第8話 約束の言葉



 ルノはノアの微妙な変化に気が付いた。

 棺桶から目をそらせていたノアの口が微かに開く。


「あ」


 ノアから零れた微かな呟きには、驚きの色が見て取れた。


 ルノも事実驚いたことがある。

 死後そこそこの時間を経過しているのにもかかわらず、ノアの母の顔は、陶器のように艶やかで綺麗だった。


 きっとお父様が何か施しているに違いない。


 そう考えつつも、遺体を見ていないノアの驚愕はこれとは別の事だと思い至る。


 じゃあ、いったい、何に?

 何に対してそんなに驚いたの?


 参列者が次々に献花する。

 叔母は嫁入りまではこの領地にいたのだ。

 知り合いも多く、皆に愛される領主の娘であり、若かりし頃から武勇を誇っていたネルザールの妹。しかも、その立場に甘んじず、本人にも魔法の才能があり、人柄もよかったと聞く。

 村の皆が別れを惜しむ。

 叔母と、その娘。二つの遺体が色とりどりの花で覆われてゆく。


 そのなか、ノアの、相変わらず焦点の定まらなかった虚ろな目に、影が差した。


「……今更だろ」


 自嘲気味に呟くノアは、もうここが公衆の面前だということをまるで意識していないようだった。


 けれど、そんなノアの目に、少しずつ力が戻ってくるのをルノは見た。


「ノア?」


 誰にも聞き取られないくらいの小さな声で、隣の少女を呼ぶ。

 けれど、ルノに対するノアの反応は何もなく、唐突に、ノアが母の遺体を見た。


 ノアが、手を伸ばす。

 ずっと握られていた手が開いた。

 手からするりとこぼれ落ちたのは、一輪の黄色い花。


 その時のノアの目に、その仕草に、その花の行方に、

 ルノの全身が総毛立った、瞬間――



イン……ヴァート



 母親に向かって伸ばされたノアの手が光に呑み込まれた。

 違う、呑み込まれたのではなく、ノアの手が光を発したのだとルノが気付いた時には、辺り一帯が光に蹂躙され尽された後だった。


 周囲の参列者も、教会さえも光の中に掻き消えた。

 聞こえたのは鐘の音と、ノアの息遣いだけだった。

 見えたのは、ぐったりとしたノアの姿だけ。


 ううん、他にも見える。

 これは……、ノアのお母様の……魂?


 棺桶のあったあたりから、キラキラと輝く何かが上へ上へと登って行く。右も左もわからない光の中、何かに引かれるようにして、上へ。


 花が一輪、光と一緒に舞い上がる。

 ルノはチコにしがみついていたことすら忘れて、輝きの行方を見守る。


「あ、消えちゃう」


 ルノが言うのと、光が薄れ、葬儀の最中だった光景が戻って来たのが同時だった。


 棺の傍で立ち尽くしていたネルザールも、孤児院の老夫婦も、子供たちも、参列者の皆も、輝きの残滓を追っていたのだろう。


 誰もがぽかりと口を開け、空を見上げていた。


 やがて、輝きは、下から上へと消えてゆく。




 皆が唖然としている中、チコの腕から抜けたノアが一人、魔力補助を使いながら歩いて棺へ向かっていた。

 誰もそのことに気が付いていない。


 ルノだけが気付く。

 「ノア!」

 と咄嗟に叫ぶ。


 ルノの声に振り向きもせず、ノアは母の元へ歩を進め、棺の置かれたテーブルの下へ辿り着くと、その身体を宙に浮かべた。


 ルノが叫んだことで、この場にいた全員が異様な光景に気が付く。


 歩き浮かんだ赤子に、喋る赤子。


 この場にいる全員が一言も声を発することすら忘れて、二人の赤ん坊を見る。


 浮かび上がるノアは母の顔が見える位置で停止した。


 黄色い花が、彼女の手のひらの上に舞い降りる。



「最後に何を言うべきかずっと考えていました」



 ノアは呟きながら、その花を、母の喉元に添えた。



「でも、結局、最初に言いたくても言えなかった言葉を、伝えようと決めました」



 ノアはそう言うと、ゆっくりと目を閉じ、



「誓いはもうすませたので、だから、最後に」



 そして、もういちど瞼を持ち上げた。


 その目尻から零れたのは、たった一筋の涙。




「おやすみなさい。お母様」




 涙を拭ったノアは、晴れ晴れとした顔をしていた。


 ルノは、ノアの情緒が不安定だったことに気付き、支えたいと考えていた。けれど、ノアは一人でその問題を解決してみせた。

 そのことをルノは誇らしく感じる。

 自分の思い人がこうして自力で立ち上がったことが何より嬉しい。


 だから私も、

 の隣に立ち続けるんだ。


 誓い、自分も魔力で身体を持ち上げて、ルノはノアの横に並ぶ。



 ⇔



 光の尾がその煌めきを薄くさせ、消えた。


 僕は初めて名前のある魔法を使ったのだ。

 それも母さんの遺体に。


 魔法の存在に気が付いたとき、この魔法なら母さんを〝救える〟と直感した。とても不思議な感覚だった。

 母さんの遺体を見た時、綺麗だと思うのと同時に、何か不自然な影を感じた。その影は母さんにとってとても悪いもので、僕の魔法ならば影を文字通り〝反転〟させて消すことができるのだと理解した。


 結果は見てのとおり。

 おそらくあの光は母さんの〝魂〟とも言うべきものだろう。

 それが影によって身体に拘束されていて、僕の魔法であるべき所へ還すことができたのだと想像した。


 真実はわからないけど、今はそれで納得したいし、そう思いたかった。


 いつの間にか僕の隣にいたルノを見る。

 すると彼女も僕へ振り向く。


「ルノ。さっきの光見た?」

「見たよ」

「あれって、母さんの魂……だよね」

「うん。きっとそう」


 ルノの返答に僕はほっとして、空を見上げた。

 所々雲が浮いている、綺麗な青空だった。

 すると、ノアも同じように上を向く。


「もしかしたら、空からノアのこと見てるかもだね」


 僕もそう思う。


「うん。だからしゃんと生きないと。情けないとこ見せられないな」

「そうだね。だったら、背筋のばすっ」


 ルノが背中をぱしんと叩いてきた。

 まだ赤ん坊なのに無理だよと、文句の一つでも言ってやろうとルノを見る。すると、彼女は「ねっ」と、微笑む。


 文句も言訳もその笑顔に吹き飛ばされた。


 微笑みはそのまま、空を見上げたルノが、ゆっくりと両手を広げる。


 ルノの行動の意味がわからない僕は「なんだよ」と、言い損ねた文句の代わりに口を尖らせて訊ねる。


「叔母様へプレゼントするの」

 空を見ていたルノが目を閉じてすぐ。


 棺の中の花々から、その下の地面から、次から次へと色とりどりの光の粒が浮かんでくる。


 教わった精霊の色よりも多彩で、いや、全く同じ色など一つとしてないと思える程の無限の彩りが母さんの遺体を中心に辺り一面に広がった。


「これなら空からでも見えるよ」


 呆気にとられている僕に、ルノが言うと、彼女は広げていた両手を天へ掲げた。


 手の動きにあわせて、光の粒も舞い上がって、やがて、消えた。


「すごい……」

「えへへ」


 照れたように笑うルノが、空を見上げたまま「あ」と漏らす。

 僕もそれを見た。


 確かに、見た。


 金色の輝きが、西の空へ尾を引きながら流れ星のように奔ったのだ。


「ユグドラシルへ還った……のか」


 父さんの声だった。

 直後、いろいろな人の声が聞こえた。

 皆が口々に「奇跡だ」と呟いていた。


 この時初めて僕は、しまったと思った。

 今の今まで、人前だったことをすっかり忘れ、父さんに厳重注意されていたいくつかの約束を破っていたことに気が付いたのだ。


 ルノも同じだったようで、僕らは顔を見合わせた後、恐る恐る父さんの方へ振り返る。


 僕らの目に映った父さんの表情は、怒りでも、皆のような驚きでもなかった。


 そんな僕らの不安を他所に、ざっ、と音が鳴る。

 少しだけ露出していた箇所の砂地の砂が舞った。

 この場にいた父さん以外の全員が、跪いたのだ。


 ある者は騎士が主にとる臣下の礼のように。

 ある者は祈りを捧げる敬虔な信者のように。

 チコも、片膝を着き、頭を下げていた。

 小さな子供たちですら、親兄弟に促されてそれに倣う。

 皆が皆、全員が、自分なりの礼の取り方で、僕らの前に跪いた。


 院長が、顔を上げた。

 その視線は僕らではなく、父さんへ。


「ネルザール様。このお二人の正体を聞くまでも無く、我等一同、畏敬の思いから礼をとっておりました。それに、黒髪のお子の方がご遺体にお母様と……。もしやすると……」


 言いながら院長は僕らに視線を移す。

 彼が唾を飲み込み、喉が上下する様に緊張が見て取れた。


 僕は父さんを見る。ルノもじっと父さんを見上げていた。

 無我夢中でやったこととはいえ、言いつけを破ってしまったことと、彼等のこの大袈裟なまでの反応。

 正直言うと、胃がきりきりとする。

 でも、父さんはもっと大変なのだろうと思い、必至に堪える。


 すると父さんは、僕らを一瞥し、うっすらと微笑むと、村の皆へ身体ごと向き直る。


「そうだ。この子、ノアールは、私の妹の子だ。家族の不幸の際、私の実子として王都には届けてある。皆もそのように口裏をあわせてくれ」


 言うなり、僕とルノを父さんが抱き上げた。


 僕ら二人の位置が高くなったことで、全員の視線を一身に浴びせられた。

 その目には、畏怖の色も多少はあれど、なにより喜びの方が勝っているといった感じで、決して悪感情ではなかったことに僕は心底ほっとした。


 さらに、皆が口々に母さんのことを懐かしみ、涙し、その面影を僕に重ねてくれる言葉が嬉しかったし、何より、母さんを赤の他人だという嘘で固めて生きていかなくても良いという未来が約束された事実、それが何事にも代えがたかった。


 そんな僕の心境を、ルノと、父さんも察してくれたのだろうか。

 隣からルノが手を握ってくれ、僕を抱く父さんの分厚い手に、優しく力が入った。


「さて、皆はもう察していることだと思うが、一番知りたいであろうことを伝えよう」


 低く、ゆったりとした口調で父さんが再び口を開く。


「私は確信している」


 けれど、良く通る、威厳に満ちた声で、その続きを言う。


「私の娘、長女ルノルーシュはルノルーシュ・エリュシオン。

 次女ノアールはノアール・ロードナイトの生まれ変わり……すなわち、


 《竜の子》だ」


 父が言い終えるやいなや、皆が立ち上がり、歓声を上げた。


 その声は先の光の乱舞を追い、飛んでいった母さんの魂にまで届いたのではないかと思わせるほど、喜びに満ちていた。






 ~to be continued~


********************


るの「これにて乳事変おわ……、なにこの変換。

   乳児変……むきー!」


のあ「はい、乳児編はこれで終わりです。

   次ぎは何歳くらいなんだろうか」


るの「中学生くらいがいいな。チコに負けないくらいのばいんぼいんになった私を披露したい」


のあ「ルノって自らフラグ立てまくるそのスタイルが、ある意味作品に対して献身的だよね」


るの「献身のルノ(遠い目)」


のあ「良い二つ名ですね」

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