第14話 暴行

  *


「おい、あんちゃん。こんな路地裏に座り込んで読書かい。ここがスラムだと分かってんだよなあ?」


既に日が暮れ始めていた。

目の前を通るふたつの足音が止まり、そのようなことを言う。いつしか夢中で本を読んでいた僕―レイン・フォルディオは、数テンポ遅れてそれが僕に投げかけられた言葉だと気が付いた。


「…(ボソリ)」


「おい!無視してんじゃねえぞ!」


ようやく僕は顔を上げた。

見るからに荒くれものの二人だ。ノースリーブの服にじゃらじゃらと無駄なアクセサリーをぶら下げている。十字架の意味が分かって身に着けているのかは知らないが、赤く染めた短髪の髪と薄い眉毛はいかにも悪ぶっている、という印象だ。

だが、なぜだろうか。僕にはそれが大して威嚇のようには感じなかった。

それはランサー・ロウという本当の強者を目にしたことがあるからか、夜通しでアンデッドらと戦闘をしたからかは分からない。

ただ、この図体だけの男たちは、勇者でもなければ触っても腐食したりもしない同じ人間なのだろうな、と思うとなんだか安心するのだ。


「さっき、すごい買い物をしたかもしれなくってさ。」

「ああ?」

「この本。すごい。…すごいんだ!これさえマスターすれば」


強い衝撃が、ジーンと尾を引く。頭の中で火花が弾けたような気がした。背後の壁に頭を強く打ったせいか。男のひとりが、座っていた僕の顎を思いっきり蹴り飛ばしたのだ。


スキンヘッドの男が、手からこぼれた本を拾い上げてペラペラとめくる。


「んだこのきたねー字は。こいつ、薬でもやってんじゃねーか!はははは!!」


突然蹴り飛ばされたことには驚いた。

だが、一瞬だけ走った後に続く痛みはない。それは蹴りが弱かったわけではない。


「…ははは。痛くない。痛くないな。」


男たちの笑い声がぴたりと止む。

強打した部分触ってみると、生温かい少しのぬめりがあった。出血しているようだ。


「コイツ本当にヤク中かよ。やっちまうか!」

「おらあ!」


僕が剣に手をかける―よりも早く、男の蹴りが僕の鳩尾を捉えた。

布団を蹴り飛ばしたような音が路地に反響して聞こえ、衝撃が全身に響く。

ああ、苦しい、気持ち悪い。少し痛かった気がしたが…その後の痛みはない。


「あい、凶器は没収~」


項垂れる僕の腰に差された剣の柄に、男は手をかけて引っ張る。

引っ張る。

が、剣は抜けない。

呪いの剣は健在のようだ。使用者の身から決して離れない。


「あ?んだこりゃ。鍵かなんかか?」


男は鞘からぴくりとも抜けない剣を、しゃがんで無防備にまじまじと眺める。

その男の吐く息が、どうもヤニ臭く鼻についた。


「やめろ。」

「うるせえよ!」


僕の発した声に応じて、拳が飛んできた。避けようとしたが、座りながらでは上手く身体を捻ることができず、眉間にくらった。思い出せば痛かった気がする、程度の一瞬の痛みがある。痛みの方は問題ないにせよ、殴られた強い衝撃とまたもや壁に後頭部をぶつけた衝撃で、世界が歪んで見えるくらいにはクラクラとするのは困った。

そのようなやり取りがしばらく続いた。

殴ったり蹴ったり。一方的かと言われるとそうでもなくて、僕が声を発しようとするとそうなる。僕が指先を曲げようとするとそうなる。僕が何もしなくなるとポケットを物色し始めた。


「んだよ。何もねーじゃねえか。金も持ってねえみてえだし、んだよ殴り損かよ。んじゃ、このきったねえ本だけもらっていくかねえ~」


男たちは唾を吐き捨てて、路地の奥へと消えていく。

なんだ、身ぐるみは剥がさないのか。

一応は冒険者装備なのだが。少しくらいは金になるのだけれども。

ほんと、頭悪いよなあ。

僕も。


「痛くないなあ…」


身体のいたるところが切れていたり腫れていたり。頭からは血が出ているし。魔物と戦ったわけでもないのにこんなに怪我して、ドリアさんになんて言われるのかな。


なぜ必死に抵抗しなかったか。

答えは簡単で、痛みが無かったからだ。


彼らが僕のことをジャンキーだと罵っていたが、あながち間違いではない。

全てはあの本に書かれていた魔法に拠るところなのだ。


あの本のタイトルは『心得』というらしい。

そこには聞いたことのないような魔力の使い方が書かれていた。

もちろん、最初に本を開いた時の印象通り、清書も何もされていない本は魔導書として絶望的なほどに分かり辛くはあったのだが、そこに書かれた魔法の一部をなんとか読み取ることができた。


「これが、ツーカクシャダン、という魔法か。」


自らの痛覚を一定時間無くすことができるという魔法だ。痛みのシグナルが脳に伝わるまでに魔力によってそれをせき止める。

この概念的とも言える魔力操作がかなりイメージしにくい。痛覚がどこを通って知覚に至るかなど、考えたこともないし目に見えるものでもない。さっぱり分からないのだ。

しかし本の中で喩えられていた、『例えば指先にそのまま痛みを残し、そこを切り離すような』という文言が自らの感覚によく合致した。

痛いと感じた瞬間に、痛みのある箇所を魔力によって体外へ押し出し、置き去りにする。爬虫類や一部の魔物からすれば脱皮の一言で片付くのだが、ヒトの感覚にはそれがなく説明が難しい。

痛みという手袋を脱ぐ、とでも言えば良いだろうか。


が、そんな魔法にもデメリットがある。

痛覚が一瞬となり、痛みのほとんどが一瞬のうちに無くなることによって、自らの生命への執着が薄れてしまうという。

具体的には、防衛本能の一切が働かなくなる。

例えば反射神経というのも、感覚から知覚に至るまでにその回路の多くを魔力によって支えられている。そのため、それらをも遮断してしまうこの魔法は毒と成り得るそうだ。


「殴られることに、全く反応できなかったのはそのせいだろうな…」


本には、使い手はこれを『気』で補うべし、とあったが、『気』についての説明が無く、それを基底に置いた概念が曖昧なものとなっており、僕はまだ会得に至っていない。


「しかし、本を盗られるとは参ったな…。…っ!」


ズキリ。

頭が割れるように痛んだ。もしかしたら本当に、スイカのようなぱっくりとした断面が後ろから見えてしまっているのではないか。気持ちが悪いので頭に手を当てようとしたのを止める。


ズキリ。

続いて腹が。何かガラス片が腸内を転がり回るかのように、鋭い痛みがあちこちで共鳴し始めた。


ズキリ。ズキリ。

やがて、鼻が。足が。腕が。

身体の至るところが悲鳴を上げ始めた。

痛い。痛い。痛い痛い痛い。

刺すような鋭い痛みも、どこかに身体をぶつけたような鈍い痛みも、ありとあらゆる痛みが僕の身体で騒いている。


「~~~~~!!!」


声にならない叫び。息を押し込めなければ耐えられないそれを、のた打ち回って一身に受ける。

魔法が切れた。そういうことか?そうに違いない。こうなることなんて書いてあったか?くそ、そもそも最後まで読み切っていたかも怪しい!


「し、死ぬ…」


「お兄ちゃん大丈夫なのですかー?」

「なのですか~」


聞き覚えのある幼い声と共に、小さな手が ビンに入った青色の液体を差し出した。

―ポーション。

僕はそれを痛みから逃れたい一心で掴み取り、大した量も無いそれを一気に飲み干した。


「おおー、いっきなのー!」

「なの~」


カラン、と、空になったガラス瓶が、力の抜けた僕の手から転がり落ちた。


ああ、痛みが引いていく。

シュワシュワと、身体の中で炭酸水が泡を弾けさせながら湧き出ているような、なんとも不思議な感覚だ。ポーションは使ったことが無かったが、このような感覚なのか。

少々アルコールのような臭みのある口内と、体中で感じる心地よさにしばらく身を任せていると、完治とはいかないが節々の腫れが収まり切り傷は塞がっていった。


「元気になったですかー?」

「ですか~」


「あ、あぁ。ありがとう。助かったよ。君たちは…?」


まだ喉の奥が熱いが、それを押してでも礼を言うべきだと思った。

擦り切れた布の服と、小さな背丈に尻尾。耳はまた隠しているようだが、よく見ればそれらしきものが頭に畳まれている。一昨日の夕方、繁華街で出くわしたあの双子の子どもだとすぐに分かった。この特徴を目にして分からないわけはない。

以前と同様、双子の片方が何かの包みを大事そうに抱えている。


「えっとねぇ。奴隷なのー。」

「なの~」


「えっ」


この半獣の子どもたちが奴隷であることには、身なりを見て驚きこそしないが、それを恥ずかし気もなく言ってのける奴隷はなかなか居たものではない。

特に半獣とはプライドの高い者が多く、その身でありながら奴隷であることに全くの疑問も嫌気もない者は聞いたこともないが―


「そんなにジロジロ見ないでほしいのー!」

「の~」


「あ、ごめんごめん…。」


頭を手で隠してそう牽制する双子だが、その様子から頭に何かあるのはバレバレだし、その前に尻尾が出ている点はいかが申したものか。


「どうしてそんなに痛い痛いだったの?」

「の~?」


「ああ…なんか、悪い人に絡まれちゃって。そう、本…本、奪われちゃったなあ。」


ようやく冷静になった頭が、実に理不尽で度し難い不利益を被ったことを理解し始める。

あの本の魔法が気になって仕方がない。『ツウカクシャダン』なんて序の口も序の口。グリモア=グリモンだけじゃない、この大陸の民の誰もが知らないような魔法があそこには記されているはずだ。


「本ですかー?」

「か~?」


本、本。そう言って双子は手を取り合って飛び跳ね始める。

僕と同様、二人とも本にかなり興味深々な様子だが、手元に無い以上語っても仕方がない。

だが、この幼い眼差しを見るに、絵本か何かを期待しているのではないだろうか。


「難しい参考書のようなものだよ。今日買ったばかりで。すっごい汚い本だけど、いい本だったんだ。残念だなあ。」


「本!いい本なのー!」

「なの~」


「あ、まって。」


僕が止める声に振り向きもせず、双子は短い両足をせっせと動かして路地の奥へと走って行ってしまった。一昨日見たような機敏さとはかけ離れていたが、倒れ込んでいた僕には追いかけられるほどの気力と体力が回復していなかった。


「なんだったんだろ…あの双子。あ。」


双子の片方が、大事そうに抱えていた荷物が置きっぱなしになっていた。

興味本位でその緑色の布をめくり、ちらりと中を覗いてみる。

クレヨンだ。

赤、青、黄色。

随分とかわいらしい宝物ではないか。


「奴隷でも、おもちゃを主人が与えてくれたってことだよな。きっと、あの子の主人は良い主人なんだろうなあ…。」


自分の知っているうちには、そのような慈悲ある奴隷の主人に心当たりはない。

もしかすると自分が知らないだけで、この世界には奴隷を家族として幸せな生活を送っている家は案外居るのではないか?そのように思えてきた。


これはロウにも、奴隷制度撤廃を目指すにせよそんな家庭を引き裂くことのないような配慮をすべき、と進言しておいた方がいいのかもしれない。


しかし、クレヨンとはいえそんな大事なものを忘れて行くなんて。

まあ幼い子どもはよくあることか、と腑に落とす。


「あんな幼い子の奴隷もいるんだなあ…って、リリーも最初は小さかったんだよなあ。…ああ。もう陽が沈むな。」


眠くなってきたな。疲れた。

しかし、こんな危険なところで寝るわけにはいかない。何とか身を起こすも、身体の重さは尋常ではない。

ポーションは一時的に治癒力を数千倍に増進させる魔道具。使った後の疲れ方は細胞レベルで感じざるを得ない特有のものだと聞いたことがある。


もう少し休んでから。そう自分に言い聞かせ、その場でゆっくり目を閉じた。


ああ。なんだか、急にリリーに会いたくなった。



  *


「んだよ。何書いてっかわかんねーなやっぱ。どうするよコイツ。」


レインという青年から奪った本を、スキンヘッドの男が隣を歩くもうひとりの男へと渡す。

男は本をじっと見つめ、やがて何かを閃きニヤリと笑う。


「こいつをよお。あの兄ちゃんに売りつけようぜ。あの身なりだ、まだ金を持ってるに違いねえ。なんにせよこの本の価値はあの兄ちゃんしかわかんねーからな!」


兄ちゃんとは、言うまでもなくレインのことである。男の策に、もう片方の男も満足げに首を振って同意する。


「いいねえそりゃあ。いやあ~あの坊ちゃんも可哀相になあ!俺達に目をつけられたばっかりによお。よし!そうと決まればさっきの兄ちゃんのとこに戻って…」


ドン、と、男の足が何かボールよりも大きく重いものを蹴飛ばした。

オオカミのような大きい耳と尻尾を生やした子どもが1人転がっている。


「あー、痛いのー」


「ああ?なんだこのガキ?」


容姿の似た子どもがもう1人、どこからか現れたかと思うと、転がって地面で寝ている方の子どもに素早く寄り添う。


「痛い痛いです?」

「ですー」


なでなでと頭を撫でて慰めている方はどうやら兄らしい。

泣きそうな顔をしていた妹の方は、兄の温もりによって安心した顔つきに戻っていった。

ふと、兄の目が男の持つ本を捉え、ぴたりと固まる。


「あー!」


そして間髪入れずにそれを指さし騒ぎ始めた。


「本!本です!その本は、汚くていい本ですか?」

「ですか?ですかー?」


男たちは顔を見合わせる。


「んだよ。この本か?さあな。どっかの冒険者の兄ちゃんが俺達にくれたんだよ。ははは。」


「兄ちゃん!お兄ちゃんさんのです!」

「です~」


双子は何やらごにょごにょと相談し始め、あーでもないこうでもないと話した後、何を決めてか拍手をし始めた。


「なんだこいつら…」

「相手にするこたあねえよ、獣人なんざ。行こうぜ。」


「待ってほしいのー!」

「の~」


「!?」


男たちが踵を返して元来た道に戻ろうとした先には、今の今まで後ろにいたはずの双子が立ちはだかっていた。


「その本を返してなのー!」

「なの~」


これには流石に気味が悪くなった男たちだが、その舌の回らずちんちくりんな双子の姿を見て、ふぅ、と、一呼吸に落ち着きを取り戻す。


「この本は今から使うんだ。やれねえな。ささ、そこをどけどけ。痛い目を見たくなかったらなあ。」


パチリ。

片方の男がポケットから折り畳みのナイフを出して見せびらかす。

双子はそれを見て、わあ、と声を上げ、何やらごにょごにょとまた相談をし始めた。


「おい、蹴りの一発でも入れてやるか。」


話し合いを終え、また何やら拍手をし始めた双子に、男が近寄ろうと足を一歩踏み出した時だった。


ちゃきり。鉄と金具の擦れる小さな音。

双子はそれぞれどこから取り出したか、楕円形の刃をしたナイフを構えるではないか。


「殺すことにしたのー!」

「したの~」


男たちはその双子の態度に呆気にとられる。あまりにも無垢な姿と声で、あたかも当然にように殺意を指し示すものだから男たちにはそれが全く違う言語のように感じられたのだ。


「あ、ああ?ふざけんな!」


彼らは自らの怒号ですぐさま我に返り、ナイフを構える。


「このガキ!なめやがって!そんな身の丈に合わねえククリナイフなんざ、振り回せんのかよ!」

「頭にきた!やっちまうぞ!!」


「殺すのですー!」

「です~」


双子はククリナイフの柄を口に咥えると、手を地面につけ勢いよく土を蹴り飛ばした。

四足歩行だ。

双子はそれぞれ左右の細い路地の壁を、目にも止まらぬ速さで斜めに駆け上がっていく。

その獣の目は突然の出来事に硬直する男たちを―獲物を、瞬きひとつせずに捉えていた。


双子は、一呼吸のうちに彼らとの高さと距離を詰める。


「な…」


男が詰まらせた声を発し終えるころには、双子は壁を蹴り、上空からククリナイフを構えて男たちに飛び掛かる。

瞳孔を開き、男の首元に狙いを定める双子。

その双子から恐怖に顔を背けながらナイフを振るった男たちだったが、その刃は空を切る。


双子が軽やかに地面へ着地するころには、折りたたみナイフと生首が男たちの足元へドサリと落ちた。

血しぶきが束の間の柱となって、男たちの頭のくっついていたところから噴き出す。ウェスピンの中央にある噴水よりは高く、血しぶきが上がったのではないだろうか。

それを、ぼーっと、間の抜けた表情で眺めた双子。

彼らが握るククリナイフからは血が滴り、それに混じって血管か皮膚片か真っ赤で小さな固体がべっとりとくっついていた。


「汚いのー。」

「なの~」


そそくさと死体の身に着ける服でそれを拭う。


双子の兄はククリナイフを背中の服の下に隠すと、死体の手に握られていた目的の本を拾い上げた。表紙に血痕がべっとりとくっついているが、幸い 中のページは血に塗れていないようだ。


「お兄さんにお届けなのー!」

「なの~」


2本の足で、すたたー、と、先ほどの機敏さを忘れたかのような子どもらしい動きで双子は走り去っていく。

ひっそりと静まり返るスラム。

じわじわと広がるこの血だまりが発見されるのは、しばらく後のこととなる。


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