第3話 不可思議な現象

 西暦二一四七年、七月二十三日。午前十一時。

 季節は夏。殆どの学校では夏休みに入り、妹の通う都立青豊高校でも、昨日終業式が行われた。

 日本列島を横断した大型の台風九号が太平洋上で温帯低気圧に変わったこの日。日本の首都・東京では最高気温が四十一度を記録し、近年まれに見る猛暑日となった。

 朝のニュースでは半袖ミニスカート姿のお天気お姉さんが熱中症への注意を呼びかけていて、チャンネルを回せば四年ほど前から発生している『全国すばる失踪事件』についてニュースキャスターと評論家が朝から熱い舌戦を繰り広げている。

 歩道の五百メートル間隔に設置されたごく瞬間冷風送風機しゅんかんれいふうそうふうき、通称『ゾクッとくん』にはこの異常な暑さを凌ごうと朝から長い行列が出来ていた。


 「あ゛~。あ゛づい゛~……」


 素肌で触れれば間違いなく火傷するアスファルトの上を、今にも死にそうな声を上げながら、その男は歩いていた。

 男の名は、谷風昴たにかぜすばる

 流星災害によって両親を失ったあの日。昴と舞依の兄妹は、あの後すぐに東京に住む叔母の家に引き取られた。慣れない環境の中、二人は都内の小学校に編入。元来、人見知りだった昴は友人作りにこそ難儀したものの、叔母や祖父母に見守られながら成長していった。

 そして、昴の方は学業とアルバイトを両立させながら、今年の三月に都立青豊高校とりつせいほうこうこうを無事に卒業した。


……卒業したのは良いのだが、昴は現在フリーターである。

というのも、友人たちが有名企業や大学への合格切符を手にするなか、昴はただ一人大学受験に失敗。滑り止めとして受験していた大学も落とされ、今では大学浪人生を謳った引きこもりと化してしまった。

現在では、近所の本屋でバイトしながら休日は人生経験という名のギャルゲーに明け暮れ、妹に白い目で見られている実にしょうもない男になってしまっていた。


 そんな昴は、黒のTシャツにカーキ色の七分丈ズボンをという地味な格好で、家へと続く道をまるで街中をさまようゾンビのように歩いている。両手にはパンパンに膨らんだビニール袋を提げているが、中には今日と明日使う食材と、妹から追加で頼まれた生活用品が入っていた。

 身体中から噴き出た汗でシャツやズボンが張り付き、気持ち悪いことこの上ない。だが、当の本人はそんな事は気にも留めなかった。今日で十九歳の誕生日を迎えた彼は、目に掛かる程に伸ばした髪を鬱陶しそうに払いながら、つい先ほど自分の身に起こった不可解な出来事を頭の中で反芻していたのだった。



 話は、今から二時間ほど前まで遡る。

 昴が何時ものように、部屋に籠ってネットゲームに興じていた所から始まる。

 ゲームのタイトルは『神・美少女戦記VR-V's』。プレイヤーの設定したアバター(主人公)が、九人の少女達とあんな事をしたりされたりするアクションゲームだ。

つい最近アニメの放送が終わったばかりだが、公式サイトのアクセス数は今も増え続けている。

 だらしのない生活を続けている兄を見かねて、今年で高校一年生になったばかりの妹・舞依は、非常に冷めた表情で昴の部屋の扉を蹴り開けた。

 驚く昴に、舞依は『たまには外の空気でも吸ってきなさい』と、まるで母親みたいな小言を言って昴を追い出したのだ。


 お昼間近だったこともあり、ついでにお昼ご飯の材料も買ってきて、と追い出された挙句に買い物まで押し付けられてしまった昴は、不満げな顔を隠しもしないで大きくため息を吐きながら近所にあるショッピングモールへと向かった。

 道中、昴はポケットからヘッドセット型の携帯電話を取り出して、左耳に装着する。

 《コペルニクス》と名付けられた携帯電話は、十年ほど前から一般家庭にまで普及し始めている。内蔵された超小型センサーが、装着者の発する脳波や僅かな目の動きを感知してその都度、最適な機能を発揮するという優れものだ。開発した株式会社スバルの代表取締役・一ノ瀬平和いちのせひらかずによれば、元々は全身麻痺で動けない患者とのコミュニケーションを図るために開発された物らしい。その高性能さ故に複数の携帯電話会社からオファーを受け、いくつかの機能をオミットしたうえで一般商品化された。現在ではより高性能なものが開発中だとか。


 ショッピングモールに着く直前、昴の眼に妹からのメールが飛び込んで来た。何事かと思って開いてみれば、食材の追加や生活必需品のリストなど、ただでさえ薄っぺらいことで有名な昴の財布をさらに薄くさせる悲しいお知らせであった。


 「おいおい、マジかよマイシスター……」

 《お願い、お兄ちゃん♪》

 「よーし。お兄ちゃん頑張っちゃうぞーぅ」


 がっくりと頭を垂れ、叫び出したい衝動をぐっと堪えて網膜に直接表示されるリストを見ながら、昴は黙々と商品をカゴに放り込んでいく。この時既に、昴の非日常は幕を開けていたのだろう。

 途中、ついでにと立ち寄った唐揚げ専門店に立ち寄った時のことである。勧められるがまま買ってしまった大量の唐揚げを袋詰めしてもらう間、昴は出入口付近に設けられた椅子に座って一休みをしていた。


 「……? え?」


 一体いつの間に現れたのだろうか?

 昴の目の前に黒のシルクハットを被り、黒の分厚いコートを着込んだ大柄な男が、背を向けて立っていた。帽子の下から見える艶やかな黒い髪を見るに、お年を召しているわけでは無なそうだ。が、腰がほぼ九十度に曲がり、杖をついて歩くその姿は、近所でもよく見るような高齢者の姿そのものだった。


 「……」

 「……?」


 男は黙りこくったまま、昴の前から動かない。人見知りな昴は、目の前にいる不気味な人物の雰囲気に気圧され、視線をあちこちに彷徨わせる事しかできない。が、男は店の商品を買うでもなく、ゆっくりと店から出ていった。自動ドアが開き、男が雑踏の中へと消えていく。


 「お待たせしました!……あの、お客様? どうかなさいましたか

?」

 「ウェイ!? あ、えっと。――なんでも、無いです」


 一点を見つめて動かなくなってしまった昴に、唐揚げ専門店の店員が声を掛ける。昴は先ほど出ていった男の事をどう伝えようか悩んだ挙句、結局は何も言えないまま、店員から唐揚げの詰まった袋を受け取った。

 鬱然とした気分を持て余したまま、昴は店を出る。後ろを振り返ると、自動ドアの向こう側で怪訝そうにこちらを覗き見る店員と目が合った。店員は一瞬で見事な接客スマイルを張り付けると、小さく会釈をして取り繕う。昴も会釈を返す……ことは出来ず、顔を真っ赤にして足早にその場を離れた。

 人ごみを避けながら食品売り場へと向かう昴の耳に、先ほどの店員の明るい声と一緒に、自動ドアに括り付けられたベルの音が聞こえていた。



 

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