第13話 書物

  *


「次の依頼は…と。」


レインは昼時で混み合い始めたギルドを出て、朝の雨を忘れてからりとした街道を行く。

腰に提げた剣の鍔に親指をかけ、すれ違う人々に悟られないほどで少しばかり足を弾ませる。

ご機嫌な面持ちの理由は、雑用紛いの依頼を粗方片付け終わったことにあった。

彼自身、何かに打ち込んでやり切るという経験がほとんどない中、冒険者を始めるに当たり自らに架した『雑務を先に、お楽しみは後』という方針を守り、いわば折り返しの一区切りまできたことによる。

冒険者稼業を始めて3日目。ウェスピンを最初に訪れた時を起点にすれば4日が経った。

ようやく『お楽しみ』へ…つまり、魔物討伐へと駒を進めることができそうなのだ。

ウェスピンの周辺で出くわすような低級の魔物くらいは毎晩相手をしていたが、街の周辺ともなると群れからはぐれた弱小なものばかりで、どうにも試し斬りのような感覚にしかならない。

さらに言えば、それが何かの駄賃になるわけではない。

いよいよ剣がうずき始めていたころでもあった。

未だ、帰りの森でロウとナナにしごかれた時のような、自らの一振りの良し悪しが命運に関わることはないのだから。


「かといって街から離れすぎると厄介なのも出てくるよなあ…」


頭に浮かべる、うにょうにょとした液状の塊。

スライムである。

あれは斬撃や打撃の効かぬ魔物で、攻撃魔法のひとつでも覚えていなくては倒せるものではない。

数日前、初心の森であれが顔に張り付いて危うく窒息死しかけたことは今でも覚えている。

青臭い雑草の臭いとひんやりとした液体に包まれた感触は、まるで川の潮流に頭を漬けたかのようなものだった。しかし、窒息しそうにもなればそんな触感を悠長に堪能する余裕もなく、あんなものは二度と御免である。

あの時はリリーシャの光魔法で窮地を救ってもらったが、今度ばかりは1人でなんとかするしかない。


いっそ新しい魔法でも覚えてしまおうか。


「とはいっても、金がないな。」


魔法を覚える手段としては、手っ取り早いのが魔導書を買うことだ。

しかし、帝都の屋敷から持ち出した資金は微々たるものだった。

それもそのはず、本来ならばこの一週間はアルマロン狩りに費やすことしか考えていなかったのだ。三人が一週間を過ごす分の資金と、少々の買い物ができるくらいしか持ち合わせてはいないのは当然だ。冒険者としてツケにしてもらえるのは武具屋と武器屋くらいなもので、本屋でそのようなサービスは無いと聞く。

食費を切り詰めれば安い古本などは買えそうだが、とても魔導書に届く金額になるとは思えない。


「くっ…生まれてこの方、貧乏になんて…!」


衣食住が満たされていることに疑問のないレインは本を買えない程度で貧乏を自負しているが、それを聞いた平民階級が彼をどれほど疎ましく思うだろうか。


「で。あれば。いよいよフィリッツ・マクガフィンか…」


手配書の似顔絵に書かれた、ガタイの良い男と目が合った。

歳は39だという。目の下にクマをつくり、不衛生な髭と固そうな髪質の坊主頭。眉がなく、常時睨みつけるような目つきがいけない。いかにも犯罪者という出で立ちなのは似顔絵を描いた者の意識がそうさせたのだろうか。

詳しい情報は最寄りのギルドまで、と書かれているが、ドリアはさほど多く語らなかった気がする。


ここ2日間でウェスピンの街並みの多くを見て回った。

区画整備は行き届いており、ウェスピンの都市開発が帝都への憧れによるものであることも功を奏してか、帝都育ちのレインにとっては実に歩きやすいものだ。


街は大きく四つのブロックに分けることができる。

ギルドがあるのは商店街を中心とした南東のブロック。

貴族の屋敷や役所、奥には一等地がある北東のブロック。

北西のブロックは住宅街だ。平民や商人が暮らし、一軒家は少ない。

最期に、南西のブロック。これがまだレインも踏み入ったことのない、スラムや闇市、無法者の多く集まる場所。自警団と住民のいざこざが日常茶飯事だという。

フィリッツの潜伏先としては、南西ブロックのスラムが怪しいところだ。


「…。行ってみるしかないなぁ。」


少しの緊張もあるが、スラムといっても今は昼間の真っただ中。人通りの少ないところを歩くことになるが、生憎剣は呪われているし所持金についても宿代をギルドへ前払いしているため、小遣い程度しかない。

追剥ぎに会っても悪くて顔を腫らす程度だろう…と、思うことにした。


わらわらと喧噪の止まない商店街を通り過ぎ、御用達のウェスピン南門の前をも通り過ぎようとする。


「なんだ。今日は街の外には行かんのかい。」


鉄の甲冑を着て関門警備に当たっている衛兵がレインに声をかけた。

他の警備兵が団服の上に厚手の革のジャケットを着ている中、その初老の衛兵だけはいつも甲冑を着用している。


「あ。衛兵さん。どうもお疲れ様です。ええ、今日はあっちに…」

「おいおい。そっちはスラム街だぞ。大丈夫かね?最近は物騒な事件が多い、あまり裏通りには入らない方が賢明だ。」

「物騒な事件?」

「うむ。例えば…あれが見えるか?」


衛兵は街の北の方角を指す。建物と建物の隙間から、青い空へ向かって黒い煙が細々と上っていることに気が付く。

その距離はここから察するにかなり遠く、街の端ではなかろうか。


「火事だよ。貴族の屋敷が放火されたらしい。今朝方鎮火されてなあ。ちょうどこの関門から街の反対側にある家でよ。他にも、店や住居、施設…と、いくつかやられてる。その周辺で殺人もあるっていうからなあ。困ったもんだよ。」


どうやらここ3日間で立て続けに起こっているらしく、街の警備兵も自警団も血眼になって犯人を捜しているらしい。


「そんなことが…。」

「なんだい。知らなかったか。まあ無理もないな、あんた、この間街に来たばかりだろう?しかも冒険者だっていうからなあ。」


冒険者と街の治安維持組織は、良い意味でも悪い意味でも分業が進んでいると言える。

おかげで治安に関する情報は冒険者ギルドでは疎く、良くて新聞をカウンターの隅に置いている程度であり、専らそれらの情報収集は個人で集めなくてはならない。

一方で、街を囲む壁の外の話は断トツで冒険者が詳しい。街々のギルド同士の情報網が、大陸の各地を歩き回る冒険者達を通じて共有されているからだ。


(情報収集のために冒険者になったんだけどなあ)


政治的な情報が欲しいが、一般にそういった情報は規制されており、市場に出回っているのも真偽が疑わしいものばかりである。

皇帝のやたら長寿な年齢に疑問をもつ者がいないところも、帝国に疑念を抱くという思考を殺したプロパガンダが成功している証拠であるとロウは語っていた。


「ま。行くのは止めやせん。その身は自分で護る、冒険者も兵士もそこは変わらんだろう。」

「衛兵さーん。手続き!お願いしますよー!」


門に併設された三つの窓口のひとつに並んでいた女性が、大声で呼んでいる。


「あー?なんだ、あの窓口の衛兵はどうしたんでえ。また便所か。と、すまねーな。ちょっと行ってくる。じゃあな、兄ちゃん。達者でな。」


ガッシャガッシャと鎧を揺らしながら、小走りに去っていく衛兵。その背中に向けて、忠告ありがとうございます、と、レインは小さくお辞儀をして、人気の少ない路地の方へと向かって行った。




「やーあのお兄さん大丈夫かしら。あっちってスラムよね?あ、悪いねえ~話してるとこ呼んじゃってさあ。」


熟れたトマットトくらいの赤いフレームが特徴的な眼鏡を水色の布で拭きながら、女はカウンターに頬杖をついて衛兵を待っていた。

そんな彼女の前に衛兵がどっかりと座り、羽根ペンと入場に必要な書類を差し出す。


「構うことはねえさ。あの兄ちゃんだってもう大人よ。さて、手続きにあたりいくつか質問するぞ。あんたは何用でウェスピンに?」

「なんか最近、ウェスピンの市場にあたしの探し物が流れてきたらしくてさあ。帝都からすっ飛んで来たのよ。」


涼しい顔で喋りながらも、彼女が扱うペンは暴れ牛のように、右へ左へと荒々しく操られる。

初老の衛兵はその速さに目を見張りながらも、質問を続けた。


「ほお。職業は?」


彼女は質問を返す前に、ペン先が削れるほどの速さで書き終わった書類を衛兵に差し出した。


「本の記事書いてんのよね、これでも。ま、あとの話は書類参照以下略御馳走さんってことで!」


そう言って彼女はカウンター脇にある水晶に手を当て、ぽうっと光を点らせるとすぐ様立ち上がった。


「おいおい待てよ!」

「ソーリー!急いでんのよ~!」


そう言って彼女は関門を去る。肩から腰下まで提げている大きなカバンをぶらぶらと重そうに揺らしながら、商店街の方へと消えていった。

衛兵は立ち上がる間もなく、ただただ圧倒されて止めることができなかったのを、重い甲冑のせいにして溜め息をついた。


「なんだったんだあの姉さんは…。えーと。水晶登録、一応できてるな。書類は…うわ!字汚ねぇ!あれでライターだと?世も末だなぁ。売れんのかその本。…おい!暗号解読スキル持ってたやついねえか!」


このように、ウェスピンの来訪者は多種多様。関門は今日も大忙しである。



  *

見た目こそ住宅街だが、馬車は通れない程に道幅は狭く、背の高い住居がいくつも立ち並び薄暗い。最初こそはコンクリートや石で整備されていた道も、曲がり角を経るごとに荒く、いつしか土になっていた。


「あ、すいません…」


人にすれ違う度に怪訝な顔をされる。あの賞金首、フィリッツを探しに来ている以上、通行人の顔を確認して歩くこちらが不快だとだと言われても仕方のないことだが。


しばらく歩くと、繁華街ほどではないが賑わった声が聞こえてきた。

先ほどまでの、ほのかな湿気か何かの臭いを上書きするように、何かの肉を焼いたような香りもする。

自然とそちらへ足を速めるレイン。


「おお…。」


そこには、繁華街では見られない光景があった。

少しばかり広い通りの両端に、各々で敷物を敷いて品物を並べる人々。いずれも土の上に布一枚を隔てて直置きをしている様子は衛生的とは言えないが、商品がゴロゴロと数多く無造作に並べられている様が好奇心をくすぐられる。

また、その通りの中央でずらりと貼られた複数のテントでは、それぞれが炭や鉄板、魔道具で肉を焼いたり野菜を煮たり、祭りの露店のように提供していた。先ほどのレインを誘った匂いはこれであった。

何より、行き交う人の数は繁華街には及ばずともそれなりに多い。


「あの、それひとつもらえますか。」

「はいよ。」


迷わず、路地から出てすぐ目の前で焼かれていた串焼きを買った。デポカウーという魔物のカルビを、手のひらサイズのサイコロ状に切り落とし、それを串に四つばかり刺したものだ。


―デポカウーとは四足歩行の魔物です!白と黒のブチ模様でモーと鳴く姿は、他大陸に生息する牛という動物に似ているそうですがその大きさは像という動物に近いそうです!

デポカウーの特徴的な部位は、腹!個体によってはその四つ足が届かないほどに大きく太るものもいるそうです!そういった場合は転がりながら移動するんですよ。

問題はその巨体でゴロゴロと周囲を見ずに転がり続けることなのです。小さな木々はなぎ倒し、ゴブリン程度の魔物ならば引き潰された死骸を見ることもままありますね。人間も例外ではないんですよ…。

養殖を検討されていますが広い土地を堅牢な壁で囲う必要があり、土地・建築・餌のトリプルパンチが利益に不相応なイニシャルコストとランニングコストを算出しているのです!―リリーシャ談



「なんか今、リリーの声が聞こえたような…気のせいか。

普段は調味料をかけたりとか、野菜に併せて炒めたり何かの料理にして食べてるけど、こうやって素材の味を楽しむのも悪くないなあ!」


レインは肉を噛みちぎり、じっくりと大事に咀嚼する。最初は肉が熱くて舌の上で転がすも、冷ましたならば話は別。胃に飲み込んでしまう前に、肉汁を全て吸い取ってしまえる。


串焼きを堪能しながらも、露店の売り物を見て回る。壺や食器、オイルランプのような小さいインテリア、ポーションの成りそこないかと思しき薬品、鉛細工や錆びた剣まで置いてある。

面白いもので、売り主ごとにそれらを扱う種別が分けられているわけでなく、売り手のそれぞれが雑多にジャンルの隔てなく取り扱っているのだ。

おそらく、手に入れたものならなんでも売っているのだろう。商人達の身なりは擦れて色焼けをした、古びた服を着ている者が多い。スラムの住人であることは一目見て分かった。


「ねえ…そこのお兄さんや。買って行かんかねえ?」

「え、僕ですか。」


茶色のローブで頭を隠した老婆に声をかけられた。周囲の商人が広げている敷物より、一回り小さいスペースで商売をしているようだ。日光を避けているのか分からないが顔をなるべく見せないような仕草に、僕は少しばかり警戒する。


「ああ…すまんねえ。顔に火傷を負ってねえ。人様に見せられるものじゃあないんだよ。この間、うちが火事にあってねえ。こうして焼け残った家財を売っているのさ…」


確かに、並べられた品はどれもどこかが焦げている。しゃがんでみれば、木の焼けたにおいが漂っていることが分かった。


「それは…お気の毒でしたね。何か買って差し上げたいのですが…」


絵の額縁。壺。食器。破れた傘、木製の人形。

どれも無用なものばかりで、判断に困る。


「あなたは…冒険者かい。それじゃあ、こんなものは、必要ないわねえ。」

「い、いえ…すみません。」

「じゃあ…これなんか、どうかしらねえ。」


老婆は脇に置いていたズタ袋から一冊の古びた本を取り出し、僕に差し出した。


「これは?」

「火事で死んだ旦那がねえ。外国の本を翻訳していたのよ。まだ書きかけらしいんだけども、なんだが魔導書の翻訳だったみたいだから。原本は燃えてしまったけど。これなら冒険者でも使えないことはないでしょう。」

「いいんですか?旦那さんの、形見とかじゃ。」


それを聞いた老婆は、霞み乾いた声でケッケッケと笑った。


「旦那の形見はね。わし。わしそのものよ。うふ、ウフフフ。なんてね。形見はね、こっちの指輪さ。安物だけどこれがあれば、後はいい。」


そう強く言い切った老婆は、その曲がった背筋や裾の隙間から時折見える痛々しい火傷の痕とは裏腹に、力強い希望を持っているようだった。

老婆の左手の薬指には、錆びた細い鉛の指輪がはめられていた。逆さに見ようとも決して高そうには見えない指輪を、老婆大事そうに指で擦っている。


「では、この本をいただきます。お代は、これで足りますか?」


僕は銭の入った巾着袋ごと、老婆に渡した。それに驚いた老婆は、ゆっくりと巾着袋を手に取り中を開き、一枚一枚硬貨を数え、うぬと頷く。


「お釣りは、結構ですから。大した額も入っていないし。」

「そうかい?」

「そうです。」

「…ありがとうね。」


僕は軽くお辞儀をし、その場を後にした。善いことをした、という充足感よりも、僕自身が励まされ、より強く生きる活力を買った気がする。

レインは市場の人混みを離れて再び細い路地に身を滑り込ませた。

串焼きの最後の肉を飲み込み、思ったよりもあっという間に食べ終わったことを残念に思いながらも、買ったばかりの魔導書を眺める。

ラッキーだ。まさかあんな市場で魔導書が手に入るとは。


「…と、思ったけど。これ、なんの魔法の書なんだ…?」


我ながら軽率であった、とレインは今更に後悔する。

スライムを倒せる魔法が欲しいのであって、魔法ならなんでもいいというわけではないのだ。

せめて攻撃魔法。でなくては、魔導書を買った意味がない。

買った本は少々焦げ臭く、表紙は熱で傷み、破れもある。

題名も書かれていないそれを、レインは破れないように丁寧に開いた。


「…げっ。」


それは本というにはあまりにも不細工で、走り書きのメモの寄せ集めに近かった。

まず、目次がない。ページ番号もない。見出しもなければ改行もされていないし、所々で読めない癖字も多々あるのだ。

少々魔導書の構成に厳しく当たってしまうのは、グリモア=グリモンの出版する魔導書ばかり読んできたこともあるが、これは特に酷い。

魔導書はその魔法の仕組みと構築方法を理解し会得する大事なツールであり媒体だ。分かりやすさが全てと言っても過言ではない。

グリモア=グリモンが大手出版社なのは誰でも理解し魔法を扱えるようになる、その分かりやすさに拠るところなのだ。


「…あ。あとがきかこれ?」


本の最後に、それらしき文章が書かれている。老婆は未だ書きかけの魔導書だと言っていたが、情報量としては書くべきところは全て書かれているように思える。

ふと、気付く。

おそらくこれは下書きであり、清書をしていないという意味での書きかけ、なのではないかと。


「参ったな…解読だな、こりゃ。」


老婆に免じて、これを返品などはしないが。とりあえず、何の魔法かをはっきりさせなければ話が見えてこない。レインはやれやれと路地裏の段差に腰掛け、蛇がのたうち回るが如しの文字列を顔を近づけて読み始めた。


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