第11話追跡者との邂逅
アルフレッド・ガノドトスは、マサチューセッツ州在住の多くの三十代半ばのデザイナーが考えるのと同じように、自分こそがアメリカのファッションを牽引する才能だと信じていた。
ニューヨークの経済活動の規模には確かに驚かされるし、ロサンゼルスのセンスにも唸らされたが、だが、彼に言わせればそのどちらもまだまだだ。
そう語るその他大勢とアルフレッドが大きく違ったのは、彼がそこそこ成功しているという点だった。少なくともクラムボン市での評価に限れば、彼はひとかどの人物とさえ評することが出来た。
クラムボン市において、目抜通りの一等地を彼は所有していた――彼のクラシカルな礼服は、伝統を重んじる老人や彼らに見栄を張りたい中堅層に良くウケたのだった。
マサチューセッツ最高の仕立て屋はこの私だ。彼は、周囲にもそう言い続けていて、そして結果として、今日を迎えることになった。
……なって、しまった。
「ガノドトスさん!!」
「なんだね、騒々しい」
シーズンに向けた新作のデザインを練っていた彼は、鉛筆を走らせ続けながら応じた。「ノックはどうした。礼服を扱う以上は、礼節に気を配りたまえ」
「火事の時に消防士がノックしますか? 緊急事態なら誰だって、ドアを蹴破りますよ!」
「そう、確かに」
女性店員の喧しさに、アルフレッドは顔を上げないままため息を吐いた。
彼女はまだ若い、節度ある接客態度と積極的な売り込みとを並行させることさえ出来ない。
「それは勿論その通りだとも、セーラくん。だが良いかね、それは緊急事態ならば、だ。そして礼節を知る者にとって、緊急事態とは容易には起こらないものだ」
「ですが、ガノドトスさん……」
「ですがも何もない、セーラくん。価値があるのは礼節で、必要なのは順序立った報告だ。さあ、先ずは深呼吸だ。オーケー? では、起きたことを話したまえ、ゆっくりと、秩序立ててな?」
雇い主の要望に応じて、セーラは先ず、深く息を吸い込んで、それからゆっくりと、馬鹿らしいほどの時間をかけて吐き出した。
それから、報告した。
「これはこれは、ようこそいらっしゃいました、SDS会の調査員様!」
随分な低姿勢で現れた若い男性に、僕は首を傾げる。
三十代も半ばというところか、店を預かるにしては若いが店長だろう、着ているスーツにも野心的な瞳にも、中々風格がある。
「お待たせしてしまい、真に申し訳ございません。少々その、立て込んでしまい……」
「構わないよ」
軽く仮面を撫でながら、僕は微笑んだ。
まあ、ツキと一緒にいたときとは違って口元の部分を外していないから、彼には表情は伝わらなかっただろうが。
「暇なよりは忙しい方が、顧客には評価されるだろうからね」
「恐れ入ります、ところでその、本日は……?」
「仕立て屋に用事といえば、一つしかないと思うけれどね?」
「ご注文で! ありがとうございます!」
「とはいえ、飛び込みだ」
来店から結局、十分ほど待たされたことを思い出す。「少々急ぎでね、注文が立て込むようなら、またの機会にさせてもらうが」
「いいえまさかっ!!」
店主は大きく激しく首を振った。
「SDS会の方のご注文とあらば、えぇ、他の顧客の注文など! 後回しで構いませんとも!」
「あぁ、そう……」
本来、そうした割り込みは褒められたものではないし、認める店員には悪印象しかないが――まあそれも仕方がない、相手はこの僕、SDS会の上級調査員なのだから。
裏の顔を知らずとも、僕らが経済界に与えることの出来る影響の大きさを思えば、こうした反応は良くある話だ。
商売をする者ならば誰だって、金持ちの機嫌は損ねたくないものだ。
商売に成功するためには、そうした貪欲さが必要だ。そして僕には――彼の仕事が必要なのだ。
「では、遠慮なくお願いしようか。あぁ、そうそう」
僕は羽織を脱ぎ捨てると、青年に続いて採寸室へ向かう。
その途中で、僕はさも今思い出したかのように条件を伝えた。
「今晩までに作ってくれ」
「こっ!?」
「あ、二着ね?」
ポカンとか、漫画のような効果音が目に見えるようだ。仕立て屋の顎が、外れそうなくらいに大きく開け放たれている。
驚きのあまり硬直した彼を置き去りに、僕はにっこりと優しく微笑んだ。
「良いデザインを頼むよ、仕立て屋くん」
まあ。誰にも見えなかっただろうけれど。
流石に僕も鬼じゃあないので、既製品の仕立て直しで手を打つことにした。
というか、常識的に半日で二着は無理だ。
「出来上がったら、ホテルに届けてくれ」
「畏まりました」
「頼むよ。君のことは、僕の方から上に伝えておこう」
「あ、ありがとうございます!」
最敬礼に近い角度で頭を下げる仕立て屋に、僕は苦笑する。
まあ、僕たち御用達という肩書きは、彼のような野心家には相当魅力的な看板に映るだろう。実際のところ、単なる便利な小間使い、という位置付けでしかないのだが。
まあ、この情報をどう活かすかは彼次第だ――少なくともSDS会の人員が礼服を頼みに来た、というのだけは確かなのだから。
無制限のクレジットカードで支払いを済ませると、僕は店を出る。
端末で時刻を確認すると、約束までには二時間以上ある。
「ふむ。思ったより時間があるなあ」
端末を弄りながら、僕は眉を寄せた。「今すぐ彼女のアパートに行ったら、うっかりシャワーシーンでも目撃できないものかなー、と」
そんな風に、思ったりもしたんだけれど。
「まあ世の中、そう甘くはないよね」
店を出た瞬間、僕は盛大にため息を吐いた。
車道の向こう側に。
スーツにコート姿の男たちがずらりと立ち並んでいる。
「さて、どこから漏れたものか。彼女の検索か? それとも、別口かなあ」
端末をポケットに仕舞うと、僕は軽く仮面を撫でる。「どっちか教えてくれる気はあるのかな?」
「……勿論、ない」
低い、昨今のロボットよりもロボット的な無機質な声が、僕の隣から聞こえてくる。
やれやれ全く。コートと同じく、面白味のない連中だ。
「では、何のご用かな? 宇宙人探しに飽きたのかい?」
「お前たちの暗躍は、最優先監視対象だ。SDS、この国を、お前たちの実験場にはさせないぞ」
「それはどうも。えっと……以前の人じゃあないね」
声の主は、特徴の薄い顔立ちの男性だった。「前はもっとハンサムだったし、ひまわりの種を噛んでる様子もないし。それに、煙草臭くもない。あ、煙草といえば、あの肺癌男は元気かな?」
「彼は死んだ」
「あそう。顔面にミサイルでも撃ち込まれたのかい? まあ、良いけど」
僕は片手を軽く振る。「ちょっと今、急ぐんでね……っ!?」
僕の魔術で空間が歪み、男の右腕が僕の胸ぐらを鷲掴みにした。
神秘の領域から、現実に引きずり出される――まさかの、力ずくで。
「捜査協力は市民の義務だ、忙しい中恐縮だが、付き合ってもらう」
「……へぇ」
これは、なるほど。もしかして先代を凌ぐかもしれない。「一応聞いておこうか。君、どちら様かな?」
「ミスター・C」
そのイニシャルは、まさか。
僕は彼らの情報を思い起こして、クスリと笑った。
「C? ……あぁ、成る程、彼の遺伝子なら納得かな。僕とは法則が違うし」
「納得してもらえたなら、協力してもらおうか、SDS」
ミスター・Cは僕の襟首を掴んだままで、感情の感じられない目で、言った。「何を企んでいる、魔術師」
「こちらの台詞だよ」
僕は、右手を振り上げる。
そこに握っているのは、ミネラルウォーターのペットボトルだ。
中身は勿論、ただの水だ。
それが、必要だ。
「企むのは君たちの得意技だろう、CIA?」
右手を強く握る。ペットボトルがへこみ、歪み、そして破裂した。「僕は、調査が目的なんだよ。君たちとは違ってね」
「待て、まじゅ……!」
「言っただろ?」
透明な水が降り注ぐ。僕の燃料にして燃焼材が、僕と現実とを分けていく。「今、急ぐんだ」
慌てて手を伸ばすミスター・Cの顔が、揺らぎの向こうに消えていく。
そして、揺らぎが収まると。
「…………は?」
「……おおっと」
目の前には、ツキが立っていた。
予想通り、シャワーでも浴びていたらしい。
残念ながら既に終わり、湯気が立つ柔肌をタオルで拭いている場面だったが。
「……解るよ、けれど言わせてくれ」
「…………」
「眼福、眼福、なんてね」
ははは、と空しく響く笑い声の中で、ツキは手早く身体にタオルを巻き付けると。
にっこりと、優しく微笑んだ。
それから、拳銃を向けてきた。
「死ね」
「ちょっと待って今は魔術使ったあとでクールダウン中っていうか至近距離の銃は無理だっていうかあぁぁぁぁっ!!」
……次からは、転移先を少しくらい気にしよう。僕はそう、心に決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます