第1話 遠い未来の、過去のお話

 午前四時。

 ふかふかの布団の中で、深い眠りに身を委ねている少年がいた。

 彼の名は、谷風昴たにかぜすばる

 今年で八歳になる昴は、春休みを利用して栃木県とちぎけん那須塩原市なすしおばらしにある祖父母の家へと里帰りをしていた。花巻市役所の職員である両親は仕事があるので、一足先に昴が妹の舞依まいを連れて遊びに来た、という訳だ。

 昨日は、近くに流れている那珂川でアユ釣りなどをして遊んでいたのだが、興奮が残っているせいか夜になっても眠れず、仕方なしにと最近のバイブルである『美少女戦記VR』という題名の漫画を読み漁っていた。

 結局、眠りに就いたのは夜中の零時を回った辺りだった。だが、湿気と暑さで寝苦しいのかタオルケットを蹴とばしたり、何度も寝返りを打ったりしていた。


 夢の世界を堪能しているのか、可愛らしい寝言を呟いた直後。

 突如発生した強い揺れと、大音量のアラームによって、昴は叩き起こされてしまった。


 「んー。なに?」


 重い瞼を擦りながら、昴は非常にゆっくりとした動きでベッドから起き上がる。

 小さな口を限界まで開けて可愛らしいあくびを一つすると、部屋中をぐるりと見渡した。

 どうやらアラームは壁に設置された長方形のガラスから鳴り響いているらしい。

 複数のドローンを使用して空中から撮影したのだろうか。四つに分割された画面からは、もうもうと黒い煙を上げる花巻市が映し出されていた。画面の右上には、赤い『生放送』の文字が表示されている。

 今流れているのは、国営のニュース映像だった。

 安眠を妨害されたことに些か腹を立てたのか、懸命に情報を読み上げるニュースキャスターの声に耳を傾けることもせず、やや荒っぽい動作で右の人差し指を上下にスワイプさせる。

 どうやらそれが、ガラスもといテレビの操作方法らしい。

 何度かその行為を繰り返したのち、どうやっても消えない映像に昴は大きなため息を吐くと、ずるずるとベッドから這い出す。

 そうして、眉間に皺を寄せながらテレビの裏側に手を伸ばし――


 「……え?」


 画面内の、昴がよく見知った光景を見て、言葉を失った。



 ――西暦二一三六年、四月十五日。日本時間の、午前四時三分。

 この日、兼ねてより観測されていた大型の長周期彗星、《エドガー彗星》の破片が岩手県の花巻市~北上市間に次々と落下。広範囲に亘って甚大な被害をもたらした。

 落下直後、轟音を上げて大地に激突した破片群はあちこちに巨大なクレーターを作り出し、それに伴って発生した地震と衝撃波は半径数百メートル以内のものを全て吹き飛ばした。

 この時、破片の一つが花巻市役所に直撃し、最期の瞬間まで避難指示を出していた市の職員数十名が犠牲となっている。

 その中には、昴の両親も含まれていた。

 最初の破片が落下してから、僅か数分後。小さな破片は空中でエアバースト効果を引き起こし、奇跡的に無事だった市民の多くを葬り去った。

 さらに、発生した強烈な空振は紫波町や盛岡市内では建物のガラスが破壊されるなどの被害が発生した。


 《エドガー彗星》の落下によって引き起こされた地震は関東地方を超えて中部地方まで伝わり、花巻市から上がった巨大な黒煙は遠く離れた北海道札幌市や東京でも観測された。

 倒壊・全焼した家屋はおよそ十万戸、農業・商工業および水産業の被害総額は二つの市をあわせ十二億九千七百万円にのぼった。

 早朝で殆どの人間が家の中にいたことや、避難警報の発令が遅れた事も重なって民間人が多数犠牲となり、死傷者数は延べ三万人を超す大災害となったのである。



 「市街地の避難はどうなっているか! 花巻市役所とは繋がらないのか? ――なに、北上市も!?」

 「さっきから呼びかけはいるんですが、一向に繋がらないんですよ! まさか、皆死んじまったんじゃ――」

 「そんな訳なかろうが、この大馬鹿もんが! 応答があるまで、呼び続けるんだ。おい君、陸上自衛隊に繋いでくれ!」


 盛岡市に災害対策本部を設置、全ての市町村と連絡をとっていた岩手県知事の北岡要一きたおかよういちは、災害発生直後から陣頭指揮を執っていた。

 花巻市に恋人がいるという若い職員を叱咤激励しながらも、北岡もまた絶望的な状況に心が折れそうになっていた。


 「くそっ、どうして彗星の落下が探知できなかったんだ!」


 ホワイトボードに次々と張り出される被害報告や交通情報を見ながら各所に指示出していた北岡は、この場に居ない防衛省の関係者に毒づく。

 本来、このような事態に陥った場合は宇宙で活動している航空自衛隊こうくうじえいたい第三地球警備大隊だいさんちきゅうけいびだいたいから緊急通信が防衛省に向けて発信され、それを受けた防衛省が全国の自治体に一斉にアラートを送信する手筈となっていた。


 (まさか、あの航空自衛隊が彗星を見失っていたとでもいうのか? 宇宙に誇る第三地球警備大隊だぞ!? いいや、そもそも《エドガー彗星》は――)


 北岡はひっきりなしに鳴り続ける電話の応対を自らこなしながら、最近見た自衛隊関連のニュースを思い出していた。二つの市に跨って降り注いだ悪魔の彗星は、二週間ほど前に地球の衛星軌道上で破壊に成功したはずだった。

 そのニュースが流れた際、北岡は共に見ていた県庁の職員らと一緒になって歓声を上げたのを覚えている。

 共に見ていた若い職員は、防災用のヘルメットを被り災害対策本部内を慌ただしく走り回っている。


 (一度破壊されたはずの彗星の破片が、地球の軌道を周回して日本に落下する? 中学生の妄想じゃあるまいし、あの大規模な作戦であんなに大きな破片が出たなど私は聞いていない! もし事実だとしても、それこそ悪夢だろう!)


 頭に浮かんだ疑念をかき消し、遅れて合流した警察にも指示を出そうとしたその時。

 災害対策本部内に、電話が鳴り響いた。受話器に表示されている色は、黄色。

他の市からの直通を知らせる色だ。


 慌てて受話器を取った県庁の職員の動向を、一同は固唾を飲んで見守る。


 「北岡さん! 紫波町の町役場と連絡が付きました!」

 「本当か! 分かった、俺が直接話す!」


 紫波町は、辛うじて難を逃れていた。

 人的被害こそ少なかったものの、建物が半壊し身動きが取れずにいるとの知らせを受けた北岡は、直ちに自衛隊に災害派遣を要請した。

 最悪な事態の中、僅かな希望が芽生えた事で、災害対策本部内の人間の心に僅かな余裕が生まれた。生存者という確かな希望を消すまいと、その瞳に焔を燃やして自らの使命を全うするべく行動する。それは、北岡もまた同じだった。

 災害発生から一時間後。北岡は未だ連絡が取れない花巻市と北上市との連絡を断念し、岩手県全域に非常事態宣言を発令、日本政府に災害救助法の適用を申し入れた。

 北岡からの連絡を受けた政府は、同法に基づき指定機関および公共機関にも応援を要請し、同時に専門家を含む計五十人からなる調査隊を編成し、現地に派遣することを決定した。


 この出来事は『花巻はなまき北上流星災害きたかみりゅうせいさいがい』と命名され、世界各地で大々的に報じられた。

 国連やアメリカ合衆国をはじめとする国々からは大量の支援物資や資金が届けられ、各国の救助隊も岩手県に続々と駆け付けた。この出来事は後に、”第五次トモダチ作戦”と呼ばれることとなる。


 《えー、現在はここ、盛岡市に設置された災害対策本部前から中継を繋いでいます。こちらからの情報によりますと――》

 「花巻市って、俺たちの住んでいる所だ。え。じゃあ、お母さんとお父さんは……?」


 話は戻って、那須塩原市。

 かつては母の部屋だったというそこで、昴はテレビから流れている映像を見ながら呆然と立ち尽くしていた。画面の向こうでは、盛岡市にある岩手県庁と、慌ただしく出入りする白い防災服を着た職員らが映っている。

 ヘルメットを被った女性リポーターが、時折聞こえる轟音に身を竦ませながらも、災害対策本部から次々と寄せられる情報を必死に読み上げている。

 ワイプで抜かれた局のアナウンサーが、「住民の避難は完了していないんでしょうか?」だとか、「そちらも危ないですから、気を付けてください!」などと勝手な事を叫んでいる。

 兎にも角にも、テレビからは緊迫した様子が伝わってきていた。


 「あそこに見えるの、俺たちの学校だった場所だ。健吾は? 雄平は? 翠ちゃんに、明日香ちゃんは?」


 画面の向こうに広がる惨状にすっかり血の気を無くした昴は、テレビに映る巨大なクレーターを呆然と見ながらぶつぶつと呟く。

 学校の周囲にあった住宅街も跡形もなく消し飛ばされ、昴が遊びに行ったこともある友人の家も無くなっていた。


 友人が死んだ、という事実は確かに目の前に在るのに、昴はその現実をどうしても認めることが出来ないでいた。

 春休みが終わったら一緒に遊ぼうね、と約束までしていた男友達が、密かに恋心を抱いていた隣の席の女の子が、僅か一瞬でこの世を去ってしまったという現実は、幼い昴にとっては到底背負いきれないものだった。


 (……そうだ! お母さんとお父さんは!)


 その後も昴は落ち着かない様子で部屋中をぐるぐると歩き回っていたが、唐突に学習机に置いてあるタブレットを手に取ると、SNSサイトを開いて花巻市役所に居るだろう両親に向けて連絡を取り始めた。

 部屋の外からは、先ほどから誰かの廊下を走り回る音が聞こえている。親戚が駆け込んできたのだろう、悲鳴や怒鳴り声と共に、車のエンジン音も聞こえてきた。

だが、昴は外部から聞こえてくる音が全く耳に入らない様子で、ただ一心不乱に震える指で父の電話番号をタップし続ける。


 (くそっ、くそっ、くそっ! なんで出ないんだよ! 早く出てよ!)


 焦りと恐怖に震える指先を何とか制御してスクリーンに押し当て、何度も何度も電話をかけ続ける。

 両親の生存は絶望的であると本能では理解しながらも、昴の心はそれを受け入れようとはしなかった。受け入れたくなかった。

 ふいに、小さな力でパジャマの裾が小さく引っ張られた。

 驚いて顔を上げると、後ろを振り向く。裾を引っ張った正体は、妹の舞依だった。祖父母の寝室で一緒に寝ていたはずだが、いつの間にか昴の部屋に入ってきていたらしい。

 周囲で忙しなく動き回る大人たちの雰囲気に中てられたのか、不安で泣きそうな顔をしていた。


 「ぱぱとまま、おはなしできない?」

 「だ、大丈夫だよ。お土産、買ってこっちに来るって言ってたろう?」


 昴はタブレットの操作を一旦取りやめると、舞依の頭を優しく撫でる。だが、安心させようと掛けた言葉は、依然として不安な表情を崩さない舞依には届かない。


 「ぅん。でも……」

 「今はさ、非常事態ってやつだから。二人とも、忙しいだけなんだ、きっと。だからほら。お母さんのお守り持って、待っててな」


 昴は一旦タブレットの操作を取りやめると、大きな瞳に涙を溜め、唇を噛んで俯いてしまった妹の顔を覗き込む。そうして、自分の不安や焦りはひた隠しにして優しく笑いかけた。

 それでようやく安心したのか、舞依は小さく頷くと、先ほどから手にしている母お手製のお守りをぎゅっと強く抱きしめた。

 立ちっぱなしの舞依を座らせるべく、昴は大きく胡坐をかいて膝をポンポンと叩く。

 母に怒られた舞依はいつも、昴の膝の上に乗ってさんざん泣く。そうして、兄に宥めてもらい、再び笑顔を取り戻すのだ。

 舞依はいつもの指定席に座ると、左手で昴のパジャマの裾を握ったままテレビを見始めた。舞依なりに、現実を受け入れようとしているのだろう。昴も再びタブレットを操作し始める。

 何度も表示される『送信できませんでした』の文字に心が折れそうになりながらも、妹の前では気丈でいなければ、という使命感から早まる呼吸を抑えて何度も何度も友人や両親に連絡を取り続けた。

 その間、舞依は昴の方を一切見なかった。


 時刻が六時を回り、窓から朝陽が差し込んできた頃、祖父である源十郎が憔悴しきった様子で部屋にやってきた。

 寝てしまった舞依を起こさないよう、最小限の動作でタブレットを操作し続けていた昴は、祖父の表情を見て何かを悟ったのか、舞依をそっと揺り起こす。

 瞼を擦る舞依の手をそっと握ると、顔を蒼白にした昴は祖父の後に続いて部屋を出た。


 玄関を出た昴は、差し込んで来る太陽の光に顔を顰めた。が、すぐに目を大きく見開いた。

 昴の目に映る朝の那須塩原市は、ただただ美しかった。

 雲一つない青空が広がり、茶臼岳に朝日が反射し、まだ雪の残る斜面が銀色に光り輝いている。

 庭に咲いたオオイヌノフグリが、可愛らしく風に揺られている。吹く風は憎たらしい程に気持ちよく、だというのに冬の厳しさの残る冷たさも孕んでいた。


 家の外には、祖母と共に数人の大人が集まっていた。

 見た事の無い顔も多かったが、皆一様に悲壮な表情で話し合っている。祖母は昴たちに気付くと、一目散に駆け寄って舞依を抱きしめた。

 くしゃくしゃの顔をさらにくしゃくしゃに歪めて、大粒の涙を零しながら「ごめんね」と繰り返す祖母の顔を舞依は不思議そうに眺めていた。

 が、次第に祖母の悲しみが伝播したのか、幼いなりに事の次第を把握したのか。舞依もまた、大きな声を上げて泣き始めた。


 泣きじゃくって嫌がる妹と、決して離さずに抱きしめて謝罪の言葉を繰り返す祖母の姿にとうとう堪えきれなくなったのか、昴もまた下を向いて唇を噛む。それでも、兄としての矜持か、妹の前で涙は見せまいと必死に堪えていた。

 唐突に、そんなの昴の体が温かいものに包まれる。

 目尻に涙を滲ませながら顔を上げると、源十郎が昴を抱きしめていた。娘夫婦を失ったばかりの源十郎もまた悲嘆に暮れていたが、彼はただ、黙って昴を抱擁し続けた。

 暫くそうしていただろうか、空は晴れているのに、冷たくて熱い雨が昴のパジャマにぽたぽたと落ちてきて、どんどん肩口を濡らしてゆく。

 源十郎は、静かに、ただ静かに泣いていた。声を殺して、泣き叫んでいた。

 祖父の悲しみを目の当たりにした昴は、初めて両親がこの世から去ってしまったという絶望的な事実を受け入れた。

 そうして、彼はようやく泣くことが出来たのだった。



 ――今から語るのは、そんな最悪の未来で起きた出来事から始まる、ちょっと不思議でどこにでもありふれた、当たり前に存在する物語である。

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