第3話 おむつから始まる異世界バトル



『いいいやあああめえええてえええ! ノアっ! 見るなあ! みるなしっ!』


 顔を真っ赤にしてルノが叫ぶ。




 子供部屋というにはあまりに広い。

 ベッドも大人六人は優に雑魚寝できる広さだ。

 品のある調度品の数々に、エメラルドグリーンを基調とした、天井の高い立派な部屋は、ルノと僕、二人のものである。


 僕が目覚めたあの夜。

 ルノとやりあったあの夜。

 ルノの想いを聞いた、あの夜。


 初対面の僕になんでそこまで、と、思うことはあったけれど、それでも嬉しかった。

 母を、家族を失った僕は、独りぼっちになるところだったのだろう。

 けれど、ルノが、伯父が、居場所を与えてくれた。


 不安から一転して安心感を貰えたから……なのかは、僕にはわからないけど、ルノの告白はなぜか、心の底に、元からそこにあるべきもののように、すとんと落ち着いたのだ。


 こうして、ひとしきり泣いた僕らはそのまま身体を寄せ合って眠ってしまっていた。




 翌朝。というか、つい数時間前。

 やってきた伯父に、ルノが僕と部屋を分けず、自分のこの部屋で一緒に居たいと進言した。

 そのついでに、いろいろと取り決めを交わした。


 どうせなら一人部屋が欲しかったことは言うまい。


 そう。

 結局あの大泣きの一件で、僕はこの家のお世話になることに決めた。


 伯父、いや、今ではもう父であるネルザールも、僕の意思を尊重してくれるようだし、甘えることにした。




 春の柔らかな陽射しが、大きな窓から入ってくる。


 僕らの部屋の窓は全て開け放たれており、爽やかな風が小鳥たちの囀りを届け、ひとしきりカーテンと戯れたあと、室内の空気を洗ってゆく。


 心地良い空間だ。


 なのに、目の前にはおむつ(パンツ式ではなくただの布)を変えられているルノことルノルーシュ・カーライルちゃん(五ヶ月)のあられもない姿が。


 先の叫びと相まって、爽やかな朝が台無しである。


 メイドのチェコート (皆はチコと呼んでいる) がルノの両足を片手で持ち上げ、てきぱきと、実にイキイキと作業を進めていた。


 チコは犬の獣人である獣犬族ウォルフの血が入った人間族ヒューマとのクォーターだと聞いた。

 ちなみにイヌや狼、コヨーテなど、同じ科の獣人は皆獣犬族ウォルフである。


 ルノもそうだが、混血種族には別の種族名があり、ルノを人猫族ネミーユと言うのと同様に、チコの場合は獣犬族ウォルフではなく人狼族ウォルアと呼ぶ。


 ややこしいな……、簡単にまとめると……、

 イヌネコの純血種、《獣人種》は獣犬族ウォルフ獣猫族ネミー

 イヌネコの混血種、《亜人種》を人狼族ウォルア人猫族ネミーユと使い分けているらしい。


 チコの容姿はというと。

 ぱっと見はルノ同様人間族ヒューマで、そこに耳や尾が生えている。

 毛色はダークブラウンと白のセーブルで、耳や尾の形に、オッドアイであることからして、ハスキー犬を彷彿とさせる見た目である。


 無表情でおむつ替えを進めている彼女の、先端が白いふさふさとした尻尾が、微かに左右に揺れている。

 楽しんでいるのだろうか。


 うん、楽しんでいる。


『だから見るなあ!』

『僕はチコを見てたんだよ。お、窓の外に初めて観る小鳥のつがいが……、あ、飛んでった』


 僕は溜め息まじりに伝える。


『ルノ邪魔』

『邪魔とか!? っていうかへこむぞ? 泣くぞ? 私、鳥に負けたん……』

『なに、見られたいならそう言えばいいじゃん』

『違うし! ノア馬鹿アホばかノア!』


 アホなやりとりをしている内に、ルノのおむつ替えは終ったようだ。


 ベッドの脇に立ち、窓の外を見ながら、額をメイド服の袖で拭うチコの表情は平坦なままだけど、その目はキラキラと輝いていた。

 へんたいか。


 反面、お隣さんの空気はどんよりとしていた。

 目の光を失ったルノが大きな枕に頭をうずめている。

 その様はまるで主人に忘れられた西洋人形みたいで笑えた。

 埃かぶってそう。


『あ、そうだ。ルノに聞きたかったんだけどさ』

『知らん。私はふて寝る』

『そっか。おやすみ。おむつすっきりしたしね』


 大きな目をぱちくりとさせたルノが、しばらくして顔を真っ赤にさせる。


『漏らしてないし!』

『ルノってさ、面倒臭い奴だって前世で言われてたよね』

『聞きたいことってそれ!? っていうか断定するな! それにそんな細かいことおぼえてないし!』


 あの晩の壮絶なやりとりから、ルノも僕と同じ前世の記憶があるのだろうと確信していた。

 そういった話をもっとしたい僕は、話のタネとしてかまをかけてみたのだ。

 細かいこと覚えてない・・・・・・・・・・ という言葉からしておそらく予想通りだろう。

 それに《念話》でお互いに使っている言語である母国語のこともある。


 それはさて置き、阿呆な質問にも律儀に答えてくれるあたり、良い性格だなとは思う。

 ちょっと頭が残念なだけで。


『いや、この《念話》っていうやつさ。何となく無意識でルノとやってるけど、例えばチコや父さんに試そうと思っても無理っぽいんだよ。どういう仕組みなの?』

『愛が足りない』

『ありがとうございましたおやすみなさい』

『寝ないしっていうか、もっと突っ込んで来い?』


「何やら楽しげなやり取りをされているようですが」


 チコが僕らを交互に見ながら無表情のまま言った。


 彼女に念話の内容は聞こえていないが、ルノが手足をばたつかせたり、ころころと表情を変えることから察したのだろう。


 チコは、僕の父となったネルザール以外では、僕とルノの生年月日の秘密や、僕がこの家の世話になる本当の・・・ 経緯を知る二人の人物の内の一人であるらしい。


 父とチコを観察した時間は短いけれど、その僅かな父の対応から彼女に対する信頼が覗われた。


 そんなチコの目に不敵な光が差した気がする。


「ノア様の番です」


「はい?」


 僕は、先日のやり取り以降、急速に舌が発達したのかコツを掴んだのかはわからないけど、はっきりとした発音ができるようになっていた。


 嫌な予感がしつつもとぼけた口調で疑問調に返してみた。


「おむつを変えましょう」


 凜々しく涼やかなチコの釣り目が怪しく光った。

 今度は気のせいではない。


 残念ネコ耳美乳児ルノの目は、ざまあみろと言っていた。


 チコは両手の親指と人差し指で布おむつを下げ、残りの指をワキワキさせながら僕に迫る。

 彼女のブルーとグリーンのオッドアイが、獲物を狙う猛獣のごとく僕を射竦める。


 しかも彼女は真顔である。

 ルノのおむつ替えのときも終始真顔だった。

 真顔なのに、目だけは爛々と輝いているのだ。

 正直怖すぎるっての!


「いやだあああああ」


 口は動くが、身体は自由に動かせない。

 前世の理からすれば、僕はまな板の上の鯉。


 でも、今生の僕には魔法がある。


 ルノのように魔法で身体を操ることができれば。

 いや、できればじゃない。

 しなければならない。出来なければならないのだ。


 さもなくば。

 僕もルノのようにおむつ られる。


 生気を無くした事後のルノみたいな目に、僕は絶対なりたくない!


 唐突に。

 チコが消えた。


 違う。

 彼女は空中を舞っていた。

 音を一切立てない跳躍から、チコの身体能力の高さが窺い知れる。

 無駄な身体能力を発揮しないでくれと言いたい。


 チコが迫る。

 仰向けの僕の真上に。

 チコは空中でおむつを突き出していた。

 おむつの奥には、怪しい眼光が。


「うおおおお」


 僕は魔法を、魔法の源である《魔力》を意識する。

 丁度胸の辺りに感じることの出来るエネルギーを、身体の意図したところから放出するのだ。


 僕はイメージする。


 落下してくるチコが天井に拘束される光景を。


 伸ばした魔力の糸で、彼女の両手首及び両足首を絡め取り、そのまま天井へ張り付ける。

 咄嗟の判断で、僕は避けることよりも、チコの拘束を選んだのだ。


 落ちていくはずの自分の身体がいきなり真上へ引っ張られたことに、流石のチコも無表情ではいられなかったらしい。


 見開いた目と、半開きの口。


 そして、驚いた顔を僕に見られたのを悔やむように、天井に固定されたチコは渋面で言う。


「まさかこれ程とは。判断、行動の速さもさることながら、繊細で的確な魔力操作。お見事です」


 助かった。

 いや、勝ったのだ。

 

 勝者への戦利品が、枕元へぱさりと落ちてくる。

 おむつだね。いらね。


『ちょっとノアさん? その力でワテクシのこと助けてくれてもよかったのではなくって? どうしてですの……。信じておりましたのに……くすん』


 わざとらしい泣き真似で恨み言を吐くルノ。

 わざわざ念話で。

 僕はルノに本心を告げることにする。


『結果として放置は正解だったと思ってるよ。知らないルノの一面が見られたから』


 にこりと微笑みを浮かべて僕は言う。


『えっ、そんなふうに思ってくれてたんだ……。や、ちょっと、恥ずかしいけど、嬉しい……かな……』

『うん、ぐったりしたルノが笑えただけ』


 僕はつい思い出し笑いをしてしまう。


『むっかー! 念話切るから!』


 プー、プーという擬音が脳内再生されたのは前世の影響かしらと考えていると、なにやら天井のメイドのチコがぶつぶつと喋っていた。


「それにしてもこれは、私でも知らない系統の術式です。拘束系の魔法や魔術では最も種類が豊富な土属性……になるのでしょうか。でもそれですと拘束が可視化されていても良いものでしょうに。この不可解さ、やはりルノ様と同じ……」


 見ることのできる拘束魔法? 魔術? の方がメジャーだということだろうか。

 僕はまだ魔法について詳しくない。

 今度本でも借りられるか聞いてみよう。


 チコは見えない僕の拘束魔法に首を傾けると、何か閃いたのか得心のいったように頷いた。


「なるほど。ルノ様ありがとうございます」


 どうやらルノはチコと念話をし、僕の魔法への思うところを伝えているのだろうか。

 嫌な予感しかしない。

 と言っても、魔法のことではい。


 単純に二人が《念話》を使って共謀しそうなことに対してである。


 チコは拘束中だ。

 彼女の抵抗する力は、魔力の糸を通して僕に伝わっている。

 このくらいなら、まだまだ拘束は維持できるだろう。

 それにしても〝天井のメイドのチコ〟ってなんかアニメ作品名みたいだ。


 さて、注意すべきは、ルノだ。


 ルノならば、僕の魔法を無力化する術を持っていてもおかしくはないと考えるべきだろう。

 何せ、今朝方彼女と少し話したところによると、やはりルノにも胎児の頃から自我があったという。

 それに、魔法についても僕よりいろいろと知ってそうな口ぶりだった。

 というかどうでもいい内容にばかり脱線するから、なかなか魔法の核心について聞くことができなかった。

 もっと突っ込んで話を聞けばよかったと、今さらながら悔やまれる。


 案の定と言うべきか、ルノはまたしても魔力を使い、二本脚で立ち上がった。


 唇の端を上げ、僕に念話を飛ばしてくる。


『今から楽しみで仕方ないよ』


 僕は無視する。

 無視がちゃんとできるように、思考を念話に入れないよう注意しなければ。


『……。ねえちょっとノアさん? 「何が楽しみなんだ?」とかクールなライバルキャラが少し焦ったっぽい返しをしよう?』


 僕とルノの戦力を比較、整理しよう。

 まず魔法の出力は、あの夜の剣の押し引きからしてわずかだけど僕が勝る。

 次ぎに身体操作に関してだけど、魔力運用で身体を動かすことに慣れているルノに分があるだろう。

 下手な攻撃は避けられることを念頭に置く。

 素の身体能力は、同程度だと思う。


『ねえ、ねえってば! おーい!』


 警戒すべきはやはりあの剣だ。

 ただ禍々しいだけの剣ならばいいのだけど、変にファンタジーな特殊効果があったりすればたちが悪い。

 ならば警戒しておくしかない。


 未知数な剣には、こちらもぶっつけ本番で使うしかないが、いくつか温めている魔法ネタがあるのでそれで対応しよう。


 後は互いにどれくらいの隠し戦力を有しているかが勝敗の分け目となるだろう。


『くすん……、もういい。拗ねるもん』


 拗ねるって自分でいうのか、と思わず突っ込みそうになったけど、耐えた。

 さもなくば、ネコなのにイヌみたいに尻尾ふりだしそうだし。


 対話を諦めたかと思うと、ルノは布団カバーやシーツ、カーテンなどを何かの魔法で次から次へと切り刻み始めた。


 目をこらしてやっと見えるレベルの、三日月状にぼやけた半透明の空気が、刃のように触れる物を切って回る。


 ちょっと、やだ何その奇行……、まじ怖いんですけど。


「ルノ様、そのような高度な操作で複数の風魔法を駆使され、いったい何を……」


 天井のメイドのチコがまたもや驚愕の表情を浮かべたのも頷ける。

 僕もチコと同じように、心底驚いている。

 これだけ大量の刃を一斉に見舞われては防戦一方になり、攻め手に欠けること必至だ。


 というか、この刃を防ぐ手立てをすぐにでも練らなければ。


 チコを張り付けているような魔力の糸を編み込んだ盾とか。

 いや、魔力効率が悪そうだ。

 となるとまた別のイメージをしてみるか。

 でもぶっつけ本番は怖い。

 やはり、効率が悪くとも、慣れた魔力糸を編んだ盾でまずは防ぎ、防ぎながら別の方法を試そう。


 僕の思考や天井の動揺をよそに、ルノは取りつかれたマッドサイエンティストが如く、何やら作業を進めまくっていた。


 切られた布たちは型紙をあてたみたいに綺麗に揃えられる。

 見るからに高級なレースのカーテンは解かれ、布を縫うための糸に成り下がっていた。

 それら複数の素材が全て空中に浮かび、折られて縫われ、形を成してゆく。

 

 出来上がったのは、衣服だった。


 ルノがうっすらと笑顔を浮かべた。


「ふぇーっと、あーっぷ」

「え、なに?」


 僕が言うと、ルノは横目で僕を見て、ふんっとそっぽを向く。

 何なんだよいったい、って、そうだった、拗ねてるんだった。


「セットアップとルノ様はおっしゃいました」


 天井のメイドに念話で通訳させるなっての。

 っていうか、何が始まるんだ。


 改めて微笑を湛えたルノの全身が金銀に輝き、着ていた寝間着が脱げ落ちる。

 にゅるりんぽんっとではなく、するりと、艶やかに。

 なるほど、この脱衣も魔法補助によるものだったか。

 っていうか僕が着せた寝間着、寝ぼけながら魔法で脱いだのか……器用だな。


 光る裸体となったルノに、完成したばかりの衣服が、様々な色にキラキラと輝くエフェクト付きで装着されていく様に既視感があった。

 脳裏に過ぎった映像は、極々普通の少女が魔法を使うための少女へと変身するシーンである。

 足元にはピンク色の魔方陣完備。


 このようにして仕上がったルノは、


『武士だった』


『はい。髪がもっと伸びたらちょんまげにするんだ。月代じゃないよ、美少年剣士風のポニテだよ』

『そうですか』

『はい。月代もいんだけどね。あれは人のを愛でたい。あわよくばしょりしょり触りたいっていうか舐めたいまである』


 僕の従姉妹はまごうことなき変態でした。


 真上ににょいんと生えたちょんまげが、着替え魔法の余波でかしらないけど、ゆらゆらと揺れている。

 まだ髪が短すぎて、アホ毛みたいな短いちょんまげである。


『あ、あと、魔方陣はただの見た目だけ。ハリボテ』

『へえ、かっこいいじゃん』


 適当に流しながら僕は思考を止めない。


 それにしてもこの格好、なんだっけ。

 羽織袴という名前までは出て来た。

 特徴的な羽織は、浅葱色(水色の掛け布団カバー)にだんだら模様だ。

 僕は前世の記憶を掘り起こそうとすが、その羽織がトレードマークの組織名をどうしても思い出せなかった。


 もやもやとしている僕の前まで来たルノが、帯(遮光カーテンの成れの果て)に差してある筒状に丸めた枕カバー刀を抜いた。

 風の刃ではなくて心底ほっとはしたけれど、それでもやはり叩かれたくはない。


『いざ尋常に』

『ちょっと待て! 尋常にって僕は立てないんだけど!?』


 ニィ、といやらしくルノが笑う。


『勝負っ!』


 振り下ろされた刀(枕カバー)を僕は寝返りで躱す。

 というかある程度早い動作は、寝返りくらいしかできない。


 数瞬前まで顔があった所へ、連続して刀が振り下ろされる。

 その度にもふん、もふん、とベッドが鳴く。

 立つ埃がごく僅かなのは、チコの勤勉さの現れだろう。

 魔法で反撃しようにも、こうも転がっていては狙いを定められず無理だ。

 せいぜいがチコを拘束している魔法の維持のみである。


 転がり続けていた僕は、ついにベッドから転げ落ちた。

 背に受けた衝撃に、咳き込む暇さえもルノは与えてくれない。

 

「っ!」


 ルノ共々降ってきた枕カバー刀を僕はまたも寝返りで避ける。


『まだまだあ!』


 そしてとうとう壁際まで追い詰められた。


 僕は腹ばいになり、上体を起こし床に座り込みながらルノを睨む。


『動けない僕にこの仕打ちは何だよ……。武士の情けはないのか!?』


 僕の台詞に、振りかぶったルノの肩がぴくりと動く。


『拙者の奥、天井を見よ。それが、拙者なりの武士の情けよ』


 芝居がかった台詞にイラっとくるけど、僕は素直に上を、正確にはルノの奥を注視した。


 自分の言に従った僕に、ルノは鷹揚に頷く。


『ふ……。正統派メイドさんのスカートの中は神秘に満ちておる。

 お主は神の領域、その深淵へ足をふみいれようとしておるわけじゃ。ふぉっふぉっふぉ』


 キャラがぶれぶれである。が、しかし。

 深淵。

 魅力的な単語だった。

 こう、なんか、少年心をくすぐるような、不思議な魔力を秘めた言葉に、僕は抗う術を持たない。


 チコのスカートの中を目を細めて凝視する。

 決して、パンツが見たいという訳じゃない。

 ただ、きりっとしているようで、残念メイドのチコが、どんなパンツをはいているのかに興味があるだけだ。


『あの、ルノさん。深淵すぎて何もみえません』


 僕の隣に移動していたルノに、暗すぎると苦情を入れる。


「ノア様はどこをご覧になろうとしていたのでしょうか」

「ひっ」


 突然の声に僕は横を見る。

 チコが立っていた。

 横目で天井を見る。

 当然、天井のチコの姿は無かった。

 拘束術を無理矢理解かれた感触はない。

 どうやって抜け出した。


「ど、どういうこと……?」


 狼狽えた振りをしながら、僕はすかさず横へ転がろうとする。

 チコから距離を取らねばならない。


『〝天井のメイドのチコ〟~fin~』

「ぶふうっ」


 ルノの馬鹿発言に吹きだしてしまった僕は移動を失敗する。

 しゃがんだチコの腕に絡み取られ、捕獲されてしまった。


「ノア様の拘束術はなかなかのものでした。私の経験上、これ以上の拘束術を扱える者はそうおりません。ですが」


 淡々と語るチコの腕の中で僕はもがく。

 しかし、チコの匂いがやばい。

 甘くてふわふわしててやばい。

 首筋に当たる吐息もくすぐったいやら心地良いやらでやばい。

 僕の小さな身体を包み込めるほどの大きな双璧すなわちおっぱいもやばい。

 僕は抵抗するよりも、エロいことを考えているのを悟られたくない思いが勝る。

 必至に誤魔化すために口を動かす。


「そもそもどうやって拘束魔法を解いたんだ……。魔力だって維持していたのに」


「簡単な理屈です。魔力の維持ということは、ずっと同じ魔力を流していたということでございましょう」

「うん、そうだけど」


 そこまで言って僕は自分のミスに気が付いた。


「やはり、ノア様は聡明でらっしゃいますね」


 僕の僅かな反応に、チコが察したように頷いた。


「答え合わせ、いいかな」

「もちろんです」

「魔法の出力は同数なのに、距離が離れた。結果、拘束の威力が弱まった。距離が離れても同じレベルの拘束を続けたければ、離れた分放出する魔力を上げなければいけないのか」


 ものすごく、柔らかな笑みを浮かべたチコに、少しドキリとした。


「正解です」


 ルノなら僕の拘束魔法を破る術を持っていると、はじめから予想はしていたけど、まさかこんな単純な方法だったとは。

 特別な方法や魔法を使うわけでもなく、単純に枕で殴って僕を移動させただけなのだから。


 それにしても、深そうな魔法の知識に軽い身のこなし。

 チコはただのメイドではないのだろうか。

 彼女の素性を知りたい好奇心もあるが、もう一つ気になったことを訊ねることにする。


「拘束力が弱くなったのは分ったけど、魔力の糸が破壊された感触はなかったんだ。どうやって抜け出せたの?」


 そう言い、僕は天井を見上げた。

 そこには僕にしか見えない枷が、僕を通じ天井に固定されている。


「拘束力が弱くなるということは、魔力が薄くなったのでしょう。それだけ異常を感知できる可能性が減るということなのだと、ルノ様に教えて頂きました。

 そして先程のノア様への回答ですが、それこそ簡単ですよ。ほら、この通り」


 言うなり、僕の目の前に出された両手首が、ぷらんと頼りなくぶら下がった。

 関節を、外した?

 次ぎに親指の付け根も外れたのか、微かに不気味な音を立てながら、手の全体が細く纏められていく。


「うわっ!」

『ぎえぇ!』


 なにこれ怖すぎる。

 ルノも初めて見たのか、おおよそ女子っぽくない心の悲鳴をあげた。


「……んっ」


 と艶っぽい声が聞こえたかと思うと、関節の外れたチコの手がパキパキと元通りになっていく。


 関節を外すのも入れるのも、一切手を使わずに行われた。

 魔法を、魔力の糸を使えば僕にも同じ事はできるかもしれない。

 けれど、チコに僕らが使う魔力糸のような真似はできないはずだ。


 この世界に生まれてすぐから、原理も分らない魔法を使えるようになった僕にとって、チコの技はある意味、魔法よりも不可解な現象だった。


「ルノ様とノア様は、魔力には特化されているようですが、オーラに関してはまだ目覚めておられませんからね。一般的には十五歳前後、才能のある者ですと十歳頃からオーラに目覚めると聞きます。

 ご主人様からも申し使っておりますので、折を見てお教えさせていただきますね」


『オーラってあれだよね。芸能人とかミュージシャンを見た子たちが「うわ! さすが有名人オーラがちがうわー」とか言うあれだよね』


 この子は、うん。ほっとこう。


 ふむ。この世界には魔法以外にも、また別の不思議パワーがあるのか。

 とりあえずチコは、僕が何も言わないでも疑問を察して答えてくれた。


 なんだろう……。


 僕はこの人に勝てる気がしない。

 乳児にして女性に心理的マウントを取られてしまうとは。


 うん。悪くない。


 って違うだろ。なんだこの思考は。

 前世の影響なのだろうか。

 この家にきてからというもの、僕は自分の思考が前世の頼りない記憶に引きずられている気がしてならない。

 ということは何だ。僕の前世ってけっこうろくでもないスケベ男だったということなのか……。それもドM的な。


 アホか。

 何がドMか。僕は絶対にいやだ。

 そう、二人の女性(一人は乳児だけど)におむつ替えを見られるなんてまっぴらごめんである。


 真のMならばその状況はご褒美だろう。

 けれど僕は違う。

 心底嫌だ。

 故に僕はMではない。


 とりあえず先手だ。

 逃げの一手を打ち、正統な訴えのもと退路の確保だ。


「一つ賢くなったよ、ありがとうチコ。それじゃ、朝食に――」


「おむつ交換が先です」


 おむつを手に迫り来るチコ。

 

『武士道とは――』


 不意にルノの分けわらん発言が念話できた。


『脱がす事と見つけたりぃ!』

「いいっ!?」


 ハイエナが動けなくなった得物に飛びかかるがごとく、ルノが襲ってきた。


『よいではないか! よいではないか! 減るものでもなしぐへへへ』

『お前はせくはらオヤジかよって、それより酷いわあああ!』


 魔法を駆使したルノが素早く僕の寝間着を剥ぎ取る。

 技術の無駄遣いすぎる。

 怪しい輝きを放つルノの目は、ゾーン状態の演出のような残滓を引きながらギョロリと僕の下半身へ。

 僕はすかさず下着を掴む。

 ルノも僕の下着を掴んできた。


「女の子に見られるのは流石に恥ずかしいって!」


『よいではないか、赤子のそれは可愛らしいモノじゃろうてぐへへへ。あ、もしかしてノアたんったら、ミニマムなことを気にしてるんでちゅかー?』


 アホにかまってられるかと、僕は無言で下着を握り締める。

 すると、チコが本当に不思議そうな顔をして、


「なぜです? 同性同士なのです。恥ずかしがらなくともよいではないですか」


 え? 僕が言うのと同時にルノも、


 え? と言っていた。


 え? と、チコが返してきた。


 チコは僕を見ながら。

 ルノはチコと僕を交互に見ながら。


 なんだこの二人の反応の差。


 チコは、僕を女だとでも言いたげな様子。

 反してルノは、僕を男だと思っていたのに、チコの発言で動揺している感じだ。


「え、僕、男だよね」

『え、ノア、男の子だよね?』


 僕とルノの言葉と念話が同時だった。


「いいえ、ネルザール様からは、ノア様は女の子だと伺っておりました」


「えええええええ!?」

「えええええええ!?」


 そういえば産まれてこの方、自分の股間なんぞ気にもしたことがなかった。

 排泄の時にも意識したことはないし、おむつ交換の際に自分のアレを見たこともなかった。


 正直自分の股の間を見るのが怖い。

 けれど、確かめなければならない。


 気が付けば、ルノは、僕の下着にかけていた手を引っ込めていた。

 下着に残ったのは僕の小さな手だけ。


 もう、恥も外聞も関係無い。

 男としての尊厳が問われているのだから。

 物理的な意味で。


 ここはもう覚悟を決めて、男らしく下着をずらそう。


「僕は男だああああ!」


 たぶん、今生で、一番思い切った動作で、腕を降ろしきった。


 ……。


「女だった……?」

『女の子……だね』

「女の子ですね」


 僕、女の子でした。






 ~to be continued~


********************


のあ「僕のあそこ返せ! 生えてきてええええ」


るの「にょき」


のあ「ちょきん」


るの「ひどい」


のあ「っていうかさ、3話目にして最早別作品だよなぁ」


るの「これまでのシリアス展開に疲れたんだよ。人には癒やしが必要なの」


のあ「僕にはち○こが必要です……」


るの「ち○ことチコって似てるよね……」


のあ「確かに」


ちこ「何か? (にっこり) 」


るの と のあ は にげだした

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