第2話 花巻・北上流星災害の謎

 西暦二一四三年、九月八日。時刻は二十三時を少し回った頃。

 とある一室で、ノートパソコンを開いて何かの資料を読み漁っている男がいた。

妻は二時間も前に寝室で横になっている。まだ蒸し暑さの残るその部屋で、男は妻を起こさぬようにと明かりを必要最低限にして、冷房も付けないでいた。

 男は時折流れる汗を拭いながら、首に保冷材の入ったタオルを首に巻いてじっと自前のノートパソコンと睨めっこを続けている。

 内容は、数年前に起こった流星災害について。マグカップに注がれたアイスコーヒーを啜りながら、男はウェブ上に表示されている公式見解やら、誰が書いたかも分からぬような考察を熟読する。

 男には、解き明かさなければならない謎があった。

 何故、非周期彗星が落下する事態になったのか?

何故、避難指示が間に合わなかったのか?

何故、娘夫婦が死ななければならなかったのか?

何故、犠牲になったはずの民間人の死体が、一人も見つからないのか?


 彗星衝突による衝撃波は、確かに凄まじいものだった。地面にクレーターが出来る程なのだ、人や車はあっという間に溶けてしまう程の熱量を持っていたのは間違いないだろう。

だが、男はそれだけでは納得できなかった。

そもそも、あの時間帯は殆どの人が家の中にいた。県が公開した資料によると、倒壊した家屋の殆どが地震や火災によるものだと書かれている。とするならば、残った瓦礫や全焼した家の中から遺体が発見されてもおかしくないのである。

 当時の証言や記録を見れば見る程、謎が深まってゆく理路整然をモットーとする男にとって、最も苦手とする内容だった。


 それでも、男は探し続ける。我が子を失った悲しみを晴らすべく。その先に待つものが、決して希望などではないと分かっていても。

 男のささやかな願いをあざ笑うかのように、また夜は更けていく。世界は今日も平和だった。




 事の始まりは、流星災害発生から十か月前まで遡る。

 西暦二一三五年、六月十五日。月軌道上を周回していたアメリカの探査衛星『ジョージ』が、冥王星付近から急速に接近する光源を探知、これの撮影に成功した。

 このデータは直ちに月面にある小惑星研究所に送られた。一か月にわたる検証の結果、光源の周辺にガスのようなものが発生していることから、直径約八キロにもなる巨大な彗星であると判明したのだ。

 七月二十二日。

 小惑星研究所の職員は会見を開き、この彗星は今からおよそ十ヶ月後に最接近し、その後は太陽に向かってやがて消滅する非周期彗星であると発表した。また、当時探査衛星から送られてきたデータの解析を担当した職員『エドガー・レヴォルザーグ』の名を取って、これを"エドガー彗星"と命名した。


 日本でもこの発表に国民が大いに沸いた。時の内閣総理大臣である竜ヶ峰翔太がコメントを残すなど、"エドガー彗星"は一躍話題となったのだ。

全国では国立天文台をはじめとするいくつもの公開天文台や科学館が相次いで子供向けの天体観測ショーを企画し、それを目当てに全国から多くの大人たちの申し込みが殺到するなど、ちょっとした社会現象にもなった。

 因みに、この時小学一年生だった昴は両親にねだってバカ高い天体望遠鏡を買わせようとしていた。有名な某大手通販サイトを利用してみたは良いものの、目的の商品は品切れだった挙句に再入荷も無いと状況に、泣く泣く断念したのである。


 「ルドガー所長! 彗星の軌道に乱れが生じています」

 「……なんだね、コレは? まるで生きているみたいじゃないか?」

 「おい、このままじゃ不味いぞ。この軌道、もしかしたら――」

 「君。今すぐに国連安保理に繋いでくれ。異常事態が起きている可能性がある!」


 "エドガー彗星"発見から七ヶ月後の、西暦二一三六年、一月十五日。

 観測を続けていた彗星が、予測していた軌道を大きく外れたのである。

 この事態に、JAXAやおよび小惑星研究所の職員らが共同で声明を出す。彗星の今後の軌道について計測中であるとしながらも、大気圏を突破する可能性が非常に高いと結論付けたのだ。

 小惑星研究所の所長であるルドガー・チャネリフスキーは、直径八キロもの質量をもつ"エドガー彗星"が大気圏を突破した場合、地上の生物は全滅するであろうとして各国の政府に最悪の事態に備えるように警告した。

 ルドガーの声明発表を受けて、国連安全保障理事会は緊急会議を開いた。情報が錯綜する中、常任理事会は自国の保有する宇宙艦隊で彗星を破壊することで一致。

 さらに、それでも破壊できない場合は第二波として国連宇宙軍の宇宙艦隊と、小惑星研究所に試験的に配備されている大型レールカノン砲による迎撃を行うことで一致した。

 

 二月二十日。

 彗星が確実に地球への衝突コースに入ったことを、アメリカ・NASAの超高性能AIが明らかにした。

 これを受けて、先にアメリカへと現地入りしていた阿久津伸蔵防衛大臣はペンタゴンに赴き、軍の関係者や両国の専門家チームを交えて三時間にも及ぶ会談を行った。

 会談から十二時間後。

 ホワイトハウスにて会見を行った阿久津防衛大臣は、落下予想地点は日本の排他的経済水域内の小笠原諸島近海であると発表する。これに加えて、NASAの職員は到達予想時刻を算出した結果、日本時間の三月二十五日の午前十時である事を突き止めた。阿久津防衛大臣はアメリカ海軍に応援を要請したことを述べた。

 防衛大臣の帰国後、日本政府は緊急防災会議を開き、激甚災害の恐れがあるとして非常災害対策本部を設置した。これと並列して関東及び東北の全市町村に避難警報を出し、大きな被害が予想される沿岸区域の住民は高台に避難するよう、メディアを通じて呼びかけた。


 三月十一日。

 観測を続けていた探査衛星『ジョージ』が、木星から二百二十キロ離れた地点を通過する"エドガー彗星"を捉えた。

 この映像は小惑星研究所を通してすぐさま世界中に発信され、日本では映像と共に送られてきたデータを最新鋭のスーパーコンピュータを使用して更なる検証が行われた。

 その結果。

 当初氷と岩石の塊であると予想されていた彗星の核が、僅かな岩石と地球上には存在しない未知の鉱物で構成されていることが判明したのだ。

 この事実に、報告を受けた日本政府は二回目の緊急防災会議を開いた。

野党側は当初、長期にわたる活動を終えて廃棄予定だった航空自衛隊・第三地球警備隊所属の掃宙艇『はつかぜ』および『うみかぜ』を自動操縦によって地球の衛星軌道上で彗星に衝突させ、自爆させるという作戦を提出していた。

だが、宇宙ゴミの散乱による人工衛星への被害や、失敗した場合の迎撃措置が限定的になるとの理由から、非現実的であるとして即時却下された。

 代わりの策として防衛省は、三月二十日に打ち上げ予定だった恒星間航行用の新型護衛艦『ふそう』と、金星の探査を終えて地球に帰還予定の『やましろ』を月宙域まで派遣し、超長距離弾道ミサイルによる迎撃活動をとる作戦を立案、提出した。

 議会はこれを満場一致で可決し、政府は航空自衛隊・第一宇宙警備大隊および第二宇宙探査大隊に出動命令を下すと同時に、小笠原諸島全域に避難指示を出した。


 三月二十日。午前八時四分。

 海上自衛隊の航空母艦『あかぎ』と『ほうしょう』が小笠原諸島の全島民を乗せて横須賀港へと出航した。艦内での混乱もなく、無事に横須賀港に降ろされた島民は東京都が八王子に設置した集合仮設住宅までバスで移動し、その日のうちに入居を終えた。


 同時刻。


 小惑星破壊用の超長距離弾道ミサイルを積んだ『ふそう』は種子島宇宙センターより打ち上げられ、月面の小惑星研究所で補給を受けていた『やましろ』と合流した。

この時、第一宇宙警備大隊から護衛艦の『こんごう』、『はるな』、『ひえい』、『きりしま』の四隻も同時に参加、茨城県つくば市の宇宙センターから打ち上げられ、戦線に加わった。


 同日。午前十時三十分。

 アメリカ宇宙軍第一艦隊所属の戦艦『ハワード』、『リンカーン』、『アポカリプス』、『ディザスター』が日本の艦隊に合流する。火力の勝るアメリカの艦隊は先鋒として月と火星の中間宙域まで先行し、そこで"エドガー彗星"を迎撃する作戦を採った。


 三月二十二日。午前十一時三十分。

 国連宇宙軍の艦隊が、地球の衛星軌道上に集結した。

戦艦六、航空母艦二、護衛艦十八隻から成る艦隊は集結後、先に宇宙に上がっていた日米の艦隊とデータリンクを開始。

さらに時を同じくして、小笠原諸島近海には宇宙での迎撃が失敗した場合に備え、海上から破壊措置を行うために高高度ミサイルを満載した計六十八隻からなるイージス艦隊が集結した。


 「レーダーに感あり! 目標は高速で火星に接近中。艦長!」

 「全艦隊に緊急連絡! 総員、戦闘配置につけ!」

 「艦首魚雷発射管、全門開放。ミサイル装填急げ! 主砲、一番から六番まで開放。質量弾装填。目標、前方エドガー彗星!」

 《こちらアメリカ宇宙軍第一艦隊所属・リンカーン! 目標をレーダーで捕捉した。繰り返す、こちらアメリカ宇宙軍――》

 《小惑星研究所、総合指令室だ。発砲を許可する。迎撃作戦開始!》


 三月二十五日。午前六時三十五分。

 月と火星の中間宙域で待機していた『リンカーン』の三次元レーダーが、今まさに火星を横切らんとしる”エドガー彗星”の姿を捉えた。

 この情報は直ちに宇宙艦隊ならびに地球のイージス艦隊へと伝えられ、迎撃命令を受けた『リンカーン』、『ハワード』、『アポカリプス』、『ディザスター』が超長距離弾道ミサイルを発射する。

 四十二発のミサイルは吸い込まれるように彗星へと向かい、全弾命中するとともに彗星の質量のうち、三十二パーセントを削り取った。


 「全弾命中。目標の軌道が地球から逸れます!」

 「よし、総合指令室に繋げ! 我、迎撃に成功せり――」

 「艦長! 目標、なおも向かってきます! しかも、これは……!」


 喜びもつかの間。"エドガー彗星"はまるで何かに操られているかの様に地球に進路をとった。彗星の動きとは思えぬ不可解な現象に、先鋒のアアメリカ宇宙艦隊は残る全てのミサイルを発射。艦砲射撃を用いてまで彗星の完全破壊を試みるも、結局彗星を止めることは出来なかった。


 「立花准将。『リンカーン』から入電です」

 「読み上げろ」

 「"我、迎撃に失敗す。軌道変更なるも、目標は舵を修正して地球に進行中"とのことです」

 「そうか。――全艦、戦闘用意」

 《全艦、戦闘用意。全艦、戦闘用意》

 《総員、戦闘配置。繰り返す。総員、戦闘配置》

 《レーダーに感。目標、火星を通過。月軌道宙域まで高速で接近中。その後方にアメリカ艦隊!》

 《艦首魚雷発射管、全門開け。ミサイル装填。一番から四番、主砲発射用意!》


 午前八時十九分。

 続けて『こんごう』、『ふそう』、『やましろ』の三隻がミサイルを連続発射する。

 凄まじい速度で月を抜けようとしていた彗星はこの一斉射撃によって粉々に砕かれ、続く大型レールガンの連続発射によって完全に破壊された。

 『ふそう』から迎撃成功との知らせを受けた日本政府は二隻に帰還命令を出し、七時三十分には避難警報を解除を言い渡した。

 こうして、彗星落下の危機は未然に防がれたかに見えた。……そのはずだった。


 四月九日。

 東京・茨城・岩手で謎の停電が発生した。それに前後して、衛星通信用のマイクロ波が一時遮断されるという奇妙な事件が起きた。

 政府が対応に追われる中、今度は月面の小惑星研究所へと彗星の破片を運んでいた日本の護衛艦『しぐれ』が月面に浮かび上がる巨大な影を目撃し、通報を受けた小惑星研究所が迎撃態勢を取るという事態が起きた。

 この一連の動きに、日本政府は解散予定だった災害対策本部を継続させ、”エドガー彗星”の核が残っている可能性について調査を始めた。

 そのわずか数分後のことである。調査を依頼された護衛艦『しぐれ』の艦長であった佐川誠二一等空佐は、レーダーに映る宇宙ゴミの数が異様に少ないことに気付く。

 佐川は過去十日間のレーダーを洗いざらい解析し、その結果彗星の破片と宇宙ゴミがある一定のタイミングで消滅している事を突き止めた。

 この報告を受けた竜ヶ峰首相は解散予定だった災害対策本部を継続することを決定、『しぐれ』により詳細な情報を出すよう命じ、集まったメディアに早期の問題解決に向けて全力を尽くすと発表した。


 四月十一日。午前二時四十五分。

 『しぐれ』とともに調査にあたっていた護衛艦『ゆきかぜ』が、地球の衛星軌道上で三次元レーダーに映る巨大な熱源を捉えた。

 レーダーには映るものの、目視では全く確認できないその熱源に対し『ゆきかぜ』は消息を絶った"エドガー彗星"の核である可能性が高いとして威嚇射撃を敢行、数発の艦砲射撃を行う。

 威嚇射撃を受けたその熱源はまるで応えるかのようにその全貌をさらけ出していく。

 無数の宇宙ゴミと合体した影響だろうか、所々金属的な部分を見せながら禍々しく紫色に発光するそれは果たしてかつて迎撃し粉々にしたはずの"エドガー彗星"そのものであった。

 二隻の前に再び姿を見せた彗星は、ゆっくりと地球に向かって降下していく。『しぐれ』からの緊急通信を受けた防衛省は全力で彗星を破壊するよう通達、二隻は艦砲射撃で彗星の破壊を試みるも以前よりも強度の増したそれに全く歯が立たず、何もできずに見送るという結果になってしまった。


 こうして世界中を大混乱に陥れた"エドガー彗星"は、人類が未だ経験したことのない不可解な現象を伴って日本に降り注ぎ、経済に大きな損害を与えることとなったのである。



 「ふむ。読めば読むほど、普通の彗星とは思えんな」


 男がネット上で公開されている資料を読み終えたのは、朝日が昇る直前の事だった。長時間椅子に座っていた所為か、身体中の関節が固まってしまった。椅子から立ちあがって大きく伸びをすると、腰や背中からパキポキとこぎみ良い音が鳴る。


 「今日も収穫は無し、か。やれやれ……ん?」


 パソコンの電源を落とそうとして、男は資料の最後に書かれていた補足の一文に目を止めた。


 『――被災地では、薄紫色の結晶体が数多く見つかっている』


 それを見た男はガタリと椅子を蹴って立ち上がると、自室を出てリビングの棚から小さな箱を手に取った。そっと蓋を開けると、中にはねじれ双角錐と呼ばれる形の鉱石が収められていた。掌に収まるサイズの鉱石は、濃い紫色に染まっている。

 一見するとアメジストに見えなくもないが、よくよく見てみると鉱石の中心部に脈打つように小さな光が灯っている。

 |この鉱石は、地球産のものではない。かつて男が旅した違う星で、とある人物から譲り受けた大切な宝物であり、同時に呪われた品でもあった。

 娘婿に預けていたのだが、いつの間にか男の許へと還ってきていた。男の家系にとってまさに因縁とも呼べるアイテムであり、家宝と呼んでも差し支えないだろう。だが、今なお逃れられない呪縛を強いる小さな鉱物を、男は黙って睨みつける。


 「あなた……?」

 「ん? ――ああ、起きていたのか」


 いつの間にか起きていた妻が、リビングの入り口から心配そうに男に声を掛ける。妻はおずおずと男の傍に寄ると、掌の上の小さな鉱石を悲しそうに見つめる。


 「

 「……ええ、そうね」

 「まさか、こんなにも早くあの子たちに渡すことになるとはな」


 男はそう言って、自虐的に嗤う。歪んだ笑みに宿るのは、若い命を差し置いて生き永らえ、老体となってしまった事への嫌悪か。それとも、与えられた使命を果たすことが出来なくなってしまった、己の非力さ故の失望か。

 真意は男にしか分からない。慰めようと口を開きかけた妻であったが、今の夫には何を言っても逆効果になると思ったのだろう、引き下がって口を噤む。

 男・木下源十郎きのしたげんじゅうろうは、鷹が得物を狙う時の様な鋭い眼光で件の宝石を睨みつけていたが、やがて決意に満ちた表情を浮かべると自室の本棚をガサゴソと漁り始めた――。

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