第3章 事情聴取その2 言えない仕事

「そうですか。では次に、矢石やいしさんの死体を発見する前、正確には七時から七時半くらいにかけては、どちらにいらっしゃったか、お聞かせ願えますか」


 丸柴まるしば刑事が口にしたのは当然、被害者の死亡推定時刻だ。検視で得られた正確な時刻は七時二十分前後だが、あまりピンポイントの時間を言うと警戒される恐れがあるため前後に幅を持たせたのだろう。


「屋台の前でお客様の対応をしていました。最初にも言いましたが、クリスマスに向けて当店のフライドチキンを売り込む絶好の機会でしたから。トイレに行く以外は、ほぼ屋台のそばにいました。それは他の社員のみんなも同じですよ」


 苫は、身内に犯人などいないということを暗にアピールしたかったらしい。丸柴刑事は、詳しいことはご本人たちから直接訊きますので、とそれを受け流して、


理真りまは何かはある?」


 同席している素人探偵を見た。理真に水を向けたということは、苫の聴取はこのあたりで切り上げるということか。時刻も時刻だし、聴取はこのあと三人も控えているため、ひとりにあまり時間をかけるわけにもいかない。


「そうですね」と理真は、「苫さんは今、社員全員は屋台のそばにいたとおっしゃいましたが、実際に矢石さんは屋台から離れたバックヤードで殺害されています。これについては、どうお考えですか」

「矢石さんは、営業の仕事で常に電話対応が欠かせない立場でしたから、確かに私たちほど屋台につきっきりではなかったかもしれません。接客も不得手にしていましたし。それは私の話からも想像が付くと思いますが」


 確かに、話に聞いた限り、矢石に愛想を振りまいて接客をするイメージはない。理真は、そうですか、と言って丸柴刑事に目配せしたため、


「ありがとうございました」丸柴刑事は頭を下げると、「それでは、苫さんはもう帰宅されて結構です。帰る前に、次の方を呼んでいただけますか。そうですね……」

「聴取が終われば帰ってよいのでしたら、次は上坂うえさかさんでお願いします。彼女、今日はとても頑張ってくれて、疲れているはずですので」


 苫は、唯一の女性従業員を次なる聴取者にしてくれるよう頼み、丸柴刑事はそれを承諾した。



「どうよ、理真」


 苫の姿が見えなくなると、丸柴刑事は姿勢を崩して大きく伸びをした。直後にあくびをして、ふわーん、という情けない声も出している。聴取の際には決して見せられない、見せてはいけない姿だ。負けじと(?)理真もパイプ椅子からずり落ちそうなくらいに座りを浅くして全身を伸ばし、


「いきなり重要参考人が浮かんできて、幸先いいわよ。事件の早期解決も夢じゃないんじゃない。ということで、私、帰っていい?」

「警部の勘を信用しろ。そんな簡単に終わらないわよ、この事件」

「そうだといいんだけど――って、よくはないか」


 当たり前だ。素人探偵の出る幕もないまま事件が早期解決されるのが一番いいに決まっている。城島じょうしま警部の刑事の勘が外れてくれることを私も祈った。決して早く帰って温かい布団で寝てしまいたいわけではない。決して。そう思いつつも、私は背中を丸めてストーブに両手をかざした。理真は靴を脱いで椅子の座面に足を上げ膝を抱え始める。見ると、丸柴刑事まで靴を脱いで、「爪先が冷えるのよね」と足裏をストーブに向けて、足の指をわきわきと動かしていた。


丸姉まるねえ、お客さんへの聞き込みで、犯行時刻に争うような声や音、悲鳴なんかを耳にしたとかいうのはあったの?」


 デニム越しに脛をさすりながら理真が訊いた。


「ないわね。なにせ被害者の死亡推定時刻はイベントも宴たけなわだったから、会場に流れている音楽や人の声に掻き消されて、よほど大きな物音や悲鳴でもなきゃ、お客さんのいる場所にまでは届かなかったでしょうね。上坂さんの悲鳴のほうも、屋台にいた苫社長と林山さんの耳にだけ届いた程度だったそうだから。そもそも、死因が扼殺だから、首に手を掛けられたらもう、被害者が悲鳴を上げるのは難しいと思う」

「確かに。ねえ、その扼殺だけど、被害者は真正面から首を絞められたんだよね」

「そう」

「じゃあさ、矢石さんは犯人に対して、かなり接近を許していたってことじゃない? それも真正面から。かつ、大きな悲鳴や物音を上げる間もないまま首に手を掛けられてしまった」

「そういうことになるわね。とすると……」

「うん。木出崎さんとは犯人像が重ならないんじゃない?」


 理真は私にも顔を向けてきたので、頷いて同意した。苫社長の話では、矢石と木出崎は犬猿の仲と理解してよい。そんな相手に対して、首を手が掛かるような距離までの接近を許すだろうか。ましてや真正面から。


「理真、由宇ゆうちゃん――」


 丸柴刑事が靴を履いて背筋を伸ばした。その視線の向こうには……おや? ブルゾンを羽織った若い男性が歩いてくるのが見える。次の聴取者は女性の上坂ひろ子のはずだが……。その男性は私たちの前まで来ると、ぺこりと頭を下げて、


「ども。林山はやしやまです」


 と軽い挨拶をくれた。やはり、トマホークチキン調理兼販売担当の林山だった。


「本当は上坂さんの番だったんですけれど、代わってもらったんです。聴取が終われば帰っていいってことだったんで」


 パイプ椅子に座るなり、林山はストーブに両手をかざした。


「何か用事があるのですか?」


 丸柴刑事が訊くと、林山は、


「はい。明日の朝一で母親を病院に送らないといけないんで。俺は中央区にアパート暮らしですけれど、実家が長岡ながおかなもので。この聴取が終わったら、すぐ高速です」


 新潟市中央区から長岡までなら、高速道路を飛ばしても片道一時間はかかる。


「お母様の容体が優れないのですか」

「半年に一度の定期検査です。こればかりは地元のかかりつけ医院じゃなくて、新潟市の大きな病院に行かないとなんで」

「それで送り迎えを。お忙しいところをすみません」

「いえ。緊急事態ですから。まさか……」と、にこやかな笑みを浮かべていた林山は、そこで顔色を暗くすると、「矢石さんが殺されてしまうなんて……」

「そのことについて話を訊かせて下さい。殺された矢石さんは、どんな方でしたか」

「……嫌いなタイプでしたね」

「ずいぶんはっきりと言い切られましたね」

「本当のことだから仕方がありません」

「具体的には、どういったところが?」

「言い始めたらきりがありませんけれど、何よりも、あの他人を見下したというか、常に人を小馬鹿にしたような言動ですね。あの人の基準では、自分より優れた人間はこの世に存在していないらしいですよ。おまけに金に汚いし。あ、社長から聞きました? 伝票の記入ミスのこと」


 丸柴刑事が頷くと、林山は、


「ひどい話ですよねー。そりゃ、大元は進藤しんどうさん――あ、進藤さんてのは取引先の農家の名前です、のミスかもしれないですよ。でも、普通言うでしょ。書いてある金額が口頭で決めたものと違ってますよって。なのに、相手のミスに付け込むような形で、何の一報もなしに取引を成立させようとする、その根性が理解できません。進藤さん、うちに優先的に良質な食材を回してくれるって言ってくれて、すごくいい人なのに。矢石さんは、ビジネスのルールに沿ったことだから、何も非難されるいわれはないなんて、しゃあしゃあとしてましたけれど、それを言うなら、本当は矢石さんもルールを無視してるんですよ。伝票や請け書、注文書の類は、全部社長の目を通してからでないと処理しちゃいけない規則になってるのに」


 林山は被害者に対する嫌悪を隠さない。


「それにですね、仕事以外でも態度が気に入らないっていうか」

「それも具体的に教えてくれますか?」

「はい。やけに人を寄せ付けないっていうか。『俺に近づくんじゃねえ』みたいなオーラをぷんぷん放ってましたよ」

「他人を警戒していたということですか?」

「そうそう。警戒っていうのはしっくりきますね。廊下とかであの人の後ろについたりすると、必ず振り向かれましたもん。人の気配を察知する能力が凄かったんでしょうかね。お前はゴルゴ13サーティーンか、って何度も突っ込みましたよ。もちろん心の中で」

「それは誰に対しても?」

「そうだと思いますよ」

「そうですか。話を聞いた限りでは、矢石さんに恨みを持っている人というのは相当数存在しそうですね」

「事欠かないと思います」

「林山さん自身も含めて?」

「え……? い、いやだな刑事さん! 俺じゃないですよー! もうー、美人さんなのにきついですねー」


 美人がきつくて何が悪いか。丸柴刑事ほどのルックスなら、むしろ多少きついくらいがそそるのではないかと私は思う。……って、余計なこと考えんな、私。聴取に集中。


「それに、俺はずっと屋台で懸命にチキンを揚げてたっていうアリバイがあるんですから」

「それを証明できますか」

「証明も何も、俺がチキンを揚げなかったら、昨日今日の商売自体が成り立っていませんよ。予想を超える盛況で本当忙しかったんですから。途中からは上坂さんにも急遽屋台に入ってもらいましたし」


 本来二人目の聴取者になるはずだった女性社員か。


「一度も屋台から離れなかった?」

「いえ。さすがにお昼休みは取ったし、何度かトイレにも行きましたよ。そのときだけは、近くにいた社長や木出崎さんを捕まえて店番を頼みました」

「今日の午後七時から七時半の間にトイレに行ったことはありましたか?」

「それは、ええと……ありますね。上坂さんが入ってくれたのが七時ちょうどくらいだったんで、そのあとすぐに。それが最後のトイレでしたから憶えています」

「具体的な時刻までは?」

「七時五分くらいだったと思います。それからはずっと屋台に入りきりでしたよ」


 この証言が真実であるならば、林山のアリバイは完璧だ。


「上坂さん、苫社長、木出崎専務の三人も、その時間帯は屋台のそばにいましたか?」

「ええ。そうだと思います。ぼくは調理やお客さんへの対応で手一杯だったし、まさかこんなことになるなんて思ってもいなかったので、そこまで確認はしていませんでしたけれど」

「そうですか」

「あの、私からいいですか」


 と、ここで理真が口を挟んできた。丸柴刑事が頷くと探偵は、


「先ほど、上坂さんには、急遽仕事を手伝ってもらったとおっしゃいましたが、急遽、ということは、本来は上坂さんは林山さんの仕事を手伝う予定にはなっていなかったということですか?」

「さすが探偵さんですね。いちいち細かいことが気になるのが悪い癖なんですか?」と林山は感心したような口調になって、「そのとおりです。上坂さんには本来の仕事を早めに切り上げてもらいました」

「ちなみに、上坂さんの本来のお仕事というのは?」

「それは……」林山は一旦口を噤むと、「言えません」


 突然の黙秘に入った。

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