第7話 別れの鐘



 ふわっと、丘の上から涼やかな風が降りてきた。


 屋敷のある高台の裏側は、さらに小高い丘になっている。

 その麓に座り、丘の上を見上げているノアを、チコは木の陰から見守っていた。


 ノアの視線が上へ。

 チコもつられて空を見上げる。

 小鳥の、おそらく雛だろう。おぼつかない飛び方だった。

 吹き下ろしの風に乗ってしまったのだろうか、いきなりの急降下。あわや地面に激突かというすれすれで上昇した。狙ってやっているのでは無いと明らかに分る危なっかしい飛び方に、観ていたノアの身体がびくりと弾むのが、チコには微笑ましく映った。


 そのすぐ傍で、スムーズな飛行を見せているのは親鳥だろう。


 しばらく見ていると、雛鳥が飛ぶのに慣れてきたのが分った。

 親の軌跡をなぞるように、後を追い出す。


 その光景が何か琴線に触れたのだろうか。ノアは魔力を使って立ち上がり、居住まいを正した。


 思わずチコは声をかけてしまう。


「屋外での魔法はお控えください」

「ごめん。でも、もう少しだけ」


 気配を殺していたというのに、突然声をかけても、ノアは、振り返りもしない。驚いた素振りすら見せず、空を見上げたまま言う。


 どこまでも小鳥に夢中なノアに、チコは苦笑を浮かべながら近づく。


「砂や草がこんなに」


 チコは、先程の返事の代わりに、ノアのお尻を軽くはたく。

 後は何も語らず、ノアの隣に立って同じように小鳥の親子を見守る。


「すごいな」

「はい」


 ノアがチコへ振り返ると、彼女は前屈みになり、ノアを抱きかかえる。


「ありがとう。流石に人前へ魔法で歩いて行くのも、この服ではいはいで行くのもダメだろうから」

「当然です」


 歩き出す前に、ふと丘を振り返る。

 二人の視線は自然と空へ。


 小鳥の親子は、丘の横にある森へと帰って行った。

 ノアが小さな手を握り締めた。


 小鳥の親子が飛び交う光景を見たこの小さな赤子は今何を想い何を考えているのだろうか。

 チコにとって、小鳥は所詮小鳥。この鳥の名前なんかももちろん知る由も無い。それに、鳥は食料以外の何ものでもなく、彼等の行動に想いを馳せるなどという行為は無益なものとしてしか、今も思えない。


 けれど、ノアは違うのだろう。


 小鳥の親子を見て、そこに何かを感じ取ったからこそ握り締められた小さなちいさな拳。


 この小さく幼い子は、いったい何を考えているのだろう。


 チコにとってノアとルノは、未知の存在に他ならない。

 生まれてすぐに言語を理解し、念話で会話する。

 この世界の魔法の常識に縛られない超常の魔法を操り、魔力量も計り知れない。


 腕の中のノアの温もりを感じる。

 小さな鼓動も、息遣いも、何らかの決意も、自分の胸を通して伝わってくる。けれど、チコの常識を軽く飛び越える力をもった存在は、自分が容易く抱きかかえられるほど小さく幼い。

 その歪で圧倒的に理不尽で、しかし現実的な存在感に、チコは空恐ろしさを覚える。


 動くものは全て敵か食料。気ままな自然はただ自分が身を置く環境でしかなく、当然神も道徳もチコは持ち合わせていなかった。

 そんなチコが唯一畏れを感じたのは、他ならない三人の人物である。


 はたと気が付いた。


 ――不思議だ。

 私は、お師匠様やネルザール様、それにティアルーシュ様に覚えた畏敬というものを、この子達にも感じている。


 それはきっと、私にとって、何事にも代えがたい良い兆候なのだろう。


 そう考えると、少し心が弾んだ。

 胸の中のノアを、きゅっと抱きしめる。


「んぷっ」

「失礼しました」


 僅かな感情の高ぶりに、強く抱きしめすぎた。

 非礼を詫びると、ノアは何でもないふうで、


「いや、嬉しい」


 そう言って、自らチコの胸に顔を埋める。


 呆気にとられたチコも、すぐにノアの言葉に気を良くし、彼女の錦糸のように細く艶やかな髪を撫でる。


「私も、嬉しいです」


 そう言ったチコの微笑みは、誰の目にも触れずにひっそりと天を仰いでいた。



 ⇔



「お。来た来た」


 屋敷の玄関先。

 少し大きめの乳母車の淵に、顎を乗せていたルノが、手を振ってきた。


「お待たせいたしました」

「ごめんなさい、遅れました」


 ルノの傍らにいた父さんは咎めることもなく、ルノの隣に僕を乗せるようチコへ指示する。

 父さんとチコの二人とも、礼服の上に薄手で黒地のロングコートを着ていた。

 チコは黒のトークハットを被り、ベールで顔を覆っている。


 僕とルノは、お揃いの黒いワンピースだった。

 スカートの下半身防御の頼りなさといったらない。

 すーすーして落ち着かないうえに、姿勢によっては太腿が丸出しとかありえない。だけど、当日に文句を言ってもどうしようもないし、そもそも文句を言うつもりなど、僕の立場的にあろうはずもない。

 今は与えられたものはありがたく使う。

 好きな服は自立してから買えばいい。


 いつもと違う装いの僕ら四人は屋敷を後にする。


 一応二人乗りの乳母車らしいのだけど、それでも空間は狭い。

 僕らの身体はどうしても密着する。

 いつものルノなら、何かしら騒がしくしている状況なのだろうけど、さすがに今日は借りてきた猫のように大人しかった。


 母と僕の葬儀。


 母の遺体は、既に村の教会へ運ばれているのだそうだ。

 なら僕は?


 本来ならばあるはずのない〝自分の葬式に自分が出席する〟という異常な事態。

 母の葬送に想いを馳せているはずなのに、今の僕は上の空だった。

 いや、上の空を装っているのだ。


『だいじょうぶ?』

『うん。思ってたよりぜんぜん平気でさ。何だか拍子抜け』


 話しかけてきたルノに、僕は軽い調子でさっき感じていたことを伝える。


『うんうん。自分の葬送に自分が……って、ありえないもんね』

『だろ。そんな非常識な現場に向かってるからかな。母さんの葬儀がメインのはずなのに、あまり悲しいとか辛いとか、ないんだ』


 そこまで言って、僕は自分の手が温もりに包まれていたことに気付く。


『あれ、手、繋いでくれてたの?』


 僕が言うと、表情豊かなルノのネコ耳が垂れ、大きな目を少し伏せる。

 長い金色の睫毛が、彼女の瞳を隠してしてしまう。


『繋いだのは、ノアからだよ』


 え……。と自分でも呆れるくらい、喉から出た声はか細かった。



 ⇔



 念話でのやり取りの後から、元気だったノアが塞ぎ込んでしまう。


 やっぱり空元気だった。


 ノアから手を握ってきたとき、いつものルノなら。

 心臓が弾んで顔どころか体中が上気し、頭の天辺から足の先まで真っ赤になるほど照れて、それを誤魔化すために、くだらない冗談ばかり言っては騒いでいたのだろう。


 だけれど。

 そんな反応なんて出来るはずもない。


 まだ震えてる……。

 どうしよう。

 少しでも気を紛らわせてあげたい。


 そうだ。とルノは先頭を歩く父の背を見上げた。


『お父様。今声をだして話してもいい?』


 生後半年ほどの子供が流暢に会話をしているところなど、他人に見せるわけにはいかない。それでも会話を求めていることを、他者に聞かれることの無い《念話》で父に是非を問う。


『構わないが、どうした』

『ノアが、ずっと震えてるの……。だから、お喋りでもすれば気を紛らわせられるかなって』


 ふむ。と、先頭を行くネルザールが乳母車の傍、ノアの隣へ来た。


「伝えたいことはまとまったかい?」


 突然父から声をかけられ、はっとしたノアがさらに手を握り締めてくる。


「はい。でも……」


 父を見上げていたノアが顔を反らせた。

 反対へ顔を向けられ、ルノはその表情を確認できない。


「それを伝えたら、きっと僕は泣いてしまう」

「かまわない。そもそも子供は泣くものだ。お前達を見ていると少し物足りないくらいだよ」


 穏やかな表情と、少しだけ拗ねたような口調で話した父を、ルノは驚きとともに見つめた。

 父の知らない一面に、嬉しくなった。

 けれどもやはり、隣のノアの震えは止まない。


「いえ。そうではなく……」


 言い淀むノアの気持ちが分らず、ネルザールも、そしてルノも視線を合わせ、首を傾げる。


「母とは……いえ、故人とは赤の他人の僕が、泣いてしまうのは不自然だと……。だって、葬儀には村の人達が大勢来るんですよね。それに、もし家族を殺した奴の密偵とかが紛れていれば、感づかれたりするかもしれない……」


「ノア様……」


 乳母車を押してくれているチコが、ノアの心情を思い遣るかのようにその名を呟いた。


 葬儀へと、教会へ向かう一行を包む空気の重苦しさだけで言えば、これが本来の正しい重さなのかもしれない。

 けれど、ネルザールはそんな重苦しい空気など感じていないというふうに、ノアを持ち上げ、片腕に乗せた。


「葬儀は形式に過ぎない。カーライル家の者として参加したという事実があればいいのだ。ノアは車に乗ったままでも、私やチコが抱いていても良い」

「でもそれじゃ、近くでお顔を見てお別れできないよ」


 ルノは不安げにネルザールに言う。


「大丈夫だ。式の後、最後は私たちだけで見送る手はずにしてある。そこで別れをしなさい」


 それなら、とノアは少し元気を取り戻したようで、


「僕の死体はどういう……?」


 興味半分、怖さ半分といった感じで訊ねるノアに、ネルザールは何でも無いように、


「人形だ。近づいて見てもそれが人形だと思う者はいないと断言できる。それほど精巧に出来ている」

 と言った。


『当然と言えば当然なんだろうけど、ちょっと安心できた』

『ん。よかった』


 ルノは同意する。

 自分も、不安に思うところはあったのだ。

 葬儀といえば遺体は必要だろう。では実際生きているノアの遺体をどうするのだろうという疑問があった。年の近い子供の遺体を譲って貰うのだろうか、孤児の遺体を探すのだろうか。そういったおぞましい不安と疑問だ。

 きっとノアも自分と同じようなことを考えていたのだろうと、ルノは結論づける。


 とりあえず。

 念話でノアが安心できたと伝えてきたことで、ルノもほっと胸を撫で下ろした……のだが。


『あれ、ノア念話繋げられるようになったの?』

『え、あれ? あ、この念話僕から……?』

『そうだよー! おおお、すごい。どういう感覚?』

『どういう……』


 うーん、と考え出すノア。

 父の太い腕に抱かれているノアを、ルノはまじまじと観察する。まだ丸みのある幼すぎるその顎に親指を。薄すぎず、それでいて血色の良い唇に人差し指を添えて考える仕草。


 ノアだなぁ……。


 と、感慨に浸っていたら、ノアが「うん」と頷いた。


『自然と繋いでた。忘れてたナイフとフォークの使い方を不意に思い出したみたいな……。だから指摘されるまで、今まで自分から念話をできなかったことすら忘れていたというか……?』

『うんうん。こゆ魔法使うときってそゆ感じだよね。私も一緒いっしょ』

『そうなんだ。じゃあやっぱ原理とかは』

『さーっぱりわからんっ』

『ですよねー』


 あははと念話で笑い合っていると、何となく気配を察したのかネルザールがノアとルノを見た。


『あ、そうだノア。お父様に念話してみたら?』

『うん。実験してみる』


 このすぐ後、四人で念話を交えながらの会話を楽しんでいると、目的地である教会が見えてくる。

 まだ距離はあるけれど、真っ先に目に飛び込んできたのは教会の尖塔で、我先にと出迎えてくれているように感じた。


 ネルザールもチコも、おそらく当人であるノアも、不安は払拭できたと思っているのだろう。


 けれど、ルノは違った。


 ――ノアはまだ、怖がってる。


 ルノは確信とともに、ノアを助けるのは自分なのだという意気込みを新たに、ふんすと小さな拳を握り締めた。



 ⇔



 カーライル領は王都から比較的遠い、王都イルディアの属領である。


 雨季の雨を蓄える緑豊かな山脈。山々から湧く水や地下水は、土地を肥えさせ、なだらかで広大な大地は人の住みやすい条件を兼ね備えたものだ。

 適度に深い森は様々な恵みに溢れており、連なる山々も同様である。澄んだ湧き水は人の生活を支え、また幾本もの川となる。何か不満をあげるとすれば、海がないことくらいだろうか。


 領主であるネルザール・カーライルが住まうここラービット村には、領主や騎士、魔術師や文官が集まる、その地においての最終防衛拠点となるべき城がない。


 カーライル領の城は、ここより馬で半日程の川向こうにある。

 川が縒り集まり出来た湖の真ん中には、高さ五十メートルはあろうかという絶壁がそびえていた。

 絶壁の上には城があり、加えて小規模な城下町が軒を連ねている。

 その立地や作りは、城というより防衛特化の戦闘城塞だ。

 事実〝不沈城塞〟の名実と共に、歴史上においてもこの城を攻略できた侵略者は皆無である。


 絶壁の頂に建ち、唯一の入り口である正門へ至る道は、湖に挟まれ湾曲した上り坂だ。

 不沈城塞を落とすためには、湖を忍び行き、後ろか左右の絶壁を、油に投石、矢を避けながら登り切るか、正面突破しか無いとされている。

 持久戦に持ち込んでも広大な貯蔵庫には兵と民が優に五年は遊んで暮らせるだけの蓄えがある。


 何百という兵法家、軍略家、時には魔法や魔術に精通した者の多角的な意見を取り入れた作戦を練って攻めても、不沈城塞はその名の通り不沈を貫いたのだという。


 これほどまでの城を手にしているネルザールだが、彼は、城勤めの者らから領民の一人に至るまで、ここで暮らすことを、禁止もしなかったが、推奨もしなかった。


 フォーサイスより婚約者を連れ帰ったネルザールは、今際の際の父から爵位を譲り受け、父を看取った後、城を出た。カーライル家所有の別荘を住居としたのである。


 そんな彼に倣うかのように、不沈城塞の面々もカーライル家屋敷の近くに家を建て、田畑を耕し、家畜を飼い、土地に根を下ろすことを決めたのである。

 このようにして、誕生からまだ僅かな歳月しかたっていない、野ウサギが戯れる長閑な村を、誰ともなしにラービット村と呼ぶようになり今に至る。


 そういう理由から、当然城には誰も住んでいない。

 不沈城塞としての設備維持の人員、清掃要員、不審者対策の見張り等を交代制で置いている。

 後は月に一度、城塞に家を残してきた部下や村民、その家族を率いて城へ戻り、各々の元住まいの手入れや、城内の清掃をしている。


 ネルザールの先代。彼の父が領主の頃は、ネルザールも、その妹も、家族全員が城に住んでいたのは言うまでもない。


 子供の頃、城塞で兄弟姉妹と遊び回った記憶を思い出す。

 その懐かしい光景の中ではしゃぐ子供たちに、今現在自分の腕のなかにいるノアや、乳母車からこちらを見上げているルノを重ねる。


「お前達がもう少し大きくなれば、城へ遊びに行こう」


「お城!?」

「城なんてあるの?」


 似たような反応を示す子供たちに、ネルザールは微笑みながら妹の記憶を反芻する。


 南の森に真っ白で立派な角の生えた鹿がいたんだ!

 父に着いて行った狩りで見つけた、世にも珍しい鹿のことを、興奮気味に妹へ伝えると、妹にもその興奮がうつったようで「白い鹿なんているのですか!?」と目をまん丸にして驚いてくれた。


 そのことが嬉しくて、しょっちゅうあいつを連れ回しては、日没後に帰宅し、大目玉とをくらっていたっけ。


 何度げんこつを落とされたかわからない頭をさすりながら、尻を叩かれた痛みを思い出す。


「あるとも。カーライル領の守護神ともいえる城がな。そこで、私は妹と日がな一日遊んでいたものだ」

「母様と」

「ああ」


 見上げてきたノアールの頭を、空いた方の手で撫でると、彼女は上目遣いで「早く行ってみたいです」と言った。


 当然のように下からも声が上がる。


「私も私も-!」

「流石に二人を抱えての乗馬は厳しいな。チコにも同行してもらおうか」


 ネルザールが背後を振り返ると、チコは笑顔の花を咲かせて「はい」と一言だけ返してきた。



 ⇔



 父さんの方針なのだろうか。教会といっても国教を広める場ではなく、神父や牧師もいなかった。

 教会はその建物だけを孤児院として再利用されていて、老夫婦と、赤ん坊から十歳くらいまでの少年少女八人が、僕らを迎えてくれた。


 正門前の広場には、背の低い草花が一面に広がっている。よく踏まれている箇所だけが、所々剥げて砂地が露出していた。


 人数分以上の切り株の椅子に大きなテーブル。

 近くの木にはブランコや、おそらく剣術の練習用なのだろうロープに括り付けられた木の枝が何本か垂れ下がっている。


 薄茶けた煉瓦造りの建物は、よく手入れをされているのだろう。苔や蔦などといったものは見当たらない。

 建物の脇に、小さく粗末な小屋があり、そこから鶏の声が聞こえていた。


『生活感満載だなぁ。想像とぜんぜん違った』

『ほんとうだよ』


 厳かさなど欠片も無い教会の雰囲気に、僕が念話で呟くと、ルノもくすっと笑って同意する。


「なんとも愛らしいお子様方ですな」


 頑固そうな太い眉毛をしたお爺さんが、顔に似合わない笑顔で僕らを見ながら父さんへ近づいてくる。


「お待ちしておりました。この度はお悔やみ申し上げます」


 お爺さんが一礼すると、それにならってお婆さんも頭を下げた。


「心中お察しいたします」

「ああ。院長、ご夫人、世話になる」

 父が二人の手を順に取る。


「ネルザール様! お花たーくさん取ってきたんだ!」

「ねうざーう様、赤ちゃん見ていいー?」

「こら、ネルザール様だってば。領主様なのよ。発音はきちんとなさい」

「おいお前ら! ネルザール様困ってんだろ! あ、そうだ、俺も花集めてたんだった。俺のも俺のも!」


『わわわ、なになにっ』


 ルノが驚きの声を上げる間もなく、僕らは子供たちに囲まれてしまった。

 と言ってもこの中で僕らが一番年下なのだろうけど。


「はい、お花どうぞっ。これをね、お別れする人にあげるといいんだって!」

 四歳くらいだろうか。茶色い髪に三つ編みの女の子が、僕らの乳母車に、バケツ一杯の花をどばどば入れてきた。


「赤ちゃんかわーいー、かわーいー」

 二、三歳くらいの子は、背伸びしながら僕らを覗き込んでは、にこにこと微笑んでいる。


「こらっ! あんたたち不敬罪で牢屋行きよ!」

 赤茶のショートヘアの子は十歳前くらいだろうか。元気いっぱいの子供たちに注意するも手が回らない様子だ。それも当然だろう、彼女は僕らと同じくらいの月齢の赤ん坊を抱えているのだ。

「ちょっとお兄ちゃんも注意してよー」

 と、一番の年長ぽい赤髪の少年へ助けを請う。


「ネルザール様、今度剣術訓練に参加していいっすか!?」

 こちらは父さんに御執心のようで、助けを求める声は届いていないようだった。


 賑やかさに圧倒されているうちに、葬儀の準備が終り、参列者も集まりきったようで、気が付いたら父さんが皆の真正面に立っていた。


 参列者の多さから、聖堂内ではなく、このまま外での告別式になるようだった。


 聖堂の玄関は、地面から四段の浅い階段があり高くなっている。

 父さんはそこから皆を見渡すと、一礼し、挨拶の言葉を口にした。



 ※



 父さんの挨拶が終ると、正面扉が左右に開いた。


 さきほどはしゃいでいた子供たちが二列になって出てくる。

 その手には色とりどりの花の束。

 黒のローブに花が良く映えた。

 先程の格好の上からローブを羽織っているのだろうか。


 子供たちがゆっくりとした足取りで階段を降りると、二人ずつ左右に分かれた。


 その間を、院長夫婦を先頭に、村の男性達が抱えた棺桶が大小二つ、担ぎ出されてくる。


 僕は、チコに抱かれながら、その様子を眺めていた。

 隣で抱かれているルノも、一心にこの流れを見つめていた。


 棺桶が、テーブルの上に置かれると、院長が何か言った。

 僕は、ふわふわとする頭で棺桶を見つめた。


 男性陣が、黒い蓋を持ち上げた。


 音が消えた。


 僕は――




 チコにしがみついて、

 彼女の胸に顔を埋めるようにして、


 母さんから目を逸らした。





 その時、

 小鳥の泣き声が聞こえた。


 あの時の雛鳥は、一歩間違えれば自分が死んでしまっていたかもしれないのに、懸命に飛んだ。

 それに比べて僕はどうだ。

 ただただ震えて、怯えているだけじゃないか。

 母さんを見ることすらできない。


 小鳥は飛んだ。

 いつか、餌のとり方を学び、

 番いを作り、

 子を産む。

 子に飛び方を教え、

 そして、死ぬ。


 死ねばどうなる?



 ああ、未だに燻っていたわだかまりの正体がだんだん分ってきた。



 そう。

 母さんが亡くなってから、何日が過ぎた?


 いくらまだ春とはいえ、母さんの遺体の状態は刻々と変化しているはずなのだ。


 ……僕は、変化を恐れていたのか。


 生物は死ねば腐る。

 または水気が抜ければ干涸らびる。

 この場所、この気候なら、きっと前者だろう。


 あの美しかった母の腐っていく変化なんて、絶対に見たくない。


 母さんの死は受け入れた。

 けれど、これだけは受け入れられない。


 世界の全ては変わる。

 不変などありえない。

 速度の差はあれど、何一つとして、ずっと全く同じということはありえないのだ。


 変わるということこそが、不変なんだ。


 その理を覆すことができるものがあるとすれば、それを神とでも呼ぶのだろうか。


 覆す……?


「あ」


 脳裏に、何かが奔る。

 それは、ほんのわずかな刺激だった。

 僕がそれに気付くことができたのは運が良かっただけだ。

 刺された蚊の針に気がつけたくらいの偶然だった。


 僕はその幸運で得られた感覚を必死にたぐり寄せた。

 脳裏に浮かんだ何かについて、深く深く探った。


 ああ、と僕は知った。

 もとより自分の中にあったソレを知った。

 そして、ソレに気が付けたのは、幸運でも偶然でもなく、必然だったのだと知った。

 でも――、


「……今更だろ」


 覆っていたといえば、僕の性別だけじゃないか。

 こんな性別の〝反転〟なんて、僕は望んでなんか――


 え……?


 自嘲し半ば自棄で母さんを見た僕は息を吞んだ。

 生きていたときと何ら変わらない美しい母さんが目の前にいたのだ。

 もしかしたら、これで、死を覆すことが、できる……?

 いや、違う、そうじゃない。

 そういった魔法ではないのだ、これは。

 それでも、今ここで使うべきなのだと僕は確信する。

 だから、




イン……ヴァート




 ただその名を呟く。

 心の奥底で見つけたその名を。

 同時。

 体内の魔力の大部分を、一気に持って行かれる感覚に目眩がした。

 

 それでも鐘の音だけが鮮明に聞こえた。


 僕は誓う。

 鐘の音に送られる母に、誓う。


 ――強く生きます、と。






 ~to be continued~


********************


るの「ちょっと待って!

   本当ならこの回だけで終ったはずなのになんで次回へ続くなの!?」


のあ「作者の無計画っぷり発揮」


るの「先が思い遣られます」


のあ「ルノにだけは言われたくないだろうね」


るの「心外です」

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