第4話 スリーピングビューティー

第4話 スリーピングビューティー



 呆けた思考で窓の外を見る。

 夜だ。


 星々の明かりに照らされて、森の木々がそよそよとその葉の影を揺らしているのが、何とも空々しかった。


 僕が実は女だったと知った日の夜だった。


 代理乳母の乳の味を感じることもなく、ただ腹だけを満たして、ベッドに横たわっていた。


 心なしかルノも、様子がおかしい。

 短い付き合いとはいえ、彼女がお喋り好きだというのは身に染みている。


 なのに、あれ以降ルノと会話をしていない。


 ルノはあれからずっと、何か独り言をぶつぶつ呟いてはいるが、まだ発音がままならないので、何を言っているのかもわからない。



 どれくらいそうしていたのだろうか。


 カーテンが風になびく様子をただぼおっと眺めていると、ノックとともにチコが入ってきた。


「そろそろおやすみになられるお時間です。窓のほう、閉めさせて頂きます」


 ちらりとチコを見る。


 横から眺める彼女のボディラインは、メイド服の上からでもメリハリがあって、とても女性らしいものだ。


 髪はアップに束ねられており、そこから覗くうなじ。

 ぴんと伸びた背筋は、豊満なバストを強調させる。

 ロングスカートから見える細い足首。

 世の男性から見れば完璧な女の姿の一つではなかろうかとすら思える。

 人間族ヒューマ女性と違うのは、腰の下あたりから生える尻尾と、頭頂部のイヌ耳。

 でもそれも、星の明かりと部屋の灯りに照らされた今、ただただ神秘的な美しさを湛えていた。


 そう、チコは女性だ。

 美しい女性なのだ。


 僕には前世の記憶がわずかながらある。


 それは、複数の言語であり、後は、僕が男だったというものだ。

 男という概念を理解しているのと同様、女についても知識はあった。


 だからこそ、自分が男であるという自己同一性アイデンティティー が否定されたような気がして、僕は自分が相当ショックをうけていることを理解していた。


 僕も将来、チコのようになるのだろうか。

 女性へと成長した僕は、動物の理に則って、男に恋をするのだろうか。


 いや、ないわ。


 現時点での僕ではありえない。

 僕はやはり、女性にしか性的な興味を抱かないとおもう。


 先のことはわからないけど。

 それ故に不安だった。


「夜のおむつ交換も終らせておりますし、灯りを消しますね」


 僕もルノも返事をしなかった。

 このことに罪悪感を感じてしまう。


「おやすみなさい」


 だから、頑張って一言返せた自分を褒めてもいいだろう。

 チコは僕へ微笑み返した後、ルノを見た。

 ルノもチコを見ながらなにやら表情をかえていたので、念話で挨拶でもしていたのだろうか。


 ばたんと扉が閉まると、暗い室内には静寂がいとも簡単に戻ってきた。


 閉じられた窓越しに、フクロウの鳴き声が聞こえた。

 何の動物か分らない声もいくつかあった。


『夜って、以外と賑やかだよね』


 久方ぶりにルノが口を開いた。

 ルノは、僕の背後、カーテンで閉ざされた窓の方を見ていた。


『うん。僕もそう思ってたところ』


 えへへ、一緒だ。と言ったルノが、窓から僕へと視線を移す。


『いっしょだった』


 一言、僕も返す。

 ルノはまた窓のほうを見る。


『ルノ、聞きたいことがあるんだけどさ』

『ん?』

『この念話で話してる言語って、この世界の言葉なの?』


 はっとした顔で僕を見たルノの瞳が、僅かに揺れていた。


『たぶん、違うとおもう』

『やっぱそうだよな。ルノはこの言語が何か知ってる?』


 じいっと僕を見つめたまま、ルノはしばらく沈黙を保っていた。


『逆に私が聞いてもいい?』

『うん、なに?』

『前世のこと。前世の記憶ってある?』

『あるというか、覚えているのは、複数の異なる言語。

 その中にこの国の言語もあったけど、今話してるこの言葉が一番しっくりとくるから、たぶん母国語なのだろうと思っていること。

 あとは、自分が男だったということだけかな』


 僕は言う。

 ルノはそんな僕をどれくらい見つめていたのだろうか。

 少ししてから、仰向けになり、目を閉じた。


『私はこの世界の言葉と、今話している言葉とか。あとは、何かやったり、何か聞いたりするたびに、ふと思い出すこともあるよ。魔法少女侍の衣装とか』


 あれ魔法少女侍って言うのか。


『それは分る。不意に知ってたことを思い出すみたいな感覚。ふぅむ、そっか。言語のこと考えると、僕とルノの前世は同郷だったということなのかな』


『そうかもだね』


 ルノの横顔を見ていたら、くるんと背を向けられてしまった。


 と思った矢先。

 背を向けたままのルノが、もぞもぞと身体をいもむしのように動かしながら、僕の方へ急接近してきた。


『な、なに』


 彼女の背が僕の腕に触れると、ルノはくるんと回転して僕の方へ向いた。


 顔が近かった。

 今思えば、ルノの距離感はとても近い。

 不本意だけど、どきりとしてしまうのは、身体に反して僕の心が男だからなのだろうか。


『ノアが女の子でも、私の気持ち、変わらないから!』


 突然の宣言。

 僕の思考が追いついてこなかった。


 思考がルノの言葉の意図を理解したとき、僕の身体が熱くなったきがする。


 思い出したのだ。

 彼女の言葉を。


 愛おしくてたまらないんだよ――


 そう言ってくれたルノの言葉を。

 あのときの表情を。


『私、同性どうしとか偏見ないし! むしろ好物だった気がする、主に美少年同士とか!』

『え? あ、うん、そう』


 上げて、落とすの実演か。

 とりあえず口には出さず呑み込んだ言葉は〝何言ってんだこいつ〟である。


『だ、だから! 女の子同士も理解あるっていうか、むしろありというか!? ああもうわけわかんないけど、私が言いたいのは、その、ノアならなんでも良いってことなの!』


『僕なら何でも良い』

『そう』


 もしかして、


『僕が女だと分ってから今までずっと黙ってて考えている風だったのって、僕を励ます言葉を考えていてくれたの?』


 そう。ルノはきっと、見るからに落ち込んでいた僕を励まそうとしてくれていたのだろう。

 やはりというか、ルノは優しい人なのだと改めて思う。


『ありがとう』

『や、その……。ちょっと違うって言うか……。でもまあ、うん。それでもいいや』


 なんだか釈然としない物言いだった。


『それにしても、僕の両親はなんで男である英雄の名前を僕に付けたんだろう』

『う~ん、ノアールって名前は女の子でもいける響きな気がするし。そもそも〝死季物語り〟の登場人物、特に《竜の子》の名前は大人気で、いろんな人が子供に付けてるって聞いたよ』


『そうなんだ。じゃあ別に変じゃないのか』

『うんうん』

『まぁそのお陰で、僕は自分の性別に気がつけなかったのもあるんだけどね……』


 ルノが怪訝な顔をする。


『気がつかなかったって、今日の今日まで自分のあそこ見たことなかったの?』

『うん、そうなんだよ』

『おしっことかしてたら気がつくものじゃないのかな。男の子のことはよく分らないけども……』

『子供のなんてどうせ小さいだろ? だから感覚とかぜんぜん気にしてなかった。どうせこんなもんだろ、みたいな。まぁそれすら意識したこともなかったなぁ』


『そゆもんかぁ』

『そういうものじゃないかな』


「くす」


 と、ルノが声にだして笑った。

 僕も釣られて微笑んでしまう。


 心は男なのに、女として生きていかなければならないという不安に苛まれていたというのに、またしてもルノにあっさりとその不安を打ち消されてしまった。


 流石に、家族を亡くしたことはすぐには吹っ切れはしないけど、それでもルノのお陰で、こうして前向きになれることができた。


 なんと言うか、凄い女の子だなと、僕はルノのことを思い直す。


「ありがとね、ルノ」


 驚いたように僕を振り返ったルノは、少し照れた感じでどういたしましてと言った。


『あ、それじゃさ、お礼ついでに報酬を一つください』

『報酬?』


 ん。と言う声と同時に、ルノが僕の手を握ってきた。


『お手々繋いで寝る』


 彼女の手は小さくて、柔らかくて、暖かかった。

 まだ赤ん坊だからだろうか。

 その手はしっとりと汗ばんでいて、きっと同じような僕の手の体温と混ぜ合わすかのように、指をきゅっと絡めてきた。


 僕は、そのルノの手を握り返す。


『おやすみ、ルノ』

『おやすみなさい、ノア』


 こうして僕らは眠りにつく――。



 ※



 ――、寝れねえ!


「すかー、すかー、むにゃむにゃ……ぐへ、ぐへへ」


 ぽりぽりと丸出しのぽっこりお腹を掻く。

 初対面の時と同じ、変な格好で。

 しかも、ルノは百八十度、回転している。

 彼女の足裏が、僕の顔面を何度強打したことか。


 こんなんで寝られるか。


 ルノを避けているうちに徐々にベッドの端まで追い詰められた。

 これ以上行くとおむつバトルの時のように、また落下である。

 もういやだ。


「誰か、誰かぁ!」


 僕は叫んだ。

 それでも夜の暴君は起きる気配もない。


 憎々しげにルノを睨んでいると、廊下から足音が聞こえてきた。

 ノックとともに声がかけられる。


「どうかなさいましたか?」


「チコ、助けて!」


 律儀に扉の前で待機していたであろうチコが、僕の切羽詰まった言葉に慌てた様子で部屋へ飛び込んできた。

 そして、


「ああ……」


 と溜め息交じりに、事態を一瞬で把握してくれたようだ。

 何よりである。


 おむつ一丁で、あとは裸のルノが、僕の顔面、腹をげしげしと蹴っている様を現行犯で観てくれたのだから当然といえば当然か。


「タスケテ……クダサイ」


 僕の必死の訴えに、チコは黙って頷いた。



 ※



「こ、この、浮気ものおおお!」


 目覚ましの叫びであった。


 うるさいな、僕はまだ寝ていたいのだ。

 この弾力と柔らかさの黄金比でできた何かに包まれて。


 もったいぶった言い方をしてしまったけど、おっぱいである。

 しかも良い匂いまである。

 言うこと無しの睡眠環境を、そんな「言ってみたい有名台詞を言ってみました!」みたいな感じで叫ばれても、起きるわけがないだろう。


 薄目を開ける。


 っていうか暗いし。

 まだ深夜だろうか。


 あれ、っていうか、この叫んだの誰だろう。

 こんな台詞を吐くのは、ルノくらいし心当たりはない。

 しかし、彼女の発音はまだおぼつかないはずだ。


 まぁ、僕も感情の高ぶりから唐突に喋られるようになったし、ルノもそうなのかな。

 人生初のきちんとした台詞がそれかよ、と内心で突っ込んでおこう。

 声にだすと絡まれてうっとうしいことになりそうだし。


 そんなことを考えながら、寝ぼけ眼で辺りを見てみた。

 といのはもちろん振りである。

 顔を動かすときに感じる弾力を堪能するためだ。


「な、なな、なあああ! おっぱいか! そんなにおっぱいが好きか!」

「ルノうるさい、寝かせて」

「うるさいとか酷くない!? それにどうせ私はっ……、私は……ち、ちち、ち……ちっぱいだよ……」


「赤ん坊なんだから当然だろ……」


 急激にへこみだしたノアに、僕は面倒臭いとおもいながらもフォローを入れる。

 ちなみに僕はチコの胸に顔を埋めたまま、ルノを見もしていない。

 だからこの声の主がルノだと確認はしていないのだけど、まぁ間違いないだろう。


「うぐ……。そ、そうだよね……」


「分ったなら部屋へ戻ろう。僕はチコと寝るから」

「だから何でそうなるの……、真面目にショックだよ……」


 言葉の通り、少し鼻声になったルノの言葉が切れ切れになっていた。


「え、や、だって、ルノの寝相酷いんだよ。顔とか蹴られまくってベッドの端に追いやられて眠れるわけないじゃん……」


 本気で泣きそうになっているルノに僕は焦った。

 とはいえ、僕は悪くない。うん、僕に落ち度はないはずだ。

 だから情にほだされず、きちんと説明する。


「じゃあ、得意の拘束魔法で縛ってくれてもいいから……」


 想像してみよう。

 赤子が、赤子を縛って眠る。

 それも片方はこれまでの傾向からして全裸だろう。


「だめだろう……」

「ですよね」

「はい」

「はい」


「笑い芸は自室でやってください、私朝早いのでしっかりと眠りたいのですが」


 と言われても僕はまだ自力で階段を上り、二階の部屋まで戻ることが難しい。


「芸じゃないし!」


 もう滑らかな発音ができるようになったルノ。

 しかしきっかけがこれって……。

 それはそうと、チコの睡眠時間を削るのは本意ではない。


「チコ、ごめんね。ルノも一緒にここで寝よ」

「いえいっ」


 喜びの声を上げるなりルノが僕へダイブしてきた。


「ただし、暴走寝相が発動したら拘束するから」

「はい」


「決着しましたか。それではルノ様、ノア様、おやすみなさい……」

「おやすみなさい、チコ」

「おやすみ」


 結局、ここではチコを真ん中にして、僕とルノは彼女の柔らかさを堪能しながら眠ることとなったのである――。



 ※



 ――、寝れねえ!


 部屋へ戻りたい……。

 違う。

 一人部屋が欲しい……。


「おっむ、おっむ、おっむ、おっむ、おっむっつ~」

 ぽぽぽん、んぽんぽ、ぽんっ、ぽぽーん。びたん!

「いたっ!」


 音程という単語を置き去りにしてきたとしか思えない狂った歌。

 しかし、尾が刻むリズムは、天性を感じさせるほど、的確かつ軽快。

 フィニッシュブローは吸い込まれるように僕の顔面へ。


 痛い、うるさい、寝られん、うるさい。


「私は成長してもどうせちっぱいなんだよ! せ、責任とって大きくしてよ。

 え……、責任の取り方……?

 やだ、そんなこと言わせるつもりなの……?

 そ、そゆプレイ……なのかな。

 や、その、私、ううう……。でも、ノアが望むなら、その……」


 長すぎる寝言。

 芝居でもしているのかと問い質したい。

 さらに、げしげしげしと、容赦なく僕の右頬へ降り注ぐ足裏。

 夢の中でとはいえ、僕に何かやらせるのなら、蹴るのを今すぐ止めろ。

 というか、お前さっきまでチコの向こう側にいたのに、寝相でなぜ僕の傍へ来られる? しかもチコと挟み撃ち。


 この世界にも神なんていやしないのだと悟った。



 僕はこのようにして、結局眠れていなかったのである。



 チコの凶器かつ狂気的な音程の歌(寝言)と、尻尾で刻まれるリズム打撃。

 ルノのアホな芝居(寝言)と、相変わらずの蹴り。


 このままでは一睡もできない。

 蹴撃と尾撃から逃れるために、地べたで寝たとしても、うるさいことには変わりない。


 僕は決心する。


 ルノのように魔力で身体を操り、自室へ逃げるのだ。


 落ち着いて魔力を意識するため、まずはベッドから降りる。

 床に座り、目を閉じる。

 胸の奥に感じる魔力を、両肩から糸状にして出し、天井へ張り付ける。


 と、そこでふと思い至る。


 ルノと同じこのやり方だと、上に何かしらの物体がなければ自分の身体を持ち上げることができない。

 これでは応用が利かないのだ。


 ではどうする、ということで。

 そうだ、飛んでみよう! と僕は思い至った。


 今まで使っていた魔力の糸で、ぶら下がったり、持ち上げたりではない。

 魔力の糸を使わない方法である。

 例えば、全く何も無い空に放り出されても、身体を浮かせ続けられるように。


 ……。


 熟考するも、やり方が思い浮かばない……。


 手当たり次第、魔力の使い方を試す。

 すると、身体がわずかに持ち上がった。


 魔力で身体全体を覆い、床と接地している魔力へ圧力をかけるようにしたのだ。

 けれどこれは〝持ち上がった〟のであって、決して〝浮いた〟のではない。


 しかし、これはこれで楽しい。

 床との接地魔力を拡大する。

 ぐんぐんと、ドアノブの高さまで身体が持ち上がる。


 ここで、僕は今生では初めての感覚に見舞われた。


 眠気が強制的に襲って来たのだ。


 確かに寝不足で、眠たくはある。

 けれど、そういった正常な眠気ではないのだ。


 そう、に近い。


 それでも眠気、たかが眠気だ。


 僕は、持ち上った身体を維持しつつ、魔力の圧を後方へ押し出すようにし、前進を試みた。


 扉が迫る。

 と、そこで、僕の意識は途切れてしまう。



 ※



「う……」

「おそよう、ノア。もうお昼だよ」


 重い瞼を持ち上げると、自室のベッドで、ルノが僕を覗き込んでいた。


「チコの部屋の扉に突っ伏して寝てたよ。それも魔力切れで。何があったの」

「何がって、そりゃ」


 ここまで言いかけて、ふと気になる単語に意識が向く。


「えっと、魔力切れ?」

「うん、そう。魔力切れ」

「それってどういう」


 んっとねー、とルノが説明してくれる。


「なるほど。魔力が空っぽになると、強制的に眠ってしまうのか」

「初めてだったの?」

「うん」

「そっか。私は魔法の練習で、ノアが来るまで毎日なってたや」

「まじで」

「そだよ。魔力は使えば使うほど、総量が上がるの。でもね、個人差はあるらしいけど、ある程度成長すると、総量の上昇は無くなってしまうんだって」


 なんと!

 それは良いことを聞いた。

 これまでの時間を無駄にしてしまったことが悔やまれるけど、今からでも毎日取り組めばいい。

 どうせこの身体では出来ることは少ないし、魔力の総量を上げておいても損はないだろう。


「んでんで、何で魔力切れしてたの?」


「あー……」


 溜め息まじりに言いながら、ルノをちらりと睨む。


「な、なに」

「ルノとチコの寝言と寝相が酷くて、この部屋へ戻ろうとしただけ」


 うぐっ、とルノが息を吞む。


「チコのおっぱいよりも、私の寝言とか寝相のが嫌なのか……」

「いや、ルノだけじゃない。チコも大概だった」

「うー……」


 一応フォローしたつもりだけど、やはり効果はないようで。

 すごくしょんぼりとしたルノが、伏し目がちに僕から視線を外す。


「やっぱ、お父様に言って別の部屋に……してもらう……?」


 まさかその言葉が、ルノの口から出ようとは、夢にも思っていなかった。

 僕はすぐにでもその提案に乗ろうとした……のだけど。


 その時のルノの表情が、懐いた子に捨てられそうな子猫のようで、開きかけた口が閉じてしまった。


 少し考えて、僕は結論を出す。


「部屋は」

「う、うん」

「このまま一緒で」

「う、うん!」

「でも」

「う、うん?」

「ルノが寝入ったら、魔力消費も兼ねて、ある魔法の練習をさせてもらおうかな」


 練習? と小首を傾げたルノだけど、すぐに頬に両手を添えて、身体をもじもじとさせだした。


「まさか、し――」

「縛りません」

「先に言うなし!」


 私の恥じらい反応を返せと言わんばかりの逆ギレ。

 付き合い数日にして、もう慣れた自分が怖い。

 それはさて置き。


「どんな魔法かは秘密」

「えええ!?」


 ぶーぶーとぶー垂れるルノを放って置いて、僕は魔法の構想を練る。


 睡眠時、問題なのは二点。


 寝言、ようするに音と、

 寝相、ようするに打撃である。


 夜の対策を練っていると、チコが昼食(今日から始まる離乳食)を届けに来てくれた。

 そういえば朝ご飯抜きだった。お腹が空いたな。

 さて、まずは腹ごしらえだ。


 こうして僕は、今生初の固形物を口にしながら、魔法考案作業に耽るのであった。



 ※



「ガラス越しに、恋人同士が手のひらを合わせるの」

「うん」


 音はまだ通すようにしているから、ルノの声は聞こえる。


「それでね、想いを伝え合うんだけど、声は届かないんだ」

「ほほお」


 でもね、とルノは僕を見つめる。


「二人はどうしたのだとおもう?」

「少なくとも」

「うん」


「今のルノみたいな、潰れた顔はしていないとおもう……ぷっ」


 完全透明の空気の壁に、ルノが自ら押し付けて潰れた横顔は、まるでガラスに張り付いたタコのよう。笑わずにはいられない。


「じゃあこの障壁、解除しよ?」

「やだ。もう寝るんだからいいじゃん。ルノの寝相が良くなったら、その時に考えるよ」

「今夜からだいじょぶです」

「だめです。実績を積んで信用を作ってから。

 あ、ちなみに」


 横向きに寝そべり、頬杖をつきながら、僕はニヤっと不敵に笑ってみせる。

 ルノはそんな僕を見て、少し尻込んだみたいに、なに、と呟いた。


「おやすみの挨拶したら音も遮断します」

「えええ!? ちょっとなにそれ、酷すぎない!?」


 僕が考えた安眠対策。

 それは、ベッドごと部屋を真っ二つに別ける魔力障壁だ。

 流す魔力の質をいじれば、音も遮ることが可能であることが、昼間の実験で判明したのである。


 魔法障壁は、ベッドの下へも貫通させ(当然ベッドは傷つけないように)、僕の場所である窓側スペースを覆うように張っているので、振動も伝わらない。

 もちろん、窓部分にだけは障壁を張って無いので、外の心地良い環境音は聞こえるという優れものである。


 さらに、寝ながら魔力を扱う訓練も兼ねている。

 消費魔力もそこそこあることから、一時間もすれば魔力切れとなり、魔力切れの副作用である熟睡保証かつ魔力総量アップも見込めるのだ。


 我ながら良い魔法を考えた。


 そしてやはりというか、この魔法も、視認できない。

 おそらくこれも、チコが言う、精霊魔法ではないのだろう。


 僕が使う魔法は、いわゆる〝何魔法〟なのだろうか。


「それほどまでに、私の特殊能力が恐ろしい、か。我ながら罪作りな女だよ」


 疑問に抱きつつも、ぐっすりと眠れそうな喜びを噛みしめていると、またもやルノの小芝居が始まってしまった。僕を煽ってその気にさせ、障壁解除へ持って行く腹づもりなのだろう。

 まぁ今の僕は気分が良い。

 少し付き合うくらいの気持ちの余裕もあるというものだ。


「ほう。貴様の特殊能力とは何かな」


 僕の台詞に、ルノは「ふっ」と哀愁の漂う笑みを零しててから視線を外す。

 無駄に高い演技力だこと。


暴走寝相スリーピングビューティー……。禁断にして最狂の能力だ。私の意思とは無関係に暴走し、数多の敵を屠ってきた。故に貴様如きには止められないのも道理」


 何とでも言えと内心で吐き捨てる。

 言い返したりなんてしない。

 なぜなら今夜の僕は、安眠保証を得られているのだから。


 あ、でもせっかく思いついたから一言だけ。


暴走寝相スリーピングビーストに改名しようか」


 障壁の向こうで「んなっ!?」とか吠えているルノに、僕は穏やかに告げる。


「おやすみ、ルノ」

 と。


「ちょっとまっ」


 消音のための魔力を流す。

 一瞬でベッド右側の音が消え去る。


 ルノの方を向いて寝よう。

 今日は、落ち着いてルノの方へ身体を向けることができるのだ。

 昨夜は一晩中ルノの反対側ばかり向いていて、正直きつかった。


 ルノの悲壮で潰れた滑稽な顔を見ながら。

 心の中でもう一度。


 おやすみなさい。






 ~to be continued~


********************


るの「私はヒロインである」


のあ「らしいね」


るの「ヒロインに相応しい扱いを望む」


のあ「じゃあさ」


るの「うん」


のあ「ヒロインに相応しい言動を心がければ?」


るの「!! ノアは天才だね。

   確かに私にはヒロインぽさが

   足りていなかった気がする」


のあ「ほう。具体例をあげよ」


るの「ギャップだよギャップ」


のあ「……、一応聞こうか」


るの「完璧だったチコに弱点があったような」


のあ「歌はあれだったけど、リズム感はすごかった」


るの「私たちでバンドを組んだらドラム担当だね。

   そして私は花形である――」


のあ「三味線。猫皮の」


るの「いやああ!

   よくも……よくも……。

   あ。じゃあノアさんはご自身の余った皮を」


のあ「どこの?」


るの「決まってるじゃん、おちん――」


のあ「だから僕、身体は女だったんだって。

   心は男だけども。

   そんなことより、ヒロインが下ネタばかり

   言ってるのはどうかと」


るの は天井を見上げた


のあ「チコいないよ。っていうかそれがダメなんじゃないの」


るの「はっ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る