2 がっかり

 彼女についていくだけで、色々なことが判明しました。

 彼女が成績にこだわりを持っていること。そのために私を敵視していたこと。無口で無表情な外面に反して、内面は意外と繊細なこと。

 私が近づきすぎると、すぐに距離を置こうとすること。そのくせ、私を追い払わないでいてくれること。成績に関する弱みをちょっぴり刺激するだけで、一日は口を利かないくらいに怒ること。

 でも、分かったのはこれくらいです。正直、手こずりました。

 彼女は頑なにその人間嫌いの核心にあるものをさらけ出そうとしません。そして私を友達だと一切認めてくれません。ある日、わざと彼女を離れて元のグループで行動してみましたが、彼女は気にする素振りを全く見せませんでした。困ったちゃんです。

 一度、彼女から私をカフェに誘ってくれたことはありましたが。

「いつあんたと友達になったの?」

 そう言い張るくらいには、誘い自体が彼女の意図しないものだったようです。期末試験が終わったとき特有の解放感でやられただけ、とのこと。

 まあ、自分から話し掛けてくれたぶん進展があった、と考えた方がいいでしょう。

 一学期中はずっと近くにいたはずなのに、未だに自嘲しているときと苦笑以外で笑っている顔を見たことがありません。私が言うのもなんですが、相当な捻くれ者です。特に、その自嘲癖。関係のないことでも冗談っぽく自分を卑下します。

 目的を持って彼女と関わろうとでもしなければ、とっくに友達になることを断念していたのでしょう。本当に困ったちゃんです。


 夏休みに入ると、私は彼女をT大のオープンキャンパスに誘いました。いい返事をもらったときは素直に嬉しかったです。今までの努力が報われたときの達成感、でしょうか。

 服を選ぶのは面倒なので、制服を着ていくことにしました。改札口で彼女を見つけたとき、同じく制服姿の彼女は気だるそうに携帯を眺めていました。まさか、私より早く駅に着くとは。これでも二十分前です。

「おはよう! 早いね、待っててくれたんだ」

 私が駆け寄ると、彼女は冷たい顔で携帯をしまいました。

「電車乗るのがたまたま早すぎただけ。変な誤解しないで」

 相変わらずツンツンしていますが、なぜか憎めない感じがします。根っこが優しそうだからでしょうか。いえ、今まで何か優しくしてもらった訳ではないのです。せめて言うなら、一緒にアイスを食べた日に頑なに奢ると言い張っていたことでしょうか。あれは優しさというより、発言を履行すべきだという責任感の表れだと思われますが。

 T大の中は人でいっぱいでした。木々の隙間から太陽の光が頭に降り注がれます。せわしなく動く人々の間を縫って、彼女と移動しました。オープンキャンパスは彼女を誘い出すための口実でしかありませんので、私は特にこれといった目当てがある訳ではありません。高校も高校なのでT大を目指すことにはなると思いますが、はっきり言って興味がありません。

 彼女がどうしてそこまで勉強が好きなのか不思議です。

「そういえば、あんたは何学部志望?」

 突然私に話を振ってきました。ほとんど自分から話さないものですから、びっくりして、

「私?」

 と思わず自分の顔を指差しました。彼女は頷きます。

「あんたの成績なら医学部も簡単でしょう?」

 あまり愉快な表情ではありません。いつもしかめっ面ですが、これは更に不機嫌そうです。何でこの人に構っているんだろう、と思ってしまいそうになるくらいにトゲトゲしい口調です。これがわざとなら、もう才能のレベルです。

 と、心の中で色々失礼なことを考えましたが、無論口にも顔にも出しません。

「うーん。あなたは?」

「法学部。研究もこの分野だし」

 彼女の顔をじっと観察していると、彼女は「ふん」とそっぽを向いてしまいました。どれだけ私のことが嫌いなんだろう、ちょっと凹みます。

 それにしても、私は入りたい学部なんてありません。どう答えましょうか。

「だったら、私も法学部に入ろうかな」

 彼女が研究するくらい楽しいものなら自分も入ってみようかな、という本心から出た言葉です。

「は? いや、決めていなかったの? 候補も?」

「うん。特に興味がある学問がないの」

 だから、あなたみたいに一生懸命になれるのは羨ましいよ、と微笑んで見せます。実際、羨ましいところはありました。何事にも深く足を突っ込んではいけないという私の信条が、勉強面にも表れていました。だから、そこまで勉強に時間を費やせる――そこまで何かを愛せることが、少し、ほんのちょっとだけ羨ましく感じます。

 しかし、予想外の反応が飛んできました。

「違う」

 初めて彼女から必死さを感じました。辛そうに目を伏せて、彼女はぶんぶん首を横に振ります。

「私は別に、法学が好きだからじゃ……」

 一瞬だけ見えた、幼い子どものような表情。素直に悲しそうな表情。すぐに無表情に切り替わったけれど、先程見たものはきっと幻ではありません。

 やはり、かわいい顔ができるのですね。笑顔ではないのが残念です。

 彼女は無言のまま光の波に足を踏み出しました。続きを告げるべきかどうか、気持ちがせめぎ合っているのが分かります。


 T大から出たあと、私と彼女は近くの公園でドリンクを飲むことにしました。

 私はホワイトモカ、彼女はカフェラテです。モカちゃんと出会ってからずっとホワイトモカが好きですが、もちろんそんなことは絶対に話しません。過去の話は誰にもしたことがありませんし、これからもきっと打ち明けないと思います。私は立ち回るのが上手なぶん、芯の部分は脆いままです。さすがにこれは自覚しています。

「ホワイトチョコ甘くない?」

 彼女は私のホワイトモカを一瞥して聞いてきました。甘いものが嫌いなのでしょうか。

「甘い」

 これしか答えようがありませんでした。

 しばらく二人して微風に吹かれました。向こう側の商店街を太陽が照らし、看板やアーチでできた影が光と共に綺麗な模様をタイルの床に浮かべています。ホワイトモカから甘い香りがしました。まるでモカちゃんみたいな、無垢で優しい香り。ええ、こんなときに感傷的になるのはやめた方がいいですよね。飲み物としておいしい、と素直に思うことにします。

 ふと、彼女は私に視線を向けました。相変わらず冷めた顔。彼女の髪が風に吹かれて、軽やかに揺れています。ちゃんと笑えばきっとかわいいのにな。しかし、彼女の笑顔を想像しても出てきません。こういう子は恋愛経験が気になります。恋をしたら、どんな顔をするのでしょう。まあ、彼女は友達さえも作りませんので、恋愛に興味を持つ訳がないのですが。

 そんな彼女の顔を見上げていると、突然話し出しました。

「私は、別に法学が好きだから法学部を志望した訳じゃないんだよね」

 プラスチック製のカップを握る彼女の手に、力が僅かに込められました。私をちゃんと見てくれていた目も、どんどん伏せられて、結局は反対方向に向けられます。彼女は深呼吸をして、次の言葉を吐き出しました。適切な言い方を、模索しながら。

「小さい頃から、大手企業の顧問弁護士になるように言われてきた。自分は別に勉強が好きな訳でも、研究が好きな訳でもなくて、ただそうすると親と先生が喜ぶから、その通りにしてきた。全部褒めてもらいたくてやってる訳で。ほら、私って嫌な性格してるじゃん? だから人に好かれることがあんまなくてさ」

 彼女は口を止めませんでした。焦っているように見えました。だから、ところどころ早口になって言葉の意味をごまかしています。早口で、小声で、不器用で、最後の方は自嘲気味に話します。

 どうして突然私に打ち明ける気になったのか見当がつきませんが、彼女の焦り具合から推察すれば、おそらく他人に身の上話をするのはひどく不得意なのでしょう。私は黙って彼女の話を聞いてあげました。

「何で、私と友達になろうとしたの?」

 この質問を聞いた瞬間、私の勝ちだ、と思わずにはいられませんでした。

 人に褒めてもらいたくてやってる。人に好かれることがあんまない。何で、友達になる?

 彼女の求めている答えを出すのはとても簡単でした。方程式を解くより簡単です。そもそも、彼女自身が答えを提示してくれています。要するに、あなたを好いているよ、と伝えればいいだけです。

 彼女の望んでいる回答さえすれば、私を友達だと思ってくれるでしょう。あとは、十分にクラスに溶け込ませれば、私は他人に対してやっているのと同じように、均等の愛を彼女にも配布したといえます。そうすれば私は彼女から離れます。私は皆に等しく好感を持ち、持ってもらうことで、自分の感情をコントロールするからです。

「私はあなたのことがすごく好きだよ」

 私は笑顔を見せました。笑うのは得意です。

「頑張り屋で、ツンツンしているけど優しくて、すごくかわいい」

 彼女のよさを自分なりに並べてみました。割と本心からです。笑えばきっとかわいいだろうとずっと思っていました。

 彼女は、面白いくらい呆気を取られた顔。こんなに私の返答が変なのでしょうか。きっと言われ慣れていなくて、言われ足りていないのです。言葉だけなら、いくらでも言ってあげられるのに。

「そう、しかもしっかりしているからお姉さんにほしいの! でも、何だか世話焼きたい気分にもなっちゃう。うんうん、これから時間があったら一緒に渋谷に行かない? かわいい服選ぼう。それで、代官山のカフェでケーキを食べよう。そう、あそこの本屋さんすごく素敵なの。もし今日まるごと暇だったら、夜もうちに遊びに来て! 誰もいないから、おやつ食べながら音楽とか聴こう! あっ」

 無我夢中になって喋りすぎた風に見せ掛けました。勢いよくたくさん喋れば、たとえ一つ一つの文に意味も中身もないとしても人に悟られにくいです。

 彼女は信じてくれた模様です。どう反応すべきか分からないのか、その瞳は右へ左へと泳いでいます。女の子らしくすらりとした細い手を、ギュッと握り締めています。照れているのでしょうか。普段自分に無関心なぶん、照れ出すとかわいく見えます。

 ごめんなさい、悪く思わないで下さい。これであなたが幸せになれるのでしたら、嘘でも演じた方がいいのです。

「ごめんね、つい興奮しちゃって。話してくれてよかった、だって私、前からすごく友達になりたかったんだもん。えっと、何で友達になるかって話だっけ? うん、だって気が合うって直感で思ったの! ……迷惑?」

 小声で彼女に聞きます。答えはもう顔に書いてありました。

 辛うじて無表情が保たれていますが、明らかに顔が輝いています。とても不思議な雰囲気です。表情と気持ちが釣り合っていない、と言いますか。薄い唇を小さくパクパクさせて、何か言おうとしてはやめて、ただ目が泳いでいます。動揺している、それも誰が見ても分かるくらいあからさまに。

 人に好いてほしい。だけれどどうせ自分には無理だから、せめて空回りして辛くならないように、あえて人と距離を置く。

 そんな葛藤を抱くなんて、かわいいです。いえ、別に見下している訳ではありません。ただ、それが等身大の女の子っぽくて、彼女のイメージとあまりにもかけ離れていたのがおかしくて。

 人と距離を置く方が正解なのに、好いてもらいたいなんて、本当にかわいいのね。

 でも、容易に変質する人の温もりを求めてしまうのは正直、少しだけですが、ほんの少しだけ、がっかりしました。彼女には女子高生らしくない望みを掛けてしまっていたかもしれません。ううん、それじゃまるで私が同類を求めてしまっていたような言い方です。そんなことは決して認めません。

 ええ、彼女は裏切りを経験していないだけの女の子なのです。それでいいです。

 顔に出さずに考えているうちに、彼女は立ち上がりました。

「遊びに行く?」

 何のことか思い返すと、確かに私は彼女を渋谷に誘っていたようです。それで、私の誘いを受け入れてくれると言います。ショッピングなど、彼女らしくもない遊びをすると言うのです。

「めっちゃ暇だから。服選ぶんでしょ?」

 片手で口を覆い隠しながら、照れた小声で私に話し掛けます。この言葉は、私を友達だと認めてくれたことを象徴していました。

 私はもちろん、彼女が喜ぶように明るく首を縦に振りました。すると、彼女は恥ずかしがりながら初めて微笑んでくれました。彼女の笑顔を見た瞬間、私はまるで自分が本心から嬉しいかのように錯覚しました。それだけ珍しくて、貴重で、かわいらしい笑顔だったのです。

 今までの働き掛けがやっと意味をなした。やっと笑ってくれた。嬉しい。

 私らしくもない感動を覚えてしまい、慌ててそんな訳ないと訂正します。私は今までずっと彼女の望むままに振舞ってきただけです。彼女と友達になることで、私までが嬉しく思うことなんてありません。

 私は裏切り者、彼女も裏切り者。その笑顔はすぐに嘘になります。私の優しさが最初から最後まで嘘だったように。

 人間はいつか裏切ります。いとも容易く裏切ります。

 彼女の笑顔に惹かれたことが、私の心に影を落としました。手こずったぶん、あまりにも長く彼女に接してしまいました。早く身を引いた方がいいでしょう。

 ええ、きっと大丈夫です。残りは彼女が他の子にも同じ態度を取るように仕向けて、どうにかクラスと接点を持たせるだけなのです。

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