キッパリと振った方がお互いのためだと思ったんですよ。どうせ数年で終わる関係に、私は興味ありませんから――」


 それは今も同じです。しかし、彼を深く傷つけてしまったのは事実です。


「でも、間違ってたと思います。あの時、私は、きちんと私の考えを伝えるべきでした。それなのに、一方的にあんな酷いことを言って、深く傷つけてしまいました。すみませんでした」


 私は頭を下げました。


 すると、アカネBは少し慌てた様子で私を止めます。


「いいよ、そんな、謝らなくて。あの時の**指摘事項**のおかげで、人生は少し良くなった気がするし。受け止めるのに時間が掛かっただけだから……」


 それだったら良いのですがね。ただ、数年前に仕事で再会するまで、ずっと疎遠になってしまったのは、何だか大きな損失のような気がします。今だって、どこかぎこちないのは、あの時のことがずっと気に掛かっていたからなのです。


「……今だから言いますが、正直、あの時の告白、結構嬉しかったんですよ、私は」

「ええ、そうだったの!?」

「というか、好きじゃなかったら、どうやって128個も嫌いなポイント思いつくんですか」

「……!」

「まあ、途中からは楽しくなってきて完全二分木になるよう掘り下げていったら、葉ノードの数が128個になってしまいましたが」


 完全二分木というのは、グラフ構造のひとつです。例えば、イエス・ノー・チャートの中でも、途中で合流せず、すべての設問に二つの選択肢があり、なおかつ、どのルートを辿っても通過する設問の数が同じになるものは、完全二分木です。七回分岐すれば、末端の数は128個になるのです。


「ひどい。まあ、すごく、らしいけど」


 アカネBは、ふっと笑います。


――らしい。


 そうですね。私って自分が思うよりも攻撃的な性格をしているのかもしれません。考えてみれば、そうでした。入社直後のXP事件の時は役員命令を反抗的な態度で無視し、退職勧奨の時は人事部長をわざと怒らせたのです。そういう振る舞いがなければ高槻前社長の目に留まることもなく、こうして監査役をする機会もありませんでした。しかし、監査役としてその態度のままでよいのでしょうか? 


 監査は英語でauditです。その語源はラテン語のaudire、つまり「聴く」こと。だから、昔の私がアカネBにしたように、指摘事項をあげつらって関係性を壊してしまうのでは、きっと良くないのです。私も変わらなければなりません。


 すると、アカネBが私に提案しました。


「あの時から、もう一度やり直しませんか。それで、後悔はないと思うんです」

「……はい。今度こそ、ちゃんと聞きます。あなたの気持ちをもう一度聞かせてください」


 すると、アカネBは私の目をまっすぐ見ます。落ち着いていて、それでいて自信に満ちた口調で言いました。


「ずっと好きでした。あなたのことだけが、ずっと。だから、僕と付き合ってくれませんか?」 


 え……。


 そのストレートの剛速球は、私の胸の奥にずしりとめり込みました。予想外のデッドボールです。十五年前とまったく同じ、歯が浮くようなキザい言葉のはずなのに、この私が、こんなに心を揺さぶられるとは。


 ……きっと、あの時の私の判断は間違っていたのでしょうね。ここまで一途な人だとは思っていませんでしたから。


 正直、今更この人に恋愛感情が湧くかというと、全然なんですが。


 ……でも。


「……私の負けです。完敗です」


 それは事実です。抵抗は無意味でした。


 アカネBの表情がパッと明るくなります。


「じゃ、じゃあ、これで晴れて恋人に――」

「なりませんよ」

「えぇ~」


 途端に、泣きそうな顔になるアカネB。こういうところは、昔と全然変わりませんね。でも、アカネBは変わりました。自分の思いを、自信を持って、落ち着いて伝えられる大人になったのです。それに比べ、何となく人生を歩んできただけの私はどうでしょうか。私は独りよがりでした。


 だからこそ思うのです。


「私、夕方に言ったじゃないですか。『結婚しますか?』って」

「え!? あれ、本気だったの!?」

「冗談でそんなことを言うはずがないでしょう。私、恋の駆け引きとか、やりたくないんですよ。気持ちが燃えようが、冷めようが、一生、あなたと過ごしたいと思うので」

「ええ、ええ……」


 アカネBは、腰を抜かせて、目を白黒、口をパクパクさせています。こいつ、私のこと全然分かってませんね。嫌いなポイント一つ増えますよ。


 でも、いいんです。仮に嫌いなところが128個あったとしても、符号付き8ビット整数ならば、128の時点でオーバーフローして、マイナス128なんですよ。その心は、つまりその、嫌いなところも好きのうちってやつです。


 揺らめくキャンドルの明かり。曇った窓から見える十万円の夜景。これぐらいが私にとってちょうど良いのです。


 そして。


「改めて。祝園アカネさん、結婚してください」

「はい、もちろんです」



 ……。


 …………。



 そこへ、素っ頓狂な声が割り込みました。


「ストーップ! もっとロマンチックなプロポーズしなさいって言ったじゃない。これじゃ、百万ドルの夜景じゃなくて、十万円の夜景でしょ! 為替レートどうなってんの!」


 キャンドルライトにぼんやり浮かぶのは、般若顔の高槻さんです。どこに隠れてたんですかね、この人。


「……え、いや」


 困惑していると、騒ぎを聞きつけた店員が、あたふたと駆けつけます。


「お客様、どうなさいましたか?」

「どうもこうもないでしょう? この汚れた窓のせいで、深刻な円高ドル安って話。窓を拭いてくださる? せっかくのプロポーズが台無しじゃない」


 なんだか、締まらないですね。でも、いいのです。これは恋愛小説じゃないので、プロポーズが唐突に訪れようが、前社長が割り込んで場をかき乱そうが、これでいいのです。なんかこう、人生って感じがするじゃないですか。


 ……あれ、私、ポエってます?

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