第3話 踏切の前で

 翌日の同時刻、同じ踏切の前にマキはいた。


 その次の日も、次の日も。


 気が付くと、誠司は彼女と話をすることを日課のように感じ始めていた。職探しの予定がなくても、マキと会うためだけに外出をするようになるほどに。どちらにせよ家にいては仕事をクビになったことがバレるので、外に出なければならないのだが。


「わたし、いつか父の仕事を継がなくちゃいけないんです」


 それが、少し不安で。


 そんな話をマキが持ち出してきたのは、雪が降り積もる日のことだ。


 どうやら、彼女の父親は大きな企業で重要な役職についているらしい。アルバイトというのも、父の仕事を手伝っているのだとか。


なるほど、あどけなさの残る顔立ちの中に大人びたものを感じた理由はそれか、と誠司は納得する。相応のポストを持つ大人に近い場所で社会を経験しているのであれば、さもあろうというものだ。


 だが、今時世襲をする大企業役員と言うのも珍しい……そう言いかけて、首を横に振る。考えてみれば、一族経営の大企業など履いて捨てるほど世の中に存在する。疑問に思うようなことではない。


 誠司は自身と彼女の境遇を比較して世の中の世知辛さを噛み締めながら、声に出しては彼女を激励するような言葉を紡ぐ。


「きみなら大丈夫だろう。大学での成績も優秀だと言っていたじゃないか」


「大学の成績は関係ありません。ただ、父の仕事があまりその、好きじゃないから」


「好きじゃない?」


「とても立派な仕事なんだとは思うんです」


 そう語る彼女の表情は、珍しく曇っている。


 ここ最近は毎日会って話をしてきたマキだが、基本的には明るい女性だ。所属する文芸サークルで今度小説同人誌を出すことや、どこそこのカフェがオシャレで素敵だったことなど、屈託なく話してくれる。


 誠司からすれば娘のような年頃の彼女だ。本来であれば、こうやって話をする機会すらなかったはずだが、誠司の自殺未遂から繋がった奇妙な縁は、不思議な信頼関係を構築するに至っている。


 とはいえ――


「そういえば、バイトの話を聞いたことはなかったな」


 思い返してみると、いつもアルバイトがあると言うわりに、彼女からその話題を振ってきたことはなかった。どんなバイトなのか、興味がなかったと言えば嘘になるが、彼女にも何か事情があるのかもしれないと思って、誠司から言及することもなかったのだ。


(てっきり、人には言えないような仕事かと思っていたけど)


 水商売を生業にしている知人は何人もいる。


 学費を稼ぐためだったり、ホストに貢ぐためだったり、借金を返すためだったり。それぞれ事情は様々だ。マキがそうだとは思えなかったが、女性はわからない。わざわざ墓穴を掘りそうなことはしない主義だった。


 だが、彼女からアルバイトの話を持ち出してきたのだ。これは信頼の証なのか……そんなことを考えて、喜んでいる自分に気が付く。まったく、男なんて単純なものだ。女性に悩みを相談されるだけで、信頼されていると錯覚してしまう。


「仕事の内容はよくわからないけど、できることをやればいいんだよ。マキはまだ若いんだから、最初から全部できなくたっていい」


「そんなものですか?」


「……ごめん、少し偉そうな言い方だった」


 俺なんて、必死に仕事をした結果クビを宣告された底辺のサラリーマンだ。この若さで大企業役員の未来を約束されているマキに、教えられることなど何一つとしてない。


 口をついて出たそんな言葉に、彼女は首を振って答える。


「そんなことありませんよ。誠司さんは立派な人です」


「立派って……次の仕事も見つからないのに?」


「タイミングですよ、きっと。なんだってそうだと思いますし」


 知ったようなことを、と思いつつ、たしかにそうだという納得もしてしまう。タイミングというのは人生でも重要だ。結婚も、就職も、死ぬことだって、結局はタイミング次第なのだから。


「じゃあ、再就職できるタイミングがいつか来るってことか」


「もちろんです。あきらめなければ、ですけど」


「なるほどね」


 つぶやいて、誠司は脱線してしまった会話の内容をもとに戻す。


「で、マキは何をするんだ? バイトでやってる仕事の延長なんだろ?」


「ええと……言葉にするのはちょっと難しいんですが」


 そう前置きをした彼女は、短く続けた。


「裁判、でしょうか」


「裁判?」


 それは会社役員がする仕事ではない。そんな指摘に、マキは慌てて見せる。


「あ、いえ。裁判って言っても、法律をどうこうって感じじゃないんです」


「へぇ……?」


 言い淀む彼女の姿に、誠司はそれ以上追求すべきではないと判断を下す。若い頃の妻も似たような態度を取ることがあった。そうなった時、詳しく話を聞こうとすると機嫌を悪くしてしまうのが常だった。


「不安なら、お父さんに相談してみたらいい。仲が悪いわけじゃないみたいだし」


 娘に後を継がせようというのだから、関係はある程度良好ではあるはずだ。そんな推測からの提案だったが、マキも納得したようではある。


「そうですね……たしかにそうかも」


 そう独りごちて、彼女は誠司の目をじっと見つめた。


「じゃあ、誠司さんも会社のこと、奥さんに話してください。そうしたら、わたしも少し勇気が出る気がします」


「それは――」


 できないと言いかけて、苦笑する。


 相談をしろと言っておいて、当の自分は誰に相談するでもなく、知り合って間もない女子大生と話をしているだけではないか。これではアドバイスにもなっていない。


「……わかった。相談することにする」


「本当ですよ? 約束ですから」


「ああ、ああ。約束するよ」


 それでもしも離婚を申し出られたとしたら?


 不安はもちろんあったが、それ以上に自分の悩みを妻に聞いてもらいたくなった。不思議なものだ。マキと出会う前は、妻や娘に見放されることばかり恐れていたのに。


 今は、妻に何も相談することなく、ひとりでただ抱えることをこそ恐れるようになっている。何か意識の変化があったというわけでもないはずだが。


「それは、誠司さんが踏切を渡らなかったからですよ」


「え……?」


 心を読まれたような感覚があった。


 その違和感の中、踏切の遮断機がけたたましい音をあげ始める。


 おかしい、これまでよりもずっとうるさい。マキの声も次第に聞こえなくなり、誠司はついに頭を抱えた。これ以上ここにはいられない――


「な――…きして下さいね」


 最後に聞こえたマキの言葉は、通り過ぎていく電車の音に紛れて消えた。

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