第4話 食卓

  *


「レイン様!帰りましたよ!レイン様!」

「おーい、帰ったぜ~」


うすい緑色の鍋が、落とし蓋をコトコトならす。トマットトが煮立つ良い香りだ。

二人とも、良いタイミングで帰ってきてくれた。


「おかえり!」


調理場の出入り口から顔を出して、僕―レイン・フォルディオは声をかける。

聞こえたか聞こえまいか判断しかねたが、火の子守りから離れられないので仕方ない。

こういう時に屋敷の広さが煩わしく感じる。


外は既に陽を落とし、コウモリが空を滑るころ。

夜の庭の草木は月明りを浴び、青白い先端を風に揺らしている。

台所の窓の奥のそんな景色に目を奪われていると、リリーシャの僕を呼ぶ声が薄らと聞こえてきた。


「どこにいらっしゃいますかー!レイン様!」


「台所!台所だよー!」


良かった。

先ほどよりは腹に力を込めた甲斐もあってか、ドタドタと音の強弱がちぐはぐな足音が聞こえ始める。


「レイン様!ただいま帰りましたよ!お腹は空いてませんか…って、あれ。料理、ですか?レイン様が?」


細く鋭い目を眼前の疑問で更に尖らせているところは、その明るい声と優しい笑みが前後に無ければ、到底責められているとしか思えない表情である。


「おかえり。いやあ、たまには自分でも、って思ったんだ。」


僕が料理をしていることを意外に受け取られることは容易に想像がついていたが、こういうのはどうも分かっていたからといって照れ臭くなくなるわけではないらしい。

リリーシャは目をつむり鼻で、すうっ、と空気を吸うと


ぐるるる


と、腹を鳴らせた。


「いえ、その。何を作っているか当てようとしたのですが、先にお腹がしゃべってしまいました。」

「ははは。もう少しでできるから、ちょっと待ってね。」

「ですが…私も食事の支度を…」

「リリー。もう君は奴隷じゃない。今朝は僕が寝坊してしまったから、色々いつも通りやらせてしまったけど、もっと自由を満喫してほしいんだ。」


「私が、奴隷じゃない…」


「そうだよ。まあ慣れないうちは僕も口うるさくは言わないけどさ。その意味を考えていてほしい。とりあえず、服を着替えてきてはどうかな。」


元々あまりきれいではなかったメイド服も、泥のあとや小さく破れた箇所があちらこちらにでき、いかにもというような奴隷服になってしまっていた。

リリーシャは羞恥に頬を赤らめるも、それよりも、というように一歩前に出た。


「では、奴隷ではないので、遠慮なく申し上げます。…見てください!これ!ロウさんが買ってくださったのです!」


ここぞ!と、後ろ手に隠していたものを差し出すリリーシャ。

僕は鍋の方へ移ろうとしていた目線を再び彼女の方へと戻す。


「あ…これって。懐かしいなあ…。」

「そうです!グリモア初級編、光の書です!!」


グリモア初級編。

大手出版社『グリモア=グリモン』が出版する魔法書の初級編だ。

初級編でも数多くの種類があり、その数は世界に存在する魔法の数だけあるといってもいいほどである。

リリーシャが手にしているのは、その中でも光魔法を学ぶためのものに当たる。


「魔法を覚えるつもりなのか?」

「そうなんです!ロウさんが、ぜひにって。」


魔法はそれに対応した詠唱とそれによって引き起こされる現象を理解することで、誰でもすぐに使うことができるようになる。魔力は体温のように、誰の身体にもあるものだ。無限ではないが、常時生成され常時消費され続けるもの。魔法を使う際は体調を崩さない程度に、加減した量の魔力を消費するようコントロールしなくてはならない。

それに慣れれば『魔法使い』なんて呼ばれることもあるし、更に高度な使い手は、魔法同士を組み合わせて様々な作用を生み出すことができる。一般的にはこれを魔術と呼び、それを使う者を『魔術師』と呼んだ。


「その嬢ちゃんには俺の槍芸と簡単な魔法を教えてやろうと思ってなぁ。」

「あ、ロウさん。リリーがお世話になりました。」


廊下よりゆらりと現れたロウに、僕は深々と頭を下げた。

ロウは、畏まるな、とばかりに手をひらひらとさせて応じる。


「レイン様、このお方はランサー・ロウで間違いございません!あの槍さばき、私もいずれあのような一撃を放てるようになるのでしょうか…」


何を想像しているか知らないが、リリーシャはその口元以外はキリリとした表情で、うわの空に ニヤニヤウフフ と意識を飛ばしている。


人前で、こんなに無防備になる彼女を僕は見たことがなかった。

いつも何かを気にするように小さくなってばかりだった彼女。

『変なところ』を見せないように、と。

そのクールビューティーな顔つきとは、まるでかけ離れた怯え。

それはきっと、彼女の時間も、生活も、全てを冷やしていたに違いない。

先ほどは、もう奴隷じゃないのだから、と釘を刺したが、この新しいおもちゃをもらった少女のように楽しげな表情を見て思う。心は自覚よりも早く、自由を認識しているのではないだろうか。


「…おい。レインさんよ。リリー姉さんは昔から、こんな変なやつだったのか。黙ってりゃ、そりゃあかっこいいだ美しいだと女にモテそうな女なのに、こうも無垢で無邪気な笑顔を見せられるとむしろ残念に見えるぞ。」

「んー、さあ。昔からかもね。」


少し思い出そうとしてみたが、やめた。


「変なとこもかわいいでしょ?うちのメイド。」

「ハハ。違いねえ。」

「私もついに魔法使いデビューです!魔法…いいですよね。一度唱えれば、光が差し、水が溢れ、風が吹く!本当に不思議です…!…。不思議です。ええ。とても…。…?」

「ん?リリー、どうしたの?」


上気していた彼女の表情が、次第にいつもの無色とも言うべきものへと戻っていくのを不思議に感じ、問う。彼女は、首を左右に揺らして疑問を口にする。


「正直意味が分からないです。なんですかね、魔法って。こう、例えば指から水が流れ出るイメージをするじゃないですか。それで呪文を唱えれば水が出てくるんですよね?その水、どこからきた水なんですか?」

「いや、だからそれは指から出てくるんだよ。」

「?でも、何もないとこから水が出るって、変じゃないですか?」

「そりゃあ、呪文も魔力も無しに出てきたらおかしいけどさ。魔力が水に変換されるんだよ。指で。」

「じゃあその変換するエネルギーはどこから来るんだよ。」


突如、ロウが突っかかってきた。


「えっと…確か、呪文を唱えることが変換することになるから、エネルギーは必要ないはず。」

「要らないわけねえだろう。力が無けりゃ、変化は起きねえぞ。」

「そうはいっても、本に書いてあったんだよ。」

「その本が正しいとは限らねえわな。」

「いやいや…そんなこと言ったら、何も信じられないじゃないか。」

「ハハハ。じゃあ確かめるしかねえな、自分で。魔法とは本当に、『魔力が変換されてできたものなのか』変換されてできたものなら、『変換するエネルギーは何を使っているのか』。」


いやに白々しく疑問を提起するロウの態度には、むしろ真意を探りたくなる。だがそれは、ロウが向けた背によって阻まれた。後ろ背に横顔ではにかんで見せたロウは、槍の手入れでもしてくらあ、と言い残し、その場を後にした。


「あ。私も着替えて参りますね!」


ようやく我に返ったリリーシャも、そそくさと台所を出ていく。

それを見送った僕は、まだかまだかと落し蓋を揺らしている鍋に向き合った。


「よし。いいか。」


今日の夕飯は………

『ビッフットチキンとベキャツのトマットト煮』

だ!


「ビッフットチキン…それは」

((突然床下からモンスター図鑑と共に現れるリリーシャ))

「草原に住む魔物!ビッフットランナーからとれる太もも肉です!」

「えっ、ちょっ」

「ビッフットランナーは全長40センチ、高さ1メートルの鳥獣系の魔物です。およそ40×40センチほどの小さな胴体はニワトリのような形をしていますが、そんなことよりも気になるのはその巨大な脚!!

なんと片脚だけで横幅30センチ、高さ0.8メートル!無駄に強靭な筋肉を兼ね揃えており、走るスピードは100㎞オーバー!跳ぶ高さは5メートル越え!

基本的に群れで行動する魔物ですが、見かけたら要注意!一日中走り続けている上に突然止まれないので、ぶつかった瞬間に即死は確実!!

その奇形と妬ましいほどの美脚から親しまれるビッフットランナーですが、実は家畜と魔物のハイブリッド!ゆえにその脚からとれる肉は食用として一定の需要があります!

養殖も研究されていますが、その脚力と走性に難航中。それに加え、野生のビッフットランナーの素材を確保することは難しくないことも研究が進まない理由のひとつです。

彼らは、走りすぎるとその筋肉の放射熱で脳を少しずつ溶かしています。ゆえにいずれ勝手に転ぶため、静かにその時を待てば!我々は肉にありつけるのです。

ちなみに、ビッフットランナーが鳥獣種であることが判明したのはつい最近!足の付け根にあるわずかな突起が、退化して小さくなった手羽先であることが研究者によって判明いたしました。」


「あのー、リリー。早く着替えてきてくれるかな。」

「はい!」


バタバタといつもの足音で台所から出ていく彼女を、今度こそ見送った。


落し蓋をどける。

柔らかいベキャツの葉に包まれた鳥肉独特の香りと、トマットトの酸味を匂わせる風味が相まって、それはそれは美味しそうだ。


これを皿に盛りつけ、ナイフとフォークでいただくとしよう。


僕はベキャツの葉が破けないよう丁寧に料理を皿に移すと、喜々として配膳の準備に取り掛かった。


料理というのは面白いものだ。

義父はいつもリリーシャに作らせるものだから、僕が何か作るということはほとんど無かった。

それでも、家にあった料理本を参考に作ってみればこれくらいはできるもので、リリーシャを驚かせるには十分だったのではないだろうか。

まあ種を明かせば、野菜の皮むきなど素人には難しい包丁捌きが必要となる食材を使わない、この通称ロールベキャツの作り方が優れているのだが。


食事をとる部屋は台所に隣接ており、中央には一列に4人が座れるほどの縦長のテーブルが幅を利かせている。

少なくとも向かい合って8人が座れるほどだが、それが埋まったことは見たことがない。

そのテーブルを含め、この屋敷のほとんどは木製で節々に金属の丸みを帯びた装飾が施されている家具ばかりだ。

デプリッチの目利きでは、富豪の家に置くようなグレードではないが、一般庶民からすればひとつ買うのに精一杯、といったところらしい。


そんなことを思い出しながら台所から料理を載せたトレーを運んでくると、既に腹を空かせたロウが恨めしそうな表情で、その高価な椅子に踏ん反り返っていた。


「槍の手入れ、終わったんですか?」

「いやなあ。そんなことよりも、だ。」


ロウは、僕の手元のトレーを一目。


「…聞き忘れていたが、俺の分は」


なんだい。神妙そうな面持ちで自分の腹の心配かい。


「ありますよ。ロウさんはこの屋敷に寝泊まりしていただいて構いませんから。持ちつ持たれつですよ。」


彼の眉間から陰が去り光が訪れる。


「おお!話の分かる新主人で助かるってもんだ!そうとなりゃあ、これからは長え付き合いになる。俺のことは、ロウと呼び捨てで構わねえさ。行儀のよい言葉遣いも勘弁だ!よろしくな!」

「は、はい、よろしく…」

「固えっつーの!」


ええい。リリーシャのことをどうこう言うよりも、この勇者こそ小っ恥ずかしいほどに単純だな!

ゲラゲラと笑うロウを横目に食器を並べていくわけだが、照れ臭くなってついついその手が速まる。


なんだか嬉しかった。

リリーシャではない他の誰かとこうして話すこともそうだが、その誰かと秘密を共有し、ひとつ屋根の下で食事を共にすることが僕にとっては特別なことに感じられる。

その相手が、誰もの憧れである大英雄であること―という実感は、彼が槍を振るわない限り湧いてこないが。


白米をよそい、あとは洗い物というところ。

予備のメイド服に着替え終わったリリーシャが、廊下をバタバタと小走りに台所へ向かおうとしていた。それを見つけたロウが捕まえて無理やり席に着かせ、ようやく食事の準備に区切りがつく。


「よろしいのでしょうか…つい、流れで私も座ってしまって…」


リリーシャは落ち着かなそうな様子で座るも、眼前の料理を凝視している。


「ん?なんだ、リリーの姉さん。いつもどんな感じで食ってんだ?」

「い、いえ…それは…」


丁度腰を下ろそうとしていた僕の方へ、彼女はチラリと目線を送ってきた。


そうか。

ロウは奴隷制度の無い時代に生きた人間だ。

今日のリリーシャはそのほとんどの時間を外で過ごしただけに、あまり奴隷臭さが目立たなかったのだろう。


僕は説明することを一瞬躊躇ったが、彼女は既に奴隷ではないのだ。

過去と決別するためにも、一度声に出した方がいい。


「使用人奴隷はさ。主人の残食を食べるんだ。立ったままね。」

「なんだと…?」


ロウの目つきが険しくなる。

リリーシャは無表情だ。いや、平静でいようとしている。

僕は覚悟のうちに、言葉を続けた。


「これでも良い方さ。奴隷の扱いは家それぞれ。少なくとも、この家の主人だった人間はそうだった。

リリーの作ったご飯を、主人はほとんどを残すことが大半だった。分からないのさ、一生懸命作った料理を罵倒されたり、捨てられたりすることの悲しみを。

挙句の果てに、使えないから用途制限無しの奴隷として売り払うだなんて。死んで当然さ。あんなやつは。」

「…。よく、分かった。悪いな、考えれば分かるようなことを聞いちまった。そうだ、そんな世界にならねえようにと俺は戦ったんだ。」


沈黙が流れた。


パンッ!!!

そこに、空気が弾けたような音。


ロウが渾身の力で両掌を叩いて、一喝を入れたのだ。


「料理が!!冷めちまうぞ!!!!!!」


「え」


「料理が!冷めるってんだよ!!なあ!?リリーの姉さん!!」


彼女の目が、カッ、と開き、フォークをグーで握り、増長する食欲を言葉にして返した。


「…!そうです!もうお腹がすきました!!いつまで喋ってるんですか二人とも!早く食べないと、せっかくのビッフットランナーの肉が走って逃げちゃいますよ!!」


ロールベキャツにフォークのみでかぶり付くロウ。

それを見たリリーシャもフォークを突き立て勢い任せに噛みついていく。

お前ら、ナイフを使え―そんな言葉をスープと共に喉の奥へ流し込んだ僕。


「礼儀作法なんて知るか!!食い散らかせお前ら!!家主の僕が許す!!!」

「うおー!!戦じゃあ!!!!」

「じゃんじゃん食べますよー!!!!」


ガツガツと料理を食いちぎり、

ギシギシと椅子を軋ませ、

前のめりになって3人はただひたすら飯を食らった。味なんて一瞬のうちに舌を通り過ぎていくほどに、ただただ食らった。

その勢い、甚だしく、汚く、爽快。そういった自由。罪の対価。心地好いとすら、感じる間もなく、ただ獣のよう。


やがてロウが立ち上がり、台所に閉まってあった、ありったけのパンを木箱ごと持ってくるなりテーブルの上にドサリと置いてこう言った。


「家主よお…。どちらの食いっぷりが上等か、ここではっきりさせておこうじゃねえか。」


申し出は必然だ。食欲は猛々しく、衝動の炎となり、闘争を欲するまでに至っていたのだ。


「ほう…僕をぼっちゃんか何かと勘違いしていないか?その留飲の下がらないうちに、このパン、お前よりも迅速にこの胃袋に捻じ込んでやるよぉ!!!」

「乗ったァ!!リリーの姉さん!そのパン数えとけ!!」

「はひほははへふははひ!!!」


先手必勝である。

僕は椅子から乗り出して木箱に手を突っ込んだ。


この柔らかい感触は…!


掴んだのは食パン。

ボリューミーなふんわり四角形。

これをジャムなしに食らう姿は大英雄の目にはどう映るのか?

先ほど啖呵を切りながらも、打って変わって静かなロウに目線を送る。

ビビったか?そんな挑発をくれてやろうとした僕の目に映ったのは。


「…はひ!?(なに!?)」


その大英雄。

鞘から剣を抜くかのように、静かに、しかして軽やかに、ただ一本のパンを、抜く。


そう…それは―


「ふ…ふへんへはんはほ!?(フレンスパンだと!?)」


長さ、固さ、どれもそこらのパンは比較のうちに入らず。

フランスパンの強固たるや、帝都を囲む高く分厚い壁の如く。

その一振り、食いちぎること能わず。

食う者を拒むその頑強な装甲を、大英雄は鋭い八重歯で強引に噛み千切っていく!


思わず、僕は咀嚼を止めていた。

ふと、もふもふとパンを頬張るリリーシャと目が合った。

僕の中で、何かが沸々と燃え上がるのを感じる!


「…はへはへはひ(負けられない)」


「はっへふほふはー!!!(負っけるもんかー!!!)」




やがて、死屍累々の食卓がそこにはあった。

散らばったパンくず。

スープの飛沫。

顔についたままの米粒。

床に大の字となって苦しい呼吸を続ける3人。


「レイン…さ、ま。」


「聞こえて…ます、か?」


「ロールベキャツ…」


「今までの、何よりも」


「おいし、かった…です。」


ガクリ。


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