第4章 事情聴取その3 中に入る

 丸柴まるしば刑事、理真りま、私の三人は、ゆっくりと顔を見合わせた。そして、すぐに林山はやしやまを向いて、


「言えない、とは、どういうことですか?」


 代表して丸柴刑事が訊いた。


「言葉どおりの意味です」

上坂うえさかさんがしていた仕事をご存じないということですか?」

「いえ。よく知っています」

「でも、言えない?」


 林山は口を結んで強く頷いた。丸柴刑事は困った顔をして横目で理真を見る。SOSを発しているのだ。刑事からの救援信号を受信した探偵は、


「このあと当然、私たちは上坂さんにも聴取をするのですが、そこで同じ質問をしたら、やはり彼女も『言えない』と答えるでしょうか?」

「それは上坂さん次第ですね。彼女が言ってもよいと判断したら、言うでしょう」


 何が何やら分からない。


「分かりました。お急ぎでしょうから、今夜のところはここまでにしましょう。帰る前に上坂さんを呼んでもらえますか」


 丸柴刑事が聴取を終わらせると、ありがとうございます、と一礼してから林山は足早に去っていった。彼の姿が完全に見えなくなってから、丸柴刑事は、


「ちょっと、理真、どうなってるのよ」

「そんなこと私が知るか」

「人に言えない仕事って何? しかも、こんなイベントが行われている公共の場で?」

「本人に訊くしかないだろうね」

「素直に話すと思う? 犯罪絡みだったらどうするのよ」

「だったら、そもそも林山さんが言わないでしょ。ていうか、彼、このまま帰しちゃっていいの?」

「それは仕方ないでしょ。お母様のこともあるし」

「丸姉、多分だけど……」

「何?」

「上坂さんの仕事って……」

「何? 見当が付いたの?」

「うん。白い粉に関係してるんだと思う」

「白い粉って……まさか? こんな人が大勢集まる場で大胆な――いや、だからこそ煙幕になるという考え方もあるかも……。でも、どうしてそう思ったの? 彼、何かそれらしいこと言ってたっけ?」

「丸姉、私が言った白い粉って、唐揚げ粉のことだよ」

「てめ、この――」

「二人とも」


 コートを羽織った女性が歩いてくるのが見えて、私は声を掛けた。



「上坂ひろ子です、よろしくお願いします」


 丁寧にお辞儀をしてから椅子に腰を下ろした上坂は、年の頃二十代半ばくらいの、はつらつとした美人だった。上着の下はスポーツウェアらしい。開いたコートの前の隙間から、動きやすそうな体にフィットした服を着ているのが覗き見えた。


「遅い時刻に申し訳ありませんが、ご協力をお願いします」


 まずは形式どおり、丸柴刑事が深夜に行う聴取に対して詫びの言葉を述べると、いえ、と上坂は首を横に振って、


「私は林山くんと違って、明日は早くからの用事もないので、大丈夫です」


 外見に似合う、はきはきとした口調で返してきた。


「彼、お母様がご病気だとか」

「はい。だから社長も林山さんを先に帰したかったんだと思います」

「だから、とは、どういう意味ですか?」


 言葉尻に理真が反応した。突然、探偵から声を掛けられた上坂は、


「あ、社長や林山くんから聞いていませんでした? まあ、二人ともわざわざそんなこと話すふうでもないですし。ええとですね、社長、若い時分にお母様を亡くされていて、だから、母親の問題に対して敏感なんだと思います」

「そういうことですか。失礼ですが、とま社長のお母様が亡くなったのは、ご病気で?」

「そう聞いています。だから余計に林山くんを早く帰してやりたかったんだと思います。そういう事情があるなら、早く言ってくれれば君を最初に聴取させたのにって、社長言ってましたから。林山くんも、いやいや社長を差し置いて僕がトップバッターなんて、とか、変な遠慮をして、おかしかったです」


 上坂は笑みを見せる。事情聴取の順番に特に序列はないと思うが。


「それで、事件についてお聞かせ願いたいのですが」質問者は丸柴刑事に戻った。「上坂さんの目から見て、矢石さんはどんな人でしたか」

「何て言うか……ちょっと怖い人でした」


 言葉を選ぶように上坂は答えた。


「怖いとは、そう感じる具体的な何かがあったのですか?」

「いえ。特にそういったことはないんですけれど……雰囲気ですとか、喋り方ですとか、そういった普段の言動から感じました。それに……」


 上坂は私たちの目を順に見ていき、


「わ、私に対して、よこしまな感情を持ってたみたいで……着替えを覗かれたこととかありました」

「覗き、ですか」

「はい。私が気付いて目が合ったら、偶然そこに居ただけだ、みたいなふうで誤魔化してましたけれど。それに、たまに会社の飲み会とか開くと、変に馴れ馴れしくしてきていましたし。体を触られかけたこともありました。あまり度が過ぎて、私が強く拒絶したことがあったんですけれど、そうしたら突然、不機嫌になって凄んできたりして。そういったところも含めて、怖い人でした」


 刑事も探偵もワトソンも全員女性でよかったかもしれない。いくら刑事とはいえ男性相手では、なかなかこういった話題は出しづらいものがあっただろう。


「実害があったことは?」

「それはありませんでした。おかしな空気になると、すぐに社長や木出崎きでさきさんが助けてくれていましたから。矢石さんもそれですぐに大人しくなっていましたし」

「林山さんは?」

「彼は全然ダメ。矢石さんの迫力にびびってばかりで」


 上坂はまた笑みを浮かべる。その冗談めかした言い方からも察するに、本気で駄目な男だと思っているわけではないらしいが。


「社長や林山くんも、矢石さんのことは良く言っていなかったんじゃないですか?」

「あまり人から好感を持たれる人物ではなかったようですね」

「はい。敵が多い、というか、わざわざ自分から敵を作っているような人でしたから」

「では、恨みを持つ人物も多かったと」

「それは……あっ、でも、私たちの中に犯人がいるとか、そんなことはありませんよ。だって、何だかんだ言っても社長、矢石さんのことを頼りにしていましたし、彼みたいな狡猾なところもビジネスには必要なんだとも思いますし。って、私、ビジネスのことを語れるほど詳しくは全然ないんですけどね。何より、人となりはともかく、同じ会社の社員なんですよ。これからみんなでトマホークチキンを売り出していこうって、頑張らなきゃならないときなのに……。どうして、こんな……」


 上坂は視線を落として沈んだ表情になった。丸柴刑事は、彼女の視線が戻るのを待ってから、


「他に何か、矢石さんがどんな人だったか、上坂さんの目から見て気になることはありましたか?」

「気になること、ですか。そうですね……他人を警戒する人だったかなという印象はありました」


 林山と同様の証言が出てきた。


「具体的にどういった?」

「他人とは距離を置く人でしたから。精神的な意味だけじゃなくて、物理的にも。何人かで輪になって立ち話をするときとか、明らかに矢石さんだけ離れていましたから。人って、他人にこれ以上近づかれると不快に感じる、パーソナルスペースっていうのがあるそうじゃないですか。矢石さんの場合、それが普通の人より広かったのかなと。他の人が距離を詰めると、矢石さんはそれと同じだけまた下がるとか、そういうことはいつもありましたね」

「なるほど。次の質問に移りますが、今日の午後七時から七時半にかけて、上坂さんはどこにいらっしゃいましたか?」

「えーと、その時間なら、林山くんを手伝っていました。忙しくしてるから手伝ってやってくれって、社長に言われて」

「彼を手伝う前は、別の仕事をしていたということですね」

「はい」

「それは……どんなお仕事でしたか?」


 ついに来た。果たして彼女は答えてくれるのか? 人に言えない仕事とは、いったい。拳を握り、固唾をのんで答えを待つ私たちに、上坂は、


「トマホーくんの中に入っていました」

「……はい?」


 あっけらかんとした様子で答えた。何に入っていたって? 生涯初めて耳にする単語が出てきた。きょとんとした私たち三人をよそに、上坂は、


「トマホーくんです。うちのマスコットの」

「マスコット? その中に入っていたということは、つまり、着ぐるみに?」

「そうです。私の担当なんです。私、学生時代は体操部で鳴らしましたから、体力には自信があるんですよ。今も毎日のジョギングは欠かしていません」

「それだけ?」

「えっ?」

「い、いえ……着ぐるみの中に入っていたと、仕事はそれだけでしたか?」

「はい、基本は。でもまさか一日中入っているのはさすがにきついので、トマホーくんに入って会場内を歩き回ってお店をアピールして、控え室に帰って休憩、というのを何回か繰り返していました。子供たちが寄ってきたりして、結構人気だったんですよ。……どうかしましたか?」


 私たちが怪訝な顔をしているのを不思議に思ったのか、上坂が訊いてきた。


「いえ……林山さんを手伝う前に上坂さんがどんな仕事をしていたか、彼に訊いたのですけれど、『それは言えない』の一点張りだったものですから」


 それを聞くと上坂は、ぷっ、と吹き出して、


「もう、林山くんったら。すみませんでした。変に思われたでしょう」

「ええ、まあ。どうして彼は、そんなことをおっしゃったのでしょう?」

「それは、あれですよ。ああいうキャラクターは、中に人が入っているんじゃなくて、あくまで、ああいう生き物が存在しているんだってことになってるじゃないですか。トマホーくんも例外じゃありません。トマホーくんはトマホーくんであって、〈中の人などいない〉というわけです。林山くんは社員として設定を頑なに守り通したんですよ」


 何だよ、てめえ林山! 思わせぶりな言い方しやがって! 私は椅子からコケ落ちそうになるのをすんでのところでこらえていた。だが眼鏡は少しずり落ちてしまった。


「ちょっといいですか」


 と、ここで理真が手を上げた。何だ。また今の会話の中に気になるところでもあったのか?


「御社のマスコットのトマホーくんというのは、社名の〈トマホークチキン〉から取られたものですよね」

「はい。そうです」

「さらに、そのネーミングは、社長のお名前に由来するんじゃありませんか? 社長のフルネームは〈苫鷹行たかゆき〉鷹は英語でホーク。つまり……名字と続けて読むと〈トマホーク〉」


 くだらねー。またも私は座面を掴み、椅子から転げ落ちそうになるのを必死にこらえなければならなかった。

 上坂は、「さすが探偵さん! 名推理です」と賞賛していた。推理というか、小学生のあだ名付けレベルだ。


「トマホーくんは、控え室の隅にシートを被せて置いてあります。ぜひ、あとでご覧になってくださいね。かわいいですから」


 上坂は自社マスコットの賞賛とアピールも忘れなかった。

 トマホーくんとは、いったいどんな姿形をしているのか。ネーミングからして鳥をモチーフにしていることは間違いないだろう。上坂も「かわいい」と言っているし。会うのが楽しみになってきた。

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