第4話 踏切を離れて

「――お父さん!」


 マキの声が消え、次の瞬間誠司の視界を埋めたのは、涙を流しながら抱き着いてくる娘の姿だった。その後ろには、同じく泣き腫らした目でこちらを見つめる妻の姿がある。


 何が起きた?


 そう問いかけようと体を起こすが、その瞬間に激痛が走って誠司は顔を歪める。よく見ると、ここは病院のベッドの上だ。そして自分は、どうやらこのベッドに横たわっているらしい。全身が包帯で巻かれていることを自覚してから、誠司はいよいよ事態を理解できなくなって首を傾げた。


「どうなっているんだ、これは」


「どうもこうもないよ! 自殺するなんて許さない!」


「自殺?」


 医者の話によると、自分は踏切で電車に突っ込み、意識不明の重体で一カ月もの間こん睡状態であったらしい。奇跡的に電車が徐行であり、吹き飛ばされた先が芝生だったことで衝撃が緩和され、全身骨折程度で済んだとのことだ。


 医者の説明を聞いて、誠司はうめいた。


 そんな馬鹿な、自分は自殺など考えていない。そもそも俺はこの一カ月、毎日職探しをしていたんだ。たしかに弱気になった時期もあるが、あの子と話をして――


 言いかけて、誠司はふいに首を傾げた。


 あの子とは、誰のことだったのか。名前があったはずだ。そして、彼女の悩みを聞いてやり、自分自身も励まされて。


 混乱し始めた自身の記憶をなんとか紡ごうとしながら、しかし誠司はそのまま彼女の名前を思い出すことはなかった。もはや顔も浮かばない。どんな笑顔だったのか。妻が若い頃によく似た、あの女性は?


「……誰なんだ、君は」


 それから四十年。


 誠司は彼女の名前を思い出すことはできなかった。


 寿命で死ぬ瞬間まで、もう二度と――

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