第6話 おかあさん
黯然とした空気が部屋に降りていた。
未だ宙に浮かべたままの数冊の本を、僕は地べたへ積み上げながら、ルノの母親について考える。
この家に来てから、一度も彼女の母親を見たことがなかった。
疑問に思うことはあったけれど、自分が母を失った悲しみもあって、そのことをルノに訊ねることをしなかった。
「私が故郷を離れ、遠いイルディアの地……ここカーライル領へ来たのは、ネルザール様の帰還とあわせて、ティアルーシュ様がカーライル家へお輿入れになられる際のお世話係としてでした」
輿入れ。
ルノのお母さんがカーライル家へ嫁入りする際の、専属メイドとしてチコは来たのだろう。
ゆっくりと、思い出を噛みしめるみたいにして、チコが語る。
僕とルノはそれを表向きは黙って聞く。
「パーティーリーダーであるネルザール様が前衛の盾役件攻め手を。
ティアルーシュ様が後衛で癒やし手として。
私のお師匠様が後衛の攻め手を中心に搦め手やティア様の護衛も請け負い、ネルザール様の盟友である剣士様が前衛の攻め手。
そして私が斥候と遊撃を担当し、フォーサイスからカーライル領までの道程を、多少の回り道をしながら旅して参りました」
『理想的なパーティー構成だね』
念話で話しかけてきたルノに、僕は『そうなの?』と訊く。
『うん。RPGとかの定石』
RPGってなんだっけ……、ああ、少し思い出した。
『ゲームだったっけ?』
『そそ。ノアはゲームのこととか覚えてるの?』
『ううん、まったく。存在は思い出している……ってだけかな』
『そっか』とルノは答えつつ、チコの話から意識はそらしていないようで、僕もチコを見つめたままだ。
「今思えば剣士様にも、私の能力を伝えておいても良かったと思いますが……、当時の私は人間不信でして……」
言いにくそうに口ごもるチコに、ルノが「無理しなくてもいいよ」と言う。
ありがとうございますとチコがルノを抱きしめる。
表情は少しリラックスしたような感じがしたけど、でも、その瞳にはまだ憂いの色が残っていた。
「カーライル領へ着いたときには、私は十一歳になっておりました。様々な問題を解決しながら、回り道の末、おおよそ一年の旅を終えたのです」
「えっ、そんなちっちゃな子供の時から冒険に出たの? ってゆーかチコ今何歳なの?」
僕はチコの年齢よりも、道中の〝様々な問題〟とやらのほうが気になったのだけど、口は挟まないでおく。きっと色々な冒険がそこには詰まっているのだろうと想像する。
「十四です」
「ええ!?」
「うそだ!」
「どういった意味でしょうか」
と無表情のまま小首を傾げるチコ。
「色気ありすぎない!?」
「威圧感ありすぎだよ!」
僕の威圧感発言に、チコの目が一瞬険しさが帯びる。
だからそれが怖いんだってば。
「じゅ、じゅじゅじゅ、十四でそのおっぱい!?」
そこかよ、と内心でつっこみを入れつつも、チコの注意が逸れたことにほっとする。
「冒険している頃から胸は膨らんできましたね。邪魔でしようが無かったです」
「邪魔とかなんて罰当たり発言というかむかつくというか妬ましい羨ましいお裾分けしてください」
チコの膝上にいるルノが、身体を上下させる。
大きなチコの胸が、ルノの頭で下から突き上げられるたびに、エプロンドレスの上からでも分るくらいたわむ姿は凶器以外の何ものでもない。
「ルノ様も年齢を重ねれば、きっとティアルーシュ様のような女性らしい体つきになられますよ」
「!! お母様ってぼいんでないすばでーだったの!?」
「それはもう」
はにかんだチコに、気をよくしたルノは、ぐへへと不気味な笑いを洩らしていた。
そんなルノを見ていると、とある単語が脳裏を過ぎる。
「フラグになりそうな気がしてならない」
くわっ! と見開いた目で僕を睨み付けたルノの尻尾が立ち、尾先が喉元に触れているチコはすごく鬱陶しそうだった。
「ちっぱいフラグとか不吉なこと言うなし!」
そこまで具体的には言っていないんだけど。
被害妄想って凄いなとか考えていると、悲痛な叫びをあげていたルノの顔が、次第に寂しげなものに変化する。
「私、お母様の声とか覚えてるんだけどさ。でもね、どんなお顔だったとか知らないんだ」
「うん? なんで?」
えっと……、とルノは俯いたまま口をつぐんでしまう。
そんなルノをチコが抱きしめながら、
「ルノ様がお生まれになられてから
「あ……、そうか。一ヶ月だとまだ目があまり見えてないか……、ごめん」
ううん、と力無げに首を振るルノは、僕を見るとすぐに、にこっと笑った。
「でもね、短い間だったけどね、たーくさん念話でお話しもしたし、いっぱいっぱい愛情を貰ったから。だからね、平気なんだ」
「愛情、たくさん……」
「うんっ」
心からの言葉と、言葉に矛盾する心を奮い立たせる笑顔と。
そのどちらもがルノという女の子の強さと意思の象徴であるかのようで。
そういった彼女の一面に触れる度、ぼろぼろと崩れそうだった僕の心が持ち直し、より強くなってゆく実感があった。
そして、そうだ。
ルノの言う通りだ。
僕も母から沢山の愛情をもらった。
過ごした時間はルノより多いとはいえ、それでも少ないし、物足りない。
今でも母恋しさに胸が締め付けられることは、正直に言うと、ある。
それに、愛情だけではない。
多くの知識ももらった。
今思えば、与えて貰うばかりで、僕は母に何か返せていたのだろうか。
母との思い出を振り返ると、母は僕に一つだけ希望を伝えていたことを思い出した。その希望を、約束を、果たすことがもうできない。
母について想い耽っていると、またしても書庫の扉が開く。
父、ネルザールだ。
チコがすぐさま立ち上がろうとするのを手で制した父さんに、ルノがチコの膝から魔力の糸を駆使して飛び移る。
「調べ物は順調かい?」
「ぜんぜんダメだったー」
「うん。でもチコがフォーサイスへ行けば分るかもって」
僕らに訊ねた父さんは、ふむと頷き、顎に手をあてた。
「やはりフォーサイスへ行くのが手っ取り早いだろうな」
父さんも同意見のようで、無精髭を擦りながら言う。
「じゃあさ、じゃあさ。近いうちにフォーサイスへ家族旅行とかどう? どう?」
ははは、と顔を綻ばせて笑いながら、父に撫でられるルノは本当に嬉しそうだ。
「私は領主だ。長期間この家を空けられんなぁ」
「ざんねん」
ルノの頭を撫でながら、父さんはチコを見る。
「チコ。ロンサール魔導学院への入学年齢条件の下限はいくつだったか」
「十歳でございます。一般的な入学年齢は、十五歳ですが」
いかにもな学院名に、ルノの耳が比喩ではなくぴこんと立つ。
もちろん僕も興味津々だ。
「となると入学試験の為には、十の誕生日前に現地入りか」
「さようでございますね。ですが、おそれながら……」
言い淀むチコに、父さんは静かに「言ってみなさい」と促す。
父さんに見つめられて、いつも平坦なチコの瞳が微かに揺らいだ。
少し恥ずかしそうに目をそらせたチコだけど、すぐに視線を父さんへ戻す。
「お二人の出自と、我が師の推薦状を得れば、入学試験を受けずとも特待生枠での入学も可能かと」
僕とルノは、二人のやり取りに首を巡らせながら、耳をそばだてている。
「可能な限り二人の情報に関しては伏せておきたい。特に生まれの日は。それに」
言いながら、ルノを抱いたまま父さんは僕の方へ歩み寄る。
「親の欲目抜きに、この子らならば、十歳までに入試を通る知識も技術も習得できるだろう」
片手で僕を抱きかかえると、目線の高さを合わせてくれる。
まっすぐに、目を見据えられる。
澄んだ瞳で心の内側まで見透かされるようなこの感じが、すごくルノに似ているなという感想を抱いていると、事実どうして、父さんの眼差しにルノがよくする挑発的な光が宿った。
言外に「どうだ、できるか?」と問われている気がした。
命令とあらば完遂します。
そんな台詞が口を突いて出かけたのだ。
僕の意思に反して、脊髄反射のごとく。消そうと思っても消すことのできない、身に染みついてしまった癖のように。
けれど、そんなある種兵士のような台詞を吐かずに、何とか飲み込めたことは僥倖だった。
「やってみなければ分りません」
何とか取り繕った澄ました顔で僕は答えると、ルノは元気よく手を振り上げて、
「余裕だよ、よ・ゆ・う! 主席合格しちゃる! 私とノアでわんつーふぃにっしゅ」
と試験内容も碌に聞かずこの自信っぷりである。
単純に凄いなという感想しか出てこない。
「お前達にその気があれば、魔導学院への進学も選択肢としてはあるが……、とはいえ、既に行く気満々だな。特にルノは」
苦笑する父さんに、ルノは「うん!」と胸を張る。
「だってだって、フォーサイスってお母様の生まれた国なんでしょ? 見てみたいもん」
「僕も母が、ロンサール魔導学院の出身だと聞いていたので、興味はあります」
僕ら二人の母親と縁の深い国。
母のことを整理するためにも、フォーサイスへ赴くことは自分にとって必要なことと思えてならない。
それは早くに母を亡くしたルノも同じなのかもしれない。
そんなことを考えながらルノを見ると、彼女の顔がさっきまでと異なり、少し陰りを帯びていた。
「でも……。フォーサイスへ行ったらお父様とは何年も会えなくなる……?」
腕の中から見上げてくるルノを見つめる父さんが、ゆっくりと頷く。
「そうなるな。進学を望むならば、王都の王立学院かフォーサイスの魔導学院のどちらかになる。生憎とこの領地に学舎は無いのだ」
「王都は、嫌です」
僕は即答する。
母を殺したかもしれない奴のいる王都なんてありえない。
僕の答えを分っていたかのように父さんも頷く。
「我がカーライル家は、ロールス・ロードナイト王に忠誠を誓う立場だ。あまり大っぴらには言えんが、そこはお前達の意思を汲む。安心するといい」
とりあえず一安心だ。
とはいえ僕の気持ちはもうフォーサイスへ飛んでいた。
ロンサール魔導学院へ行き、母が学んだ同じ場所で自分を高めたいと強く思った。
けれど、ルノはうかない顔のまま、僕と父さんとを交互に、ちらちらと横目で見ていた。
「結論を急ぐことはない。あと九年はここにいるのだ」
「う、うん」
「悩んでいる間もないほど、明後日からは遊びに魔法、魔術の勉強でも、何でも好きなことをするといいさ。身体が動かせるようになれば、私が剣術の修行もつけよう」
「剣術の修行!?」
「お父様が!?」
驚いた僕らが顔を見合わせた後、父さんを同時に見上げる。
父さんは微笑んだ。
領主としての激務の中、僕らのために時間を割いてくれることが純粋に嬉しい。
でもなぜ――、
「でもなんで明後日からなの?」
同じ疑問をルノが先に口にする。
すると父さんは身をかがめ、僕ら二人を床へ降ろす。
「明日、葬儀を執り行う。そのことで、チコ。二人の衣装の着付けを頼む」
僕は、誰のと言いかけて思いとどまる。
「母さん、の……?」
「そうだ。ノアの実父や使用人などの葬儀は、現地にて既に終えている。もちろん母親もそうなのだが、彼女は私の妹でもあるからな。カーライル家にて最後の弔いをと考えている」
「最後の……。まさか、母さまの遺体が」
僕を見つめたまま、父さんは目を閉じて頷く。
「最後の別れだ。母に伝えたいことをまとめておくといい」
伝えたいこと。
そんなのありすぎる。
もっと早くに葬儀のことを教えてくれていれば……、いや、違う。僕が落ち着くのを待っていてくれたのだろう。それと言い出すタイミングも無かったのかもしれない。事実、僕やルノがチコに父さんのことをいつ訊ねても「お仕事です」という返事ばかりだった。
切り替えよう。
せめて明日のお別れの時まで、母さんへ話しておきたいことをまとめよう。
今この時点で母さんの遺体が嫁ぎ先ではなく、実家であるここにあるということは、おそらく父さんが手を尽してくれたのだろう。
その時の苦労は僕の想像も及ばないかもしれない。
だから、その機会を無駄にしたくない。
「ああ、それと。言い忘れていた」
扉を開いたところでこちらを振り返った父さんの顔が、いつになく神妙で、少し言いにくいことがある時のルノの顔とだぶって見えた。
「ノア。お前の葬儀も合同で執り行う」
「合同ですか。わかりま……って、はい?」
言葉の意味を理解できず、たぶん間抜けな顔で父さんを見ていたことだろう。
そう、ちょうど今のルノと同じような、間抜けな顔で。
~to be continued~
********************
るの「驚きの主人公葬儀告知」
のあ「短い命だった」
るの「あきらめないで!
のあ「まぁ考えてもしょうがないよね。と、いうことで。
僕ら二人とも、お母さんがいないんだね」
るの「切り替え早い……って、うん。
でもさ、でもさ、お母さんいなくってもさ」
のあ「ん?」
るの「お互いのお母さんの、私たちへの〝想いの深さ〟は、短い期間だったけど伝えてもらえてたんだ……」
のあ「うん。そうだね。
でもさ、ルノが貰った愛情の話は出てこなかった」
るの「お、おう。まあそのうち気が向けばってことでここはひとつ」
のあ「逃げた」
るの「ネタの小出しと言いたまえ」
のあ「もっと酷くない……?」
るの「気にしたら負けです。あ、良いこと考えた。
二人で〝お母さん〟になろうよ」
のあ「また唐突な……気になるけどまぁいいか。
で、お母さんになるってどういうこと?」
るの「私がノアのお母さんで、
ノアが私のお母さんなの。
お母さんごっこだね」
のあ「おー、楽しそう、お母さんごっこ」
るの「でしょでしょ。
さて、どゆ風にお母さんごっこす――」
のあ「鼻をかんだ紙はちゃんとゴミ箱へ!
開けた扉はきちんと閉める!
蝋燭灯しっぱなしで寝ない!
脱いだ服をちらかさない!」
るの「お説教オンリーはやめて許して!?」
のあ「芝居がかった寝言はまじやめて!
寝相で攻撃するのまじやめて!
寝ながらお腹ぽりぽり掻くのまじはしたない!
そもそも
るの「わーわーわー!
ほんとゆるしてくださいいいい!
っていうか、それお説教じゃなく愚痴!?
それに寝てるときのは治しようないから!」
のあ「ふう。ちょっとだけ気が晴れた」
るの「ノアの想いの深さが痛い」
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