7.掴み取る者

 それから何日かして、ヒナちゃんが家に戻ってきた。



 ヒナちゃんと再会したあの日、ボクはお母さんと病院お医者さんとの話を聞いていた。

 それによると、ヒナちゃんの具合は日に日に良くなってきているらしい。それどころか、このまま歩けるようになるのも夢では無いとのこと。

 ここまで回復できた事は、奇跡に等しいとも言っていた。全てお医者さんが言っていた事なので、真実だろう。



 ボクは空を飛ぶ力を手に入れ、ヒナちゃんは病に打ち勝つ力を手に入れた。

 ボクはこれまで空を飛ぶ事を何度も諦めかけたけれど、ようやく自分の望むものが手に入った。

 当然ヒナちゃんだって、自分の足で歩いていきたいと思うようになった。



 ボクもヒナちゃんも本来、『持たざる者』であると同時に、『掴み取る者』でもあるんだ。

 今自分に無いものを欲するのであれば、その望むものを掴み取ろうとすればいい。

 望みに向かって進むのも、妥協して諦めるのも自分次第なんだ……



 テーブルの上の寝床でくつろぐボクに、車椅子に乗ったヒナちゃんが話しかけてきた。


「あたしね、空を飛ぶ鳥にずっと憧れてきた。広い大空を飛ぶ事が、どれだけ素敵で素晴らしいのかってね。あなたのような鳥が空を飛ぶ度に、あたしは空を見上げていたわ」


 鳥に憧れる人間は、空を見上げるんだね……


「でも、空を飛ぶどころか歩くことも出来ない自分に、ものすごく嫌気がさした事もあった」


 ヒナちゃんはヒナちゃんなりに、自身の事で思い悩んでいたに違いない。


「だけどね、チル」


 ヒナちゃんは、そう前置きをして、


「あなたが空を飛びたいという願いを持ってくれたおかげで、あたしは歩きたいという希望を見出す事ができたわ。いえ、それだけじゃない。あなたはあたしの病を治す事に協力してくれたもの。あなたはあたしの命の恩人。ありがとね、チル」 


 そう言ったヒナちゃんは、ボクを優しく抱いてくれた。



 抱かれたボクには思う事があった。

 親を失い、運命的な出会いをしたヒナちゃんとお母さん。一度死ぬことを覚悟したボクに、安らぎの場所を与えてくれた二人。

 ヒナちゃんに対しては、飛ぼうとすることという名の恩返しをしたけれど、それだけでは足りないと思う。



 毎日食事を用意してくれて、ボクが飛ぶ姿を見守ってくれたお母さん。そしてボクが空を飛べるようになる事を、必死で願ってくれていたヒナちゃん。



 この二人にすべき事はただ一つ。翼が生えたボクが旅立つ事。これしか無いと思った。



 せっかく飛べるようになったボクが、いつまでもヒナちゃん達のお世話になるのは申しわけないと思う。 

 ヒナちゃん達と別れるのは確かに辛いけれど、外の世界は本来、ボクが求めていた場所だ。そしてボクはそのために、飛ぶための翼を手に入れた。

 望んだ世界で生きてゆけるのならば、これ以上素晴らしい事は無い。



 昼間は太陽が空を明るく照らし、夜は真っ黒なベールに包まれる広い空。森にも川にも草原にも様々な生き物が存在し、大自然のドラマが繰り広げられる。

 時には食べたり食べられたりの、厳しい生存競争もある。そんな自然の摂理すら、今のボクは美しいと感じるようになった。ボクもそんな世界で、生きて行こうと思う。 

 怖いという感情こそ無くならないけど、それでも大自然に対する興味の方が大きかった。



 ×××



 次の日、ボクはヒナちゃんやお母さんよりも早く目を覚ました。窓から差し込んでくる光が、ボクを出迎えてくれているみたい。

 ボクは二人に、外の世界へ旅立ちたい気持ちを、どうにかして伝えたかった。

 ヒナちゃんとお母さんに向かって、思いっきり鳴いてみた。生まれてから今までで一番大きい声だと我ながら思った。

 よほど大きな声だったのか、二人は水をかけられたようにビクッとなって目を覚ました。


「ああ、おはようチル。早いね」


 ヒナちゃんは目をこすりながら挨拶してくれた。ボクは外に出たい気持ちでいっぱいだった。

 その気持ちを伝えるため、部屋の中を飛び回って見せた。あの日から飛ぶ事を何度も経験したボクにとって、室内をグルグル飛ぶなんてことは造作もなかった。


「チルったら、なんだかいつも以上に元気ね。何か嬉しい事でもあったのかしら?」


 お母さんがニコニコしながらボクを見つめていると、ヒナちゃんがつぶやく。


「外に出たいの?」


「えっ?」


「あたしたちから、離れたいっていうの!?」


 ヒナちゃんが叫んだ。ボクは飛びながら鳴いた。



 ヒナちゃんはうつむいている。ボクが居なくなるのを聞いてショックなのだろう。どんな回答が返ってくるか分からない。

 彼女にわがままを言い続けたボクに、なんて言うんだろう? しばらくうつむいてから、ヒナちゃんは顔を上げた。


「分かったわチル。別れるのは辛いけど、あなたが生まれた世界だもんね」


 険しい顔をしていたヒナちゃんが、すっかり笑顔になっていた。


「本当にいいの?」


「大丈夫! 大切なお友達が居なくなるのは寂しいけど、いつまでも一緒に居たいなんて言ったらチルがかわいそうだもの」


「ヒナちゃん……」


 お母さんも納得してくれるようだ。

 母親といつまでも居たいと思っていたボクとは大違いだ。こんなに小さな子が、ボクと別れることになっても、泣き言一つ言わないなんて……



 ヒナちゃんとお母さんは、外へ出る支度をした。

 ボクはヒナちゃんの手に抱きかかえられ、ヒナちゃんは乗っている椅子をお母さんに押され、そろって外に出た。



 心地よい大自然の風。ボクは今日、この中に身を投じて行くんだな……

 ヒナちゃんは歩いている途中、ずっとうつむいていた。ヒナちゃんの憧れの対象であるボクと別れるんだもの。悲しいのは無理もないだろうな。

 旅立つ場所は、以前ボクの家があった大きな木の付近。ボクが以前親と離れた場所。



 そこへ足を進めていくうちに、母親の言っていた『あなたが羨ましい』の意味が、ようやく理解できた。

 母親がボクに対して憧れていた事は、外の世界に対する希望だ。母親はボクと一緒に過ごしている中で、ボクを育てるのに必死だった。

 外の世界を飛び回ったとしても、心から楽しい気持ちで飛ぶ事ができなかった。ならば、ボクが外の世界に憧れる無邪気な気持ちそのものに、憧れを抱いていたんじゃないのかな? 

 母親もきっと、自分自身が持っていないものに、憧れていたんだ……



 ボクと二人は、木に向かってしばらく佇んでいた。二人とも何も喋らない。ボクも鳴く事ができない。

 もしかしたらお互い二度と会うことはできないのかもしれないのに、口を開けなかった。



 そのとき後方から突然、突風が吹き始めた。ついに、別れの時が来たんだね。

 ボクはヒナちゃとお母さんの方を見た。お母さんはボクを温かく見送る気持ちをこめた笑顔でこっちを見ていた。

 ヒナちゃんは、友達との別れが辛いのか、涙を必死でこらえている。



 ボクは二人の気持ちに答えるように鳴いた。

 その一声には、ボクを拾ってくれたこと、ボクを育ててくれたこと、そしてボクに生きる希望を与えてくれたこと、三つに感謝する気持ちが含まれていた。



 飛び立とう、今がチャンス。そう思って飛び立とうとすると……ヒナちゃんが口を開いた。


「チル。どんなに遠く離れていても、あたしたち友達だからね……」


 そう言いながら、ヒナちゃんがボクを優しく抱いてくれた。



 風の勢いは、まだ衰えていない。ボクはヒナちゃんの手から飛び立った。

 空を流れる風は、常に見方をしてくれた。

 地上がどんどん小さくなる。しかし、地上からは二人の『さようなら』と、別れを惜しむ声が聞こえてきた。ヒナちゃん達は、ボクが見えなくなるまで手を振ってくれていた……



 さようなら、ヒナちゃん、お母さん。また出会えるその日まで……



 そしてボクを産んでくれた『お母さん』――ありがとう。



 飛んでいるボクは心の中で、優しい返事が聞こえてきたような気がした。

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持たざる者 マムシ @mamushi-lost-lost

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