エピローグ スクラップ・ストーリー


 西郷と遥音が定期大会で優勝を果たした翌日。


 庭の葉に朝露きらめく、日曜日の朝。

 西郷は原因不明の緊張に悩んでいた。


「なんでだ、妙に落ち着かない……」


 この日は大会優勝を祝って、遥音と二人で打ち上げの約束をしている。

 おしゃれした遥音には興味があるし、見るのも楽しみだ。

 伝えたいことだってたくさんある。

 だがその反面、彼女と会うのを想像すると西郷の胸が痛み、息苦しくなる。


「でも約束を反故にもできない……よし行くぞ、行くんだ俺!」


 そう言って玄関へ向かった彼は、廊下でエルとすれ違う。

 エルは起きて間もないのか、寝間着姿のままで寝ぐせもついている。


「ハルちゃんと打ち上げ?」

「ああ、エルは今日も仕事?」

「だねー、世界大会本選二日目」

「頑張れよ、言ノ葉テル」

「もち、目指すは頂点だからね」


 小さくガッツポーズを作るエル。

 自分より若く小さいのに、努力を惜しまず上を目指す義妹を、西郷は一人の人間として尊敬する。

 西郷がエルの肩を軽く叩いて励ます。


「エルは自慢の妹だよ」

「……ども」


 エルの返事は素っ気ない。

 しかし、これがエルなりの照れ隠しなのだと彼は理解している。


「あとさ、たー」

「うん?」

「……優勝、おめでと」


 そっぽを向きながら、エルは兄を言祝ぐ。

 その愛想はないが虚飾もない祝福が、西郷には妙に嬉しかった。



 映画館の暗い廊下を西郷は進む。

 青いLEDのみが照らすそこは、さながら宇宙船や潜水艦の中のようだ。


 ADDのメッセージによると、この先のチケット売り場で遥音が待っているらしい。

 そのせいなのか、一歩進むごとに西郷の鼓動は強く、早くなっていく。

 しかし逃げ出すことはできない。


 西郷は遥音に伝えなければならないことがある。

 挫折を経験し、夢や望みに背を向けていた彼に戦う勇気を与えたのは、遥音だ。

 彼女の支えがなければ、今の西郷は存在しなかった。


 西郷は思う。

 人は誰しも夢を抱き、挫折を知る。

 際限なき試練と挑戦、その過酷な戦いに心が折れ、やがて諦めを覚える。

 そして心を殺しながら日々を生き、未練と後悔に苦しみ続ける。


 勝者以外にとって、この世界はあまりに残酷だ。

 戦う者も諦める者も、生涯傷を負いながら生きていく。

 夢持つ人間は、どう生きたって辛い。


 どうあがいても傷は負う、ならば――戦った方がいい。


 他の誰でもない、自分の望みのために戦い、生きるのだ。

 挑戦に伴う痛みよりも、自分の願いを押し殺す痛みの方が耐えがたい。


 己を裏切り、心を殺して歩む人生は悲しい。


 そのことを、西郷は身をもって知っている。


「だから、伝えなきゃ」


 ついに西郷は遥音のもとに辿り着く。

 二人が出会った、思い出の場所。


 懐旧の映画館。

 そこに、彼女はいた。

 見違えるほどに可憐で、綺麗な姿の遥音が。


 純白のボウタイブラウスは仕立てが良く、胸元で結ばれたリボンは上品でかわいらしい。

 ブラウスの上に羽織るカーディガンは黒を基調としながらも、裾のほうに刻まれた白のラインがアクセントとして効いている。

 膝まで伸びる黒のプリーツスカートはしわ一つなく、その下はハイソックス、ローファーと続く。


 黒色を基調としフォーマル寄りにまとめられたその恰好は良家のお嬢様然としており、気品とかわいらしさを併せ持った彼女に視線が釘付けになる。


 そしてなによりも注目すべきは、彼女の素顔だ。


「……眼鏡、外したんだ」

「う、うん……」


 コミュニケーションへの苦手意識からかけていた伊達眼鏡は取り払われ、長かった前髪もヘアピンでまとめられている。

 結果露わになった遥音の素顔は、ギャップ補正もかかり西郷にはこの上なく可憐に見える。


「あの……変だったら、言ってほしい……」

「や、や、いや、全然!?」


 予想を超えた遥音の仕上がりに、西郷は動揺してしまう。

 もはやタダで眺めるのが申し訳なってくるほどだった。

 そこで彼はとある事実に気づく。


 ――この上、さらに隠れ巨乳だって……!?


 普段の地味な恰好に隠されていた遥音のプロポーションの良さが、ここにきて明らかとなったのだ。

 予想外の秘密兵器の登場に、西郷はもはや全面降伏するほかなかった。


「か、かわいいと思う、ほんと、すごく……!」

「あ、あ、……っ」


 西郷の心からの賛辞に、遥音は照れ、思わずうつむいてしまう。


「かわいいし、似合ってるし、かわいいし……かわいいよ!」


 いてもたってもいられなくなり、遥音はとうとう手で顔を覆ってしまう。

 西郷も西郷で心臓が早鐘を打ち、心臓が破裂しそうなほど痛む。

 それでも彼はこらえ、伝えるべきことを伝える。

 自分を支えてくれた、かけがえのない少女へ。


「――ハル、ありがとう」


 君がいたから、前を向けた。

 傍にいてくれたから、戦えた。

 君のおかげで今がある。


「俺はこれからもハルといたい、一緒に戦いたい」


 だから。


「俺も君を支えるから、これからも……隣にいてほしい」


 それは少年の、偽らざる感謝と、願い。

 遥音は涙ぐみながら、うなずき、応える。


「はい……っ」


 少年少女の再起をかけた物語は、ここに幕を下ろす。


 そして新たに始まるのは、少年少女の――――。



 恋の、物語である。


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スクラップSt. 東条計 @Koake

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