第5話 スライム
*
騒ぎに騒いで次の日を迎えた。
三人とも昨晩の食事が胃に重く、ロウですら朝食はノーサンキューとのこと。
どんよりと曇った灰黒い空の下、洗濯物は軒下寄りに物干し竿ごと移しておく。
一通りの家事をリリーシャに手取り足取り教わりながら、彼女とふたりでこなし終え、時刻は既に11時を回ろうとしていた。
「帰ったぞー」
玄関からロウの、気の抜けた呼び声が聞こえた。
彼には昨晩大量に失った食料の補充や、彼とリリーシャの衣類など生活必需品を買いに行ってもらった。
本来ならばリリーシャがその点において詳しく、彼女自身の衣類も彼女に選ばせるなどの余裕を見せたいところだったが、今は時間と金を惜しんでいる。
加えて、ロウが語る『これから』を聞いた僕たちは、道具や装備の購入をロウに任せる他無かった。
「おかえり、ロウ。」
「お帰りなさいませ、ロウさん。」
「おう。買ってきたぜ。存外迷わなかった。いやあ、王国文化も俺の時代と差して変わりはねえな。いや、今は帝国文化か?ホントに100年経ってんのかよ。変わったところといやあ露店と人くらいだぜ。」
「そんなものかな?昔に比べて建物の見た目も違うと思うけど。」
「そんなもんは変わったうちに入らねえよ。本質的に、何も便利になってなけりゃあ不便にもなってねえ。正直、気味が悪いな。」
つまり、文明に進歩が見られない、と。ロウはそう言いたいのだ。少なくとも一般市民の触れる文明においてはそうなのだろう。
これも皇帝の思惑なのだろうか。つい先日まで義父に不満こそあれ、何も世界を疑わずに生きてきた僕にとっては、あの日から見る景色が全て変わって見えるようだ。
玄関の前で大きく伸びをしていたロウだったが、小降りの雨を額に受けたものだから、急げ、と大声を上げる。引っ張ってきた荷車に積んである荷物を三人でせっせと屋敷に運び込みながら、そろそろ腹も空いてきたと食事をとっていなかったことを思い出す。
しばらくパンは食べたくない、という見解の合致から、リリーシャが米と野菜で簡単なものを作ることになった。
その間、昨日の惨状が無かったかのように掃除された机を挟み、僕とロウが向かい合って話し始める。
「一度確認しておきたいんだ。これから、本当にアルマロンの物価を下げるべく動くのか?」
既に足をかけている話だが、僕は半信半疑だった。
ロウは深くうなずく。
「ああ。昨日、アルマロンの群生地を見てきたが十分な量が居るだろう。巣からおびき出す方法も問題ねえ。」
アルマロンは地中に洞窟のような穴倉を、長く、深く作る。その穴倉の穴が大きければ大きいほど、より多くのアルマロンがいる可能性が上がるらしい。
大陸中を旅した勇者のことだ。魔物討伐に関してはプロであるのだから、そこは信頼していいだろう。
「父の件は、どうする。流石にデプリッチを騙し続けるのも無理があるぞ。他の知り合いの商人だっている。失踪を噂されたら、流石に衛兵も黙っていない。」
「昨日、俺がどうやって国外に出たと思う?」
あれ、そういえば。
この帝都は周囲を巨大な壁で覆っている。外に出る方法といえば、4ヶ所の関所を通る他ない。その関所を通る際に、魔力検知によって戸籍を調べられるのだ。
ロウは死んだことになっているはず。戸籍などあるわけもない。
「何か抜け道でも…?そうか、その抜け道を使って父の遺体を…!」
「いや。まあ抜け道といやあ、そうとも言う。いわばシステムの抜け道だなあ。魔力は人によって波長が違うのは知ってるな?ゆえに、魔法を会得するにも向き不向きが多少はある。その波長が戸籍に記録されているから、個人を特定できるんだ。そこで、だ。実はな。俺は古代魔法のひとつ、『レコウル』が使える。」
「古代魔法!?」
古代魔法とは。主に、魔力や魔法そのものに作用する魔法だ。
魔法が発見されその原理を研究していた古代の文明においてのみ、その存在があったことは分かっているが、今となっては再現不能と言われている。
その理由は、人類が魔力を体内に宿らせた最初の世代の魔力でなければ、魔力や魔法そのものに作用する魔法の研究素材とすることができないからだ。
人類は長い年月の中で、遺伝子が混ざり合わせると同時に魔力も混ぜ合わせてきた。
結果、今の人類はほとんどの魔法に対して適性を持つに至るが、根源にあったような純粋な魔力を持つ者はいない。つまり、研究素材となる純粋な魔力が無いのだから、魔法の研究ができるわけもなく、その研究のために使われる古代魔法も自然と廃れた。
故に、古代魔法を会得するには伝承や当時の遺産から見い出す他なく、もはや伝説・幻と言われるようになった魔法なのだ。
「使えるのは驚きだけど…それをどう使うの?レコウルといえば…人の魔力を吸い取る魔法、とか聞いたことがある。」
ロウは右に掻き分けられた前髪に手串を入れながら、目線を右上に語る。
「んーまあ。近い。実際は少し違う。人の魔力を回収し、体内に一時保管できる魔法だ。つまり、自分の魔力と回収した魔力は混ざり合わない。」
ロウ曰く、古代においてレコウルは魔力研究用の魔法として使われていたものらしい。
人の魔力を回収し、研究の素材として必要な時に放出できるというのは、人によってそれぞれ全く違う性質の魔力を持っていた古代人にとって、かなり利便性の高いものだったのだろう。
古代文明という短い期間に、古代魔法が多く発明された基礎となるものだったそうだ。
「つまり…そうか。昨日は僕の魔力を事前に回収していて、関所の検査の時にそれを流したってことか!」
「そういうことさ。お前さんが寝てるところをもらっといたぜ。」
「…で。それが父の件とどう繋がるんだ。」
はぁ~、とロウは溜息をつき細い眉を片方釣り上げることで、僕に見くびった態度を示す。
「俺がおめえのお父さんの魔力を回収して、お父さんに成りすまして外に出る。あとはどこかテキトーな村で、俺が奴隷上がりとして新たに戸籍登録して帝都に帰る。お父さんは帝都の外へ出て行方不明、俺は新たに戸籍をゲット。一石二鳥っつーことで大団円さ。」
っはぁ~。
先ほどのロウの態度の報復に、僕は腹でありったけの溜息をつく。
今度は僕が眉を変形させる番である。
「おいおい。義父が死んでからもう2晩明かしてるんだ。死亡から3、4時間ならまだしも、2晩だ!もう魔力なんて死体に残ってるわけないだろ!」
「棺桶。」
「え?」
ロウは得意げに、ぴたり、と人差し指を僕へ向けた。
「レインさんのこった。棺桶を掘り出してこれ幸いと、おとーさんの死体をそこに入れたんじゃねえか?」
棺桶、というのはおそらく、ロウが入っていたあの棺桶のことだろう。僕はロウの言いたいことがようやく分かった。
「まさか、あの棺桶に施されていた魔術はまだ有効なのか!?」
「多分な。あれを作った聖女さんの口ぶりからすりゃあ、棺桶はいつ掘り出されるか分からなかったはずだ。少なくとも、2、300年は有効な魔術を組んだはずだぜ。その様子だと分かっているみてぇだが、あの魔術はおそらく保存魔法と時魔法で組まれたものだ。となりゃあ、死体は腐るどころか入れた時のままの状態のはず。」
「そ、そうだったのですか。」
感嘆の混じった声を出したのはリリーシャ。出来上がった料理のトレーを持って、部屋の入り口でいつからか立ち聞きをしていた。
特に聞かれて困る話ではなかったが、僕は話に夢中だったせいか気配を感じなかったのでギョッとする。
「よし、リリーの姉さんも話は聞いたな。飯食ったら早速、墓荒らしだ。」
「待ってくれ。その後は、どうする。」
「何?その後だと?」
そりゃあどの後だよ、とロウは首を傾げかけたが、僕の真剣な面持ちから『その後』とは何を指すのか察したようだった。
「お前さんが言いたい『その後』ってのはあれか。死体の隠蔽をし、デプリッチに儲け話を噛ませ、潤沢な資金を調達した後の話ってか。…俺はな。皇帝との戦いを辞める気はさらさらねえよ。でもな、お前らを巻き込もうとも思わねえ。
レインは昨日ああ言ってくれたが、アルマロン討伐で一儲けしたら、分け前半分置いて俺はここを去る。俺は軍団を作る。皇帝を倒すための軍団を。
お前らには悪いが、それまでは付き合ってもらうぜ。なに、1週間だ。あっという間さ。」
「待てよ。」
僕は椅子から立ち上がった。
リリーシャもトレーを机に置き、ロウの方へ向き合う。
「ロウがその気だというのなら、僕も加わる。」
夜中。寝起き。食事時。何度も考え直しては、同じ結論に至っていた。
死体隠しに協力してくれた恩じゃない。金を稼ぐ算段を立ててくれた礼でもない。ただ純粋に、今の世を正したいと願う気持ちが正直なものとなって現れるのだ。
「私もです。レイン様が戦うというのに、私が戦わない理由はありません。そして、正義の心が、私にもあるのです。」
その言葉に僕も頷く。リリーシャがそばで虐げられてきたように、世界のどこかでたくさんの奴隷が苦しんでいる。月並みな正義感だが、数十年を奴隷の傍らで過ごした記憶が、確かにそれがひとにとって不幸なことであることを指摘しているのだ。
「もう、嫌なんだ。家族のことを奴隷と呼ぶ世の中は。」
それを表情一つ動かさずに受け止めたロウは小さく、そうか、と呟いた。
「言っておくが。いずれ相手は人間だぞ。」
「わかってる。でも…。」
「覚悟はあるのか。いや、あるわけがねぇ。これから覚悟を固める気はあるのか!それを問いたい。」
ロウは静かな目線を僕らへ向けた。その面持ちに、生唾を飲まされた。
それに応えたい。腹から声を絞り出す。
「…ある!」
僕と彼女の声が揃ったのも、同じ時を過ごし、そこから同じ答えを見出したからだと感じた。
「よし、分かった。いずれ、引き返すことはできなくなる。それまで、じっくり見定めさせてもらう。よろしく頼むぜ、お二人さん。」
ロウは拳を天井へ向け、高く突き立てた。引き締まった腕の筋力が、ただの動作に重みを与えていた。釣られて、僕らも右腕を高々に挙げる。ゆっくりだが、確かに真っ直ぐと天井を指す拳が、そこに三本揃っていた。
勇者であるロウのかつての仲間達よりも少なく、力のない拳だろう。だがそれは、紛れもなく僕たちの精一杯なのだ。まずそこに有ることが、価値のある拳であったのだ。
*
次の日。ロウと出会ってから3日目。ニワトリが鳴くよりも早い朝に、僕たちは帝都を出発した。
冒険者がよく持つような、リュックサックや斜め掛けの大きなカバン。
特にリュックは背負う者の後ろ姿を、足と半分の頭しか見えないほどに大きい。
昨日の雨はしぶとく続いたが、帝都を発つころには収まり、雲は多いが梅雨の前の弱い日差しを浴びることができている。
僕たち三人は、帝都の外のぬかるんだ道を歩いていた。
件の帝都を出る際に必ず通る関所では、ロウの古代魔法レコウルにより、父の成りすましに成功した。僕とリリーシャはバレやしないかと心を苛ませ、ロウのその手続きを見守っていたところを、いとも容易く古代魔法を使い口笛混じりにロウは突破するものだから、何とも言えない拍子抜けな脱力感が安堵と共に僕の体を満たしたものだ。
次の目的地は、ロウの戸籍獲得のために帝国領土内のウェスピンという町を目指して歩いている。ついでに、僕とリリーシャは冒険者登録をしてみることにした。
ウェスピンは帝都に比べると小さな街だと聞く。帝都ほどの高さではないが、魔物の侵入を防ぐための街を囲む分厚い壁がある。とはいえ、帝都よりも幾分緊張感を欠いた治安管理なだけに抜け道くらいはあるもので。昔のままならば、関所を通らずに街へ入ることもできなくはないだろう、とロウが高を括っていた。
「…その槍、うちの客間に飾ってあったやつか。」
僕はロウの背中に提げている槍を指さす。
「そうだぜ。んだよ、気付いてなかったのかよ。」
思ったよりぶっきらぼうな回答が返ってきたが、かねてより抱いていた、既視感からようやく解放された爽快感が大きい。
普段、客間には用もなければ飾られている装飾に目もくれない僕にとって、槍を拝借されたぐらい気にも留めていなかったわけだが、それが本当に槍として使うことができるとは思ってもいなかったのだ。
「ははあ。レイン様。存外、家の中のことは見ていらっしゃいませんね。」
やめろ。リリーのその冷ややかな表情は、元の顔の造形と相まってかなり鋭く感じるんだぞ。
「借りてるぜ。無駄な装飾ばかりで大した槍じゃあねえが、魔物相手にゃこれで十分なのさ、俺は。リリーの姉さん、そうレインをいじめんなよ。部屋に引きこもってたんだろ?仕方ねえよ。」
ロウの冗談交じりな煽りを真に受けたリリーは、目を丸くし、慌てて発言を撤回する。
「いえ!私はそのようなつもりで言ったのでは。冗談、というのは難しいものですね…。」
「ああー、大丈夫、気にしてないよー、慣れてる慣れてるー。」
そりゃあ、あんな真顔で釘をさす目線で言われれば、どっちが家主か分からなくなるというものだ。
その後の彼女の慌てた表情といったら。先ほどの冗談(?)を言ったときのものとはまるで別人なので、顔の筋肉を動かすことが化粧よりも女性の印象を変えやすいのだ、と畏れ多くも実感した。
「ところで、私に槍を教えてくださるとのことでしたが、それはいつなのでしょうか…。」
「んー。まあまずは、ウェスピンに着くまでに光魔法のグリモアを読み終えることだな。」
「むむむ…アルマロンを討伐する際に読ませられた、モンスター図鑑の方はよろしいのでしょうか。」
「ああ。そっちは飽きたら読む程度で構わねえよ。」
あ、少し彼女の頬が膨らんでる気がする。話に聞いた限りでは、アルマロンの戦闘中にひたすらそれを読まされたとか。この様子から察するに、モンスター図鑑はそれなりに気に入っていたのではなかろうか。彼女の背負うリュックサックの中に、いつでも読めるようにと浅い部分へしっかり入れてあることが膨らみから見て取れる。
リリーシャは僕たちの後ろを歩きながら、光魔法のグリモア初級編を読みふけっている。
転びやしないか、と僕はソワソワしていたが、それを察したロウが僕に耳打ちした。
(心配ねえよ。昨日、リリーの姉さんは攻撃予知のスキルを身に着けてる。そんじょそこらの石ころにはつまずかねえさ。)
(あの…スキルってなんですか。)
「えっ。」
ロウが思わず声を上げた。
しかしそのあとすぐに、そうか、と合点のいったような顔になる。
「冒険者や商人の間じゃあ一般常識なんだが、なるほど、普通に暮らしている分には知らないわな。
スキルってのは無意識下で実行される技能のことさ。まあ鍛錬を積めば意識的にスイッチができるんだが。こいつには魔法並みに種類があってな、それなりに経験を積むと会得したり、研ぎ澄まされたり。
普通の人間にはスキルの獲得や向上が認識できないが、鑑定のスキル持ちには認識できる。
例えば、今は俺が魔物避けのスキルを使っちゃあいるが、これを切ると」
突然。
道端の草むらからスライムが現れた。
「わ!思ったより魔物に出くわさないと思ったらそういうことか!」
「お下がりください、レイン様。ここは私が…何とかできるのでしょうか?」
いや、聞かれても知らないよ。その真顔止めて。
スライム。
液状の魔物で、その生命の核となるような部位がどこにあるのかは謎に包まれています。
物理攻撃がほとんど効きませんが、スライムの攻撃というのも特に痛みを伴うものではありません。
湿っていない場所での移動速度は極端に遅く、まるで脅威にはなりえませんが、湿った場所での移動速度や跳躍力が侮れず、顔に取りつかれ窒息死させられるケースが多いです。
その液体の身体は魔力によって形が保たれており、一度外から魔力の影響を受けると水となって消えてしまいます。―リリーシャ談
「丁度いい。リリーの姉さん!光魔法、少しは使えるようになったんだろ。スライムを倒してみな。」
まさか。魔法のまの字も知らなかった彼女が、昨日の今日で魔法のひとつが覚えられるだって?そんな都合のいい話があるか!
「あ、そういえばそうですね。やってみます…!」
そんな都合の良い話があったようだ。指名を受け、リリーシャはスライムの前に立ちふさがる。グリモアを開き、使いたいページを探し始めた。
「ええっとーあれ、何ページだっけ」
ぴょん。
スライムがリリーシャの顔目掛けて飛びついた。
魔物が空気を読んで待つことは100年経とうとも、ない。
「ほわ!」
サッと上半身を屈めて跳んできたスライムを見事に避ける。
これがスキル、攻撃予知というやつか。
動体視力と反射神経が優れていても難しいであろう咄嗟の身のこなしに、思わず感心して手を叩こうとしたのだが、
「ぐぺっ」
手を構えようとしたのも束の間、彼女の後ろにいた僕の顔に、跳んできたスライムが取りついたではないか。
「おごがヴぁ!!」
「ハハハハ!!!何してんだレインさんよ!!!!」
「ロウさん!笑っている場合ではありません!えーい!『ピーカー』!!」
リリーシャがグリモアを片手に、空いたもう一方の手の人差し指をスライム―というか僕の顔面に向けて―かざし、呪文を唱えた。
彼女の指先から細い光の線が放たれるのが、スライムの薄緑色の液体の中から透けて見える。
その光弾は真っ直ぐにスライムを貫き、同時に僕の額にぶつかって弾けた。
「~~~~~!!!!」
思わず額を抑えてしゃがみ込む。
デコピンか。その程度ではあるがそれなりの衝撃を食らった。
スライムはべちゃりと地面に落ち、ぷよぷよと揺れたかと思えば水となって動かなくなった。
「だ、大丈夫ですか!レイン様!ごめんなさい!」
「い、いいんだ、大したことない…」
唱えた光魔法が殺傷性の高いものでなくて助かった。
ピーカーは光魔法の下位分類に当たる。
練度を高めればかなりの衝撃を与える光線になるが、今のリリーシャの練度ではこの程度だろう。
しかしながら、こうも容易く攻撃魔法が撃てるようになるものなのか。
改訂に改訂を重ね精度を上げているグリモア初級編は、今や魔法習得には無くてはならないものと聞いていたが、ここまでとは知らなかった。
「見込みがあるぜ、リリーの姉さんは。早く槍の方も持たせてみてえな。」
「そ、そうですか?まだ本がなければ詠唱は難しいですが…。」
唱える魔法の論理構造を頭でしっかりと理解している状態でなければ、魔法は発動しない。
つまり、グリモアに書かれたその魔法の構造論理を頭の中でリアルタイムになぞることで、呪文詠唱をスイッチに発動する。
教科書の物語を空で言えるかどうかという感覚と同じで、初心者はこれが難しい。
故に、忘れた部分はその都度グリモアに目を落とし詠唱することで、ようやく魔法が発動することになる。
僕は論理構造を覚えることが億劫で、あまり魔法を覚えることはしてこなかった。
「…。僕も何か役に立ちたいところなんだけどな。ロウ、何か僕に向いているものはないか?」
額を抑えながら立ち上がる。このまま置いて行かれるような焦りに押され、思わずロウに尋ねてみたのだった。知らぬは一時の恥、というやつだ。こういう見栄を張らない泥臭さが一番の近道と、何かの啓発本で読んだことがある。
「そうさなあ。お前さんみたいなやつは…アレに似てるな。剣士。つっても、型だとか騎士道だとか言わない、冒険者によくいるようなただ剣持ってるからそう呼ばれるだけのようなやつ。酒場でバカ騒ぎしているだけのような。」
「…それ、冒険者バカにしてないか?」
「ん?俺そんなこと言ったか?」
リリーシャはグリモアを読みながらクスクスと笑っている。
ロウが至って真面目な顔が続くところを見ると、どうやら本当にそう思っているらしい。
およそ点となって見えるウェスピンまで続く畦道を歩いている間、僕はずっとロウの言っていた剣士について考えていた。
まず、冒険者の剣士を全く見たことがない。そもそも冒険者自体を見たことがあったかすら怪しい。
…屋敷の窓からたまに見かけた剣をぶら下げた男がそうなのだろうか。
ただ剣を持っているだけの剣士。剣に拘りがあるようで無いようなニュアンスだ。
主たる武器が剣なだけで、どのような手も使い得るということなのだろうか。
それは敵を倒すという点において合理的だ。
ああ確かに。
何が向いているだとか、僕にぴったりなのは何かとか、そんな話じゃあないんだ。
僕の今の目的は、敵を倒すという点において力を発揮すること。
そのための手段なんてどうでも良いではないか。
おそらくそんな意識から、たまたま手近にあった剣を取ったのが冒険者の剣士なのだ。
「ロウ、分かったよ。ウェスピンに着いたらテキトーに武器屋を覗いてみる。」
「ん?…ああ、まあ止めやしねえよ。」
僕は意気込む。それを見たロウは心の中で、
(やっぱり変に遠回しな言い方でなく、お前は戦闘に向いてないと思うからやめとけ、って直接言った方が良かったか…)
と、後悔をしていたことを、僕は知る由もなかった。
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