第2話 ルノルーシュ・カーライル

第2話 ルノルーシュ・カーライル



「う……」


 母が死ぬなんて、悪夢にも程がある。

 僕は微睡みの中、うっすらと目を開ける。


 月明かりに照らされ、ほんのり明るい室内。

 見慣れぬ場所。

 嗅ぎ慣れない良い匂い。

 寝ているのも、僕の身体の一部のようだったベッドではない。


 なんだ、まだ夢の続きだったのかな。

 っていうかこんなありえない状況、夢に決まっている。


 というのも――


 目を開けると隣は全裸の女 (乳児) であった。


 文豪調にそんなことを脳内で呟いてみた。

 この突拍子も無い現状に、脳が無意識に前世の記憶を引き出したのかしら。


 とりあえず彼女の性別を知れたのは、寝間着がはだけていてすっぽんぽんで丸見えだったからなのは言うまでもない。


 全裸の少女を見ていた僕は、違和感を覚える。


 頭頂部の左右から髪を掻き分けるようにして生えた少し長めのネコっぽい耳に、髪と同じ淡い金色をした尾があったからだ。


 この世界には人間と似た容姿を持つ別種の存在が多くいるらしい。

 この子のように、ネコの容姿が混じった種族を人猫族ネミーユという。

 僕のようなただの人間はこの世界では人間族ヒューマと言われている。


 最近読んだ人種についての本によると、何らかの動物の容姿に限りなく近い二足歩行の知的種の総称を《獣人種》、人間族ヒューマとの混血を《亜人種》と言う


 ネコの獣人を獣猫族ネミーと言い、人猫族ネミーユ獣猫族ネミー人間族ヒューマとの混血を指す。

 ちなみにこの世界にはエルフもいる。当然、ヒューマとのハーフもいる。

 エルフと人間族ヒューマのハーフはハーフエルフなのに、獣人族と人間族ヒューマとのハーフは固有の名前があるようだ。


 この子がハーフなのかクォーターなのか、それ以上に獣猫族ネミーの血が薄れているのかはわからないけど、人間ヒューマの容姿に加え獣猫族ネミーの特徴である耳と尾があることから、彼女は人猫族ネミーユなのだ。


 それにしてもすごい寝相だ。

 酔っ払ったOLが剥き出しの腹を掻くみたいに、ぽりぽりとへその上あたりを掻いている。

 さらに涎でてる。


 とりあえずまぁ、夢だとしても、おそらく僕と同じ月齢くらいの小さな子供を素っ裸のまま寝かせておくのも何だかな……。

 そう、彼女は掛け布団すら剥いでしまっているのだ。


 僕もこんな風な寝相だったのかなとか考えながら、布団をなんとかたぐり寄せ、彼女にかけることができた。

 服を着させることはまだ指を上手く使えないから無理だけども。


 あ、そうだ。

 魔法ならできるだろう。


 これまで一人の時に、魔法を使って色々なものを動かす練習を毎日してきたのだ。

 カーテンを上へ畳んでみたり、消えた蝋燭を振ってみたり。


 うん。

 彼女の身体を若干うかせつつ、服を操り、ぱぱっと任務完了。


 僕は満足感に満たされながら、彼女を見ていると、突然彼女が顔をしかめて身じろいだ。


「んあーっ」


 吠えた。


 かなりの声量とともに、剥がされる掛け布団。

 さらに、にゅるりんぽんっと飛び出す枝豆のように皮 (寝間着) を脱ぎ捨てる。

 曲芸か。

 満足したのか、尻尾をびたんびたんとベッドに叩き付ける。


「んにゃむにゃ……」

 変な寝相のまま、二の腕を掻いたりお腹を掻いたりしていた。


 暑かったのな……。


 母親って大変そうだな。

 彼女を見てふとそんな感想を抱くと、無性に母に会いたくなってきた。


 この夢も楽しいけど、やはりあの悪夢を払拭するには、母に会って生きていることを確認するしかない。

 血を吐いたメイドについても同じだ。


 僕は夢の中でもう一度寝ることにした。

 二度寝しよう。

 夢の中で二度寝と言うのか知らんけども。


 何となく、安心が欲しくて彼女に寄り添う。

 すると、彼女も僕の方へ横向きになった。


 ウサギがおでこを合わせるみたいに、互いの額が触れ合う。

 彼女の細い寝息が聞こえる。


 安心、する。



 ※



「おや、ノアに布団を掛けてあげているのか」


 朝の光と微睡みの中。

 男の声がした。


「うぅ。うおいえおおあっあ」

「はは。ルノだっていつもすごい寝相だぞ? というより素っ裸な時もあるからノアより酷いなぁ……というかルノ、今も裸だな」

「うあ!?」


 声の方へ顔を向けけると、知っている男がいた。

 母の兄、僕の伯父であるネルザールその人だ。


 彼は以前、家へ来たことが有り、その時に顔を合わせたので覚えている。

 薄茶色の蓬髪を後ろでハーフアップに束ねていたのは、前に見たとおりだ。

 違ったのは、以前は綺麗に剃られていたのであろう頬や顎に、今は少し髭が浮いていたことか。

 けれど、そんな無精髭もまた、この男前をして完璧に似合っている。

 そう、純粋に、伯父ネルザールはかっこいいのである。


 そして四つん這いで僕を覗き込んでいる女の子。

 伯父さんにルノと呼ばれていた子で、夢にいた子だ。


 僕の従姉妹にあたるルノルーシュがこの子なのだろう。


 極々僅かに桃色がかった淡い金髪。

 すこし緑が差した水色に近いブルーアイ。

 子供のいた記憶のない僕でさえ、この子は将来美人になること間違いないと思わせられた。

 それほど、整った顔をしていた。


 ネミーユ人猫というヒューマ人間とは異なる見た目も相まって、幼いながらも神秘的だとさえ感じさせられた。


 たぐいまれなる容姿をもつ僕の従姉妹、とはいえ……。

 乳児にしていろいろと残念そうな子ではある……って。


「っ! ちょっおあっええぇ!(って、ちょっと待てぇ!)」


 僕は叫んだ。


 びくっと身体を揺らし、伯父と、衣服を着かけのルノが黙りこむ。


 ちょっと待って。

 何で僕、こんな所にいるんだ。

 ここは伯父の家なのか?

 伯父のカーライル領は、うちからは遠いはずだ。

 たしか馬車で二日から三日はかかるって聞いた。

 これは、夢か?

 いや、違う。

 意識は完全に覚醒している。


 僕は記憶を辿る。


 母が亡くなったと聞かされた。

 教えてくれたメイドも目の前で吐血して、おそらく死んでしまった。


 そこで記憶が途絶えた。


 目覚めた僕がいるのは、よその家。

 おそらく、生家から遠い伯父の領地。


 この状況から導き出される答えなんて限られてる。

 嫌な予感しかしない。

 最悪の想像しかできない。


 そう思ってしまうと、もうだめだった。

 恐怖に支配される。


「うああ……いあぁ……、いやだ、いや……だ」


 血の気が引く。

 世界がぐるぐるする。

 ちょっと待って、何だよ、それ。


 アレ・・ は、夢なんかじゃなかった。


 夢じゃ、なかったのかよ!


 嘘だ、嫌だ、嘘だ、いやだいやだいやだいやだ――


『ノアちゃんっっ!』


 パニックの僕の脳内に女の子の声が響いた。

 女の子の言葉は母国語だったけど、それについて何も思考することができない。

 余裕がない。


『ぎゅうううううう』


 声に成された擬音とともに、僕に覆い被さって抱きしめたのはノアだった。

 僕の背と頭に手を回し、髪を強く撫でてくる。


『辛かったね、辛かったね……』

『意味が、わからない』


 未だ続く不可解な声に、僕は心の中で、彼女と同じ母国語で呟き返した。


「ノア。君が私の言葉とルノの《念話》が理解できているものとして語る」


 伯父が、ベッドに腰かけ、僕の手を握りながら言う。

 当然のように伯父の言葉はこの世界の言語だった。


「うむ。ルノも君が言葉を理解していると言っているので、そのままでいいから聞いてくれ」


 僕のこといつ話したのだとか、念話ってなんだとか、そもそも母は、僕の家族は。

 頭がごちゃごちゃする。


 いやだ。

 早く家に帰りたい。

 家に帰してくれ――


「ノア! 私の目を見ろ!」


 そう言うと、伯父は僕の頬へ手を添え、目線を合わせてきた。

 その眼は深い悲しみを湛えていて、けれど、どこまでもまっすぐに、僕のことを見てくれていた。

 大きくて、分厚くて、熱い手のひらに、剣ダコだろうか、硬い感触があった。


「まず、君の家族……、父も母も、使用人たちも、全員死んだ」


 ……。


「君の家へ到着した私が見たのは、死体の山と、君を連れ去ろうとする男の姿だった。服装からおそらく王都の者だろう。私はそいつを斬り捨て、君を奪い、一昼夜かけて馬を乗り継ぎここカーライル領にあるこの館へ戻ってきた」


 ルノは僕の横に張り付く。

 そのまま僕を抱き寄せ、僕の頬に額を押し当てる。


「現場の検分は私の部下をやった。君の戸籍もカーライル家で産まれたとする登録の手配は済ませた。故に書類上では養子ではなく、ルノと腹違いの、私の実子だ。次ぎに――」


 言いかけた伯父が言葉を切る。


「ああ、わかった。少し待とう」


 そう言うと、すぐにルノの声が響いた。


『お父様の大事な話、まだあるんだけど、このまま聞いても大丈夫……?』

『だいじょうぶなわけないだろう……』

『そだよね……、ごめん……。じゃあ、また後でにしてもらおっか。そう伝え――』

『聞く。けどちょっと待って』


 ん。と、ルノは短く返す。


『母は急死したとしか聞いてない。死因も知らない。さらに父や使用人の皆も死んだ?』


 状況だけで見れば、王都の人間が惨劇を起こしたとしか僕には思えない。

 というより、伯父が殺したという使者に、命令を下した黒幕……たしか大臣だったかを仇とでも思わなければ、僕は耐えられない。

 大切な人達を、僕の世界の全てを奪った奴を絶対許さない。


『続きは聞く。でもその前に、質問……いや、確認がある』


 ルノは伯父を振り返ると、彼は頷いた。


「なんだ」

『母は殺されたんですね』

 急死と聞かされたが、その死因は他殺なのかと僕は問い質す。


 僕の中で母の死はもう人の悪意によるものとしか思えない。


 僕の家族の死を淡々と告げた伯父が、今回は逡巡をみせた。


 伯父が僕を見つめる。

 伯父の唇の動きに僕は注視する。


「死に立ち会えなかった私に確実なことは言えない」

『伯父上の考えを聞かせてもらえませんか』


 通訳のように仲立ちをするルノが、困ったような顔で伯父を見た。


 彼は息をつくと、


「推測ならある。だが、それを君に伝えることはない」

『わかりました』


「では話の続きだ。構わんな」


 僕は伯父に頷く。


「君の戸籍と共に、生年月日も改ざんさせてもらった。ルノもそうなのだが、君達二人は同年同月同日に産まれた。この日にちが曰く付きなのだ」


 僕らの産まれた日の何がいけないというのだろうか。


「王都は、この日に産まれた子供を家から取り上げ、王都にて管理、教育しようとしている。もちろん、面会もできるというし、子供を預けるにあたって、莫大な金が支払われもする。だから、貧しい家の者は、無理矢理この日に子を産もうと必死だったらしいのだがな」


『なあ、聞きたいのはこの誕生日に産まれたら、なぜ王都へ連れて行かれるのかだ。知ってるのか?』


 僕の問いに、ルノは無言で首を横に振る。


 伯父に訊いてくれないかと言うと、俯いて黙してしまう。


 とりあえず現状わかったことは、家名や生年月日を僕の許可なく勝手に変えたのも、今回のようなことを繰り返させまいとする故なのだということ。


 けれど、そんな些末なこと、どうだっていい。


 そんなことより、もっと大事なことがある。


 伯父が仇である使者を殺したと言うのなら、僕はそいつに命令を下した黒幕を探し出す。

 探し出し、追い詰め、いたぶり、殺す。


 何の迷いもなく、すんなりとそう思うことができたし、おそらく、実際その機会が訪れたとしても、あっさりと黒幕の命を奪うことが僕には出来る。そんな確信があった。


 殺す。絶対にだ。殺してやる。必ず、復讐す――


「復讐を望むか?」


 考えていたことを指摘され、思考が寸断された。


「君が望むなら止めはせん。君の両親がそのようなことを望んでいると思うか、などと諭したりするつもりもない。ただし、条件がある」


 見つめて先を促す。


 条件とは先程聞いたものもあり、このようなものだった。


 一つ、生年月日を偽ること。

 一つ、家名をカーライルとすること。

 一つ、伯父と側室との間に出来た子と偽り、この家の庇護の元生活すること。

 一つ、所定の場所以外で魔法やその他能力の行使、目立つ行為を避けること。

 一つ、生家を襲った不幸の詮索はしないこと。


「最後に一つ。年月を経て成長し、私を認めさせろ。自立し、家を出てからは君の自由だ。家を再興するなり、目的を果たすなり好きにするがいい。

 以上だ。条件をのむか?」


『馬鹿馬鹿しい。従うわけがない。そもそも、こんなくだらない条件を出される筋合いなんてない。

 気に食わないなら今すぐ僕を捨ててくれればいい。罪悪感からできないなら、動けるようになれば僕が勝手に出て行く』


『……、どうやって食べていくの。一人で生きられるとおもってるの?』


『魔法なんていう大層な力があるんだ。なんとかなるだろ』


『そ、それはそうかも……しれないけども。で、でも! なんともならなくって死んじゃったらどうするの!?』


『別にいいよ』


 僕に触れるルノの小さな手が握り締められた。

 彼女の拳が震えた。


 伯父が部屋の外へ出た。


 ルノが何か言ったのだろう。


『どうしようもないくらい辛いときだから、そゆこと言えちゃうんだよ。ね、時間が経てば』

『変わらない』

『そっ、そんなのわかんないじゃん!』

『わかるよ。だって、望みが叶わないなら、今すぐ死んだ方が楽だ』


 張り付いていたルノの感触が消えた。

 ルノの小さな身体が、糸で引かれた操り人形みたいに立ち上がったのだ。


『今なんて言ったの』


 暗い声音が頭に直接響く。


『……死にたいって言ったんだ』


 僕は得体の知れない威圧感に何とか抗い、心の中でそう口にすると、


『ふざけるな』

 ぼそりとルノが呟いた。

 その顔からは、ぞっとするくらい、一切の表情が消え失せていた。


 異常な事態はルノが立ち上がっただけに留まらなかった。


 僕は思考の余裕すらなく、目を見張る。


 ルノの右手が虚空の何か・・を掴んだ、ように見えた。

 ルノの短い腕が、わずかに動くと、それに合わせて出来た虚空の裂け目が腕とは反対方向へ移動した。


 空間に出現した裂け目は、剣だった。


 ルノの右手に握られていたのは、禍々しい形をした超大な剣。

 うねり、棘の生えた剣は、優に大人程の長さがあった。


『そんなに死にたいなら……』


 音も無く切っ先がベッドに沈み、刃を頬に当てられた。


 その威圧感に僕は圧倒され、何も出来ない。


 呼吸すらも。


 ただ、死ぬんだ……という妙な実感だけがあった。


「わあいああいにいぅかあっ!」

『私が先に死ぬからっ!』


 ルノの肉声と心の声の両方が轟いた。


 ルノは剣を水平にし、そのまま自分の喉に押し当てようとする。


「なっ、やめろおおおお!」


 僕は叫んだ。

 さっきまで抱いていた復讐心も、悲しみも、憤りも、全て、欠片も消し飛んだ。

 ただ、ルノの行為を止めなければ。

 そのことだけしかなかった。

 でも、口は動くようになっても身体はまともに動かせない。

 それなら――っ!


「あああああああ!」

「うううううっっ!」


 禍々しい刃が今にもルノの首の皮に入りそうだ。

 寸での所で、魔法で刃を引き離す。

 魔力の紐を剣に巻き付け引っ張るイメージで。

 無我夢中だった。


 魔力と魔力の引き合いだ。

 要領は本棚から本を取るのと同じ。

 違うのは込める力だけ。


『力で女の子に負けてたまるかああああ!』


 僕は絶叫しながら心でも叫ぶ。


『ノアが分からず屋さんなのが悪いんだよっ!』

『だからって何でお前が死のうとするんだ!?』

『お前って言うなし! ルノって名前で呼んでよ!』

『語尾に〝し〟とか古いんだよ!』

『何でノアがそんな言葉遣い知ってんの!』

『たぶん前世の世界で流行ってたんだよ! っていうかお前と話してるこの言葉だってこの世界のものじゃないだろ! よくわからないけど、一番しっくりきてるこの言葉はなんなんだよ! ああもう、わけわかんねえ!』


『前世……』

 

 不意にルノの魔力が抜けた。

 最後の方はもう支離滅裂に喚き散らしただけの僕は、我に返る。


 そりゃそうだろう。

 ルノの引力を失った凶悪な刃は、当然のように僕へ襲いかかってきたのだから。


「ふぁぁあああ」

『あ、ごめぇぇん!』


 間の抜けた掛け合いが終るより先に、剣が、その存在ごとなかったかのように消え去る方が早かった。


『し、死ぬかとおも……』

 そこまで言いかけて僕は止めた。


『ノア』


 か細い声が僕を呼んだ。


 ふらふらと立っていたルノが、吊されていた糸が切れたみたいに僕に倒れ込んできた。


 僕はルノに馬乗りにされる。


 顔が近い。

 目が合う。

 気まずい。

 思わず、顔を背ける。


『死にたくないよね』


 問いかけてくる彼女を横目でちらりと見た。

 ブルーの瞳は潤んでいた。


『わからない……』


 そう、わからない。

 家族を突然失った悲しみに押し潰されそうで、死ねばそんな苦しみから解放されるのだろうという気持ちは実際まだ消えていない。

 復讐することよりも、今この場で死ねた方がどれだけ楽かと感じていたのも事実だ。


 けれど。


 さっき死にかけた時。

 僕は死にたくないと思った。

 考えて出した答えではない。

 咄嗟に感じた本能的な部分とでもいおうか。


 だからといって、それをすんなり受け入れられるほど、僕の思考は大人でも幼すぎもなく……。


『わからない』


 もう一度そう呟くと、僕に馬乗りだったルノがそのまま覆い被さってきた。

 僕をまた抱きしめ、額同士を軽く触れ合わせながら言う。


『わかるよ、わかる』


 互いの、まだ低い鼻先は当然触れている。

 吐息も混ざり合っている。


 視線だけだ。交わせないのは。


『あのね、一つだけ確かなことがあるの』


 ……なに。


私が・・、あなたに死んで欲しくない。私が・・、あなたと一緒にいたい。そう思う気持ちだけは、わかる』


 あまりにも、あんまりな彼女の言葉に、僕は思わず呆気にとられ、彼女の目を見た。


『なんだよその身勝手な言い分』


 言い返した僕は、少しだけ、ほんの少しだけ、笑ってしまった。

 彼女もうっすらと微笑みかえし、


『自分でもわかんないんだけどね、何というか、そうだなぁ。前世の受け売りで言うなら、〝DNAレベルであなたが欲しいの〟って感じ?』

『何言ってんの……』


 僕が返すと、先程の自分の発言を振り返ったのか、『ほんと何言ってんだろうね』とルノは顔を上気させた。


『や、その! ううう……、しっ、仕方ないじゃん! 考えて出た結論とかそゆんじゃなくって! ノアと初めて出会ったときからずっとずううっと一緒にいたいって思っちゃったんだもん!』


 ルノはぐわっと顔を上げ、四つん這いでまたもやマウントを取ってくる。


『ノアの考え方もそう。性格や言葉遣いもそう。黒くてツヤツヤの髪もそう。見てたら吸い込まれそうな黒い瞳もそう。まだ生えそろってないけど眉毛の形も、まだ低いけどお鼻も、口も! 肌の色も、手も、指も、身体も心も性格もノアを形作るものぜんぶぜんぶぜんぶ……!』


 そこまで一息に言ったルノが急に口ごもる。


『ぜんぶ……なに?』


 ルノを見つめながら訊く。


『ぜんぶ……、その……』


 今度はルノが、ふいっと、目線をそらせた。


 彼女の言葉を聞きたい。

 僕は初めてそう思った。


 僕は初めて〝殺したい〟〝死にたい〟以外の欲をもった。



 だから、声に出して言おう。



「その先を聞きたい。聞かせてほしい」


 ぐぐぐっと、ルノが唇をへの字にしたかとおもうと、頬どころか耳の先、もしかしたらつま先まで真っ赤になっているのではと思える程、色づいた。


 ルノが、ぐっと目を閉じた。


 しばらくして、恐る恐るといった感じで開かれた目は、潤みながらも僕をしっかりと見つめてくれていた。


 そして、何のことわりも、言訳も、前触れもなく、唇が動く。


『……愛おしいの』




 息が詰まった。




『愛おしくてたまらないんだよ』


 目頭が熱くなる。

 遥か遠い過去のように感じるけど、母も僕にいつも伝えてくれていた言葉。


 女の子に泣き顔なんて見られたくないのに、涙が溢れた。


「う、うぇ」

「うあぁぁ」


 二人して泣くのを耐えて、でも堪えられなくて、嗚咽が漏れ出し、堰を切ったかのように泣いた。



 ⇔



 扉越し、背後に子供たちの気配を感じながら、ネルザールは手にしていた紙片を丁寧に折りたたみ懐にしまう。


 何を見つめるでもなく、ただ上を向く。

 そうでもしなければ、涙を零してしまいそうだった。


 目を閉じ、眉間を指で抑える。


 扉の向こうでは、まだ二人は泣きじゃくっていた。

 家族の死を伝えても、動転はしたにせよ泣かなかったノアが、感情を爆発させたことに、ネルザールは安堵を覚えた。


 ノアには復讐に反対しないと告げた。

 だがそれは当然本心ではない。

 お家再興のこともそうだ。


 絶望の淵にあるノアに、生きる目的を与えたかった。

 安易に復讐という手段を肯定した自分を情けなく思い、恥じたと同時に、おそらく自分とは別の手段でノアを救ったであろう娘のことを誇りに感じた。


 子供たちの泣き声を背に、ネルザールは歩き出す。

 もうノアは大丈夫だという確信を持って。


 その一歩は、底なしの沼だとわかっていても進まなければならないものだった。

 重くなりそうだった足取りも、子供たちの泣き声に押されるようにして、踏み出すことが出来た。


 人を導くことが自分には不向きでも、自分にしかできないことがあることをネルザールは分っていた。

 そんな彼の心境を察したかのように、腰に佩いた剣が鳴いた気がした。


 自室に入ると、真っ直ぐ本棚へ向かう。

 棚にある何の変哲もない領地税収の書類をまとめたものの背表紙を引き出す。


 ガコッ。と乾いた音がした。

 本棚の横の石壁を押すと、地下へと続く隠し扉が口を開く。


 底なし沼のさらに奥へ誘うかのような暗がりがそこにあった。


「偉大なる炎の精霊よ。無力な我に僅かながらの導きを」


 唱え、指を鳴らす。

 人差し指の先に、小さな炎が灯った。

 炎を、脇に置いてあった手燭にうつす。


 頼りないその灯りを持ち、ネルザールは階段を降りていく。


 しばらく降りると、細長い通路に出た。

 通路の脇にあるいくつかの扉には目もくれず、最奥の鉄扉の前に立つ。


 扉を見つめるネルザールの表情は険しい。

 だが、彼は扉の錠を外し、中へ入る。

 入らねばならない。

 例え、いつかノアに責められようとも、これは自分の役目だ。



「ぐぎぃ……ぇああ、ぎしゃ、ぐう゛ぉぁあ……」


 血とかびの臭いがこびりついた石造りの部屋へ入ると、言葉にもならないおぞましい声を発する女が、正面の壁に張り付けられていた。


 派手すぎず、だが仕立ての良かったドレスは、血と泥で汚れ、見る影もなくなっていた。

 去年の彼女の誕生日にネルザールが贈ったものだ。


 ネルザールは女に近づく。

 女は乱れた髪を振り回し、鎖を限界まで引っ張る。

 手首に鉄枷が食い込み、皮膚が削れるのも厭わず、ネルザールに噛みつこうとするが、届かない。


 数度、ガチン、ガチンと歯を鳴らしてから、女は顔に深い皺を浮かべて、唸り、ネルザールを睨んだ。

 ネルザールもまた女を見る。


 女の目は、宝石のように透き通った赤色をしていた。


「ノアは……ノアールはもう大丈夫だ。私が責任を持って育てる。それに、私より頼りになるルノがいる。だから」


 ネルザールは女に語りかけながら、女を縛る両手首の拘束具を外していく。

 

「うぼぉぉあう゛ぁああ」


 解放された女がネルザールに手を振りかざすと、その手が燃えだした。

 ネルザールは何もしていない。

 女が火魔法を放ったのだが、制御ができず、自身を燃やし始めたのだ。


 やがて火はドレスの袖に移り、燃え広がってゆく。


 血で束になった髪が焼け、肌が爛れても、女はネルザールへの攻撃を止めない。

 女の噛み付きと爪を躱しながらネルザールが何やら呟くと、炎は消えた。

 しかし高温で熱せられた女の身体は赤黒く、未だ燻り続けている。


 女が抜き手を放った。

 ネルザールは女の焼けた手首を素手で掴み取る。

 自分の皮膚が焼ける匂いを嗅いだ。


 ネルザールは眉一つ動かすことなく、女を見つめる。


「安心して眠れ。我が愛しの妹よ」

 

 焼けた肉の匂いが満ちた小部屋に、軽い金属音だけが、響く。


 ネルザールの手は、いつの間にか腰にある剣の柄に添えられていた。


 女がネルザールにしなだれかかった。

 彼は避けず、熱せられたままの彼女の細い身体を受け止めた。


 赤い瞳を見開いた女の頭だけが、ネルザールの肩越しに、彼の背後へ転げ落ちる。


 吹き上がった赤黒い血がネルザールに降り注ぐ。

 泣かない彼の代わりに、その頬を赤黒い血が伝い落ちた。


 妹を抱き留めた兄の手が、焼け残ったドレスに皺を刻み込む。






 ~to be continued~


********************


るの「あかん、この作者あかん。

   1話が暗い終わり方だったから2話連続投稿とか書いておいて今回も暗いし!

   なんでこうなった」


のあ「根が暗いんじゃない」


るの「身も蓋もなかった」

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