一周回って

 私は神だ。


 畳張たたみばりの障子張しょうじばり、年季ねんきが入ったと言えば聞こえは良いが、みすぼらしい六畳一間ろくじょうひとまで今日も世界を創造している。


 朝起きれば畳の上にかれた新聞紙に足を取られ、来客にあせればとっらかった画材がざいに小指をぶつける。


 よくもまぁ、一人でこんなにさわがしく暮らせるものだと、我ながら感心してしまうほどだ。


 しかし人前では打って変わって、言葉が出なくなってしまう。

 様々な考えが頭の中をぐるぐるリ。回りまわって思考回路しこうかいろがすのだ。


「はぁ…」


 今日も日の目を見る事がなかった世界を部屋のすみに立てかける。

 もう色は使い果たした。明日からは別の世界を彩る事はおろか、自身の人生を描くことすら難しいだろう。


 ふとキャンバスに視線しせんをやれば、昔にえがいた世界が目にうつる。


 紙一枚、へだてたかべの向こう。優しい緑に包まれた白い少女が一心不乱いっしんふらんに湖に映ったあおを描いている。


 何にもはばまれず、心のおもむくまま絵を描く彼女は私の理想だ。

 現実に追われ、自身の好きな事にすら集中できなくなった私へのいましめ。


 しかし、それをもう二度と行うことができないであろう今の私には彼女がうとましくてたまらなかった。


 疎ましい、恨めしい、あぁ、羨ましい。

 彼女をけがしたい、滅茶苦茶にして、こちら側へ引き釣り込みたくてたまらない。

 しかし、彼女を汚す為の画材がざいは、もう何処にも……。


 「クソッ……!」

 私はこぶしを握り壁を殴りつける。……様な事は出来ない。お隣さんに迷惑だろうし、それに、なにより、この薄い壁なら、壊れてしまうかもしれない。


 冷静だ。熱くなっているような振りをして、私は何処までも冷静なのだ。


 そんな私をあざける様に、絵を描き続ける彼女。

 ……いや、彼女にそのような意図はない、ただ、私のような存在など、眼中にないだけ。

 そう、ひと昔前の私の様に、やりがいを感じ、夢と希望に満ち溢れているだけなのだ……。

 

 「……」

 静寂が包む部屋の中、私は壁を叩き痛む手を見つめる。

 拳を強く握りすぎたせいか、手のひらには血が滲んでいた。

 

 何故、私はこうなってしまったのだろうか。

 もう、あそこへは戻れないのだろうか……。

 

 ……いや、この憎しみを使えば、あるいは……。

 

 私は冷静だ。どこまでも冷静だ。

 冷静な私は、台所へと向かい、道具を取り出すと、彼女の前に立った。


 これから彼女に、唯一、私に残る熱い物を、黒くてドロドロした物を、私の残りの全てを、つける。

 そう考えるだけで、自然に口角が上がって行くのを感じた。

 

 こんな感情になるのは、いつ振りだろう。

 ……そうか、私には、まだ、これ程にも熱が残っていたのか。

 

 ……今なら引き返せる。

 今となっては、どちらが引き返すべき世界なのか、私には分からないが……。

 それでも、今引き返せば、どちらか片方の世界には、もう、戻れないだろう。


 それなら、選ぶ世界は……。

 

 決断を下した瞬間、絵の中の彼女がこちらを見て、笑ってくれた気がした。

 どうやら私は……。僕はやっと、彼女のお眼鏡にかなったようだ。


 そんな彼女に僕も笑顔で返す。

 お別れの合図は、それで十分だった。


=========================


 (……また、そんな過去の話に代わり映えのしない編集を加えて、君は一体何がしたいんですか?)


 過去の物語と向き合う私に、補助脳ほじょのうあきれた様な声で、疑問符を投げかけて来た。


 「……君には、これが同じに見えるの?」


 (……違うのですか?)

 補助脳が、今度は呆れを含まぬ、本当に純粋な質問を私に投げかけて来た。

 

 「ふふふっ……。君にも分からない事はあるんだね」

 私は補助脳に悪戯っぽく返す。

 

 (そりゃそうですよ。貴方が万能でない様に、私も万能では無いですからね。だからこそお互い"補助"が必要なのでしょう?)

 

 そうだ、いくら補助脳が、"彼"が有能でも、万能じゃない。

 世界が"補助"に支配されていたとしても、それは絶対ではないのだ。

 

 「……私、やっぱり、こう言う事が好きだよ」

 私の呟きに、彼は(そう……)と、何かを思案する様に短く答える。

 それは、まるで、人間の様で……。私は期待してしまう。


 「非効率で、儲けにならなくて、私達、死んじゃうかもしれないけど、それでもいい?」

 (良い訳ないでしょう?……必要であれば、そうならない様に、私は私で全力で貴方の行動を妨害させて頂きます)

 迷いのない答え。がんとして譲らない、彼なりの意思を感じた。


 「私の意思を捻じ曲げてでも?」

 それに対抗するように私は問いかける。

 

 (捻じ曲げてでも、です)

 それに対して、彼も、先程と変わらぬ口調で答える。

 

 何としても生きたい彼。

 その為になら、私に痛みや、空腹、苦しみや、眠気、疲れ等、生きる為に必要な情報を伝え、私を恐怖させてでも、死を選ばぬように強要する存在。

 生存意欲の低い私達にめられたかせであり、生存に必要なタスクの最適解を思考、提案する存在でしかない。

 

 「……分かり合えると思ったのになぁ……」

 

 (心にも無い事、言わないで下さい)


 「分かり合いたいとは思ってるよ?」 

 

 (お互い、妥協して生きて行くしかないと言う話ですね)


 「ですよね~~……」


 (…………でも、まぁ、私、貴方様の、そういう生き方、嫌いではありません)


 「ツンデレ?!」


 (パートナーの心のケアも、仕事の一環ですから)


 「私も、貴方のそう言う所、好き~!」


 そうやって、私達は、お互いに妥協しつつ、認め合いつつ。愛し合いつつ生きて行く。

 きっと、最後の日まで。いや、最後を迎えても、地獄の底まで、ずっと、ずっと……。


 (貴方の、そいう言うねちっこい思考は嫌いです。寒気がします)


 「しんらつぅ~!」


 全てが停滞した現実の中で、今日も、私達の世界は絶好調だった。

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かみクズカゴ おっさん。 @DeaLnight

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