第1話 『妻』との出会いは唐突に(後編)


 二度寝して遅刻しそうになり、急いでタイムカードに打刻をすると職場へ向かう。その間、誰とも目を合わせないよう俺はずっと下を向いて歩いていた。

 前にも言ったが俺は神なんぞ大嫌いだし、出来れば信じたくない。だが昨日の夢は余りにもリアル過ぎる、何故かそう感じた。迷信、気のせい、本来ならばそう思いたいが、縁切りの前例があるので油断はできない。用心するに越したことはないだろうと思っての行動だ。それと、もしかするとこれは好機かも知れないとも思った。


(さてと、結婚するなら職場で誰がいいだろう? やっぱりみさおちゃんかな)


 ディスクに着きながら伴侶はんりょの算段をする俺。操ちゃんは若くてかわいいこの職場の華だ。結婚できたらさぞかし楽しいだろうが、彼氏がいるとの噂もある。


「はい、お茶どうぞ」

「あ、ありがとう」


 操ちゃんだ! が、お茶を置かれながら俺は反射的に目を逸らしてしまった!


(……何やってんだ俺は)


 絶好の機会を逃した俺は、朝の打ち合わせでボーッと下を向いたままだった。仕事が全く手に付かない。


 駄目だ、何もやる気が起きない。急ぎのノルマもないし帰ろうと思った。


「すんません係長、帰らせて下さい」

「えぇーっ!? どったのシューちゃん!? 体調不良!?」


 黒縁メガネの係長が大げさに驚いてみせる。


「参ったなぁ、シューちゃんにやって貰いたい仕事あったのに。まぁいいや、石田にでもやらせるよ。死ぬ気で治して、明日は会社に来てくれよな。頼むよー」


 死んだら会社来れませんよ、と突っ込みたいのを我慢して一礼すると、職場を後にする。後ろから「ほぎゃーっ!」という石田の悲鳴が聞こえた。ごめんな、石田。



 さあ帰ろうと通路に出た途端、後ろから声が掛かった。


『あれー? ヤハギンが帰ろうとしてるー。サボりかぁー?』


(この声は……)


 間違いない。極ポッチャリ系で俺よりも10歳年上、性格最悪、職場で絶対に結婚したくない候補No.1の女帝、足柄あしがらきよみだ。……なんということだ。


「……早退だよ、具合がわるいんだ」


 とても恐ろしくて振り向く気にもなれない。前を向きながら、やっとのことでそう答えると、後ろから地響きが近づいてきた。これはヤバい!


「本当かぁ? 仮病じゃないだろうな? 顔色見してみ?」

「ぎゃっ!」


 むんずと肩を掴まれ、強制的に向きを変えられた俺は必死になって目を瞑った。

 冗談じゃない、こんな奴と結婚させられてたまるか!


 やめろ、やめてくれ! その鼻クソほじくった手で顔を掴むのはやめろーっ!


「……熱は無いみたいだな。まぁいいや、早く帰って休みなよ」


「う、うん。さいなら……」


 バシンと背中を叩かれ開放された俺は、フラフラになりながら外へ出た。



 会社の駐車場へと続く道を一人歩く。勤務時間なので誰とも行き合わず、強い日差しを受けながらボーッと考え事をしていた。

 昨日の下らない夢ひとつで早退してしまった……俺は一体何をやってるんだろう。同僚たちにも迷惑を掛けてしまった。さっきのきよみだって、あんな奴だが一応心配はしてくれたのだ。そう考えると少し悪い気がした。


(……こんなこと考えちまうとか。やっぱり早退して正解だったかもな)


 そういえば先週は残業続きだった。休むのもいいが気晴らしに遠出でもしようか。もしかしたら思わぬ出会いがあるかも知れない。良い考えが閃いたら気分が少し楽になった気がした。


 駐車場に着いた俺は愛車の窓とクーラーを全開にし、ふと出口へと目をやる。


(ありゃ、ゲート閉まってら。そっか、まだ勤務時間帯だしな)


 セキュリティーのため出口のゲートが下りていた。少々面倒くさいが守衛しゅえいに連絡する必要がある。出口のそばの備え付けインターフォンに手を掛けた。


『はい、こちら警備室です』


(む、この声は!)


 中学の同級生、ゴリ蔵の声だ、間違いない。この時、段々と気分が乗ってきていた俺はついついふざけてしまった。


「もちもちー? シューちゃんでちゅよー。ゲート開けてくだちゃーい^^」


 インターフォンの向こうで吹き出す声が聞こえ、暫くすると返答があった。



『どちまちたかー? どこか行きたいんでちゅかー? 異世界でちゅかー?^^』


「げんだい日本でお願いちまちゅー^^」


『ダメでちゅよー、きんむじかんでちゅー^^ おちごと戻ってくだちゃーい^^』

 

──ガチャ ツーッツーッツーッ……


「あれ?^^;」



 インターフォンは勝手に切られてしまった。そしてゲートは開かない。慌てて俺は警備室に掛け直す。


「おいおい。体調不良で早退するんだ、ゲート開けてくれよ」

『だったらふざけないで始めからそう言えよ! ……ちょっと待ってろ!』


 ゲートが開かれたのを確認すると、自分の車へと戻る。車内温度も丁度良く冷えていることだろう。ここまで全て、俺の計算の内だ。


「ふんふふーん♪ ……ん? うっうわわっ!?」


 運転席のドアを開けようとして思わず飛び上がった。足元に一匹の蛇が居たのだ。蛇は驚いたのかそのまま車の下に逃げてしまった。


(焦ったぁ……脅かしやがって)


 発進時に踏みつけてしまっても気分が悪い。下を覗いて確認するも、もう姿は見えなかった。俺は特に何も考えず、車の窓を締めて発進させた。


 嫌なことに、蛇と一瞬目が合った気がした。



 この日、俺は何を考えてアパートまで戻ったのかよく憶えていない…。気がつくと自室の前で鍵を開けている自分が居た。


「……」


 ドアを開けて中に入ると、部屋中央の座布団の上には居た。


「…嘘だろ」


 想定外というか、案の定と言うべきなのか、さっきの蛇だった。


…………



 それからの俺は、何とかこいつを部屋から追い出そうと必死になった。だがこいつは俺の抵抗をことごとくかわし居座ろうとする。終いには『スミズミバルタン』を部屋に仕掛けていぶし出そうとした。……だが全てダメだった。


「刺し身、食うか?」


 夕食時、小分け皿にマグロの切り身を置いてやる。ちゃぶ台の上で俺が飯を食っている姿を見ていたそいつは、舌で匂いを嗅ぎ取ると切り身を丸呑みにする。あれから一週間以上が経ち、こいつといるのも段々と慣れてきた。

 俺はこの蛇を『妻』だと認めたくない。今でもクソッタレの神に返品を申し出たいくらいだ。が、頭を下げるのは負けた気がするので死んでも御免だ。


 そしてにしても、こいつは何を考えて俺の部屋に来たのだろうか? 神とやらからお告げでも聞いて来たのか? まさか俺を旦那だと思ってここに居るのか?


(……止めよう。考えたら頭痛くなってきた)


 俺とこいつがこれからどうなっていくのか、いつまでこの生活が続くのか。

 それは誰にもわからない。


 第1話 『妻』との出会いは唐突に 了

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