第27話

≪太陽暦:三〇五八年 四月二十六日 二○:十一 廃殻 大羿管制基地宿舎役員棟1203≫


 ノックをすると、扉の向こうからガタガタッと鼠が逃げ出すような物音。炉那はため息をつきノブを回す。予想通り鍵も掛け忘れていたらしく易々とアルミ製のドアは開く。これまた予想通りに、彼女の私室は乱雑に荒れ果てていた。

 カーペットの上に投げ出されたスーツケースは二枚貝のように開いたままで、そのうちに収まっていた衣服や化粧品の類がまるで内側から爆ぜたように、周囲に散らかっている。中には手工縫製のイブニングドレスがソファの背もたれに引っかかり皺を寄せているほどだ。スーツケースに収まり切らなかったと見える雑多な土産品や消費しきれなかった日用品は手荷物やポーチに納めてきたようだが、これも嵐に巻き上げられ地に落ちたかのように、白布のベッドや天然オーク材のサイドテーブル、クラシカルな化粧台を不規則かつ無作為に汚している。

つい昨日まではこの部屋は住人不在のこともあり、まるでショウルームのように整然としていたと誰が思うだろうか?

 帰宅後たった数時間でこの部屋を嵐の如く荒らし続けた張本人は、今ベッドから起き上がった姿そのままで、ゴミ箱を持ったまま硬直している。白金の長髪が、無残にも寝ぐせで乱れたままの珍しい姿。

「あっ、ろ、炉那!これは今から掃除するとこで……!」

「……はいはい」

 これ見よがしに溜息をついてやり、ソファに絡まるイブニングドレスを手に取り皺を伸ばす。

「外遊から帰ってきてすぐ整理しろとは言わないが、旅装をみんなぶちまけることもないだろう」

「は、はい」

「大方必要なものを取り出すために出すだけ出して、纏めておくこともしないまま寝たってところか……」

「か、返す言葉もないですが……」

 アルナは恥ずかしそうに唇を尖らすと、ベッドにペタンと腰かける。このずぼらな少女が、常ならば演壇にて凛然と立ち振る舞う太陽官だと誰が思うだろうか。スーツは脱ぎ去りタイも取り、襟元の乱れたシャツにタイトスカートのみ。たっぷりと毛先を散らす寝癖から察するに、中途半端に脱いだままベッドに倒れこみ、つい先ほどまで寝込んでいたのだろう。

「……つまりシャツにも皺が寄る」

「た、大変遺憾ですっ!」

 炉那がじっと見下ろすと、アルナはさっとシーツで顔を隠す。叱られている子供か。シーツがまた皺になるだろうが……心の中で毒づき、炉那はドレスをクローゼットに掛ける。


 これが北辰アルナの私生活の姿だ。普段自分たちが見ているぎらぎらと瞬くような大羿計画の騎手たる威光はスイッチが入っている状態で、スイッチが切れればろくに服も片付けず、足の踏み場もない部屋で丸まって寝ているような少女なのだと、知り合ってから少し後に知り愕然としたものだ。彼女もそれを恥じているのか(治りはしないが)、此処が仮宿舎だった時代は誰も私室には上げず露見しなかったが、愈々自分一人ではどうにもできないくらいに部屋の物量が拡大したところで炉那に泣きついて来て、彼にのみそのずさんな質を知られることになる。

 元々北辰家の令嬢が故に家事を知らないこともあるだろうし、執務時に思考の気力(リソース)を使い果たしてしまうのもあるかもしれない。何れにしろ、北辰アルナという少女の私生活は大変ずぼらなものなのだ。

「か、改善としようとは思っているんですよ?でもお片付けの時間が中々作れず、それにいつも疲れて寝ちゃって……」

「出したものは使ったら仕舞う、それができれば片付けに時間も必要ないんだがな」

「…………はい」

 常々の弁舌も形無しで、アルナは頭を抱える。それ以上は何も言わず、炉那は台所から湯気立つカップを二つ持ち、一つをアルナに手渡した。今日は説教をしに来たわけじゃない。

 部屋の南側は採光のため端から端まで長方形の窓が穿たれており、その一つを引き開ける。部屋へと入ってくるのはまず放射冷却により熱の奪われた夜半の風、そして未だ冷めきらぬ日都の喧騒だ。橙の光がちらほらと灯る街の陰影。帰路につく人々の跫音。住宅地区へと走る列車。掻き入れ時の飯屋の軒先に行燈が揺れる。この宿舎からでも、その喧騒が望める。

 区画ごとに整理され住民の諸活動も律儀に管理される月都には無い、有象無象の勝手な行動が、不思議なことに奇妙に合わさって作られる奇妙な一体感。混沌という名の街の特色。

「ずいぶんと……大きくなりましたね。この街も」

「これもお前の狙い通りだろ。大羿計画を通し、廃殻に富を流して、再興の足掛かりにする。日都はその前哨基地だ」

 アルナの傍らに腰を下ろし、炉那はコーヒーを一口啜る。アルナは薄い唇に指を添えて、窓外の光景に目を惹きつけられていた。

「意図してなかったと言えば嘘だけど、こんな規模になるとはやはり思いもしなかったです。やっぱり一番は、地表の人々の、生きることへのパワーのお陰」

「どう――なんだろうな。廃殻民はそりゃ生きぎたないさ、砂漠の底の底まで掘って、袖が湿る程度の水を搔き集めて生きてきたわけだからな。だけどそうはいっても二年そこらで街を造る力なんてない。そこまでアイツらを駆り立てたのは……月都からの技術だろ」

「ふふ。じゃあ月都と地表を繋げた甲斐はあったってことかな」

 答えず頷く。それは事実なのだろう――互いに分断し隔絶しつづけていた地表と地底。その数百年ぶりの合一がこの街だ。大羿計画のために持ち込まれた月都の技術と資産、そして思想。廃殻の埋伏していた人員たちと技量、そして知識への欲求。それらが合わさり、大羿の砲台に立ち並ぶ煙突や高層建築物はどんどんと背を伸ばしていった。今、日都では地殻間パイプラインを通し月都と絶えず情報が交わされ、近郊に開設された地殻間エレベーターを通し両世界の人々が交わり続けている。

 大羿計画の最大の副産物は、地盤に穴をあけるでもなく地表と地底を結んだこと。それに尽きるのだろう。


 砂を両の手でかき混ぜるような、籠った稼働音。

 見れば……二人の間に転がった、旧型のラジオレコーダーから音が漏れ出している。初めは不定形だった雑音はやがて調律されていき、一つの音楽に形を成す。

爪弾きの反復(リフ)がもたらす、陽気に小躍りするような序曲(イントロ)

「あ!始まりましたよ!」

「あ?あー。そうか今からか……」

 アルナは喜色たっぷりに、炉那はげんなりと顔を顰めそのラジオに視線を向ける。ラジオ内部の半導体増幅器の向こう、背から伸びるケーブルを伝って電波が通達。


≪太陽暦:三〇五八年 四月二十六日 二○:二九 廃殻 大羿管制所広報通信室≫


「オンエア三十秒前!蛮風さんOK!?」

 マイクに口を当て、ガラスの向こうへ呼びかける。あり合わせの収録機材とホコリをかぶっていた通信設備で造ったジャンクまみれのスタジオ。それらを手慣れた様子で調整していく。かつては壊都のもぐり通信業、だが今は、これが光琳の仕事だ。

 部屋を二分するガラスの仕切りの向こう側、テーブル上のマイクが影を伸ばす。彼はそのマイクの前で、ギターの弦を一本ずつつま弾いていく。左手の腹でその震幅を確かめて、調律(チューニング)が完了。

「オールオッケイだお嬢ちゃん」

 通信屋の娘は満足げに頷き、指を立てる。

「オンエア五秒前!三、二、一!」



『ようお前ら!愛し合ってるかい?』

 ラジオ越しであるはずなのに、今の様子を言い当てられたようでどきりとする。だがそんなわけがない、これはいつものオープニングコールなのだ。

『月都のお前らに、壊都のお前らに、全都津々浦々のトモダチに。オールナイト日都の時間がやってきたぜ!』

 なんだその名前は―――64回目となるツッコミを、炉那は心の中で入れた。

 オールナイト日都。一年と少し前から突如壊都の光琳を連れて蛮風が始めたラジオ番組だ。言い出した当初は気が狂ったかと思った。今でもそう思っている。

 太陽風のある廃殻において有線ラジオはそう普及していない。いなかった。だが大羿インフラ整備に伴い都市間通信ケーブルも整備されたことで、ラジオ・映像放送も拡大していった。その先駆けとなったのがこの番組だ。

『パーソナリティは勿論俺、日都一のラジオDJと誰もが認める――何笑ってんだ光琳。え?日都にこんなことやってんのは俺しかいねえ!?』

 ぷぷっと、隣でアルナが白い歯を見せて笑った。おそらくだが、彼女と同じ声を、大陸の何割かの人間が上げているのだろう。


『ふんだ……四月だねえ。いい季節じゃねえか。壊都じゃ遺跡荒らし達が旅団を組んで、大遺構への長期降下に出る時候だな。

 なんでかわかるかい?壊都大遺構みてえな都市型遺跡じゃな、自律機械たちが三~四月に数を減らすんだよ。旧くなった機体が自動工場の中で造り直されるからさ

 なぜ、四月にか。

 オモシロイもんでね。その頃の前文明じゃ“年度初め”ってわけだったらしい。組織や集団の顔ぶれが変わる時期な。だから機器も一新される。

 ヘンなもんだねえ。

 これにかんしちゃあ未だ俺らの時代も変わらない。“タイヨウ”が輝いてからは未だ季節はねえのに“節目”は残ってる。

 前文明は俺たちに逸脱機以上のものを遺しているらしい――』


 滔々と、思い出話を知己に聞かせるように、ヴァンプは語る。電信網を介しているのに、彼の存在をすぐ傍に感じる。

「すごい、ですよね。人を惹きつける言葉というか……」

「……まぁな」

 外ならぬ“人を魅きつける才能(カリスマ)”を持つ持つアルナが言うのも可笑しいが、たしかにそれはある。人の意気を燃やすアルナとは異なる力を持つ、夢に酔わせるかのような語り口。遺跡荒らしという奇特な生き様から生まれる、東奔西走の冒険譚。

「まぁ、自慢話がうまいのは認めるよ。俺も毎晩された」



「こうして街を見るだけで、やったなあ。すごいものが作れたんだなぁ、そう思える。宝都も油都もすごいものをたくさん見れたけど、やはりこの景色が落ち着きます」

「……満足だな」

「え?」

「これでもう満足しても、いいんじゃないか?」

 炉那の問いかけの意図を察し、アルナは首を振る。その瞳に、いつもの気勢が漲り日輪のような意思の光が灯る。

「いいえ。“これでいいや”と満足できるほどに、まだ廃殻は潤ってません。タイヨウが上がり地を焦がし続けるかぎり――必ずそれを堕とします」

 未だって表面上は活気の中にあるのだろう。明日明後日、気温が跳ね上がり、田畑が枯れ果てる――その様な不安が傍にある限り、どんなに巨塔を打ち立てようが、そこには平穏も自由も無い、空の繁栄だ。

 彼女が見たいと思った景色はそれではない。

 彼に見せるといった景色は、それではないのだ。

「私は“タイヨウ”を堕としますよ――――何度でも、そういいます」

「……知ってる」


 炉那は自分がこの世の闇しか見えない、傷ついた瞳の持ち主と知っている。

 アルナは自分が前しか見続けないと死んでしまう、脆い瞳の持ち主と痛感した。

 だから、

 二人並んで歩いていくと決めた。アルナが光を、炉那が闇を見続けて、二人で行く道を調律しつづけて進んでいくのだと。

 だからどれだけ多忙な日々であろうがこうして二人だけの時間を造る。意気を失い止まらないように、尽力しすぎて焼ききれないように、羽を休める時間。

『それじゃあ次の歌へいこう。今の時間にとってもぴったりな――ラブソングだ』


 いないはずの蛮風に揶揄われたような気がして、炉那は叩くようにラジオを消した。

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太陽撃墜 あほろん @ahoronn

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