第2章 事情聴取その1 社長の見解

 丸柴まるしば刑事は、外に設けた仮設取調室にひとりずつ来てくれるよう四人の男女に頼んだ。聴取は個人単位で行うのが基本のためだ。


「では、まずとまさん、お願いします」


 丸柴刑事が一番手に指名したのは、背広姿の三十代くらいに見える精悍な面持ちの青年だった。



 イベントスペースの隅に作られた、パイプ椅子を並べただけの狭い空間、これが仮設取調室だった。イベントで使用していたパーティションを壁代わりに並べているため、吹きさらしを免れているのは救いだ。申し訳程度の暖房効果しか期待出来ないが、小さなダルマストーブも焚かれている。

 理真りまと私が改めて自己紹介をしたあと、


「トマホークチキン社長の苫鷹行たかゆきです」


 対面する青年が頭を下げた。社長さんだったのか。ずいぶんと若い。ところで、〈トマホークチキン〉なる会社を私は知らない。ここへ来るまでの道中でちらと見た、同社の屋台と社名から察するに、鶏肉料理、おもにフライドチキンを販売している飲食業と見たが。


「当社は主に鶏肉料理をご提供するファストフード店です。実店舗は十二月十五日に市内に開店するのですが、一足先にお客様に当店の味を知っていただこうと考えまして、このイベントを借りて屋台でのプレオープンをしていました」


 苫の説明で、私の予想が外れていないことを知った。


「特に力を入れているのがフライドチキンでして、クリスマスの需要を狙うのに絶好のタイミングでもありましたから」


 メイン商品も私の予想どおりだった。というか、屋台の装飾を見るに、今回は自慢のフライドチキンだけにメニューを絞って提供していたようだ。


「個人経営規模の店ですが、有名なフライドチキンチェーン店にも決して負けない味だと自負しております。若い方や学生さんからご家族連れまで、幅広いお客様に食べていただけるよう、価格にほうでも頑張っていまして……あ、すみません」


 苫は急に頭を下げた。ここが自社のセールストークをする場所や場面ではないと気付いたのだろう。


「では、まず、遺体を発見したときの状況からお話願えますか」


 丸柴刑事に促されて、苫は自分の店ではなく事件について語り始めた。


「イベント終了間際の、午後七時五十分頃だったでしょうか。突然、女性の悲鳴が聞こえてきました。そのとき私は屋台の中で調理器具の後片付けをしていました。おかげさまで用意してきたフライドチキンはその直前に完売していましたから。悲鳴は、屋台のすぐ裏のバックヤードから聞こえてきたように思ったもので、片付けを林山はやしやまくん――うちの調理担当兼販売員です――に任せて、私ひとりでバックヤードに走りました。そうしたら……上坂うえさかさんが尻餅を突いて震えていて、その先に……矢石やいしさんが倒れていました。すぐに彼のもとに駆け寄って、名前を呼びかけたり肩を揺すったりしてみたのですが……正直、もう死んでいるなとは思いました。倒れている様子が異様にぐったりとしていましたし、何より……両目が見開かれたままで、恐ろしい苦悶の表情をしていましたから……。だから、上坂さんも怖くなって悲鳴を上げたんだと思います」


 営業トークをしていたときとは一変、苫は顔色を暗くしながら死体発見時の様子を語る。


「で、上坂さんに、警察か救急に通報はしたのかと訊いたのですが、彼女は震えるばかりで要領を得なかったため、私が110番しました」


 そこまで話し終えると、苫はハンカチを取りだして額を拭った。ストーブから発せられる熱気が理由ではないだろう。


「矢石さんの喉には扼殺痕が残っていたのですが、それには気付かれましたか?」


 丸柴刑事の質問に苫は首を横に振って、


「いえ。私も上坂さんほどではなかったにせよ動揺していましたから。正直、最初にちらりと見てからは、恐ろしくて矢石さんの顔をまともに見られない状態でしたので……」


 そうですか。と口にしてから丸柴刑事は次に、


「では、殺された矢石さんについてお聞かせ願えますか。どんな人物でしたか」

「当社の営業部長でした。部長とはいっても、我が社の正社員は矢石さんも含めた四名だけでしたから、営業の仕事を一手に担ってもらっていました」


 殺された矢石に、プレハブ控え室に残っている三名を含めた四人ということだろう。そこに社長である苫を加えた、五人だけで切り盛りしている企業だったということか、トマホークチキンは。苫は続けて、


「頭の回転が早くて弁も立つ、営業マンとしては申し分のない人でした。色々な分野に人脈もあって、社長の私がこんなことを言うのは何ですが、こんな零細企業にはもったいないとさえ思える人材でした」

「免許証で確認したところ、矢石さんの年齢は四十五歳でした。こちらに勤める前に前職があると思うのですが」

「はい。矢石さんは半年前、当社の立ち上げと同時に採用した社員です。履歴書では、前職はコンサルタント会社に勤めていたようです。その前にも、建設会社など何社かの職歴がありました」

「業務を離れた人間的には、どんな方でしたか」

「そうですね……少しエリート然というか、鼻持ちならないところはあったかと思います。上坂さんや林山くんと話をするときなど、向こうを下に見ているような感じはありました。もちろん会社の役職的には矢石さんのほうが上なのですが、そういう社会的な立場以前の、人対人といったところでも」

「他の社員の方とは折り合いが悪かったということですか?」


 丸柴刑事のその言葉に苫は、「いえ……」と否定の意味に取られる言葉を口にしはしたが、


「面と向かっていさかいを起こすようなことはありませんでしたが……」

「折り合いが悪かったことは否定なさらない、と」

「だからといって――」


 苫は言葉を止めた。丸柴刑事は先を促す。


「だからといって……殺してしまうだなんて、そんなことは……」

「そこまで険悪な間柄ではなかったと」


 それを助け船と見たのか、苫は即座に首肯した。


「では、残るひとりの社員の方、ええと……」丸柴刑事は手帳を開いて、「木出崎きでさきさんとの関係も同様だったのでしょうか?」


 それを口にされると、苫は困ったような顔をして首を傾げた。

 私はここで控え室にいた人たちのことを思い出してみた。まず、ひとりだけいた若い女性が、死体の第一発見者となった上坂。苫の話に出てきた調理兼販売の林山は「くん」付けで呼んでいたことから彼よりも年下だろう。社名ロゴの入ったエプロンをしていた若い男性がいた。彼が林山くんで間違いないと思われる。残るひとりは背広姿の中年男性だった。消去法で、その男性が最後に残った木出崎に違いない。


「殺された矢石さんは、木出崎さんとも折り合いが悪かったのですか?」


 丸柴刑事の詰問に、苫は重そうに口を開き、


「あの二人は、折り合いが良かったとは決して言えなかったですね」


 迂遠うえんな言い回しをするのは、やはり社長として社員が不利になるような発言を躊躇ためらってのことなのだろうか。


「今まで何か問題が起きたことはありましたか?」

「いえいえ。問題だなんて、そんな。二人とも大人ですから」

「でも、決して仲睦まじくしていたわけではなかった?」


 そこまで言われた苫は、諦めたように嘆息すると、「どうせ本人や、上坂さん、林山くんたちに訊けば分かってしまうことですし」と前置きしてから語り始めた。


「矢石さんは、とにかく実利主義な、ドライというか、悪い言い方をすれば冷酷な面のある人でして、そこのところが木出崎さんと反りが合わない原因だったのかなと思います」

「そうおっしゃるということは、木出崎さんは矢石さんとは正反対の性格だった?」

「はい。ついこの前も、こんなことがありました。矢石さんは肩書きは営業でしたけれど、うちは小さな会社なもので、原材料の調達なんかの仕事もやってもらっていました。それで、今回の屋台を出すための食材調達をしていたときのことです。ある農家の方と小麦粉を仕入れる契約を結んだのですが、商品の納品が済んで少しした頃、農家の方から私に、『確かに今回のことは自分たちのミスだったが、あの価格では大赤字になってしまう。何とかしてもらえないか』といった意味の、半ば泣きつくような電話が掛かってきたんです。私は何のことだか全く分からず、どういうことかと逆に訊き返して事情が判明しました。向こうが送ってきた納品伝票に、事前に口頭で申し合わせていたものよりも安い単価が書き込まれていたんです。明らかな記入ミスでした。もし私がその伝票を見ていたら、すぐに向こうに連絡を取って新しい伝票を送るよう言ったのですが、悪いことにその伝票を一番最初に見たのが矢石さんだったんです。彼は本来私を通すはずの社内手続きを飛ばして、その間違った金額のまま取引を済ませてしまいました。急遽伝票分の現金を用意して、さっさと振り込みを済ませて請け書も送付してしまったんです」

「そこで、請け書の金額を見た農家の方が自分たちのミスに気が付いて、社長に泣きついてきたということですか」

「ええ。そのことを知った木出崎さんの怒りようといったら、なかったですね。ところが矢石さんのほうでも、『こちらは伝票どおりの金額を支払っただけ。落ち度は全て向こうにある。会社の利益になることをしたのに、文句を言われるほうが筋違い』と一歩も引かなかったもので。それが決定打でしたね。あれ以来、業務以外で二人が口を利くことは、ほとんどなくなってしまいました」

「それは、いつ頃のことですか」

「ひと月くらい前です」


 被害者の人となりが段々と見えてきた。


「いかにも矢石さんが悪者に聞こえてしまう言い方だったかもしれませんが、彼が優秀な人材だったことに疑いはありません。実際、会社立ち上げ直後の資金繰りだとか、矢石さんに助けられたことは何度もありましたし。会社を儲けさせようという意識が人一倍強い……ちょっと強すぎるというだけのことだったと思います」


 弁解するように苫社長は言ったが、木出崎との間に確執が生まれたことは嘘ではないだろう。


「では次に」と丸柴刑事は、「その、専務の木出崎さんについて教えてもらえますか?」

「はい。木出崎さんは、専務として会社業務全般を取り仕切るだけでなく、私の補佐もしてもらっています。さっきのエピソードでも分かるとおり、義理人情に厚く、とても信頼できる方です」

「苫社長の右腕ということですか」

「右腕だなんて、おこがましいです。木出崎さんのほうがずっと年上で社会経験も豊富ですから。むしろ私のほうが勉強させてもらっています」


 苫は恐縮したように答えた。確かに、控え室の中年男性は年の頃五十代前半くらいに見えた。対して目の前の苫は三十前後というところだろう。若手社長と、彼を支える老練な参謀といった感じがする。

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