其之三 冥闇明察

 襄陽じょうようの学術機関・荊州けいしゅう学府。宗室そうしつに連なり、名君としての評判が高い現荊州ぼく劉表りゅうひょうがその威信をかけて設置した。旧都・洛陽らくようの焼失時に廃校となった太学たいがく(国立大学)をしのび、それにならい、それを越える教育機関を目指して襄陽城外に建設された。数棟の立派な講堂と学舎が建ち並び、庭園が整備されたそこはまさに新たな教育の中心地である。

 荊州学府には主流の古文学だけでなく、書道、医学、そして、清談せいだんクラスが設置されていた。といっても、清談クラスは常設ではなく、正式なクラスでもない。教授もいない。何人かの学生たちがたむろして勝手にそう吹聴ふいちょうしているに過ぎない。サロン活動に近い。

 清談とは、後漢末以来、貴族社会に流行した『老子』『荘子』『易経』を中心とする虚無きょむ的・超世俗ちょうせぞく的議論をいう。魏晋ぎしん代の〝竹林の七賢しちけん〟が有名である。

 彼らは俗世間を離れた風流かつ高尚な話に花を咲かせたが、荊州学府の自称清談クラスはそれとは違い、俗世間の様々なことも話題にした。政治や群雄のことを話題にすることもあれば、一個人の家庭のことに議論を費やす場合もあり、世相を知るための情報交換の場という意味合いが強かった。

 彼らは学舎ではなく、庭園の一角にある〝文通亭ぶんつうてい〟というあずまやの下に集まって、自由闊達かったつな議論をする。荊州学府を訪れた時は孔明ももっぱらこの清談サロンに参加している。本日のテーマは「死後の世界」だ。

 少々風変わりだが、どんよりと曇った空と亭を囲む竹林が微かな陽光をもさえぎってしまっているせいもあり、日中なのに、黄昏時たそがれどきかと錯覚さっかくさせるほどのおどろおどろしさがテーマに適していた。

 その暗さの中、孔明がしきりに『論衡』を読む姿を見た学友の一人、徐庶じょしょがさりげなく孔明に感想を尋ねたのが始まりだった。

「非常識なところが面白いよ。少々過激だけど、合理的だと思う部分もたくさんある」

「例えば、どんな?」

「簡単に言うと、今の一般的な考えにはたくさんの間違いがあるってことだね。例えば、今は厚葬こうそうが先祖に対する孝行だというのが当たり前になっているけど、それは間違いだって言っている」

「ふ~ん。その理由は?」

 学友の孟建もうけんがそっけなく聞いた。

「人は死んでも幽霊になったりしないから。人が死ぬのは火が消えるのと同じ。死んだら、何もなくなるだけと言っている。だから、礼儀程度の祭祀でいいんだって」

「おいおい。まさか、それをに受けて叔父さんの葬儀を薄葬はくそうにしたのか?」

「あれは叔父の遺言ゆいごんだよ。家庭の事情さ」

 そう言って、孔明は同じ学友の石韜せきとうの嫌疑を否定した。

「とどのつまり、その本では死後の世界がないと言っているのか?」

「そうなるね。個人的にはやっぱりあると考えたいけど。また両親に会いたいと思うし、過去の著名な方々に会って話ができると想像しただけで面白いじゃないか」

「仮にその著名人に会えるとしたら、誰に会いたい?」

「まずは管楽かんがくの両名かな」

 孔明が挙げたその名は春秋時代のせいの名相・管仲かんちゅうと戦国時代のえんの名将・楽毅がくきのことである。この二人を合わせた人物こそ、孔明の理想だった。

「いや、その二人の時代は数百年も離れている。あの世がないという考えには賛同しがたいが、あの世があるとしても、その差はあるはずだ。その問題はどうなる?」

 学友の中でも最年長の崔州平さいしゅうへいが首をひねるようにして呟いた。

「それは私も分かりません。この本では、仮にあの世があったら、現生を生きている人の数より過去に死んだ人の数が圧倒的に多いはずだから、それが霊魂となって存在したなら、一方的に増え続けて一面人だらけになっている。そういう矛盾を言っていますね」

「だから、あの世がないという考えになるわけか。確かにそんな世界は想像したくない。しかし、仮にあの世がないとしたら、世間は大騒ぎになるな」

「それはそうだろう。あの世があって、死後もこの世と同じ様に人生を過ごすというのが一般認識だ。それが否定されたら、天地がひっくり返る」

「そうなったら、〝冥婚めいこん〟の風習も意味が無くなるんだが……」

 徐庶が言った冥婚とは、若くして未婚のまま死んでしまった者と同じように未婚のまま死んだ異性を結婚させ、死後の幸せを願う風習である。

 遺族が死者の魂をとむらうために考え出した風習であったが、長引く戦乱や伝染病の蔓延まんえんで死者が爆発的に増えている昨今、この風習を悪用した遺体売買が闇商売として成立しつつあった。

「ああ。南陽で冥婚用の死体を商品として売りさばく連中がいるという話を聞いたが、恐らく白波はくは賊の残党だ。折しも曹操そうそう張繍ちょうしゅうの間で激しい戦いがあったばかりだ。奴らはわざわざ戦場跡に出かけて行って死体を盗む。戦争がなければ、墓荒らしもやるというから、人倫の欠片かけらもない。劉荊州は張繍を支援していた。遺族の中には息子を兵に出した挙句あげくに失って、おまけに遺体も戻って来ないという者もいるらしいから悲惨だ」

 言いながら、崔州平が静かにいきどおった。彼は昔、西河せいが太守を務めていたことがある。そこでは黄巾の乱以降の秩序崩壊により、白波賊や黒山こくざん賊という山賊集団が跳梁跋扈ちょうりょうばっこして次々と城邑や村落を寇略こうりゃくし、社会問題となった。崔州平は郡兵を投入してその討伐をこころみたが、大きく乱れてしまった世の流れの中では正義の旗を掲げても悪に打ち勝つことはできず、ついには西河郡を失ってしまったのである。

『歪んだ教育や間違った知識が秩序を乱す。乱れた秩序と腐敗した政治が重なると戦乱に発展して人々に大きなわざわいをもたらす。今はそれが極まった状態だ。これをすみやかにかつ根本的に解決するには外科的治療として、軍事的平定が必要となる。同時に内科的治療として、正しい知識を道徳教育という薬にして、広く処方しなければならない……』

 崔州平が顔を曇らせ、うわの空になっている孔明を見て聞いた。

「孔明、どうかしたのか?」

「……ああ、どうして世の中がこんなに暗くなってしまったのか考えていたんです」

「何を今さら。それは政治のせいだ」

 孟建の断言に石韜が頷いて、付け加えた。

「くだらない人間が政治に関わるからだ。特に昨今は悪徳な人間が多く政治に関与してきた。こうもなるはずだ」

「つまり、それは政治のどこかが間違っていたということになるし、教育の何かがおかしいということになる」

 漢は儒教の徳治とくち主義(仁義や礼節など人徳を重んじた考え)を政治に取り入れ、孝悌こうていもって民衆を教化してきた。しかし、それでも世の中が乱れてしまうのは、孔子の教えにも孟子の言葉にも、あるいは、儒学の経典のどこかに間違いや矛盾が潜んでいるからだ。

「この『論衡』は孔孟批判や政治批判もあるんだけど、今の常識や当然だと思っていることの中にはたくさんの嘘や間違いがあると伝えたかったみたいだね。要は正しい認識が重要だって言いたいんだと思う」

「孔孟を批判するなんて、それじゃ普及しないはずだ」

「屁理屈を並べ立てただけじゃないのか?」

 孔孟批判と聞き、生真面目きまじめに儒学に励んだ孟建と石韜が拒否反応を示した。

 二人がそう評したように、多くの禁忌きんきに触れた『論衡』は当時、理解されることはなかった。常識や定説、タブーに縛られない柔軟な思考がないと、この『論衡』を読み解くことはできない。

「それを聞いていると、連中は無駄なことをやっているような気がするな」

 徐庶が古文学クラスの学舎に目をやって呟いた。孔明もその学舎に目をやり、

「全てが無駄なわけじゃないさ。でも、経典の中にもあやまりがあるって言っているから、正しいことも間違ったこともいっしょに勉強しているということかな。何が正しくて何が間違いかはそれぞれが判断すればいいことだけど……」

 その古文学クラスがざわついていた。何があったのか分からない。孔明たちが駆け付けてどうしたのか聞いてみると、学生の一人が証言した。

「先程仲景先生が仲宣ちゅうせんが病気を持っているからと言って、薬を飲むように忠告して行ったんだ。仲宣は全然信じていない様子だったけど」

 証言したのは、蔡睦さいぼくあざな子篤しとく兗州えんしゅう陳留ちんりゅうぎょ県の人で、後漢の衛尉えいい(宮中警護)を務めた蔡質さいしつの孫である。後漢の大学者・蔡邕さいようは彼の従弟いとこ叔父おじに当たる。

 そして、蔡睦が言及したのが、王粲おうさんあざなを仲宣。劉荊州とは同郷、兗州山陽郡高平こうへいの出身の二十三歳、古文学クラス一の若き秀才だ。

 王粲が蔡邕の弟子であること、同じ兗州の出身で年も近いこと、共に詩文の才能があることなど共通点が多く、二人は仲が良い。

 王粲は非常に記憶力に優れた人物で、蔡邕の講義をそっくりそのまま再現できる能力を買われて、学生ながら臨時教授も兼ねる。この日も教授を務めていたらしく、一休憩して教室を出たところ、張仲景が呼び止めて言った。

「――――君は大きな病を持っている。放っておけば、四十歳で眉が抜け落ち、死んでしまう。今度私が薬を用意して持ってくるから、服用しなさい」

 彼の望診の目が王粲の表情に病相びょうそうが現れているのに気が付き、忠告したのだ。とはいえ、王粲は王粲はいきなりそんなことを言われても信じることができす、

「――――はぁ。ありがとうございます」

 そっけない返事を返して、教室に戻ってきて授業を再開しようとした。

「その後に変な奴が現れて、頭の管理はできても体の管理ができない病学生とか、頭でっかちでは倒れるのも当然だから、大成するはずもないとか、仲宣を誹謗ひぼうして行ったんだ」

「あれは誰だっけ? 新しい教授かな?」

「まさか、あれが?」

 他の学生たちが謎の人物について語るのを横目に、蔡睦が教授不在になってしまったクラスをちらりと振り返って言った。

「とにかく立て続けにそんなことを言われて、仲宣は怒って帰ってしまった」

 もう当事者はいないらしい。孔明たちはそんな学生たちの証言を聞いただけで、

「誰なんだろうな、王仲宣を怒らせた奴って?」

 それを推測しながら、文通亭に引き返した。ふと、文通亭の前に誰か立っているのが見えた。みすぼらしい身なりをした人物がこちらを見つめ、一直線に向かってくるなり、

「ここにいるのも蝌蚪かとばかりかな?」

 その男はいきなりそんな皮肉をぶつけてきた。蝌蚪というのはオタマジャクシのことだ。その不穏な台詞せりふから、この男が騒ぎを巻き起こしたらしいと理解するのは容易だった。

「どなたですかな?」

「相手に名をたずねる前に自ら名乗るのが礼儀である」

「失礼した。私は博陵はくりょうの崔州平」

 崔州平はムッとしながらも、その相手に応じた。自分をただの学生のように思っているのだろう。出自を明らかにすれば、すぐに無礼だったことを理解するはずだ。

 崔州平の考えは正しかった。確かにその相手はそれを認識した。しかし、

「我は平原へいげん禰正平でいせいへいと申す。州平殿よ、こんなところで何をしておられる。劉荊州に兵を請う文書の書き方を勉強しておられるのか? 西河を失ってから、随分と時が経っておりますが」

 それは崔州平の経歴を知った上での暴言だった。まるで恥部をさらされ、傷口に塩を塗り込まれるようだった。崔州平の顔がみるみる紅潮した。

「無礼な!」

 はずかしめられた学友を救うべく徐庶が腰にぶら下げた剣の柄に手を当て、傲慢不遜ごうまんふそんな相手の口をつぐませようとした。ところが、その男はそれにひるむどころか真っ向から対抗して、

「ここは剣術も教えるのか? それにしてはそなた以外に兵卒志望は見当たらぬが」

 口撃こうげきの標的を徐庶にも向けた。徐庶は剣の柄を握しめたまま怒りを押し殺し、打ち震えるだけだった。徐庶とて本気で剣を抜く気はない。それを見通してあざけっているのだ。

 一気に熱を帯び始めたそこに、孔明が一陣の風のように割って入った。

「諸葛孔明と申します。失礼ですが、こちらの学生でしょうか? それとも、新しくいらした教授でしょうか?」

「うん? どちらでもないわ。つまらん腐れ儒者から学ぶべきものはない。無知蒙昧むちもうまい豎子じゅしの集まりに教えるべきものもない。なんじらは足も生えておらぬ蝌蚪に過ぎん」

 崔州平と徐庶だけでなく、孟建・石韜らも豎子(小僧)と斬り捨てられて、切

歯扼腕せっしやくわんするだけだった。孔明は何とかこの場の熱を抑えようと試みる。

「はい、その通りだと思います。それでも何とか足を生やし、立派なかわずになろうと努力しています」

 孔明はその口撃をそのまま受け止めるのではなく、完全に耳をふさいで防ぐのでもなく、一部だけを受け取ってうまく勢いをかわした。

「ほほぅ。どんな蛙になりたいというのだ?」

「目ざわりな姿もいとわず、耳障りな声をも厭わない。堂々と鳴く蛙が自然で最上かと」

 男が振り返る。答えたのは、遅れてきた学友・龐統ほうとうだった。龐徳公の族子おいにして、〝鳳雛ほうすう〟(鳳凰ほうおうひな)と期待される俊才。うだつの上がらない風貌は当てにならない。

「……ふふん、なるほど。ここには多少、足の生えたのもおるようだな」

 男はそれを聞いて舌鋒ぜっぽうを収め、

「ここに習家のともがらはおるか?」

「私たちがそうですが」

「ならば、習家へ行ってみよ。の家のかわず共が大鳴きしておるぞ」

 そして、身をひるがえして、

「だが、この世界でいくら鳴こうが、所詮しょせんは井の中の蛙。今にそれが分かる」

 背中越しにそんな台詞を言い残し、不穏な空気を遺してその場を立ち去った。

 その場にいた皆が複雑な気持ちを抱え、男が木々の暗がりの向こうに消えていくのを目で追った。

 禰衡でいこうあざなを正平。孔明と同じように青州から荊州に避難してきた疎開組だった。

 特に弁才に優れた知者であったが、性格がねじ曲がっていた。口はわざわいの元であることを実証するような人物で、許都におもむいて曹操とその部下を酷評したという。

 虚名があったため命拾いしたが、すぐに許を追い出され、荊州に出戻ってきた。

 禰衡が数日前に江夏こうか太守の黄祖こうそに殺されていたと知ったのは、その翌日のことだった。


 孔明は黄承彦こうしょうげん邸にいた。黄承彦と黄祖は同族なので、江夏の情報がいち早く手に入った。小さな望楼の診察室で、孔明は昨日の出来事を話した。相手はもちろん月英げつえい黄華こうか)だ。

「まぁ……。では、孔明様が見たのはその方の幽霊でしたの?」

 月英は孔明の話を聞いて、興味津々に尋ねた。先日の件以来、孔明に対してはすっかり心を許してしまっている。孔明も月英と話すのに緊張はない。

「いや、それは何とも……」

 孔明は返答に困った。黄承彦から聞いた情報が正しければ、そういうことになる。

 しかし、あれが禰衡本人であったかどうかは定かでない。誰かの悪いいたずらで、本人の名を語った偽者かもしれない。孔明は幽霊というものを見たことがないし、そもそも幽霊と意思疎通できるものなのだろうか。服も着ていた。

 王充おうじゅうは『論衡』の中で、幽霊の正体が死者の魂だとするならば、裸で見えるはずだと言及している。物である衣服に精神は宿っていないからだ。

「もしかしたら、これと同じ様なものなのでしょうか?」

 月英は自分の顔を触って言った。彼女の顔には病の後遺症がなお残る。

 あの晩、彼女の顔から消えたはずの陰気の固陋ころうは再び姿を現して彼女に取りいていた。だが、月英はもう落ち込むことはなく、自分の運命としてそれを受け入れた。

 あれが一時の奇跡であれ、月夜の下の幻想であれ、確かな希望を見た。具体的にどうすればよいのか、それはまだ分からない。

 それでも、治療法は存在する。そう信じることができた。それに目の前に座るこの青年は自分の良き理解者だ。たとえ回復しなくとも、自分の顔を見てあざけったり、忌避きひしたりは絶対にしない。

「どういうことですか?」

 孔明が月英の顔を正面から見つめて聞いた。

「以前、孔明様がおっしゃっていたでしょう。あらゆるものには陰と陽の両面が存在すると。ですから、そのお方の魂が陰気となって、この世界に固執されているのかもしれませんね」

 月英が言った言葉を捕捉修正すると、人の霊魂もまた陰陽二気でできていて、陽気が〝こん〟、陰気が〝はく〟である。つまり、禰衡の魄がこの世に留まっているのではないかということだ。孔明は陰気が凝縮して形を為す事例を知っている。黄華の顔に残る後遺症がそうだし、烏有うゆう先生のからすがそうだし、餞別せんべつにもらった羽扇がそうだ。そして、かつて孔明がその手に触った伝国の神器じんぎ青龍爵せいりゅうしゃくがそうだった。

「なるほど。そうか」

 孔明が頭の中に蓄積した情報と過去の体験をすり合わせて、納得したように頷いた。禰衡が服を着ていた理由も、陰気が形を為したものだったと考えれば、説明がつく。孔明が席を立った。

「もう行ってしまわれるのですか?」

「承彦先生から聞いたと思いますが、習家の娘さんの行方がわからなくなってしまったそうで、皆で捜しに行くのです」

「ああ、聞きました。人さらいとの噂のようですね。無事に見つかるとよいのですが」

「月英殿も人さらいにはご用心ください」

「私は屋敷を出ませんから、ご心配なく。幽霊の人さらいだったら、分かりませんけれど」

 月英がそんな冗談とも本気ともつかない台詞せりふを言って、孔明を見送った。


 北は峴山けんざんの山並みに臨み、東は漢水に接し、はるか蘇岭山それいさん鹿門山ろくもんさん)を望む。

 峴山の南方三里(約十二キロメートル)の地点に位置する習家の園林は広大かつ美麗で、漢代の名園として名高い。そこには後漢を興した光武帝と親しかった習郁しゅういくの権勢がそのまま形となって残っている。

 孔明たちがサロン活動の場にしている文通亭は、習郁のあざなである〝文通〟に由来する。園内には屋敷群と楼閣、霊廟れいびょうのほか、大小二つの養殖池があり、その間につつみと道が整備されている。園内の至る所にかしわ松竹梅しょうちくばい等の吉祥の樹木が配置されていたが、此の度の凶事はこの園内で発生した。

「いったいどうやったら、ここから人目に触れず、痕跡も残さず連れ去れる?」

 園林の端まで歩いてきて、徐庶が首をかしげた。園林の三方は川から引いた水で堀のように囲っている。だが、舟が残されているわけでもなく、誰かが堀を渡った跡もないという。

 習家のような豪族は大抵自衛のために私兵を雇っている。裏門には門兵が詰めており、邏卒らそつ(見回りの兵士)もいるのだが、彼らも怪しい人物は見ていないという。

 つまり、外部から何者かが侵入した形跡がない。娘がさらわれて外部に連れ出されたという憶測を疑わざるをえない。

「家の者が池の底から墓陵ぼりょうの中に至るまで、園内隅々くまなく捜索しましたが、どこにも見当たらないのです」

「私兵が嘘をついているという可能性は?」

 園内の探索に同行した龐統も内部犯行の線を疑った。

「それはありません。皆、先代から仕えてくれている者たちばかりですし、信用できます。たとえ誰かが怪しい行動を起こしても、すぐに露見するでしょう」

 答えているのは、習禎しゅうていという習家の若者だった。習禎はあざな文祥ぶんしょうという。今年から新しく加わった孔明たちの学友でもある。

「じゃ、外部から何者かが侵入してその娘をさらったとして、金の要求はあったのか?」

「それらしいものが。あの木です」

 徐庶、龐統、そして、孔明の三人が習禎が指差した柏の古木の下へ歩いた。

 崔州平は孟建と石韜を連れて、近辺を聞き込みして回っている。

峴拾萬けんじゅうまん

 孔明が木の幹に刻まれた三字を指でなぞりながら、読み上げた。柏の樹皮が刃物のようなもので削られて、文字として刻まれている。

「峴山に十万銭を持ってこいということか?」

「恐らくそういうことだと思います」

「さらった家から金を取ろうというなら、単純な劫質ごうしつか」

 龐統がそう呟いた。劫質とは人質誘拐のことだ。

「家の者が金策に走っていますが、いくら何でもそんな大金をすぐには用意できません」

 習家は養殖した魚をすべて売り払おうと大わらわだった。

「さらったのが西河殿が言っていた白波賊の残党かどうかは分からないが、金を払わなければ、娘は殺されて冥婚用の死体にされてしまうかもしれない」

「そんな!」

 いつもは恬然てんぜんとしている龐統が冷徹な推理を働かせて、習禎は慌てた。冥婚と聞いて、羽扇を手にした孔明が月英の言葉を思い出して言った。

「まさか本当に幽霊の人さらいでは? 身代金は冥銭めいせんで用意しましょう」

 冥銭とは、死者があの世の生活で困らないようにと遺族が手向たむける冥界用のお金のことをいう。紙幣を燃やして、送金の代わりとするのが風習だ。まだ紙が一般的に普及していなかった時代は泥で作った冥銭が手向けられた。

 突拍子とっぴょうしもない孔明の提案に徐庶が、

「孔明、こんな時に冗談はよせ」

「冗談というわけではありません。もう元直殿も禰正平のこと耳にしているでしょう?」

「何日も前に江夏で殺されてたって話か。じゃあ、あの荊州学府で俺たちにみついてきたのは誰なんだ?」

まぎれもなく禰正平です。死んだ後の」

「ちょっと待て。俺たちは幽霊と話したのか? お前の読んでいる『論衡』じゃ、幽霊は存在しないんだろう? どうせ誰かのいたずらだ。偽者に決まっているさ」

「あの本に書かれていることが全て正しいとは思っていません。自分の中で正しいものと間違っているものを判別して、得られた情報から虚を除き、実をつかむことこそが肝要だと思っています。幽霊についての私の見解は、『一時的に存在するのかもしれない』です」

「……その根拠は?」

「以前南昌なんしょうにいた頃、浮図ふとの者たちの話を聞いたことがあります。浮図の教えでは、人は死後四十九日の間、霊魂がこの世を彷徨さまよっているのだそうです」

 孔明は疎開の旅路の途中で、揚州の予章郡南昌にうつった。叔父の諸葛玄が袁術によって予章太守に任命されたからだ。そして、紆余曲折うよきょくせつがあり、諸葛玄の代わりに南昌を支配したのが笮融さくゆうだった。笮融は浮図(仏教)を信仰しており、彼が連れていた兵の大半が仏教徒だった。孔明は情報収集する中で、彼らの浮図の教義を聞いていた。

 孔明の父は病死する前、危篤きとく状態から一時的に回復したが、四十九日後に死んだ。

 笮融に敗れた孔明の叔父も戦傷が原因で危篤となった。張仲景の治療で命を取り留めたが、襄陽に着いて間もなく息を引き取った。意識が回復してから死ぬまでの日数は数えていないが、二月ふたつきに満たなかった。恐らく四十九日だったのだろう。

 父の場合も叔父の場合も、霊魂が幽霊となって彷徨うことなく肉体に留まり、四十九日の仮の命を得たのだろうと孔明は解釈している。

「仮にそうだとして、幽霊がどうして人をさらう必要がある?」

「やっぱり金が欲しいのだと思います。元は人ですから。死した後も人の欲望を抱えたまま彷徨っているのでしょう」

「それで冥銭か……」

 孔明の突飛とっぴすぎる考えに鷹揚おうように応じながら、龐統がぽつりと呟いた。

「おいおい、まさか士元も孔明の話を信じるのか?」

 徐庶の呆れるような視線も気にすることなく、龐統は表情を変えずに答える。

「この世界でいくら鳴こうが井の中の蛙……。ずっと禰正平が言った言葉が気になっていました。つまり、あれはその他の世界があるのだと言いたかったのでは?」

「じゃあ、何ではっきりそう言わない?」

「それはきっとあの御人ごじんの性格ですよ」

 孔明がそう付け加えた。

「皆で同じ道を捜しても、仕方がありません。皆が目も向けぬ道を捜してみるのもよいかと思います」

 臥龍がりゅう鳳雛ほうすうの二人がそんな結論に達しようとするものだから、徐庶も習禎もそれ以上反論の言葉を見つけられなかった。


 幽霊の人さらい――――もちろん、そんなものは信じてもらえるはずがない。

 通常の捜索は習家の大人たちに任せ、孔明ほか三人、そして、報告のために帰ってきた崔州平ら三人、合計七名の仲間内だけでその対策を練った。

 それは孔明が言ったように冥銭を用意することである。習家の屋敷の一室を占拠する形でそれは遂行された。

 徐庶らは半信半疑でそれに協力しながら、孔明に聞いた。

「冥銭に何か形式があるのか?」

「いえ、特にないと思いますが、気持ちを込める意味で、できるだけ五銖銭ごしゅせんに近付けましょう。さすがに十万枚は無茶ですから、一つを百銭として、千枚作りましょう」

 五銖銭は前漢の武帝の時代に鋳造ちゅうぞうされた青銅製貨幣で、後漢代においても流通していた。重さが五銖 (約三.三五グラム) のため、そう呼ばれる。

 幸い豪族である習家は良質な紙を保有していた。三人がそれを円形に切り、三人が中央に方孔ほうこう(四角い穴)を開け、孔明が大きめのそれに本物に似せて、〝五銖〟と〝冥福〟の文字を記した。日が暮れる頃には全部で千枚、十万銭の紙幣を用意できた。孔明が冥銭の束を抱えて言った。

「これで身代金が整いましたね。では、私が峴山へ持って行きます」

「今からか?」

「はい。峴山は霊山だということですし、夜は陰気で満たされますから、彼らも姿を現すのではないかと思います。皆さんは半信半疑でしょう。ですから、私が行きます。皆さんは他の対策を講じながら、こちらで私の帰りをお待ちください」

「おいおい、一人で大丈夫か?」

「ええ。実は昔、私自身が人さらいに遭ったことがあります。その時は自ら交渉して無事解放されました。やり方は心得ています。さすがに幽霊が人を殺すなど信じていませんし、大丈夫ですよ」

 肝要なのは交渉力だ。道理を説き、時に相手をあざむく。舌鋒ぜっぽう。己の舌を武器に戦うのだ。

「私も付いて行こう。案内がいるだろう」

 いち早く孔明の意見に同意を示した龐統がぽつりと言って、静かに同行を進み出た。その流れに徐庶もようやく意を決し、剣の柄を握り締めて宣言した。

「しょうがない。乗りかかった船だ。俺も行く。またあの狂人が出てきたら、今度こそは返り討ちにしてやる」

 徐庶は撃剣げきけんの名人だ。撃剣とは、フェンシングのように剣を操る一種の武芸である。徐庶が学問だけでなく、撃剣の鍛錬たんれんをしているところを孔明も見たことがある。

 それで幽霊に対抗できるかどうかは分からないが。とにもかくにも――――。

 孔明、龐統、徐庶。若者三人が間もなく夜陰に包まれようとする峴山に向かった。



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